著者の岩橋嘉孝(善兵衛 1756-1811)は江戸時代の望遠鏡製作者。平天儀は日月星の運行等が分かる早見表で、円盤は回転する。最上層の北半球図のヨーロッパ大陸の部分は、オランダの位置が赤くなっている。題箋のデザインは司馬江漢『地球全図』の題箋の影響であろう。天文学者渡辺敏夫旧蔵。
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西洋の知識は医学や自然科学分野を中心に学ばれた。ここでは天文・気象・本草に関する資料から、西洋知識の影響を見る。
2巻 司馬江漢訳 東都 春波楼 文化5(1808)刊 1冊 <101-184>
司馬江漢は天文学にも関心を寄せ、コペルニクス(Nicolaus Copernicus, 1473-1543)の地動説を紹介している。地動説は日本では本木良永が最初に紹介したものだが、本木の『天地二球用法』などの著書は写本でしか伝わっていない。日本の暦学にも大きな影響を及ぼした中国の天文暦学書『暦象考成後編』(乾隆7, 1742)の表記によると、「刻白爾」は天体の運動を解明したヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler, 1571-1630)で、コペルニクスならば「歌白尼」なのだが、江漢は「刻白爾」をコペルニクスのこととして使っている。
岩橋耕珋堂(嘉孝)[著] 泉南 岩橋耕珋堂(蔵版) 享和1(1801)刊 1冊 <VF7-N310>
著者の岩橋嘉孝(善兵衛 1756-1811)は江戸時代の望遠鏡製作者。平天儀は日月星の運行等が分かる早見表で、円盤は回転する。最上層の北半球図のヨーロッパ大陸の部分は、オランダの位置が赤くなっている。題箋のデザインは司馬江漢『地球全図』の題箋の影響であろう。天文学者渡辺敏夫旧蔵。
土井利位著 天保3(1832)刊 1冊 <特1-2982>
Amsterdam: W. Loveringh en Allart, 1778-79. 4 v. <WB29-34>
著者の土井利位(1789-1848)は下総国古河藩主。天保改革の際には老中を務めるなど、幕府の要職にもあったが、10代の頃から雪の結晶観察を続け、結晶図を正続(続編は天保11年刊)の『雪華図説』として残した。本書には利位の観察図86種とマルチネット『格致問答』からの引用図12種が収録されている。ヨハンネス・マルチネット(Joannes Florentius Martinet, 1729-1795)はオランダの牧師。『格致問答』(自然についての教理問答)は、問答形式で書かれた啓蒙的な科学入門書。『雪華図説』は藩主の私家版だったが、その結晶図は鈴木牧之『北越雪譜』(天保7(1836)刊)に引用されることで広く流布し、雪華文様が流行した。
『雪華図説』の著者土井利位は、大坂城代だった天保8年(1837)、大塩平八郎の乱を鎮定しているが、乱の原因の一つは冷害による飢饉だった。「天保の飢饉」と呼ばれる天保初年からの天候不順、飢饉の時期は、ちょうど利位の結晶観察の時期に重なっている。この画像にも「天保3年12月9日は大雪、結晶も非常に鮮明で、他年には見られない形のものがあった」とある。雪の結晶は溶けやすく、気温が-5℃以下でないと十分に観察できないが、寒地とはいえない古河や大坂でも結晶観察ができたことは、当時の厳しい寒さを傍証している。
写 7冊(合4冊) <せ-19>
Amsterdam: J. C. Sepp en Zoon, 1796-1800. 6 v. <WB29-35>
オスカンプ等編『薬用植物図譜』は、天保期(1830-43)には舶載され、本草学者に利用された。『和蘭六百薬品図』は同書の図のみをすべて模写したもの。ラテン名、オランダ名、漢名、和名を付記する。部分図の省略は見られるものの、繊細な筆致で丁寧に再現されている。巻末に「平安榕室山本錫夫題名」の墨書があり、本草学者山本錫夫(1809-1864)が漢名、和名を付記したものと思われる。原書の図は手彩色された銅版画である。
西洋の動植物書が日本の本草書に与えた影響についてはこちら(電子展示『描かれた動物・植物』)もご覧ください。
徳川吉宗が西洋の植物図譜、動物図譜に目を向け、『解体新書』が西洋医学書の図版の迫真性への驚きから翻訳・出版にいたったように(概説)、蘭学者たちは、西洋の絵画的イメージに助けられて知識を得ていった。また、画家の中にも西洋絵画を研究し、影響を受けたものがいる。
Haarlem : J. Marschoorn, 1740. 2 v. <WB29-30>
『大画法書』『大絵画本』などと訳される。オランダ人画家ヘラルド・ドゥ・ライレッセ(Gerard de Lairesse, 1640-1711)の著書。神話画・歴史画、素描、光と陰影法、遠近法や色彩論、銅版画等、絵画芸術のすべてを網羅して考察を加えている。森島中良の『紅毛雑話』にも人物図が引用され、亜欧堂田善(2-2医範提綱図)も模写しているが、本書の内容が十分に理解されていたわけでは必ずしもなかったようだ。
宋紫石編 明和7-8(1770-71)刊 8冊(合4冊) <181-192>
Amsterdam: I. I. Schipper, 1660. 1 v. <WB29-12>
宋紫石(1715-1786)は長崎で写生画に優れる沈南蘋派の画法を学んだ。司馬江漢はその弟子。平賀源内とも交流があり、『物類品隲』の挿絵も担当している。本書は紫石の画譜で、「異品」の部にはヨンストンの『動物図説』から引用された動物図がある。板ぼかしの技法によって原図の陰影を再現しようとしているが、地面に落ちる動物の影は無視されている。『動物図説』は多くの絵師に引用されており、『解体新書』の図版を描いた秋田佐竹藩士小田野直武(1749-1780)も用いている。名古屋の貸本屋大野屋惣八(大惣)旧蔵。
2巻 司馬江漢編 東都 春波楼蔵 文化2(1805)刊 2冊(合1冊) <124-233>
司馬江漢は寛政11年(1799)に西洋画観を述べた『西洋画談』を公刊した。また、地理書である本書にも「西洋画法」「銅版画法」の項目がある。「蘭書ヨンストンス」としてヨンストン『動物図説』にも言及する。日本最初の西洋画論書は秋田藩主佐竹義敦(曙山 1748-1785)の『画法綱領』と『画図理解』だが、いずれも写本で、江漢が『西洋画談』と本書で西洋画論を公刊したことは意義深い。なお、本書の挿絵は、西洋の本の挿絵のように本文とは別の用紙に印刷され、折り込まれている。
藤茂喬編 平安 吉田新兵衛 文化11(1814)刊 1帖 <189-1>
t'Amsterdam: J. en Caspaares Luiken, 1694. 1 v. <WB29-28>
この図は司馬江漢によるもので、ヤン・ライケン(Jan Luiken, 1649-1712)らによる『人間の職業』からの引用である。同書は100種の職人の姿を描いた銅版画集。『京城画苑』は京都の画人の作品24点を集めた多色刷木版画帖。江漢は文化9年(1812)に京都に滞在している。
オランダからの知識は、翻訳や研究書、啓蒙書など、さまざまな書物を生み出した。出版文化に見るオランダの影響を紹介する。
Nieuwe door den auteur zelven overziene en verb. druk. Dordrecht: B. en van Braam, 1846. 1 v. <蘭-112>
江戸 山城屋佐兵衛〔ほか〕 安政3(1856)刊 2冊 <蘭-3366> <蘭-960>
Nagazaki, 1859 <蘭-646>
オランダの言語学者ウェイランド(Pieter Weiland, 1754-1842)の『オランダ文法書』は、蘭学者たちに重用され、多くの需要があった。<蘭-112>(画面左)はオランダで出版された原書、<蘭-3366>と<蘭-960>(画面中央)は江戸で木版によって翻刻されたものである。原書はブロック体活字だが、本書は筆記体。その方が版下を作るのに便利だったのだろう。<蘭-646>(画面右)は長崎で金属活字によって出版された。一見、原書のようだが、字面が不揃いで、「Inleiding」が「Inleidig」になるなど、印刷技術が未熟なことがよくわかる。<蘭-112>と<蘭-646>は蕃書調所旧蔵、<蘭-3366>と<蘭-960>は、洋学教育にも熱心だった備後福山藩校誠之館旧蔵。
写 1冊 <わ027-1>