石鹸は安土桃山時代にスペイン、ポルトガルからもたらされた。国産化されるのは明治になってからで、江戸時代には貴重品だった。夏に行商人が売り歩いていたという「さぼん玉」(シャボン玉)。「さぼん粉を水に浸し、細管をもつてこれを吹く時丸泡を生ず」とあるが、この「さぼん粉」は高価な輸入石鹸ではなく、いもがらなどを焼いて粉にした代用品であろう。
ホーム | 第2部 | 4. 海外知識の受容 (2)暮らしの中の異国 (2)
暦は自由に版行することが許されなかったが、要点だけをまとめた一枚摺りの略暦は便利だったため、商家が歳暮代わりに配るなど、私的に版行するものも多かった。ことに大小暦(大小、絵暦)は、その年の月の大小(大=30日、小=29日)を知らせるだけの簡易なものだが(→詳しくはこちら)、明和2年(1765)大流行し、以後浮世絵師が多く手掛けたため、美しく機知に富んだものが残されている。そんな暦の中に異国趣味のものを探してみると…。
司馬江漢画 1枚 <841-217>
「鏡柱画」とは「鞘絵」とも言い、一見奇妙に見えるが、刀の鞘のように円筒形の凸曲面に映すと正しく見えるように描かれた絵をいう。この技法はヨーロッパから伝わり、江戸中期に流行した。本図は天明3年(1783)のもので、うさぎ(=卯年)のぶち模様(二、四、五、七、九、十一)が大の月をあらわす。冑山文庫。
1枚 <WA33-1>
1枚 <WA33-1>
更紗の絵暦2種。舶来の貴重品だった更紗は、端切れすらも大切に保存され賞玩された。「花布小切」はその貼り交ぜ帖を模したもの。もう1種は更紗製の紙入れ風。模様の中に小の月の数字が見える。
異国から伝来したものは、実用品としてばかりでなく、娯楽にも用いられた。
暗箱の一端に絵をはめ、それを凸レンズを通してのぞく「直視式」の眼鏡絵は17世紀中葉から西洋で流行し、日本には中国経由でもたらされた。18世紀中葉には鏡を用いた「反射式」がフランスで発明され、器具や銅版眼鏡絵がオランダとの貿易を通じて普及した。幾何学遠近法(透視図法)を用い、絵が浮き上がって見えることから、当時は「浮絵」と呼ばれ、見世物として人気を博した。
歌川豊春画 [江戸] 永寿堂西村屋 間判錦絵 1枚 <寄別2-1-1-6>
加藤曳尾庵著 写 18冊 <235-42>
2巻 江南亭唐立作 歌川国安画 江戸 森屋治兵衛 文政8(1825)刊 1冊 <W114-14>
ラクダ人気にあやかった合巻。大勢の人でにぎわうラクダの見世物の様子も描かれている。
鮮やかな多色刷り版画・錦絵は、庶民が気軽に求め、鑑賞することができるものだった。世相を反映する錦絵の中にも異国趣味を発揮したものがある。
渓斎英泉画 江戸 江崎屋吉兵衛 大判錦絵 1枚 <寄別2-9-1-10>
渓斎英泉(1791-1848)による錦絵揃物の1枚(→ほかの作品はこちら)。枠にアルファベットやオランダ東インド会社のVOCを組み合わせたマークを入れる。山並みの陰影や雲の表現も西洋風である。
渓斎英泉画 江戸 清水 大判錦絵 1枚 <寄別7-2-1-3>
やはり揃物の1枚。題は「オランダ」と「
歌川国貞(三代豊国)画 江戸 山口屋藤兵衛 大判錦絵 1枚 <寄別7-1-1-3>
歌川国貞(三代豊国)画 江戸 佐野屋喜兵衛 大判錦絵 1枚 <寄別2-3-2-1>
『雪華図説』で紹介された雪の結晶を図案化した雪華模様(著者土井利位が大炊頭だったことから大炊模様ともいう)は、錦絵の中にも見ることができる。本図は『小倉百人一首』の光孝天皇の歌「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ」を、雪の降る中、雪華模様の着物を着た女性が歩む姿として描いたもの。
歌川国芳画 江戸 山口屋藤兵衛 大判錦絵 1枚 <寄別7-1-1-5>
Amsterdam:Weduwe van I. van Meurs, 1682. 2 v. in 1. <WB29-67>
「お兼」(お金)は鎌倉時代の初め、近江にいた大力の遊女。奔馬の手綱を踏んで馬を鎮めた話が『古今著聞集』などに見える。国芳の本作は馬と背景が洋画風で、何とも不思議な雰囲気がある。背景はオランダ人の旅行家ニューホフ(Joan Nieuhof, 1630-1672)の『東西海陸紀行』第1巻の挿絵から取られていることが最近の研究で明らかになった。
歌川国芳画 [江戸] 海老屋林之助 嘉永5(1852) 大判錦絵 1枚 <寄別2-4-1-1>
八代目市川団十郎扮する盗賊・児雷也が身につけているのは、『紅毛雑話』に紹介された蚊の顕微鏡図をあしらった着物。斬新だ。
合成顔料のプルシアンブルーがドイツのベルリンで発明されたのは1704年(宝永元)。日本にも舶載され、にじみやすく褪せやすい「露草青」や、不溶性で調製しにくい「藍」に代わり、容易に多様な青が出せる顔料として天保元年(1830)以降急速に普及した。「ベロ」「ヘロリン」などと呼ばれ、空の青をぼかし技法で表現して遠近感をあらわした風景画や、青の濃淡だけで描いた「
歌川広重画 江戸 佐野屋喜兵衛 天保9(1838)頃 後版 大判錦絵 <WA33-5>
歌川広重(1797-1858)の代表作。8枚揃の1枚で、青とグレーを基調に、玉川(多摩川)を照らす月が輝く情景を描く。近景の柳の墨色、遠景の山々の灰色、空の青のぼかしが相まって、河原の空間の広がりが感じられる。
渓斎英泉画 江戸 蔦屋吉蔵 天保6(1835) 大判錦絵 3枚続 <寄別2-9-1-10>
英泉はベロによる藍摺を最初に手掛けた。青の濃淡の中、遊女の唇だけに朱が点じられ、色香を醸し出している。本作は「姿海老屋楼上之図」と題する錦絵を、人物はそのままに背景を変えて藍摺として再版したもの。
歌川芳員画 [江戸] 丸屋甚八 文久1(1861) 大判錦絵3枚続 <寄別7-4-2-3>
アメリカ・ワシントンの風景を藍摺で描く。「銅板之写生」とあるので、もとにした西洋の銅版画があったのだろう。歌川芳員(生没年未詳)は国芳の弟子で、横浜絵の代表的画家。横浜絵とは安政6年(1859)の開港後、明治5年(1872)頃まで、横浜に来た外国人の風俗を中心に描かれたもの。→横浜絵を貼り交ぜた錦絵帖「古登久爾婦里」(ことくにぶり)はこちら