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第4章 立憲政治の危機

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a. 政党内閣の終焉

4-1 満洲事変

奉天内城小西門上の日本軍 『満洲事変写真帖』所収
奉天内城小西門上の日本軍 『満洲事変写真帖』所収

昭和6(1931)年9月18日夜半、奉天(現在の瀋陽)郊外にある柳条湖で満鉄線路が爆破された。これは満洲(中国東北部)への武力進攻を計画していた関東軍将校による謀略であった。元老西園寺公望の秘書である原田熊雄は、事変を知った若槻礼次郎首相の動揺、またその後の内閣、宮中などの動静を克明に記している。内閣は直ちに事変の不拡大方針を決めたが、関東軍の進攻は拡大を続けた。事態の打開を企図した民政党と野党政友会の「協力内閣」構想は、思惑が交錯してかえって政局の紛糾を招いた。その結果若槻内閣は瓦解し、幣原喜重郎外相による協調外交は挫折した。翌年日本は関東軍の樹立した傀儡国家「満洲国」を承認し、昭和8(1933)年国際連盟を脱退、国際社会の中で孤立を深めていった。

陸軍軍縮と西園寺公 [1] 第11回(ハ)~(ヘ) [原田熊雄日記]

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