「文字絵」と聞いてどのような絵をイメージされるでしょうか。
全く想像がつかない方、あるいは文字や記号を組み合わせて顔を表現した「顔文字」(例 (*^^*))や「アスキーアート」(※)のようなものを想像された方もいらっしゃるかもしれません。
アスキーアート(AA)...文字や記号などのテキストデータのみで作られた絵。
文字絵で有名なものとしては「へのへのもへじ(へへののもへじ)」を挙げることができます。「へのへのもへじ」が7つのひらがなを巧みに配置することによって、ひとの顔を表現しているように、「文字絵」は文字を組み合わせたり、絵の中に文字をあしらって表現した絵を指します。
ただ、どのような絵を「文字絵」とみなすかは様々に定義されていて決まったものはありません。そこで、今回の展示会では以下の定義のどちらかに当てはまる、日本で作成された「文字絵」についてご紹介いたします。
「金字宝塔曼荼羅」 金字宝塔曼荼羅 / 宮次男著 東京 : 吉川弘文館, 1976 【HM114-50】
宝塔の輪郭が全て経文の漢字の連なりによって表現されています。この資料は第2章で詳しくご紹介いたします。
左端の絵描き歌のとおりに文字を書いて行くと貴人の絵ができあがります。この図では絵描き歌の指す文字が上部に分解して表示してあります。例えば、歌の冒頭の「くに」は「くにがまえ」で、上部では右上にあります。絵の中では烏帽子の輪郭をまず、くにがまえのように書く、というわけです。
『北斎漫画早指南』は絵を早く描くための教本で、文字の字形を利用して絵を描く以外に、○などの幾何学図形を利用した方法が紹介されています。
日本における文字絵の始まりと言われているのが、「葦手絵」です(「葦手」は芦手、蘆手などとも表記されます)。
日本では、昔から漢字、カタカナ、ひらがなの三種の文字が使われてきました。カタカナは漢字を簡略化して作られ、ひらがなは、漢字の草書体が長い年月の間に更に書き崩されることによってでき上がりました。
ひらがなの最初の使い手であった平安貴族には、折に触れて和歌を詠み、贈り合う風習があり、和歌をいかに魅力的に見せるかが大切な要素になりました。書き方に様々な工夫がこらされていく中で、和歌をいくつかの語句に区切って書く「分かち書き」や、紙面のあちこちに散らして書く「散らし書き」、いくつかの仮名を延々と切れ目なく続けて書く「連綿体」など、ひらがな独特の書き方が現れてきます。長短さまざまな長さの語句を散らし書くことは、紙面全体を一つの画面としてとらえ、一種の絵画的効果を狙ったものでした。これらの表現がやがて文字を使って絵を描く、「葦手絵」へとつながっていったと考えられています。
葦手絵に使われている文字は、和歌を書くための仮名文字の一書体として発達した装飾書体であると考えられています。一条兼良(1402-1481)が記した源氏物語の注釈書『花鳥余情』(1472)では、「あしての色葉はあしのはのなりに文字をかく也 水石とりなとのかたにもかきなすなり 中峰和尚のさゝの葉かきといふ文字の体はさゝの葉ににたるかことき也」と定義され、葦の葉に似ていることから「葦手」と言われるようになりました。
残念なことに、和歌を書くための書体として使われていた当時の葦手は、現存していませんが、文献中にその利用例を見ることができます。装飾性の強い文字であったため、解読に和歌や書などについての高い教養が必要であり、葦手を読み書きできることは一種のステータスでもありました。能書家(字を巧みに書く人)が得意とする書体の一つに数え挙げられたり、葦手で書いた書の手本を与えたなどの記述が見られます。
宇津保物語
蔵開(中)の巻では「大の草紙」が登場し、それらの冊子にはそれぞれ「女の手」・「さうくだり(草書)」・「かたかんな(カタカナ)」・「あしで」で和歌が書かれていたという記述があります。
また、国譲(上)の巻には主人公の仲忠が若宮のために手習いの手本を書き与える場面があり、そのうちの一巻には「をとこで(楷書)」・「女で(変体仮名)」・「かたかな」・「あしで」の4種類の書体で異なる和歌が書かれていました。
源氏物語 梅枝 / 紫式部[著]
「梅枝」の巻で明石の姫君(光源氏の娘)の入内にあたって光源氏が様々な調度品を選定する様子が描かれています。内容や筆写する人だけでなく、紙や筆写に使う墨・筆にまでこだわった書物も多く準備されますが、中に光源氏が宰相中将など若い人々に書かせた葦手の草紙が含まれています。水の勢いや葦の生える様子などが、文字をあちこちに織り交ぜて書かれていたようです。→該当箇所
平安朝絵画史 / 春山武松著 東京 : 朝日新聞社, 1950 【721.02-H239h】
平安朝絵画の研究書です。葦手についての当時の記述や現存する葦手を元に、正当な葦手では絵文字の形が大体一定していたという結論の元、「花鳥余情」で言及されていた「あし手のいろは」(現代でいうところの五十音図)を再現しています。
新猿楽記 / 藤原明衡撰 ; 重松明久校注 東京 : 現代思潮新社, 2006 【KG63-H1】
(参考:群書類従. 第180-182 / 刊【127-1】)
主人公の老翁の長男、太郎主が能書家であり、「真字(=漢字)」、「假字(=仮名)」と並んで「葦手」を得意としていると書かれています。
葦手歌切 (日本名跡叢刊 96 平安 古筆名品抄 2 / 松原茂解説 ; 小松茂美監修 二玄社 1985 【YP15-128】)
藤原公任書と伝わる和歌の断簡です。一部の文字が葦手で書かれているため、この名がつきました。和歌を書くために使われていた葦手もこのような感じであったかもしれません。
葦手はその高い装飾性から衣装や調度品の装飾などにも早くから用いられていました。元々は和歌を書くためのものでしたが、時代が下るにつれて装飾の面が大きくなり、描いている絵とは全く関連のない文字が絵画中に散らしてあるという葦手絵も生まれます。現在残っている葦手絵の品の多くはこちらの葦手絵です。
平安 藤原伊行 葦手下絵本和漢朗詠抄 上巻 (日本名跡叢刊 47 / 小松茂美解説・監修 二玄社 1980 【YP15-128】)
能書家として名高かった藤原伊行が書いたと伝えられる和漢朗詠集の写本です。全編にわたり、下絵として葦手絵が描かれているため、この名があります。
平家納経 / 京都国立博物館編 [京都] : 京都国立博物館, 1973 【YP11-49】
平家一門の発願によって制作され、厳島神社に奉納された法華経28巻を中心とした経典です。華麗な装飾で知られ、見返しなどに施された装飾手法の一つとして葦手が用いられています。この資料の淡色図版には平家納経各巻から葦手の装飾部分が集められています。
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第2章 祈りの文字絵