第一章 暦の歴史

江戸から明治の改暦

近世の改暦

江戸時代に入り天文学の知識が高まってくると、暦と日蝕や月蝕などの天の動きが合わないことが問題となり、江戸幕府のもとで暦を改めようとする動きが起こりました。それまでは、平安時代の貞観4年(862)から中国の宣明暦(せんみょうれき)をもとに毎年の暦を作成してきましたが、800年以上もの長い間同じ暦法を使っていたので、実態と合わなくなってきていたのです。

そうして、貞享2年(1685)、渋川春海(しぶかわはるみ 1639~1715)によって初めて日本人による暦法が作られ、暦が改められました。これを「貞享の改暦」といいます。江戸時代には、そのあと「宝暦の改暦」(1755)、「寛政の改暦」(1798)そして「天保の改暦」(1844)の全部で4回の改暦が行われました。西洋の天文学を取り入れ、より精密な太陰太陽暦が作成されました。江戸幕府の天文方が暦の計算を行い、賀茂氏の系統を受け継いだ幸徳井(こうとくい)家が暦注を付け加え、各地の出版元から暦が出版されました。

富嶽百景.第3編の17コマ目『富嶽百景.第3編』の2コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
富嶽百景.第3編 葛飾北斎 画 1冊 ; 23cm×16cm
出版年 出版者 出版地
1834-1835(天保5-6年)
注記 分類 請求記号
全3冊の内 721.8 166-62

北斎の版画「富嶽百景」に収録されている「鳥越の不二(とりごえのふじ)」に描かれた浅草天文台。江戸幕府の天文方(てんもんがた)が天体観測を行った。中央の球は渾天儀(こんてんぎ)という天体運行の観測器械。浅草天文台は、天明2年(1782)、牛込から移転、天保13年(1842)には九段坂上に移った。

和暦の変遷
暦法 使用開始年 使用年数
元号 西暦
元嘉 持統天皇6年 692 5年
儀鳳 文武天皇元年 697 67年
大衍 天平宝字8年 764 94年
五紀 天安2年 858 4年
宣明 貞観4年 862 823年
貞享 貞享2年 1685 70年
宝暦 宝暦5年 1755 43年
寛政 寛政10年 1798 46年
天保 弘化元年 1844 29年

貞享の改暦

貞享暦は、渋川春海がみずからの観測に基づき、中国元代の授時暦に中国と日本の里差(経度差)を補正し、1年の長さが徐々に変化するという消長法を援用して改良した暦法です。貞享元年(1684)10月に改暦の宣下があり、暦号を「貞享暦」と賜りました。それ以前は、春海はこの暦を「大和暦」と称していました。

改暦の機運のなかで、前例にならい中国の明の官暦「大統暦」をそのまま用いようとする伝統派に対し、春海は3度上表し、みずからの『大和暦』の採用を願い出ます。将軍家綱の後見役である保科正之(ほしなまさゆき)や、徳川光圀(とくがわみつくに)をはじめとする幕府の有力者の知遇を得た春海は、改暦に不可欠な政治力をも持ち、改暦を成功に導いたのです。この改暦によって幕府は編暦の実権を握り、暦は全国的に統制されました。春海はその功により、幕府の初代天文方に任命されました。

[古暦帖]の67コマ目
[古暦帖]の69コマ目
[古暦帖]の71コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
[古暦帖](貞享2年(1685)伊勢暦) 24cm×164cm
出版年 出版者 出版地
1684(貞享元年) 箕曲主水甚大夫 伊勢度会郡山田(伊勢)
注記 分類 請求記号
尾島碩宥旧蔵古暦 449.81 本別15-21

貞享の改暦後、最初の伊勢暦。前文に「貞観以降用宣明暦既及数百年推歩与天差方今停旧暦頒新暦於天下因改正而刊行焉」と改暦の理由を述べている。

宝暦の改暦

8代将軍徳川吉宗は、西洋天文学に深い関心を寄せ、算学家の建部賢弘(たけべかたひろ 1664~1739)やその弟子の中根元圭(なかねげんけい 1662~1733)を召して、天文暦学の研究を行いました。また、元圭に『暦算全書』の訳述を命じましたが、この書は中国に来た宣教師の編さんした『崇禎暦書(すいていれきしょ)』により、清の梅文鼎(ばいぶんてい)が西洋天文学の知識を取り入れたものです。

天文方の渋川則休(しぶかわのりよし 1717~1750)と西川正休(にしかわまさやす1693~1756)は吉宗の命を受けて改暦の準備を進めましたが、吉宗や渋川則休の死、西川正休と土御門泰邦(つちみかどやすくに 1711~1784)の対立、さらに正休の失脚などによって、改暦の主導権を土御門泰邦が握るに至りました。進奏した暦法は「宝暦甲戌(こうじゅつ)元暦」と名づけられ、宝暦5年(1755)から施行されました。この宝暦暦は、貞享暦にわずかな補正を加え、暦注を増したものです。しかし、宝暦13年(1763)9月の日蝕予報に失敗し、幕府は明和元年(1764)に佐々木文次郎(ささきぶんじろう 1703~1787)に補暦御用を命じ、明和8年(1771)から幕府天文方による「修正宝暦暦」が用いられました。

[伊勢度会暦]寶暦5の2コマ目
[伊勢度会暦]寶暦5の10コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
[伊勢度会暦]寶暦5 1帖 ; 28cm×158cm
出版年 出版者 出版地
1754(宝暦4年) 中川兵庫 伊勢度会郡山田(伊勢)
注記 分類 請求記号
新城文庫所収 449.81 寄別12-6-11(35)

宝暦の改暦後、最初の伊勢暦。前文に「貞享以降距数十年用一暦其推歩与天差矣今立表測景定気朔而治新暦以頒之於天下」とあり、暦注を追加したことなどの注意書きが付されている。

寛政の改暦

寛政7年(1795)、幕府は西洋暦法による改暦を企て、広く人材を求め、中国の西洋暦書『崇禎暦書』や『暦象考成』を研究していた大阪の麻田剛立(あさだごうりゅう 1734~99)門下の高橋至時(たかはしよしとき 1764~1804)と間重富(はざましげとみ 1756~1816)を起用しました。至時は、天文方にも任ぜられ、先任の天文方吉田秀升(よしだひでのり 1745~1802)、山路徳風(やまじよしつぐ 1761~1810)とともに改暦にあたり、『暦象考成後編』および『暦象考成上下編』に基づいて『暦法新書』を完成させました。『暦法新書』は、寛政9年(1797)改暦宣下、翌10年から施行されました。

『暦象考成後編』には日月の運行に対するケプラーの楕円軌道論があり、『暦法新書』に取り入れられています。至時は、その後もフランス人ラランドの天文書研究に没頭し、『ラランデ暦書管見』を残しました。

[伊勢度会暦]寛政10の2コマ目
[伊勢度会暦]寛政10の9コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
[伊勢度会暦]寛政10 1帖 ; 31cm×164cm
出版年 出版者 出版地
1797(寛政9年) 瀬川舎人 伊勢度会郡山田(伊勢)
注記 分類 請求記号
新城文庫所収 449.81 寄別12-6-11(27-19)

寛政の改暦後、最初の伊勢暦。前文に「順天審象定作新暦依例頒行四方遵用」とあり、新暦に基づいて作成したことを示している。

天保の改暦

寛政暦法は、中国の西洋暦書『暦象考成』を通じて間接的に西洋天文学を取り入れたものでした。高橋至時の死後、長男の高橋景保(たかはしかげやす 1785~1829、シーボルト事件で獄死)と次男渋川景佑(しぶかわかげすけ 1787~1856、天文方渋川家の養子)らによって、『ラランデ天文書』とよばれていたフランス人ラランド(1732~1807)著『Astronomie』の蘭訳書を完訳する作業が続けられ、『新功暦書』が完成します。景佑らは、これに基づく改暦の命を受け、天保13年(1842)『新法暦書』を完成させました。『新法暦書』は、同年10月改暦宣下、天保15年(弘化元年、1844)から施行されました。

[伊勢度会暦]の2コマ目
[伊勢度会暦]の8コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
[伊勢度会暦]天保15 1帖 ; 30cm×151cm
出版年 出版者 出版地
1843(天保14年) 山口右兵衛 伊勢度会郡山田(伊勢)
注記 分類 請求記号
新城文庫所収 449.81 寄別12-6-11(31-20a)

天保の改暦後、最初の伊勢暦。前文に、改暦の理由、暦号の由来などが記されている。

明治の改暦

明治維新(1868)によって樹立された明治政府は、西洋の制度を導入して近代化を進めました。その中で、暦についても欧米との統一をはかり、明治5年(1872)11月、太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦を発表しました。これによって明治6年(1873)から、太陰太陽暦に替わり現在使われている太陽暦が採用されたのです。

準備期間がほとんどなく、本来ならば明治5年12月3日が、新しい暦では明治6年1月1日になってしまったので国内は混乱しましたが、福沢諭吉などの学者は合理的な太陽暦を支持し、普及させるための書物を著しています。

現在私たちが使っているカレンダーは太陽暦によるものですが、その中にも大寒、小寒など古来から太陰太陽暦で使われた季節を現わす言葉(『暦の中のことば』のコーナーを参照)が残っています。毎年毎年新しくなる暦ですが、人間の歴史と文化がその中に刻みこまれているといえるでしょう。

太陽暦の3コマ目太陽暦の2コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
太陽暦(明治6年(1873)) 1冊 ; 22cm×15cm
出版年 出版者 出版地
1872(明治5年)
注記 分類 請求記号
新城文庫所収 449-81 寄別12-6-28

改暦最初の太陽暦。前文に太陽暦の原理と定時法の説明がある。突然の改暦のため、明治5年末までには行きわたらなかった。神武天皇の即位から年を数える皇紀(明治6年は紀元2533年)が入り、上欄には歴代天皇の祭典等が記載されている。