概説

はじめに

日本国憲法の制定には、国の外からと内からの双方の力が働いている。

外からの力とは、日本の敗戦により、「ポツダム宣言」を実施するために必要な措置をとる連合国最高司令官のもとで、大日本帝国憲法(明治憲法)の変革が求められるようになったことである。内からの力とは、戦時中、軍部の行った政治支配によって、敗戦当時、もはや戦前の議会制度をたんに修復させるだけでは、国民の期待する「民主主義」を実現することができないまでに、明治憲法体制は深く傷ついていたことである。

憲法制定の経過は、1946(昭和21)年2月13日を「ターニング・ポイント」として、その前後で大きく二つの段階に区分される。前者は、1945(昭和20)年10月、最高司令官が「憲法の自由主義化」を示唆、これをうけて日本政府による明治憲法の調査研究が開始され、翌1946年2月、改正案(憲法改正要綱)が総司令部に提出されるまでの段階である。後者は、2月13日、総司令部が日本側の改正案を拒否し、逆に、自ら作成した原案(GHQ草案)を提示することで、局面が転回し、新たな憲法の制定・公布にまで至る過程である。

この二つの段階ないし局面を通じて、国内外の様々な政治的、社会的、その他もろもろの力が複雑に絡み合うなかから、日本国憲法が作り出されるのである。

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