農業機械
耕運機
画像は、1878年の第3回パリ万博にジョン・ファウラー(John Fowler)社が出品した、耕運機のロープを巻き上げる蒸気機関である。イギリスでは1840年代に蒸気による犂耕の実験が数多く行われ、1854年にファウラーが、地面に固定した蒸気機関で犂を引く方式を考案した。彼の死後ではあるが、1878年のパリ万博ではジョン・ファウラー社の製品は数多く出展されている。
土を耕すものとして、ローマ時代から、土を掘る刃と横に跳ね上げる板からなる木製の「プラウ」という装置が用いられていた。近代的農業生産様式が急速に広まる時代になって、1837年にアメリカのディアー (J. Deere)が鋼鉄製のプラウを作ると、アメリカの農場で普及した。19世紀後半には、プラウを2連や3連、4連にした複式プラウが登場し、1889年の第4回パリ万博にも数多く出展されている。
動力部分の改良としては、特に土地が広大なうえに南北戦争で人手の足りなかったアメリカで、蒸気機関の農業機械への応用が期待されたが、犂やその他の農具を牽引するにはあまり向いていなかった。蒸気機関はそれ自体が重いために、通った後はプラウで耕せないほどに土地が固められてしまうことが多かったからである。
1854年にイギリスのファウラーが上画像のような耕運機を開発した。これらは、蒸気機関を畑の両側に2台置いて牽引を交互に繰り返すように改良されている。ついで1台で往復できる新型もあらわれたが、結局、イギリスでも蒸気機関による犂耕はほとんど普及しなかった。
その後、1904年にアメリカのホルト(B. Holt)がガソリンエンジン使用のトラック・タイプ・トラクタ(今日のキャタピラーの原型である、履帯式トラクタ)を実用化するまで、農業で利用される動力の大部分は、人力と牛・馬が占めていた。
刈取機
画像は、1893年のシカゴ万博におけるマコーミック(McCormick)社の刈取機展示ブースの様子である。マコーミック社は、南北戦争による人手不足が深刻だったアメリカで、1833年に農場の息子マコーミック(C. H. McCormick)が、画期的な刈取機を発明したことに端を発する。
刈取機自体は、1826年にイギリスのベル(P. Bell)がハサミと同じ原理の刈取機を発明したが、普及はしなかった。
しかし、マコーミックが発明した刈取機は、馬に牽引させるタイプではあったが、刈り取った麦穂が自動的に揃えられ、そのまま後ろの台にほうり出されるので、大変画期的であった。マコーミック社製の様々な刈取機は1851年の第1回ロンドン万博に始まり、1893年のシカゴ万博まで何度も出展された。右画像は、1851年ロンドン万博に出品されたものである。
また、1878年第3回パリ万博では、アベリング&ポーター(Aveling & Porter)が蒸気機関を動力とする刈取機を出展している。
脱穀機
最初に用いられた脱穀機は、1786年にスコットランドで発明された、水車の力で回転させるもので、スコットランドとイギリスで使われた。その後、固定式から移動式に改良された。イギリスのロビー(Robey)社は1862年の第2回ロンドン万博(上画像)や1867年の第2回パリ万博に、蒸気で移動する脱穀機を出展している。
コンバイン
農業機械史の中で最も注目すべき発明は、刈取と脱穀の作業を同時に行う機械「コンバイン」である。アメリカでは1841年にムーア(H. Moore)が最初の特許を取得した。1840年代に中西部で利用が始まり、カルフォルニア州で重用されたコンバインだったが、蒸気機関で実用的なものが登場したのは1880年代であった。しかし、車体の重い蒸気機関を利用している間はあまり普及せず、その普及はガソリンエンジンが登場する20世紀まで待たなければならなかった。
農業用蒸気機関 (9画像)
Clayton & Shuttleworth社の農業用移動式蒸気機関 | Aveling & Porter社出品の農業用移動式蒸気機関 | E.R. & F. Turner製の蒸気機関 |
- 参考文献:
鹿島茂 「パリ万博絶景博物館(28)ヨーロッパの農業革命」 (『施工』 385号 1997.11 <Z16-72>)
C.S.オーウィン著 ; 三沢岳郎訳 『イギリス農業発達史』 御茶の水書房 1978 <DM71-34>
デイビット・グリッグ著 ; 山本正三[ほか]訳 『西洋農業の変貌』 農林統計協会 1997 <DM71-G11>
三橋時雄 「アメリカに於ける農機具の発達」 (『農業と経済』 14巻9号 1948.9 <Z18-401>)