百貨店ある記
~買うときめき、めぐる楽しみ~
この頃の呉服店では、お客が店の人に蔵から商品を出してもらい、畳に座って品定めをする「座売り」という方法で売っていました。現在の百貨店のイメージとはギャップがありますが、このような呉服店が百貨店の前身となりました。
明治末期から、三越や白木屋、高島屋など有力な呉服店の一部が百貨店へと発展しました。「座売り」は廃止され、欧米の方式に学んで多くの商品が「陳列」されるようになりました。
三越の呉服陳列を各地方に宣伝した明治29(1896)年のポスターです。建物は以前の呉服店の名残がありますが、至る所にカラフルな織物が陳列されています。
日本橋にあった白木屋呉服店の陳列場(売り場)です。「文房具」「洋傘」の文字が見え、呉服以外にも多様な商品を扱っていたことが分かります。
『商売繁昌の秘訣』は、近代的な百貨店としての三越の基礎を築き、取締役会長も務めた実業家・日比翁助(ひびおうすけ)が小売店の経営法を指南する「ビジネス書」。陳列販売方式の利点について、座売りと比べ「顧客も自分の気に入つた品物を、一目に選択する事が出来、店の者も手間を省く事が出来る」と述べています。
高級なイメージもある百貨店ですが、昭和初期には現在の100円ショップに似た店舗も営んでいました。
高島屋は大正15(1926)年、大阪・長堀店内に「なんでも十銭均一」の売り場を設置。昭和6(1931)年からは、百貨店外に独立した「高島屋10銭ストア」をチェーン展開し、翌年には20銭の商品も加え「高島屋10銭20銭ストア」と改称。同16(1941)年までに計106店舗を出店し、その後太平洋戦争の影響などで事実上終わりを迎えるまで、幅広く日用品を取り扱って好評を博しました。
近代の文学作品には、都市文化を象徴する存在として、百貨店が登場することがあります。
近代日本の代表的作家・夏目漱石の作品には、百貨店の名前が何度か登場します。『三四郎』では、三四郎が三越の看板広告に描かれた美人の絵を見て、ヒロイン・美禰子の顔を思い浮かべます。
逆に三越の側でも、漱石初の新聞小説『虞美人草』の話題性に乗って「虞美人草浴衣地」を製作、売り出しています。明治40(1907)年7月6日の『朝日新聞』(東京)の記事「虞美人草浴衣」には、「機先を制するに敏なる三越呉服店に於ては早くも虞美人草浴衣といふを染上て売出せしに需要頗る多く品の供給間に合はず職工を急がしつつあり」とあり、品薄になるほどの評判を呼んだようです。
幅広い分野で活躍した近代の歌人・与謝野晶子の作品にも、百貨店が登場します。女性が手紙を書く際の手引書『女子のふみ』の模範文例には、「三越の売出に誘う文」とそれへの「返事」があります。「はしがき」には手紙の書き手の立場になりきって書いたとあり、ショッピングの約束をする内容も通り一遍のやりとりではありません。
家人に「売出しの広告を初花のたよりよりもよろこぶ女房気質」とからかわれ、「三越の新形浴衣の噂は聞き候ても、見切もの出でずと知りては」他店に足が向いてしまう、と愚痴をこぼす手紙に対して、買い物では見えを張ったり卑下したりせず楽しめばよい、という趣旨の返事の例が紹介されています。
百貨店の売り場では、女性店員の姿も多く目につきます。百貨店でその存在感は早くから定着していたようです。
家庭の外で働く「職業婦人」は、大正時代から増加しました。百貨店でも、明治30年代に女性が初めて採用され、その後の経営近代化等に伴い女性店員の数は増えていきました。流行の先端をいく華やかで都会的な姿は世間の注目を集めるようになりました。
昭和初期の百貨店では、買い物のアドバイスもしてくれる販売係の他、エレベーターガールやレジスター係など、様々な女性店員の姿がみられます。
昭和初期には、百貨店の店員は、就職先としても女性に人気の職種の一つだったようです。『婦人職業戦線の展望』には、東京市(現在の東京23区)の「職業婦人」に関する昭和6(1931)年の調査結果がまとめられています。様々な統計が登場する中、エレベーターガールの仕事に対する感想も載っています。「一番楽しく思ふこと(例)」には現代人も共感できる、素朴で実感のこもった言葉が並んでいます。
商品の知識が豊富な店員による「対面販売」(接客)は、昔も今も百貨店の大切な要素です。店員が、モノ(商品)と人(お客)の接点となっているのです。
百貨店での買い物を楽しむためには、店員が醸し出す生き生きした雰囲気も大事です。百貨店員が音楽に合わせて体を動かし、店の活力を高めようとする試みが、昔も今も行われています。
昭和初期、高島屋オリジナルの歌に合わせた振り付けを店員が踊る「店歌体操」の写真です。この体操は、チームとして協力する店員の気持ちを高めるために行われました。屋上に集った女性店員の姿からは結束感が伝わってきます。
平成26(2014)年にYouTubeで公開された伊勢丹のプロモーション映像では、オフィシャルソング『ISETAN-TAN-TAN』(矢野顕子作詞・作曲)にのせ、日本と世界各国の伊勢丹の店員によるダンスが繰り広げられています。百貨店の持ち味である幅広い商品を扱う売り場空間の広がりや、人と人とのふれあいが表現されています。
プロモーション動画 [ISETAN-TAN-TAN プロモーション動画]>2014年度>受賞対象一覧>グッドデザイン賞
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