1 百貨店に行こう ~話題の発信地へ~

  • 百貨店は立派な建物で、最新の流行品が揃っている――そんなイメージを作り出し、人々を呼び込むために、近代日本の百貨店は様々な工夫をこらしてきたんだ。

広告に誘われて ~百貨店の宣伝戦略~

  • まず始めに、当時の百貨店がどのように情報を発信していたのか見てみよう。

ブランドイメージ ~街中の美人画ポスター~

百貨店が店名を各地に売り込むために利用したのが、華やかな女性の姿を描いた美人画ポスターでした。明治32(1899)年に三越が新橋駅の待合室に肉筆等身大の美人画ポスターを掲示したのが始まりです。これが当時大きな評判を呼び、他の百貨店でも続々と美人画ポスターが制作されていきました。

『日本の広告美術 : 明治・大正・昭和. 第1 (ポスター)』

大正3(1914)年に日本橋三越の新館が完成した際の記念ポスターです。着物の図柄や家具の装飾にアール・ヌーヴォー様式が取り入れられ、都会的に洗練された作品です。作者の杉浦非水(すぎうらひすい)は三越の意匠担当者として同店のポスターからPR 誌の表紙、商品パッケージにいたるまで多くのデザインを手がけ、商業デザイナーのさきがけとなりました。

『台麓図案会作品展覧会図録』

松坂屋が大正11(1922)年に開催した公募の広告ポスター展で大賞に選ばれた町田隆要(まちだりゅうよう)の作品です。
当時流行の「耳かくし」とよばれるヘアスタイルに、赤いリボンをつけた女性が手に持つ藤の花のかんざしを掲げています。審査員には、その視線の間に松坂屋のマークが描かれた構図やその色調が人目を惹くとして評価されたようです。

商品情報を伝えるPR誌

百貨店は様々なメディアを通して新しい商品やライフスタイルを紹介してきました。PR誌の刊行もその一つです。商品知識を啓蒙し、商品の販売促進につなげることを目的として明治30年代頃から各百貨店で次々に発刊されました。

『衣裳』

『衣裳』

大丸のPR誌『衣裳』は明治40(1907)年に創刊され、定価20銭で販売していたようです。本号の表紙は神坂雪佳(かみさかせっか)による「菊花」。二枚目の画像では、商品の着物の生地が値段付きで紹介されています。内容は他にも、男女それぞれの装いの流行や通信販売の案内が掲載されています。

『今様』(第8年新年號)

『今様』(第8年新年號)

松屋のPR誌『今様』の大正2(1913)年の新年号。華やかでモダンなデザインの表紙は矢沢弦月(やざわげんげつ)による「春」です。新年の辞の追記に「本号は営業上の事を差控へ諸大家の玉稿を掲げ家庭の読ものと為して進呈致候」とあるとおり、商品案内は画像のような宣伝が時折掲載されている程度で控えめです。その代わりに幸田露伴の文章や佐佐木信綱の和歌をはじめ、文芸作品が多くを占めています。

より多くの人に宣伝 ~新聞の活用~

より多くの人々に情報を伝える手段として、新聞広告も活用されました。『広告主名鑑』(新聞之新聞社, 1926)によれば、大正末期、百貨店の広告費支出全体に占める新聞広告の比率は各社によってバラつきがあるものの、50~80%と高い割合だったようです。

『日本新聞広告史』

明治38(1905)年4月に掲載されたの三越の広告。八卦見(占い師)が、戦地に夫がいるらしい女性に向かって、「方位ハ日本橋駿河町ガ宜シイカラ、三越呉服店即チ『みつこし五福天』ノ裂レ地ヲ身体ニ付ケテサヘ居レバ家内安全息災延命」と述べる場面が描かれています。三越のロゴマークが入らない代わりに「これはどこの広告でせう?」という一文が上部に掲げられた、意表を突いた内容になっています。

『日本新聞広告史』

昭和7(1932)年12月24日の東京朝日新聞の第3面から第6面にかけて掲載された高島屋の広告で、画像はその第3面です。歳末の大安売りを知らせる内容で、福引きも行っていたことがわかります。このように昭和初期になると広告はより大型化していきました。

気分が高まる百貨店の建物

  • 広告を見ていたら早速出かけたくなってきたかな。百貨店に着いたら、はやる気持ちをちょっと抑えて建物をよく見てみよう。

高級感漂う空間

明治時代から大正時代にかけて百貨店の建物は伝統的な土蔵造りから、高層の鉄筋コンクリート造りの建物へと徐々に移り変わっていきました。その背景には、取扱い商品の増加に伴う売り場面積の拡大は勿論のこと、百貨店の高級なイメージを創出する狙いもありました。そのため、百貨店は欧米を手本にルネサンス様式などの建築様式を取り入れ、豪華な建物を構えて壮麗さを競いました。

『明治大正建築写真聚覧』

大正3(1914)年に完成した日本橋三越新館の白レンガで包まれた外観。ロンドンの老舗デパート・ハロッズを手本とした、地下1階地上5階建て、鉄骨鉄筋コンクリート造りの近代的なルネサンス様式の建物です。当時の新聞に、「スエズ以東他に比なし」、「スエズ以東第一の商店」などと称えられました。

『ヴオーリズ建築事務所作品集 : Their work in Japan 1908-1936』

大正10(1921)年から昭和9(1934)年にかけて建設された大丸心斎橋店の建物装飾。室内はステンドグラスやアール・デコを多用した装飾が施され、非常に壮麗な空間になっています。同店は老朽化に伴う工事を経て令和元(2019)年9月にリニューアルオープンしました。オリジナルの外装や内装の一部は現在も受け継がれています。

人気を集める最新設備

当時まだ珍しかった最新設備を備えていたことも大きな話題となり、百貨店は観光名所の一つになりました。例えば、エレベーターは明治44(1911)年に白木屋が、エスカレーターは大正3(1914)年に三越が日本の百貨店としては初めて設置しました。

『流行』

明治44(1911)年の増築工事で設置された白木屋のエレベーター。白木屋のPR誌『流行』1911年11月号では、10月1日の創業250年増築落成記念大売出しの様子が詳細に書かれています。エレベーターについては、「商店にて之を設備し、御来客用に供したるは弊店を以て嚆矢とする処なれば逸早く之を試みらるる方多く為にエレヴエターボーイは、食事する暇さへ無かりし有様なりき。」とあります。

『三越』

大正3(1914)年10月の落成に向けて建設中の日本橋三越新館のエスカレーター。新館の完成に先立ち、三越のPR誌『三越』では、「東洋の建築に始めて応用される自働階段(エスカレータア)」のタイトルで、5ページにわたってエスカレーターの特徴や仕組み、安全性について紹介されています。同時期に開催された上野の東京大正博覧会のエスカレーターは有料でしたが、三越は無料でした。

コラム人々を呼び込む装置 ~ショーウィンドウ~

「ウィンドウショッピング」という言葉があるように、私たちの目を楽しませてくれるショーウィンドウ。欧米の最新の広告手法として明治中期に日本に紹介されました。百貨店においては高島屋が明治29(1896)年に京都店の拡張工事に際してショーウィンドウを設置し、以降店舗の改築や新築などを機に、多くの百貨店で普及していきました。

『全国百貨店有名取引業者総覧』

『全国百貨店有名取引業者総覧』

昭和10(1935)年刊行の『全国百貨店有名取引業者総覧』は、ショーウィンドウについて「無限の美しさを装って静かに瞬いて居る」と芸術性を評価し、「近代都市盛覚に見逃すことの出来ない憧れの一つだらう」としています。百貨店飾窓百選集には、画像のように春の入学シーズンに合わせた通学服の展示(新宿伊勢丹)や夜が長くなる秋のシーズンに合わせた電灯の展示(日本橋白木屋)などが掲載されています。ショーウィンドウの基本的な作りは現在と変わらず、立体的な空間を活かしながら工夫を凝らして商品が展示されていることがわかります。季節感のあるショーウィンドウのディスプレーは都市の景観を彩るとともに、人々に流行や季節の移り変わりを教えてくれる情報源となりました。

  • ショーウィンドウを眺めていたら色々欲しくなってしまうね。次は店内の様子を覗いてみよう。

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