1855年第1回パリ万博

ナポレオン三世の野心

【コラム】ブランドの成立

フランスを代表するブランドの一つ、クリスタルガラス・メーカーのバカラ(Baccarat)社の製品紹介文に「1855年パリ万国博覧会で名誉大賞受賞」と書いてあることがある。このように、万博でグラン・プリに輝き、その後ブランドとしての地位を確立して今に続いているメーカーは、案外たくさんあるのである。

出展品に褒章を与えることは1851年の第1回ロンドン万博やそれ以前の博覧会でもすでに行われていたが、1855年第1回パリ万博では審査方法や審査委員の選定基準を厳格化、詳細化して公正を期し、褒章に権威を持たせるようにした。1855年パリ万博の産業部門において授与されたメダル数は、グラン・プリ(大金メダル)112、金メダル252、銀メダル2,300、銅メダル3,900、選外佳作4,000である。この配分から、金メダル、特にグラン・プリは、獲得が困難な特別な賞とされていたことが分かる。グラン・プリの受賞は、出展企業にとってはまたとない宣伝材料となった。

また、1851年ロンドン万博では出展品に売り値を示していなかったが、1855年パリ万博ではすべての出展品に値札をつけることが始まった。博覧会が商品ディスプレイの意味を持ち始めたのである。

バカラは、1851年のロンドン万博から出展しているが、1855年、1867年、1878年の各パリ万博において3度グラン・プリ受賞。王室の御用達となって愛用されたことでも、そのブランド効果を高めた。

バカラ同様に銀食器メーカーのクリストフル(Christofle)社は、1855年、1867年のパリ万博においてグラン・プリを獲得し、それをきっかけにナポレオン三世は1,200人分の銀食器を注文。また、1867年パリ万博のセレモニーで使われたことがきっかけで国際的な評価を得た。

ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)社は、鉄道の発達により個人旅行が普及した時勢にのってトランクを製造、1867年パリ万博において銅賞受賞。1889年のパリ万博ではダミエラインと呼ばれるデザイン(市松模様)を用いて金賞を受賞。

エルメス(Hermes)社は、女性用の鞍で1867年パリ万博において銀メダル、1878年パリ万博ではグラン・プリを受賞。そのおかげで現在本店のあるフォーブル街に社屋を建設した。

ティファニー(Tiffany)社は、1876年フィラデルフィア万博で特別金賞を受賞。1878年パリ万博において銀器でグラン・プリ受賞。アメリカ人が古参の国を打ち負かしたと評判になった。

商品を展示し、それを見物するという行動が博覧会によって生み出され、百貨店や、ウィンドウショッピングという消費行動、買い物によって幸せになるという「夢」を発明したことはよく知られている。その「夢」のひとつであるブランド品が、博覧会によって成立したことは、当然の成り行きと言えよう。

参考文献:

鹿島茂 『絶景、パリ万国博覧会』 河出書房新社 1992 <D7-E90>
テッサ・ポール著 ; 伊藤洋子訳 『ティファニー : 新世界に輝いたステイタスのブランド』 美術出版社 1990 <KB421-E11>
鳥取絹子 『フランスのブランド美学』 文化出版局 2008 <DH453-J12>
久島伸昭 『「万博」発明発見50の物語』 講談社 2004 <D7-H45>
Encyclopedia of Consumer Brands (St. James Press, 1994) <D2-A144>
International directory of company histories (St. James Press, 1988) <D4-B24>