ホーム > 第3章 大正デモクラシー : 概説
概説
衆議院門前に集まる群集 大正2年2月5日 『目で見る議会政治百年史』所収
第2次西園寺内閣の後を継いだ第3次桂内閣は、桂が大正天皇の内大臣兼侍従長であったことから、宮中府中の別を乱すとして議会内外の批判を受けた。憲政擁護運動に対抗し、桂は新政党の組織を企てたが内閣は総辞職。しかし桂の新党計画は立憲同志会となって結実し、後の二大政党による政党内閣への道を開くこととなった。
軍部大臣現役武官制の改正を手がけた山本内閣がシーメンス事件で倒れると、元老らの支持もあり、立憲同志会を与党とする第2次大隈内閣が成立した。
史料と解説
第一次世界大戦の激戦地ベルギー・イープルの廃墟 大正年間 『ドキュメント昭和 1』角川書店 所収
第1次世界大戦が勃発すると、第2次大隈内閣は日英同盟を理由に参戦する一方、中国へはいわゆる21カ条要求を突きつけるなど権益の拡大を図った。大戦末期にはシベリア出兵がきっかけとなり米騒動が起こり、指導層に衝撃を与えた。
大正8(1919)年に開かれたパリ講和会議では、べルサイユ条約が締結され、国際連盟の設立が決定された。ベルサイユ体制と呼ばれるこれらの国際安全保障体制と、その後のワシントン会議で締結された諸条約によって、戦後秩序の枠組みが成立した。
史料と解説
大正7(1918)年に立憲政友会総裁の原敬が初の本格的政党内閣を組織したが、原が暗殺されると政友会は分裂し、「中間内閣」が続いた。清浦奎吾が超然内閣を組織すると、第2次憲政擁護運動が起こり、憲政会総裁の加藤高明を首班とする連立内閣(護憲三派内閣)の成立を見た。大正14(1925)年、いわゆる普通選挙法が成立し、以後、政友会、民政党(同志会・憲政会の後身)が交互に政権を担当する政党内閣の時代を迎える。
史料と解説
3-8平民宰相
- 政治日誌 壱巻
3-9普選運動
- 全国普選連合会決議
3-10政友会内閣
- [松本剛吉電報 平田東助宛]
- [首相就任演説稿]
3-11関東大震災
- 大正十二年日記
3-12第2次護憲運動
- 清浦内閣成立ノ顛末
3-13男子普通選挙法の成立と治安維持法
- 三派普選委員会決定案
- 治安維持法閣議決定書
3-14第1回普通選挙
- [立憲民政党関西大会演説要旨]
- 政友会の主要政策
- 普選に臨む立憲民政党の主義綱領
- 選挙の心得
- [選挙ポスター(内務省、立憲民政党、立憲政友会、社会民衆党、麻生久、大山郁夫)]
3-15無産政党の叢生
- 日本労農党第一回全国大会提出本部議案及報告
3-16浜口内閣の成立
- 日記
3-17ロンドン海軍軍縮条約
- 倫敦会議ニ於ケル我最終態度決定ノ顛末
- 幣原喜重郎書翰 牧野伸顕宛
- 乞骸始末
3-18浜口雄幸襲撃事件
- 第五九回議会議場日誌