カメラ

標準画像を開く 画像は、1862年のロンドン万博に出品されたパノラマレンズと三脚カメラである。世界で初めての写真は露出に8時間もかかったが、この頃には露出時間も短くなり、屋外や旅先に写真機を持ちだし、撮影することが想定されるようになった。

レンズに映った映像を化学作用によって固定した最初の人は、フランスのニエプス(J. N. Niépce)である。1826年に窓の外の風景を撮影し、露出時間は約8時間もかかったと言われている。感光物質として用いたのはアスファルトの一種で、光に当たると硬化する性質を利用した。

ニエプスと共同研究を進めていたダゲール(L. J. M. Daguerre)は、ニエプスの死後、1837年に、銀メッキを施した銅板を用いる銀板写真(ダゲレオタイプ)を完成した。現像を行うことにより露出時間を数十分と短くすることができた。とは言っても動くものには使えず、左右反転した画像で、得られる写真は一枚きりであった。

その後、イギリスのトールボット(W. H. F. Talbot)がカロタイプとよばれるネガ=ポジ法を発明し、何枚もの写真を作ることを実現。また、フランス政府は銀板写真法の特許を買い取り一般公開したため、ヨーロッパ各地で感光材料とレンズの改良が進み、露出時間も数分と短くなった。そのため、中産階級の間で肖像写真撮影が大流行した。また、1839年には蛇腹式携行型銀板カメラ、三脚なども発明され、1844年にはすでに、150度の角度を写すパノラマ写真も撮られている。焦点距離の短いレンズの首を振り、冒頭画像のように湾曲した版に撮影した。

カロタイプはネガに紙を使っていたため画像があまり鮮明ではなかったが、1851年にはイギリスのアーチャー(F. S. Archer)がガラス板にコロジオンという液体の感光材料を塗布し、湿った状態で用いる湿板写真を発表し、鮮明な写真を低廉に作成することを可能にした。これにより、新聞の報道写真など、世界の様々な場所が撮影されるようになり、戦禍の様子やピラミッドといった名所、そして第1回ロンドン万博の会場である水晶宮の建設状況の撮影もなされた。

冒頭画像のカメラはこの頃のものである。

その後1871年にマドックス(R. L. Maddox)によって、ガラス板にゼラチンを用いた乾板写真が発明された。乾板は保存がきくため商品として販売されるようになり、写真の一般への普及が進んだ。さらに1888年、現コダック(Kodak)社の創業者であるアメリカのイーストマン(G. Eastman)が、重く割れやすいガラス板にかわって、軽く柔らかいセルロイド製のロールフィルムを開発したことにより、現在のような、素人でもシャッターを押すだけで撮影できるカメラが実現した。ちなみに、1893年のシカゴ万博では写真撮影の独占権をコダック社が有しており、1日100ドルで許可書を発行していた。

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参考文献:

鈴木八郎 『発明の歴史カメラ』 発明協会 1980 <KC752-E16>
中川邦昭 『映像の起源 : 目の思索 : 「写真鏡」(カメラ・オブスキュラ)が果たした役割』 美術出版社 1997 <KC752-G47>