1853年ニューヨーク万博

アメリカとヨーロッパの交流

名称
:Exhibition of the Industry of All Nations
開催期間
:1853年7月14日~1854年11月1日
場所
:ニューヨーク(ブライアント公園)
入場者数
:115万人

アメリカで開かれた最初の万国博覧会は、ニューヨーク市の現在のブライアント公園の位置にあたるリザーバー・スクエアを会場に行われた。この万博は、1851年の第1回ロンドン万博を訪れ感銘を受けた実業家達が、アメリカでも万博を開催すべきであると確信したことに端を発する。

建物は、コペンハーゲンにある人魚像で有名なチボリ公園のデザイナーであるカーステンセン(G. J. B. Carstensen)とニューヨークの建築家であるギルデマイスター(C. Gildemeister)が設計した。第1回ロンドン万博の水晶宮を模倣して鉄とガラスで作られたが、ニューヨーク万博の建物はギリシャ十字型となっており、外形はかなり異なるものであった。

1853年7月14日に開会式が行われ、フランクリン・ピアース大統領も出席した。23の国々がヨーロッパとアメリカ大陸から参加し、4,850の出品者が参加した。やはりアメリカからの出品者が多く、アメリカの出品物で最も多かったのは機械類であった。オーティス(E. G. Otis) が落下防止装置のついた蒸気エレベータを出品し、エレベータの安全性を示したエピソードは有名である。ただ、この万博の特徴としては機械類のような産業に関するものだけでなく彫刻や絵画のコレクションも多く出品したことであり、この後の万博にも多大な影響を及ぼした。

開催当初は入場者数も多く、ニューヨークで最初の旅行ブームを作り、数多くのホテルも建築された。しかし、最終的には収入は経費の半分にしかならず、30万ドルの負債という大赤字になってしまった。それでも、この万博を通じてアメリカ大陸にヨーロッパの先進的な機械文明と、水準の高い文化が紹介され、大陸間の交流が促されるという効果があった。

参考文献:

平野繁臣 『国際博覧会歴史事典』 内山工房 1999 <D7-G26>
Finding, J. E., Pelle, K. D. ed.: Historical dictionary of world's fairs and expositions, 1851-1988 (Greenwood Press, 1990) <D7-B3>