1862年第2回ロンドン万博

日本人がはじめて見た万博

名称
:London International Exhibition on Industry and Art
開催期間
:1862年5月1日~11月15日
場所
:ロンドン(サウスケンジントン)
入場者数
:621万1,000人

第2回ロンドン万国博覧会は、1862年、サウスケンジントンにある王立園芸協会庭園の隣接地で開催された。

この万博は、1851年に開催された第1回ロンドン万博を上回ることを意識して準備された。展示会場の面積は23エーカーで、1851年の水晶宮の19エーカーより広かった。会期は前回より1カ月多い171日、出品者数は前回より1万4,700人多い2万8,600人、経費は前回より2万4,000ポンド多い45万ポンドと、すべての点において第1回を上回るものであった。しかし、決算収支は芳しくなく、入場者数も劇的な増加はならず、人々の持つ水晶宮の強烈な記憶に取って代わることはできなかった。

前回の博覧会を大成功に導いたアルバート公が1861年に死去し、万博の象徴である人物を失っての開催であった。また、1850年代にイギリスはインドの反乱、クリミア戦争を経験し、アメリカではこの時代に南北戦争が勃発していた。この結果、計画の段階から国家主義が前面に出る万博となったことは大きな特徴と言えよう。軍需産業の比重が高まった万博であったが、産業機械製品ばかりでなく、1855年の第1回パリ万博での成功をヒントに彫刻や絵画といった美術品を数多く展示したり、植民地からの製品も数多く展示するなど、展示品の幅も広かった。手際の悪い運営に関しては多くの批判を受けたようだが、ベッセマー(H. Bessemer)の製鋼法バベジ(C. Babbage)の計算機など、数多くの技術知識の伝播を成功させたことは大きな功績であった。

参考文献:

平野繁臣 『国際博覧会歴史事典』 内山工房 1999 <D7-G26>
Finding, J, E., Pelle, K. D. ed.: Historical dictionary of world's fairs and expositions, 1851-1988 (Greenwood Press, 1990) <D7-B3>