─江戸の双六─
江戸時代には、人物を扱った双六も多数作成されました。描かれた人物は、当時のアイドル的な存在であった歌舞伎役者や、世間に広く知られていた有名人、歴史上や文学作品中の人物など、さまざまなジャンルに及びます。双六に誰が描かれたか、取り上げられた人物を見ていくだけでも、その時代を知る手がかりになるでしょう。現在でも知られた人物も多くいますが、現在とは異なった描かれ方をされている場合もあります。ここでは、様々な人物が描かれた双六をお楽しみください。
歌舞伎役者を描いた双六は非常に数多くあり、人気の題材でした。歌舞伎の演目の登場人物を、その役を演じた役者の顔で描く場合もあります。浮世絵と似た性格を持っていますが、描かれるのが一人か多くても数人の浮世絵とは異なって、双六では複数の歌舞伎役者が一堂に描かれており、人気の役者が手軽に一覧できるという楽しさがありました。
この双六は、中央の口上部分に「そのくらゐの上下を定めず たゞあたり狂げんをゑがき」、「ものみしばゐずきの御子さまがた」のために作られたと記されています。「ひつかえし幕」(引き返し幕)や「がく屋」(楽屋)など、舞台まわりを描いたマスからはじまり、それぞれの得意役を演じる役者を描いたマスをたどって、上がりは坂東三津五郎、市川団十郎、尾上菊五郎です。
上がり部分中央の「暫(しばらく)」を演じる市川団十郎。「暫」は初代市川団十郎の創始と伝えられ、歌舞伎十八番の一つとなっています。特徴的な鬢(びん)に白い力紙と烏帽子、顔には紅の筋隈(すじぐま)が見え、市川団十郎の定紋である三升の紋が入った衣装を着ています。
楽屋の様々な部屋をマスに見立てた双六です。楽屋口からはじまり、「湯場」や「小道具部屋」、「立女形(たておやま)部屋」、「座頭(ざがしら)部屋」などの部屋を描き、処々に歌舞伎役者や戯作者などを配しています。上がりの部分では、坂東亀蔵、河原崎権十郎(かわらさきごんじゅうろう)、岩井粂三郎(いわいくめさぶろう)、尾上覚之助(おのえかくのすけ)、坂東彦三郎、関三十郎、尾上栄三郎らが稽古をしています。普段は見られない楽屋裏の風景から、役者たちの素顔を覗き見するような感覚を覚える双六です。
中段左側にある「立女形部屋」部分の沢村田之助。三代目沢村田之助は、その服装や髪形が流行するなど、非常に人気のあった女形でした。ここでは手に杖を持った姿が描かれていますが、後年脱疽(だっそ)により四肢を切断しながらも舞台に立ち、悲劇の女形として知られました。
武将や英雄的人物を取り上げた双六もよく見られます。内容からすると、男の子向けの双六でしょうか。江戸時代の双六には、内容を読み解くのに歴史的・文学的な知識が必要な場合も多く見受けられますが、ここで取り上げたような歴史上の人物を描いた双六ではその傾向が顕著です。遊びながら学べる教材のように用いられたのかもしれません。
武芸者の双六で、各人物に簡単な説明が付されています。描かれている人物の多くは剣術の名人ですが、弓や槍の遣い手もいます。史実に基づいた人物像というよりも、伝承や物語の要素が加味された人物を描いているようです。現在でもよく知られている江戸初期の剣術家「宮本武蔵」や、武蔵と巌流島で戦った「佐々木岸柳(ささきがんりゅう)」(現在は佐々木小次郎として知られています)、室町時代後期の剣客「塚原卜傳(つかはらぼくでん)」などの名が見えます。
上がりの右隣のマスには宮本武蔵が描かれ、「豊前の国住人也 新免二刀流の名人なり 川田木工左衛門を討 諸国修行す 其後岸柳とたち合勝て其名天下にかくれなし」と記されています。上から2段目左から2つ目のマスは、佐々木岸柳で、「肥後の国熊本の住人強刀遣ひの名人也 武蔵と試合岸柳嶋に其名とゞむる」と記されています。
古今の著名な武将を取り上げた双六です。上がりの部分には、清和源氏の起源となった源経基とその子満仲が描かれています。源氏の武将が上の方に描かれているのに比べ、平家の武将が下の方に描かれているのが、当時の源平観を物語っているようです。また、「源平」と銘打ってはいますが、源氏や平氏の武将だけでなく、坂上田村麻呂や楠木正成などもあげられています。
この双六には「女将軍巴御前」のマスがあります。取り上げられている人物のなかで、唯一の女性です。巴御前は木曽義仲の側室で武勇に長けており、義仲と共に戦場に出たと言われています。
歴史上の「英勇」をいろはかるたとして描き、かるたの札が双六のマスとなっています。平安時代から戦国時代までの武将のほか、『日本書紀』などに登場する「力士野見宿禰(のみのすくね)」、平安時代末期に鬼界ヶ島に流された「流人俊寛」など、バラエティゆたかな人物が取り上げられています。また、振り出しは出陣風景、上がりは主君から褒賞を受け取る場面となっています。
各札には丸で囲まれたひらがな一字が記されており、この文字から始まる人物を描いています。次に進むマスも、この丸囲みのひらがなで指示されます。いろはかるたの形式と取り上げる人物のバランスをとるため、人物名に修飾句が付されることもあります。たとえば「か」の札には「甲斐信玄」が描かれています。
女性を描いた双六は、女の子向けと考えられます。次にご紹介する双六以外にも女性の人物を取り上げた双六は見られますが、取り上げられた人物はそれぞれで異なっています。誰が描かれているかを見ていくと、注目すべきと考えられている人物像が読み取れ、双六から伝わる女性観の違いも楽しめるかもしれません。
この双六では、子どもたちが本を読む場面が振り出しとなっており、上がりは神功皇后気長足姫(じんぐうこうごう おきながたらしひめ)です。紫式部や小野小町といった実在の人物のほか、佐用姫(さよひめ)や紫上、照田姫(てりたひめ)など伝承や物語の登場人物も取り上げています。
右上段にあるマスで橘姫として描かれているのは、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃で、弟橘媛(おとたちばなひめ)です。日本武尊の東征に従い、その途上で嵐を鎮めるために入水しました。このマスでは、海に身を投じる場面が描かれています。
江戸時代も後半になると、文学への関心は庶民にまで広まりました。さまざまな文学作品を題材として、多様な双六が作られています。双六の数の多さは、文学への関心の広がりを物語っているものと言えます。長大な作品も多いため、いわばダイジェスト版として楽しまれたのかもしれません。
中国明代の小説『水滸伝』の登場人物を描いた双六です。物語は、108人の豪傑が梁山泊に集結していく過程を描く前半と、彼らが敵と闘い最後は離散死亡していく後半にわかれますが、前半部分のみをまとめた70回本が広く流布しました。この双六でもその前半部分を描いています。ストーリーに沿ったマスに仕立ててあり、マスには番号が振られています。振り出しは物語の発端となる「張天師」、上がりは豪傑が集った「梁山泊」です。
『水滸伝』は、江戸時代に日本に紹介され、広く流行した文学作品です。江戸文学に大きな影響を与えたと言われます。岡嶋冠山『通俗忠義水滸伝』(宝暦 7(1757))以降たびたび翻訳され、建部綾足『本朝水滸伝』(安永2(1773))、山東京伝『忠臣水滸伝』(享和1(1801))などの翻案も数多く出ました。
赤穂義士の仇討を脚色した浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」の登場人物を扱った双六です。「仮名手本忠臣蔵」は人形浄瑠璃や歌舞伎で人気の演目ですが、双六でも忠臣蔵を題材としたものが多く作られました。この双六は、振り出しと上がりを除いて47マスあり、各マスに四十七士が短文の説明付きで描かれます。マスは大星由良之助良雄(おおぼしゆらのすけよしお)からはじまって、大星の息子の大星力弥良兼(おおぼしりきやよしかね)に至り、上がりは由良之助と力弥が揃った姿です。
左下角のマスに描かれた早野勘平義利(はやのかんぺいよしとし)。「お軽勘平」として知られる忠臣蔵のサイドストーリーの登場人物です。討ち入り前に切腹したため、一人だけ討ち入り衣装を着ていません。名前の下に「このところへくれば一まはりのけるなり」と記されており、このマスに止まってしまうと、順番が一回飛ばされました。
小倉百人一首を題材にした双六で、天智天皇を振り出しに、小倉山荘の藤原定家を上がりとしています。100あるマスには歌人の絵が描かれ、その余白に和歌が記されています。100人の歌人と和歌は、百人一首に採られた順に並びます。百人一首も双六も正月の遊びですが、両者を組み合わせることでより正月らしい雰囲気となっています。
百人一首や源氏物語、太平記などの江戸時代以前の文学作品も、絵入り本などが刊行されることで広く読まれるようになり、関連する双六も数多く作成されます。百人一首は、古典和歌の入門書として教育用に用いられるなど、広く採用された素材の一つでした。
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3 風俗を描いた双六