参之巻 エンタメ忍者とホンモノ忍者、ここが違う!

なんと、ここまでちゃんとついてくるとは、やっぱり天才やわ!参之巻では、エンタメ世界の忍者とホンモノの忍者の違いについて知ってもらうで。疲れてるかもやけど、大切なところなので心してかかるで!

忍者の装束

ここまでに紹介した忍者たちの中には、忍者のトレードマークともいえる黒装束姿ではない者が含まれています。忍者は元々、私たちが想像するような特徴的な黒装束ではありませんでした。目立たないことを信条とする忍者が、いかにも忍者ですといわんばかりの黒装束では、かえって目立ってしまい、本末転倒です。

北斎漫画

北斎漫画に描かれた黒装束の忍者

黒装束の忍者は、歌舞伎や浄瑠璃など演劇から広がったと考えられています。演劇では、小説のように、この人は忍者ですと文字で説明することができません。黒装束は、直ちにその人物が忍者であることがわかるようにする演出上の工夫だったと考えられています。その後、文芸作品の中にも黒装束の忍者が広がっていきました。

絵本太閤記
黒装束の木村常陸介(絵本太閤記)

本朝廿四孝 上
黒装束の山本勘助(本朝廿四孝)

それでは、ホンモノの忍者の服装は何色だったのでしょうか。『正忍記』によると、茶色、柿色、黒色、紺色を着ることとされています。これらは、当時としてありふれた目立たない色でした。
服装といえば、色だけでなく、格好も重要です。『正忍記』には、「七方出(しちほうで)」という忍者の変装術に関する記述もあり、(1)虚無僧、(2)出家、(3)山伏、(4)商人、(5)放下師(曲芸師)、(6)猿楽師、(7)常の形(普段の格好)の7つがよいとされています。

和国諸職絵尽

忍者にふさわしい格好のうちの一つ、猿楽師

これらにはいずれも、人に近づいても怪しまれないという共通点がありました。目立たず、人に近づきやすい服装というのが、忍者にふさわしい服装だったようです。

正忍記

「正忍記」が推奨する忍者の服装の色(左)と格好(右)

手裏剣

忍者が使う武器や道具を「忍器」(又は「忍具」)といいますが、数多くの忍器の中でも、最も知られているのが手裏剣です。今では手裏剣を見ると反射的に忍者を連想するほど、手裏剣=忍者の図式が出来上がっているといってもよいでしょう。

石川五右衛門・大願久吉

石川五右衛門が投げた手裏剣を柄杓で防ぐ真柴久吉(羽柴秀吉)。歌舞伎『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』の見せ場です。

それでは、忍者はどのように手裏剣を使ったのでしょうか。実は、この問いに答えるのは非常に困難です。というのも、これまでに見つかっている忍術書には、手裏剣に関する記述がなく、忍者が手裏剣を使った記録が見当たらないからです。
武芸の一種としての手裏剣術は、伊賀流や柳生流(やぎゅうりゅう)など、流派ごとに伝えられており、手裏剣そのものは実在しましたが、それらは武士が使うものでした。忍者も手裏剣を使用していた可能性は否定できませんが、むしろ、手裏剣は通常の忍器として認識されておらず、忍者との関連性は薄かったことがうかがえます。

その一方で、江戸時代の演劇や文芸作品には、手裏剣を使う忍者が登場します。手裏剣=忍者のイメージは、歌舞伎などのエンタメ世界の忍者から定着していったと考えられています。ただし、ここで使われている手裏剣は、棒状であり、私たちが見慣れた平らな形状の手裏剣ではありません。
戦前までは、手裏剣といえば棒状の手裏剣の方が知られており、平らな形状の手裏剣は藤田西湖の著書などにより、ようやく知られるようになってきたところでした。戦後、平らな形状の手裏剣が様々な作品に登場するようになると、反対にそちらの方がよく知られるようになりました。

北斎漫画

江戸時代の手裏剣は、棒状の手裏剣でした。

忍術からスパイ戦へ

藤田西湖の著書で紹介された平らな形状をした手裏剣

豆知識「前」

ひょっとして、忍者と手裏剣があんまり関係ないことがわかって落ち込んでる?まあ、元気出そうや。忍者が手裏剣を使ってたかどうかは知らんけど、「まきびし」は使ってたみたいやで。まきびしというのは、忍者が逃走する時に追手を防ぐためにばらまいたとされる忍器で、手裏剣と違って、忍秘伝などの有名な忍術書でも紹介されとる。鉄製や竹製など、いろいろ種類もあったみたいやから、興味があったら調べてみてな。

キーワード「り」

忍者が結ぶ(いん)

松ケ枝的之助・仁木弾正

仁木弾正

印はいわゆる「忍者のポーズ」として有名です。

忍者は術を繰り出す前に、印を結んでいるイメージがありますが、忍術書に印の記載はほとんどなく、後の章で紹介する忍術書『万川集海』に一か所あるだけとなっています。それも、身を隠すときに、印を結びながら「ヲンアニチマリシエイソワカ」と唱えるとよいとあるだけで、つまり心を落ち着ける精神統一の方法として紹介されているにすぎません。

万川集海

身を隠すときに印を結びながら「ヲンアニチマリシエイソワカ」と唱えよ、と書いてあります。

忍者が使う印とよく一般的に紹介されるものとして、「九字護身法(くじごしんぼう)」があります。「臨、兵、闘、者、皆、陣(陳)、列(裂)、在、前」の九字を両手の印で表現してから、刀印を結んで九字を唱えながら印を切ります。これは真言密教に由来し、修験者たちも行っていたもので、9つの文字にはそれぞれ神仏の意味があります。

九字護身法

印を結ぶことは、緊張と眠気を減少させ、ストレスに対して柔軟になる、という研究結果も出されています。試しに結んでみるのもいいかもしれません。

くノ(いち)

男性の忍者と同じように敵方に忍び込み、立ち回りを演じる女性の忍者「くノ一」。くノ一は、これまで多くの小説、映画、テレビドラマ、漫画などに登場し、人気を博してきました。
「女」の字を3つに分解するとくノ一となるように、元々は女性を指す隠語でした。女性の忍者を指す呼称として一般化したのは、戦後になってからといわれています。1960年代以降、多くの作品の中で女性の忍者が活躍するようになり、女性の忍者=くノ一という用法が広まっていきました。特に、山田風太郎(1922-2001)の忍法帖シリーズの影響が大きかったとする説があります。
それでは、くノ一は、実在したのでしょうか。『万川集海』の巻八には、「くノ一の術」に関する記述があります。これは、男性では敵方への潜入が難しい場合に、「三字を一字としたるもの」(くノ一)、すなわち女性を代わりに潜入させる術のことを指しており、女性の忍者に関する記述ではありません。
残念ながら、私たちがイメージするようなくノ一が実在したという記録は、今のところ見つかっていません。

万川集海

『万川集海』に記述されている「くノ一の術」

豆知識「者」

「忍術市長」として有名になった奥瀬平七郎は、元々上野市(現伊賀市)の職員やったんや。昭和27(1952)年に上野市で開かれた世界子ども博で「忍術ふしぎ館」を企画したり、36(1961)年に忍術館(現伊賀流忍者博物館)をオープンさせたり、38(1963)年に「忍術まつり」(現伊賀上野NINJAフェスタ)を始めたりして、市長になる前から忍者観光の基礎を築いていったんやで。ちなみに、「忍術ふしぎ館」は世界子ども博の目玉施設で、実際に忍術の実演が行われたんやけど、誰が実演したと思う?なんと、あの藤田西湖や。「甲賀流忍術十四世」の藤田が、伊賀の忍者観光に一役買ったというわけやな。

キーワード「に」

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