─江戸の双六─
戦国時代を経て世情が安定した江戸時代には、町人が経済力を持つようになり、文化の担い手となって、多彩な町人文化が花開き、その模様は双六にも描かれました。この章では、町人の出世の夢を描いた出世双六や、江戸の名物や商品、人気店を紹介した双六、変わり種の双六を紹介します。
江戸時代には、社会的地位の上昇の夢を描いた双六が数多く作成されました。双六の需要層は町人が圧倒的に多かったので、ほとんどが町人を扱ったものです。また、厳しい身分制度が敷かれていたため、身分を越える出世が描かれることはなく、それぞれの身分内で完結しています。多くの場合、上がりとして描かれているのは、長者や富裕であり、町人にとって金銭的な成功が出世の証としてとらえられていたことがわかります。
町人の出世が描かれている飛び双六です。「手代奉公」から「大問屋」を経て「長者」に向かう商家の出世や、「儒者」や「医行(いしゃ)」などの学問による出世などいくつかの出世の過程が描かれているほか、最下段には「勘当」や「遁世」など出世からの脱落を示すマスが並んでおり、当時の町人の出世に対する考え方を知ることができます。また、「長者」のほかに、「隠居」では、「ここへ当たれば長者より分一の隠居料を取るなり」と書かれており、「長者」とともに上がりの一つと考えられます。なお、「願人坊主(がんにんぼうず)」でも、先の指示がなく終わりとなっていますが、願人坊主とは僧形の大道芸人のことで、依頼者に代わって神社などに参詣や祈願などを行ったりしました。おそらく、出世からは逸脱したものと考えられていたために、先への指示文がないものと思われます。
女性の出世が描かれている飛び双六です。振り出しは「おどり子娘」、上がりは「万福長者極らくいん居」となっています。各マスには、当時の女性のさまざまな職業や立場が描かれています。
また、例えば「花よめ」の指示文は「一 いつか姑になる。三 芸は身をたすけて手習いの師匠。五 利発者ゆえ家栄えて御新造様」とあるように、指示文には次の各マスへ進む理由も書かれてあり、出世してゆくストーリーを楽しむことができます。
大奥へ奉公にあがり、将軍の側室になることを目指す、女性の出世を描いた飛び双六です。各マスには、雑役を務める「御末(おすえ)」から、侍女の筆頭である「老女」や側室の「御部屋様」まで、さまざまな役職や役目が書かれています。ただし、現実的には、町人層から奥仕えをする者が選ばれることは少なく、当時の女性の夢を描いた双六といえるでしょう。なお、同じ作者・絵師による女性の成長を描いた「奥奉公二偏娘一代成人双六」(双六 【本別9-27】)という、続編も刊行されています。
手習、つまり子供の習字の勉強を描いた飛び双六です。振り出しは「弟子入りいろは」で、母親に連れられて寺小屋に入門するところが描かれており、上がりは学問の神様「亀戸天神」となっています。各マスには「破門」、「留められ」(居残りをさせられること。)、「褒美」など寺子屋での諸相を示す言葉や、「源氏」、「女今川」、「商売往来」などの手習いの見本の書名が散りばめられています。
*寺子屋での教科書には、往来物と呼ばれる手紙文の模範文例集が使われました。身分、職種や性別によって必要な知識が異なったため、農村向けの「田舎往来」、「農業往来」、商人向けの「商売往来」、「問屋往来」や職人向けの「番匠往来」など多様なものが作られました。
作者である小三馬は、戯作者式亭三馬の息子です。式亭三馬は、江戸後期の滑稽本『浮世風呂』や『浮世床』の作者として有名ですが、日本橋に化粧品や薬を扱う小間物屋を開き、繁盛させました。この双六は、店を継いだ小三馬が、自店の商品を宣伝するために作ったもので、「江戸の水」や「天人香」など28種の商品と効用が描かれています。
例えば、「聖利丸」のマスには、「通じが悪いなら三馬の聖利丸を寝しなに一服上がってごらん。明日の朝はせいせいします。」と書かれています。
振り出しを題材にかけて「売出し」としています。売出しの「日本橋の朝市」から上がりの「山王御祭礼」にたどりつくまで、料理屋、鰻屋、蕎麦屋などの当時はやりの飲食店を中心に、江戸の風物をめぐる飛び双六です。この双六が作られた江戸後期には、料理文化が爛熟期を迎え、飲食店が急増したほか、数多くの料理本が出版されました。各マスには山谷の八百善(やおぜん)、深川の平清(ひらせい)などの有名な料理屋が載せられています。「火消」や「よし原」も登場します。
これまで、道中、名所、歌舞伎、出世、商いなどを扱った双六をそれぞれ紹介してきましたが、江戸文化の多彩さと相まって、これまで取り上げてきたものの枠に収まりきらない双六も多種多様なものが作成されました。ここでは、その一部をご紹介します。
武士が甲冑を着用し、戦に出て、勝利するまでの流れを廻り双六にしたものです。最初の「褌」から「小袴」、「草鞋」、「胴丸」など服装を整え、「鉄砲」、「熊手」、「長刀」など武器が続き、最後に「大鎧」、「陣羽織」などを身につけ、上がりの「勝軍帰陣(かちいくさきじん)」に至ります。
この双六の絵師、歌川芳員は歌川国芳の門人で、一川、一刀斎、一寿斎などと号し、横浜開港(1859年)後は異人画を多く描きました。当館の所蔵資料の中にも、「外国人衣服仕立之図」(【亥二-92】)や「横浜見物図会 異人稚遊」(【亥二-92】)などの作品があります。
「鑓餅(槍持ち)」を振り出しとして、「金餅(金持ち)」を上がりとする、「もち」のつく物や言葉を集めた飛び双六で、「物尽くし」の形式が用いられています。「物尽くし」とは、同じ種類の事物を列挙することをいい、歌謡などで使われた形式の一つです。また、一種の言葉遊びになっており、おかしみを生み出す効果があります。双六では、絵と組み合わせられることで、さらなるおかしみが生み出されています。この他に、「玉」のつくものを集めた「玉尽年玉寿古六」(双六 【本別9-27】)もあります。
振り出しは子どもたちが百物語をしている場面、上がりは「古御所の妖猫」になっている飛び双六です。お岩、海坊主、一本足など妖怪達が各マスに鮮やかな絵とともに配されています。なお、この双六の絵師は、「甲冑着用備双六」と同じ歌川芳員です。江戸時代は怪談が流行し、浅井了意の『伽婢子』、上田秋成の『雨月物語』や、怪談を語り合う遊びである百物語を題名に銘打った『諸国百物語』や『太平百物語』などの怪談集が数多く出版されました。
*百物語は、夜、数人で集まり怪談を語り合う遊びで、ろうそくを100本立てておき、1つの話が終わるごとに1本ずつ消してゆき、最後の1本を消して、真っ暗になった時に妖怪が現れるとされるものです。
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上がり・参考文献