その他の機器(ミシン、洗濯機ほか)
ミシン
実用的なミシンを最初に作ったのは、フランス人仕立屋ティモニエ(B. Thimonier)で、1830年のことであった。彼のミシンはフランス陸軍の制服を縫うのに使われた。その改良型は1851年のロンドン万博、1855年のパリ万博に出展され、1855年のパリ万博では金メダルを受賞したが、高価で採算が合わなかったため、商品化できなかった。
一方アメリカでは、1830年にハント(W. Hunt)が上糸と下糸を使う本縫い式ミシンを発明。1844年に、マサチューセッツの発明家ハウ(E. Howe)は、ハントのものを改良した、現在のミシンの原型と言える手回しミシン(シャフトを手で回すことでシャトルが往復し針の上下運動に連動する)で特許を取得した。彼は5人の女性の手縫いと機械を競争させ、機械の優れていることをアピールした。彼は1853年のニューヨーク万博、1862年の第2回ロンドン万博に出展している。
手回し式に加えて足踏み動力を加えた今日と同じ基本的な構造を備えたミシンは、アメリカのシンガー(I. M. Singer)が1851年に特許を取ったもので、1855年の第1回パリ万博に出展し、金メダルを獲得した。シンガー社は1851年から1863年の間に20もの特許を取り、工業用だけでなく、曲線的で美しい家庭用をも開発、また、月賦販売といった画期的な販売方法も用いたため、アメリカ最大のミシンメーカーとして君臨した。
アメリカ人ウィルソン(A. Wilson)は1854年に回転釜とボビンを使用したミシンで特許を取得し、その最新型は1867年の第2回パリ万博に、衣料の歴史に革命をもたらすものとして出展され、金メダルを獲得。上記画像のウィラー&ウィルソン社は、ウィルソンが実業家ウィラーの援助を受けて立ち上げた会社である。
その後、1889年にシンガー社が電動式ミシンを発売。同年の第4回パリ万博などでもミシンは出展されているが、次第に一般に普及する日用品となり、万博で話題になることは少なくなっていく。
洗濯機
画像は、1862年の第2回ロンドン万博に、イギリスのT・ブラッドフォード(Bradford)社が出品し、メダルを受賞した洗濯機である。現在のドラム式とは大きく違い、しかも木製であった。下の木箱に衣服を入れハンドルでぐるぐる回して洗濯し、上のローラー状のプレス機で、圧縮して脱水やしわのばしをする仕組みである。
洗濯棒、洗濯板、洗濯用プレス機といった道具にかわる洗濯機の開発はイギリスで早くから取り組まれており、17世紀末から木製の手動洗濯機が現れ、1691年に特許の出願も行われたが、量産されるまでにはしばらく時間が必要だった。
その後の手動洗濯機の開発は、イギリスではなく、アメリカやカナダが先行するようになる。手動洗濯機が販売されるようになると、洗濯機の上に簡単なプレス機が取り付けられるようになった。冒頭画像もこのプレス機を備えている。1867年のパリ万博にもブラッドフォード社のプレス機付洗濯機は出品され、木箱が八角形になっている。
1851年には、キング(J. T. King)が、シリンダー型の洗濯機を発明している。このシリンダー方式は蒸気によって汚れを取り去る方法で、特許件数から判断する限り、1870年代に最も普及した型の一つとなった。これまでの洗濯機は手の動きの再現にとどまっていたため、蒸気と石鹸の泡を用いたこの方式は画期的であった。この方式は、1880年代に入って、孔のたくさんあいた鉄板製の内部シリンダーが取り付けられたことにより、完成の域に達したと見られ、今日のドラム式洗濯機の元祖と言える。
1874年、ブラックストーン(W. Blackstone)は、手動式家庭用洗濯機(いまだ木製である)を2.5ドルで大量生産・大量販売し始めた。これを機に多くの企業が洗濯機の量産に参入するようになり、アメリカでは200社を超える洗濯機メーカーが生まれた。
その後、手回しではなくモーターが導入されたのは1914年頃のことであった。
- 参考文献:
大西正幸 『電気洗濯機100年の歴史』 技報堂出版 2008 <DL435-J38>
鹿島茂 『絶景、パリ万国博覧会 : サン=シモンの鉄の夢』 河出書房新社 1992 <D7-E90>
柏木博 『日用品の文化誌』 岩波書店 1999 <EF29-G197>
久島伸昭 『「万博」発明発見50の物語』 講談社 2004 <D7-H45>
Isaac Asimov[著] ; 小山慶太, 輪湖博共訳 『アイザック・アシモフの科学と発見の年表』 丸善 1992 <M31-E45>