日本 | 年 | アフリカに関する出来事 | アフリカ→日本 | 日本→アフリカ | 説明 |
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原始 | 前3000年ごろ | エジプト文明が成立 | ナイル川流域でエジプト文明が興った。 | ||
前920年ごろ | クシュ王国が成立 | 現在の南エジプト、北スーダン、エチオピアにまたがる地域に最古の黒人王国クシュ王国が成立した。 | |||
前7世紀ごろ | アクスム王国が成立 | エチオピア帝国の前身で、エチオピア高原に建国された。神話ではソロモン王とシバの女王の子メネリクが建国したとされる。 | |||
古代 | 8世紀以前 | ガーナ帝国建国 | 西アフリカで成立し、サハラ交易で繁栄した。 | ||
7世紀ごろ~ | 東海岸都市にイスラム商人居住 | 季節風を活用したインド洋貿易でマリンディ、ザンジバル、キルワなどのスワヒリ都市が栄えた。バンツー諸語とアラビア語が混ざり合い、スワヒリ語が生まれた。 | |||
鎌倉時代 | 1240年 | マリ帝国建国 | ガーナ帝国と同様の地域に成立した。サハラ交易で繁栄し、トンブクトゥは黄金の都として知られた。 | ||
室町時代 | 1352年 | イブン・バットゥータのアフリカ訪問 | モロッコ生まれのイスラム法学者のイブン・バットゥ-タがマリ・スーダンなどを訪問した。『大旅行記』【GA61-G1】を後に著した。 | ||
1417年 | 明の鄭和のアフリカ訪問 | 明の鄭和が東海岸諸国を訪れた。 | |||
1488年 | ヨーロッパ人の喜望峰到達 | バルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達した。 | |||
1498年 | ヴァスコ=ダ=ガマの航海 | ヴァスコ=ダ=ガマが喜望峰経由のインド航路を開拓した。マリンディで水先案内人を雇うなど、スワヒリ都市との関係もあるが、以後の「大航海時代」においてはインド洋貿易の覇権を争うこととなった。 | |||
15~16世紀 | スイカが日本に渡来する | ||||
16世紀 | モノモタパ王が勢力を広げる | 現在のジンバブエ付近にモノモタパ王が王国を築いた。巨石建造物であるジンバブエ遺跡は、12~15世紀にその祖先が造ったとされる。 | |||
16~18世紀 | 奴隷貿易の時代 | アフリカの人々が奴隷として南北アメリカ等に連行された。19世紀初頭から廃止に向かうが、なお密貿易は横行した。 | |||
安土桃山時代 | 1581年 | 弥助が織田信長の家来になる | |||
江戸時代 | 1652年 | ケープ植民地の建設 | オランダが南アフリカにケープ植民地を建設。その後1795年にイギリス領となった。 | ||
17~19世紀 | 出島に黒人が滞在する | ||||
1830年 | フランスのアルジェリア出兵 | フランスがオスマン帝国領のアルジェリアに侵攻し、併合した。 | |||
1847年 | リベリア建国 | アメリカから移住した解放奴隷を中心として建設された。アフリカ最初の共和国。 | |||
1856年 | リビングストンのアフリカ横断 | スコットランド出身の探検家リビングストンが計3回アフリカを探検した。この時代には他にもヨーロッパ人によってさまざまな「探検」が行われ、アフリカ分割への布石となった。 | |||
1862年 | 文久遣欧使節団がエジプトのスエズからアレクサンドリアまでを蒸気機関車で通過する | ||||
1863年 | 第二回遣欧使節団がスフィンクスの前で集合写真を撮影する | ||||
明治 | 1869年 | スエズ運河開通 | フランス人レセップスにより、地中海と紅海を結ぶ運河が掘削された。南アフリカ喜望峰回りの航路よりも距離が短縮されるため、現在でも多くの船舶が利用している。 | ||
1880年 | 第一次ボーア戦争が始まる | ||||
1884年 | ベルリン会議で「アフリカ分割」始まる | ヨーロッパ列強諸国による植民地支配が本格的になった。各地で抵抗運動も行われたが、ヨーロッパの近代的装備によって鎮圧された。 | |||
1885~1897年 | 『佳人之奇遇』【Y994-L2522】が出版される | 東海散士が植民地主義に反対する小説を発表した。作品中に、エジプトやマダガスカルの戦いが取り上げられている。 | |||
1893~1896年 | 第一次エチオピア戦争 | エチオピアがイタリア軍を撃退し、独立を保った。 | |||
1896年頃 | からゆきさん | ||||
1898年 | 古谷駒平がケープタウンに渡り、ミカド商会を開業する | ||||
1899年 | 第二次ボーア戦争が始まる | 南アフリカでボーア人独立国のオレンジ自由国、トランスヴァ―ル共和国と大英帝国との間での戦争。この戦争後、オレンジ自由国とトランスヴァ―ル共和国は、イギリスにより併合された。1910年にはケープ植民地と合わせて南アフリカ連邦が発足した。 | |||
1900年 | 岩崎貫三らがダーバンに渡り、洗濯屋を開業する | ||||
1903年 | 世界一周の旅行中の中村直吉が南アフリカのケープタウンに入る | ||||
1904年 | 赤崎伝次郎がマダガスカルで商売を始める | ||||
1904~1905年 | 日露戦争 | ロシアのバルチック艦隊が日本へ向かう際、アフリカ沿岸を通過し、マダガスカルでは現地に在住する日本人から日本本土へ情報がもたらされた。また、西洋に対する戦勝はアジア・アフリカの人々の意識に影響を与えたと言われる。 | |||
1911年 | 上野動物園にカバが初めて輸入される | ||||
大正 | 1912年 | マダガスカルで『日本と日本人』という記事が発表される | 独立を保った日本と植民地化されたマダガスカルを対比して論ずる記事が発表された。ただし、著者のラヴェルザウナは直接訪日したことはなく、書籍等の情報に基づく記事だった。 | ||
1914~1918年 | 第一次世界大戦 | アフリカでもイギリス・ドイツ等の植民地間で衝突が起きた。 | |||
1919年 | パリ講和会議 | 民族自決の原則が提唱されるが、アフリカ・アジアには適用されず、植民地は解放されなかった。ドイツ植民地は戦勝国によって分割された。 | |||
1923年 | エジプトでツタンカーメン王墓が発見される | ||||
1925年 | 『アフリカ土人芸術』が出版される | ||||
昭和 | 1927年 | 野口英世がガーナのアクラに入る | |||
1930年 | 蜂須賀正氏がコンゴ探険に同行する | ||||
1931年 | エチオピアのヘルイ特使が訪日する | ||||
1934年 | エチオピア皇族が日本で花嫁を募集する | ||||
南アフリカの黒人ボクサーが来日する | 当時の新聞記事によると、「ピーター・ジョージ」という黒人選手が来日し、日本人と対戦した。なお、他の「黒人選手」はインドやセイロンの出身と書かれている。 | ||||
1935~1936年 | 第二次エチオピア戦争 | エチオピアがイタリアに占領される。1941年にはイギリスの協力を得て独立を回復した。 | |||
1939~1945年 | 第二次世界大戦 | アフリカの植民地も兵士や資源を提供し、戦争遂行に協力した。多大な犠牲を伴った一方、従軍時の経験などは、アフリカ人の政治的権利の増大に寄与した。 | |||
1951年 | 上野動物園職員がアフリカに直接、動物の買い付けに行く | ||||
1956年 | エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世が国賓として訪日する | ||||
1960年 | アフリカの年 | 1957年のガーナのイギリスからの独立を端緒に、1960年代半ばにかけて、アフリカの諸国が独立を果たしていく。その中で、1960年は特に多くの国が独立したことから、「アフリカの年」とも呼ばれている。 | |||
駐日ガーナ大使が着任する | |||||
経済協力に関する研修生受入が始まる | |||||
1964年 | 東京オリンピックにアフリカ諸国の選手が参加する | ||||
1965年 | ツタンカーメン展が日本で開催される | ||||
青年海外協力隊が発足する | |||||
1970年 | マジシ・クネーネが来日する | ||||
1972年 | ルワンダ中央銀行総裁に日本人が着任する | ||||
1974年 | 木村外務大臣が外相として初めてサハラ砂漠以南を訪問する | ||||
1984年 | 黒柳徹子がユニセフ親善大使としてタンザニアを訪問する | 1984年にユニセフ親善大使に着任した黒柳徹子は、同年タンザニアを訪問した。飢饉に悩むアフリカの姿は、メディアを通じて広く日本人の知るところとなった。 | |||
平成 | 1993年 | TICAD I(第1回アフリカ開発会議)開催 | 10月5・6日、東京で第1回アフリカ開発会議が開催された。会議で採択された「東京宣言」では、アジアの経験をアフリカの開発に活かす「南南協力」の推進などが盛り込まれた。 | ||
2013年 | TICAD V(第5回アフリカ開発会議)開催 | 6月1-3日、横浜で5回目となるアフリカ開発会議が開催された。「横浜宣言2013」では、「躍動のアフリカと手を携えて」を基本コンセプトに、「強固で持続可能な経済」「包摂的で強靱な社会」「平和と安定」の推進に向けた取組が提示された。 |
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おわりに・参考文献