写真の中の明治・大正 国立国会図書館所蔵写真帳から

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コラム<東京>

9 明治時代の芝居と劇場(二)歌舞伎座/新富町時代から木挽町時代

明治時代の芝居と劇場の写真2
歌舞伎座  『東京百建築』より

福地桜痴(源一郎)らが計画し、かねてより評判となっていた「改良演劇場」を、京橋区木挽町3丁目(現中央区銀座)に設立する許可が下りたと報じられたのは明治21年(1888)8月31日のことであった。9月18日の読売新聞には、劇場の名も「歌舞座」と報じられる。この「歌舞座」には、「かぶ座といって大根を列べられては困る」(岡本綺堂『ランプの下にて』)というような戯言もあったそうで、まさかそのためとも思われないが、新劇場の名称は「歌舞伎座」に落ち着く。

新富座の守田勘弥にとって、眼と鼻の先に大劇場ができることは大打撃である。「芝居道のビスマーク」こと勘弥は策を廻らした。「歌舞座」記事の翌19日の読売新聞によれば、新富、市村、中村、千歳四座が大同団結して興行を行うこととして、早速、準備が整っていた新富座の9月興行を千歳座に譲り、団菊左3名優(九世市川団十郎五世尾上菊五郎初世市川左団次)がそれぞれ5役、5役、7役と勤めることを報じている。さらに、四座は、団菊左はじめ在京の主な役者に、22年(1889)1月から向こう5年間、四座以外の劇場に出勤しない契約を結ばせたのであった。

歌舞伎座の桜痴は11月の舞台開きに向けて団十郎、菊五郎ら各個の切り崩しを狙うが、失敗。桜痴は自ら白粉をつけて舞台に上がるとまで言い出したという。岡本綺堂によれば、町には「劇場は落成しても早速に開場は覚束ない」とも「四座団結が切崩されて、某俳優は已に出勤の内役が整った」とも噂がかまびすしく飛び交っていた模様である。綺堂自身「この小屋は折角出来あがっても結局どうなることであろうと、何だか気の毒」と思っていた。だが、10月末になると、歌舞伎座の舞台開きに、団菊左3名優が揃って出演することが発表される。これは、井上馨が間に入り、歌舞伎座の金主千葉勝五郎から守田勘弥に示談金と新富座維持費計20,000円を支払うことで、落着したものであった

完成した歌舞伎座は間口15間、奥行30間。450坪強。外見は洋風クラシック式で漆喰の壁上には楽器の絵が塗出され、外廓は煉瓦が積まれている。内部は日本風の3階建てで、すべて無節の檜材が使われた。土間天井にはシャンデリアも付けられていた。見物場は13間に10間の広さ。土間、高土間、鶉の数はすべて225区、2階、3階の桟敷はそれぞれ80区、3000から3500人を収容する広壮な劇場であった。「今までは新富町の新富座が東京第一、即ち日本第一の大劇場と認められていたのであるが、それとこれとは殆ど比較にもならないほどの大建物を見せられて、誰も彼もみな驚かされた」(岡本綺堂[他]『風俗明治東京物語』)のであった。

この後、歌舞伎座が団十郎一世一代の「道成寺」(23年3月)、風船乗スペンサーに扮した菊五郎が英語で演説する「風船乗評判(うわさの)高閣(たかどの)」(その1) (その2)」(24年1月)などの大入に恵まれれば、新富座は「め組の喧嘩」(「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」23年3月)や彰義隊の芝居 「皐月晴上野朝風」(23年5月)等で評判を取る。両座同日に開幕したり、東上した売出し中の中村鴈治郎を奪いあうなど、競い合って興行をつづけた。綺堂によれば、新富座の方が華やかな人気が集まっており、歌舞伎座は寂しく感じられたそうである。だが新富座は、次第に多額の負債に圧迫されるようになり、歌舞伎座の独天下となっていく。そして、このことは、44年(1911)、新たな強敵となる帝国劇場の登場まで続くのである。

引用・参考文献

  • 読売新聞 【YB-41】
  • 伊原敏郎『歌舞伎年表.第7巻(安政元年-明治31年)』岩波書店,1962 【774.032-I157k-K】
  • 上田敏「国立劇場の話」『文芸講話』金尾文淵堂,明治40(1907) 【74-360】
  • 岡本綺堂『ランプの下にて:明治劇談』(岩波文庫)岩波書店,1993 【KD487-E43】
  • 岡本綺堂,今井金吾校註『風俗明治東京物語』(河出文庫)河出書房新社,1987 【KH465-E2】
  • 鏑木清方,山田肇編『明治の東京:随筆集』(岩波文庫)岩波書店,1989 【KC19-E9】
  • 篠田鉱造『明治百話.下』(岩波文庫)岩波書店,1996 【GB415-G7】
  • 末松謙澄『演劇改良意見』文学社,明治19(1886) 【25-286】
  • 嶺隆『帝国劇場開幕:きょうは帝劇明日は三越』(中公新書)中央公論社,1996 【KD11-G10】
  • 山本笑月『明治世相百話』改版.(中公文庫)中央公論新社,2005 【GB415-H47】
  • 『歌舞伎座百年史.本文篇 上巻』松竹,1993 【KD11-E21】
  • 『演劇百科大事典』平凡社,1960-62 【770.33-E742-W】
  • 『国史大辞典』吉川弘文館,1979-97 【GB8-60】