室町時代後期から江戸時代前期頃まで製作されていた絵入り彩色写本を、「奈良絵本」と総称している。明治以来、書肆やコレクターの間で使用されてきた名称だが、由来ははっきりしない。奈良絵本は、時代により形態や描き方が異なる。桃山時代から江戸時代ごく初期頃のものは、縦30cm前後の大型の冊子で、巻物の名残が見られるものが多い(61、62)。寛永から江戸時代前期頃に製作され、
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奈良絵本
- 間似合紙
- 横本の奈良絵本に使われている紙を「間似合」と呼んでいる。その語源、成分等には諸説がある。
61 ゆや
- 〔慶長(1596-1615)頃〕写 1冊 30.9×22.9cm <WA32-19>
62 てんじんき
- 3巻 〔慶長(1596-1615)頃〕写 3冊 33.8×25.0cm <WA32-20>
菅原道真(845-903)が神に祀られた由来を記した天神縁起を、絵入り本にしたもの。道真は文武に秀で右大臣に上るが、藤原時平の讒言により
- 斐紙
雁皮 で作った紙をさすとされるが、諸説がある。一般には上質で光沢がある紙を斐紙と呼んでいる。
63 〔小袖曽我〕
- 〔寛文・延宝(1661-81)頃〕写 1冊 17.4×25.4cm <WA32-18>
横本の奈良絵本。書名はないが、曽我十郎「すけなり」と五郎「ときむね」兄弟が、父の敵討ちを前に曽我の里に住む母を訪ね、小袖を与えられて富士野へと旅立つ、という
64 甲陽軍鑑
- 35巻 〔寛文・延宝年間(1661-81)〕写 35冊 29.0×22.0cm <WA32-1>
極彩色絵入り写本。上質の斐紙に金泥や泥絵具で緻密な挿絵が描かれる。『甲陽軍鑑』は武田信玄(1521-73)、勝頼(1546-82)二代のいくさを扱った軍記。軍師山本勘介が登場し、甲州流軍学書として知られる。文中や奥書には
丹緑本
丹緑本とは、寛永-万治頃(1624-61)の京都の版元が、御伽草子、仮名草子等の版本の挿絵に、丹(鉛丹)、緑(岩緑青)、黄等の筆彩色を施したものを指す。時期や題材などは奈良絵本と重なる部分が多い。その名称もやはり近代になってからのものである。丹緑本の筆彩の仕方は一様ではなく、古活字版(65)や、整版の御伽草子類(66)など、刊行時期や内容によって違いが見られる。江戸時代後期、柳亭種彦(1783-1842)が『
65 義経記
- 8巻 〔元和・寛永(1615-44)頃〕刊 8冊 27.5×19.5cm <WA7-266>
古活字版。源義経の生涯を主題にした軍記。室町時代に成立、舞曲、能、浄瑠璃、歌舞伎等の題材となり、江戸時代を通じて版本も数多い。展示本は、挿絵入り『義経記』の最初の版本。川瀬一馬氏の分類では第二種イ本にあたる。江戸時代初期と推定される、紺地に金泥で草花等を描いた表紙が付される。挿絵は全66図。丹、緑、黄、茶、あずき、紺の彩色が施されている。展示本は欠丁のない揃本。京都大学附属図書館、京都興正寺に同版があり、どちらも当館本と同様の彩色が施されているが、完本ではない。写真は巻3の26丁表。五条天神前の義経と弁慶。
66 くまのゝほんち
- 3巻 〔寛永後半-正保頃(1633-48)〕刊 3冊 27.4×17.8cm <WB2-9>
熊野権現の縁起。天竺「まかたこく」の王子は、山中で殺された母「御すいでんのにょうご」に守られ成長する。仏の力により母が蘇生、父王とも再会し、やがて親子三人は日本に飛来、熊野の神々となった、という物語である。丹緑本『熊野の本地』には挿絵が多い。わけても下巻の連続18図にわたる見開き絵は、熊野の山々や神社仏閣が丹、緑、黄、紫に彩られ、圧巻である。同版の上田市立図書館、天理図書館、日本民芸館、黒船館、ニューヨーク・パブリック・ライブラリー所蔵本にも、同様の彩色が施されている。江戸時代前期頃に流行した熊野信仰と密接な関係のある資料。
67 待賢門平氏合戦
- 2巻 京都 さうしや九兵衛 寛永20(1643)刊 1冊 18.7×12.8cm <京-328>
六段構成の絵入り古浄瑠璃本。京の草紙屋山本九兵衛から出版された。平治の乱で待賢門の戦いに敗れた源義朝と、その家来鎌田正清の最期を扱い、幸若舞曲「鎌田」と関係の深い浄瑠璃である。展示本は補修の手が入っているが、同版の伝本は知られていない。挿絵には、朱と緑で簡単に彩色が施されている。柳亭種彦のいう「えどり本」は、この類の本かと推測される。写真は上巻2丁表、藤原信頼が三条殿に火を放つ場面。