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6-8 日ソ交渉と鳩山内閣
鳩山首相とブルガーニン首相の日ソ共同宣言調印 『昭和 二万日の全記録』第11巻所収
鳩山内閣の重要課題である日ソ国交回復は、昭和31(1956)年7月に重光葵外相がモスクワで交渉を再開したが、領土問題に関するソ連側提案をめぐり中断。また党内の旧吉田派は早期妥結に反対し、鳩山訪ソにも反対の態度の声をあげていた。10月7日鳩山ら全権代表団はモスクワへ出発、19日日ソ共同宣言が調印され国交が回復された。
掲出のメモは、当時、自民党参議院議員会長の野村吉三郎が、鳩山邸における政府与党首脳の鳩山訪ソをめぐる協議の模様を記したものである。
一方、吉田茂の林宛書翰では、吉田派の脱党を期してまで鳩山訪ソを阻止しようとする吉田の強い意思が表われている。
[日ソ交渉関係メモ]
- 昭和31年9月3日〜12日
- 野村吉三郎関係文書 921
- 国立国会図書館
吉田茂書翰 林譲治宛
- 昭和31年9月25日
- 林譲治関係文書 34-15
- 国立国会図書館(寄託)