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今回の展示会に登場する数多くの人物の中から、主な人物を取り上げてご紹介します。略歴の最後に、関連する資料の番号を付しました。
- 飛鳥井雅章(あすかい・まさあき 1611-79)
- 江戸時代の歌人。和歌、蹴鞠の家飛鳥井家を継ぎ、宮中の歌会を指導、朝廷以外にも門人が多かった。明暦3年(1657)後水尾院から古今伝授を受けた。→9
- 一条兼良(いちじょう・かねよし〔かねら〕 1402-81)
- 室町時代の公卿、学者、歌人。太政大臣、関白にのぼったが、古典学の第一人者で神道、儒学等にも詳しかった。『源氏物語』『古今和歌集』『日本書紀』等の注釈や、有職故実、連歌書等多数の著作がある。→23
- 井原西鶴(いはら・さいかく 1642-93)
- 江戸時代の俳人、浮世草子・浄瑠璃作者。本姓は平山氏、通称は藤五。俳諧は西山宗因に師事、談林派として活躍。のち『好色一代男』をはじめ多くの浮世草子を発表した。→70、71
- 大岡春卜(おおおか・しゅんぼく 1680-1763)
- 江戸時代の画家。名は愛菫、字は春卜のほか一翁など。大坂画壇で活躍し、寺院の障壁画等を描く。多くの画譜を刊行したことでも知られる。→74、75、コラム「画譜」
- 大田南畝(おおた・なんぽ 1749-1823)
- 江戸時代の幕臣。文芸、漢学等多方面にわたり活躍。通称は直次郎。四方赤良、寝惚先生、蜀山人等と号す。天明年間(1781-89)に狂歌界の中心的人物となる。洒落本や黄表紙、考証随筆等の著作もある。→14、38、39、53、54、コラム「大田南畝」、コラム「馬琴の京坂旅行」、コラム「山東京伝」
- 葛飾北斎(かつしか・ほくさい 1760-1849)
- 江戸時代の浮世絵師。勝川春章の弟子。「富岳三十六景」をはじめとする版画、『富岳百景』『北斎漫画』等の版本など、多数の優品を残した。→46、コラム「絵本」、コラム「学者や戯作者が登場する見立番付」
- 狩谷棭斎(かりや・えきさい 1775-1835)
- 江戸時代の学者。名は望之。江戸の商人。日本の古代史や金石文などの研究を実証的に進めた。『本朝度量権衡攷』『箋注和名類聚抄』『古京遺文』などの編著がある。 →35、36、54、コラム「狩谷棭斎」
- 喜多川歌麿(きたがわ・うたまろ ?-1806)
- 江戸時代の浮世絵師。天明期(1781-89)には黄表紙等の挿絵が多く、さらに寛政初年にかけ優れた狂歌絵本を制作した。寛政年間(1789-1801)以降は錦絵の美人画で人気を博した。→72、コラム「絵本」
- 尭孝(ぎょうこう 1391-1455)
- 室町時代の歌人。常光院と号す。歌人頓阿の曾孫、尭尋の子。二条派の中心として活躍、正徹や冷泉家と対立した。飛鳥井雅世を助け最後の勅撰集『
新続 古今和歌集』編纂に参加。→23 - 曲亭馬琴(きょくてい・ばきん 1767-1848)
- 江戸時代の戯作者。武家滝沢氏に生れる。名は興邦、解。号は著作堂主人など。山東京伝の知遇を得、黄表紙作家として頭角をあらわし、後には読本作家として『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』などを執筆した。→42、43、44、45、46、47、48、49、54、61、コラム「曲亭馬琴」、コラム「馬琴の京坂旅行」、コラム「学者や戯作者が登場する見立番付」
- 清原枝賢(きよはらの・えだかた〔しげかた〕 1520-90)
- 室町時代の儒学者。清原業賢の子、宣賢の孫。当時第一の儒者として、
正親町 天皇の侍読となり、戦国大名大内義隆や松永久秀に招かれ、経書を講じた。→22 - 清原国賢(きよはらの・くにかた 1544-1614)
- 安土桃山時代の儒学者。清原枝賢の子。正親町、後陽成両天皇の侍読。神道に関する著述もあり、慶長勅版『日本書紀』の跋には、神道が根本で儒教、仏教はその枝葉と記している。→21
- 清原業忠(きよはらの・なりただ 1409-67)
- 室町時代の儒学者。清原宗業の子。号は環翠軒、法名は常忠。後花園天皇に進講し、足利義政、細川勝元ら武家にも講じた。清原家中興の祖といわれる。→25、コラム「清原家の学問」
- 清原宣賢(きよはらの・のぶかた 1475-1550)
- 室町時代の儒学者。卜部(吉田)兼倶の子で清原宗賢の養子になる。号は環翠軒、法名は宗尤。家学を継ぎ、儒学の講義、典籍の書写等を行い、神道、和学にも業績を残す。晩年越前の朝倉氏に招かれ、一乗谷で死去。→4、22、24、コラム「清原家の学問」
- 経厚(けいこう 1476-1544)
- 室町時代の歌人。鳥居小路氏。青蓮院の僧で法印(僧位の最上位)となる。和歌は尭恵(尭孝の弟子)に学び、『伊勢物語』『古今和歌集』の講義聞書も伝わる。→13
- 三条西実枝(さんじょうにし・さねき〔さねえだ〕 1511-79)
- 室町時代の学者。名は初め実世、実澄、実枝と改名。三光院と号す。祖父実隆以来の和歌、源氏学を継承。細川幽斎に古今伝授をした。→9、12
- 三条西実隆(さんじょうにし・さねたか 1455-1537)
- 室町時代の公卿、学者。官は内大臣に至る。宗祇に古今伝授を受け、伊勢、源氏等の古典学はもとより、仏典、漢籍にも詳しかった。書写、校訂した古典も多く、当代一の文化人であった。→4
- 山東京伝(さんとう・きょうでん 1761-1816)
- 江戸時代の戯作者、浮世絵師。本名岩瀬醒、俗称京屋伝蔵、画号北尾政演。黄表紙、合巻、洒落本、読本、滑稽本など多様なジャンルで活躍した。『骨董集』のような考証随筆の著作もある。→50、51、52、53、54、コラム「曲亭馬琴」、コラム「馬琴の京坂旅行」
- 式亭三馬(しきてい・さんば 1776-1822)
- 江戸時代の戯作者。商売のかたわら、戯作者として黄表紙、合巻、滑稽本などを著した。代表作に『浮世風呂』『浮世床』などがある。→40、41、54、コラム「式亭三馬」
- 正広(しょうこう 1412-94)
- 室町時代の歌人。正徹の第一の弟子として、師の死後招月庵を継承。戦乱を避け各地を遍歴したが、師の家集『草根集』を編纂し、京の歌壇とも交流があった。家集は『松下集』。→7
- 正徹(しょうてつ 1381-1459)
- 室町時代の歌人。字は清巌、号は招月庵。東福寺の書記役となり、徹書記とも呼ばれる。和歌を冷泉
為尹 、今川了俊に学ぶ。藤原定家を尊崇し、歌壇主流の二条派と対立した。家集『草根集』、歌論『正徹物語』がある。→1、7、23 - 肖柏(しょうはく 1443-1527)
- 室町時代の連歌作者。父は
中院通淳 。牡丹花、夢庵と号す。宗祇に師事し、宗祇、宗長との連歌『水無瀬三吟百韻』は有名。宗祇の源氏、伊勢、古今集講義の聞書、句集『春夢草』等、著作は多い。→3、11 - 鈴木牧之(すずき・ぼくし 1770-1842)
- 江戸時代の商人。越後塩沢の人。曲亭馬琴、山東京伝らと交流があり、雪国の実情を記した『北越雪譜』の著者として有名。→43、45
- 世阿弥(ぜあみ 1363?-1443?)
- 室町時代の能役者、能作者。名は元清。観阿弥清次の子。観世座を主宰し、幽玄に基づく能を大成。足利義満の寵愛を受けたが、晩年佐渡に流される。多くの能楽論書を著す。→20
- 宗祇(そうぎ 1421-1502)
- 室町時代の連歌作者。連歌を宗砌、心敬、和歌を飛鳥井雅親、古典学を一条兼良、東常縁に学ぶ。
東常縁 から古今伝授を受け、三条西実隆、肖柏らに伝えた。連歌の第一人者で、古典学の業績も多い。→3、11、コラム「古今伝授」 - 宗訊(そうじん 1483-?)
- 室町時代の連歌作者。俗名小村与四郎友弘。河内屋と号する商人で、堺の連歌の中心であった。永正3年(1506)肖柏から古今伝授を受けた。→11
- 宗砌(そうぜい ?-1455)
- 室町時代の連歌作者。俗名高山民部少輔時重。守護大名山名氏の家臣。和歌を正徹に、連歌を朝山梵灯庵に学ぶ。京都連歌壇の第一人者として活躍、一条兼良とも親交があった。→23
- 谷文晁(たに・ぶんちょう 1763-1840)
- 江戸時代の画家。写山楼などとも号す。父は田安家の家臣。はじめ狩野派、後に諸派の画法を学び、江戸画壇の中心人物となる。渡辺崋山、立原杏所、田能村竹田等の弟子がいる。→34、42
- 天隠竜沢(てんいん・りゅうたく 1422-1500)
- 室町時代の僧侶。三体詩、杜詩に通じ、五山文学の第一人者として知られる。建仁寺、南禅寺の住持となった。『黙雲詩稿』『錦繍段』等の著作がある。→25
- 東常縁(とうの・つねより 1401?-84?)
- 室町時代の歌人。関東豪族千葉氏の子孫で武将としても活動。正徹、尭孝に師事。宗祇に『古今和歌集』『伊勢物語』を講じる。晩年は美濃に居住。古今伝授の創始者とされる。→コラム「古今伝授」
- 殿村篠斎(とのむら・じょうさい 1779-1847)
- 江戸時代の国学者。名は安守。伊勢松坂の木綿問屋で、本居宣長の門人。曲亭馬琴の理解者で、馬琴は「四友」の一人とした。 →44、47、48
- 中院通勝(なかのいん・みちかつ 1556-1610)
- 安土桃山時代の学者。号は也足軒。出家後素然と称す。母は三条西公条の女。三条西実枝に師事。天正8年(1580)勅勘を被り、丹後に移り細川幽斎から古典を学び、古今伝授を受けた。慶長4年(1599)許され宮中に復帰、和歌、古典学で活躍した。→2、3、9
- 中原師守(なかはらの・もろもり 生没年未詳)
- 南北朝時代の官人。博士家中原氏の出で北朝に仕え、大炊頭、雅楽頭を務め、少外記、記録所寄人となった。兄の大外記
師茂 を補佐し、『師守記』も兄を中心に記述する。応安3年(1370)以前に没か。→76 - 中原康富(なかはらの・やすとみ 1400頃-57)
- 室町時代の儒学者。権大外記英隆の子。同じく外記局の官人を務めた博士家の中原氏とは別系統。清原良賢に学び儒学者として活躍、和歌や芸能にも関心が深かった。→23、コラム「中原康富と『康富記』」
- 菱川師宣(ひしかわ・もろのぶ ?-1694)
- 江戸時代の画家。多数の絵本、挿絵本を制作、しだいに一枚刷りの版画に発展した。浮世絵の祖とされる。→14、68、69、71、コラム「絵本」
- 平田篤胤(ひらた・あつたね 1776-1843)
- 江戸時代の国学者。大角、
気吹乃舎 等と号す。秋田藩士の子。門人は500人を超え、『霊能真柱』など多数の著作がある。荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに「国学の四大人」と称された。→33、34、35、44、コラム「平田篤胤」 - 藤原定家(ふじわらの・さだいえ〔ていか〕 1162-1241)
- 鎌倉時代の歌人。『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の撰者。『小倉百人一首』も定家撰とするのが通説。歌壇の第一人者として活躍したが、『伊勢物語』『源氏物語』『土佐日記』『更級日記』等多くの古典の書写、校訂を行い、古典学者としての業績も大きい。→1、13
- 細川幽斎(ほそかわ・ゆうさい 1534-1610)
- 安土桃山時代の学者、歌人。名は藤孝。幽斎は剃髪後の称。三淵晴員の子(実父は足利義晴ともいう)で、細川元常の養子となる。母は清原宣賢の女。三条西実枝に師事、古今伝授を受ける。著作多数。武将としても活躍、足利義昭、織田信長、豊臣秀吉に仕えた。→9、12
- 松平定信(まつだいら・さだのぶ 1758-1829)
- 江戸時代の政治家。徳川吉宗の孫、田安宗武の子で白河藩主松平家の養子となる。老中として寛政の改革を推進した。教養人で、自伝『宇下人言』、随筆『花月草紙』や考古図録『集古十種』など編著も多い。→37
- 屋代弘賢(やしろ・ひろかた 1758-1841)
- 江戸時代の学者、蔵書家。江戸幕府御家人。通称は大郎、号は輪池。その蔵書は「不忍文庫」として有名。『寛政重修諸家譜』『群書類従』の編纂に関与、『古今要覧稿』編纂の長となった。→30、31、32、33、34、35、37、42、43、54、61、コラム「屋代弘賢」、コラム「平田篤胤」、コラム「学者や戯作者が登場する見立番付」
- 山崎美成(やまざき・よししげ 1796-1856)
- 江戸時代の随筆家。北峰、好問堂などと号す。薬種商長崎屋の子に生まれ、和漢古今の書物を渉猟したが、そのために家産を傾けた。→42、43