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3-6 米騒動
神戸の鈴木商店焼払わる 大正7年8月12日 『画報近代百年史』4所収
シベリア出兵を見越した地主、米穀商の思惑買いから米価が騰貴し、人々の生活を圧迫した。そうした中、大正7(1918)年7月に米騒動が富山県で勃発し、瞬く間に富山湾沿岸一帯に広まった。さらに、8月に入り、こうした事態が新聞で全国的に報道されると、騒動は急速に全国に波及した。
当時、寺内内閣の逓信大臣だった田健治郎の日記には8月12日に神戸市で「米暴動」が起き、鈴木商店、神戸新聞社などが焼き打ちされたこと、そうした事態の急迫を受け、寺内首相と田が対策を協議したことなどが記されている。
米騒動で内閣の受けた衝撃は大きく、すでに春頃から病気のため辞意を漏らしていた寺内首相は、騒動の終息後間もない9月21日に退陣した。
大正七年日記
- 大正7年8月13日
- 田健治郎関係文書 24
- 国立国会図書館