化粧品広告のデザインやキャッチコピーからは、化粧品の様々な効果や当時理想とされた顔のイメージが伝わってきます。以下では、明治後期~昭和中期の雑誌に掲載された化粧品広告の一部を紹介します。
このころ、広告はまだ白黒印刷であり、広告文は文語体、モデルは和服姿でした。当時の人々は美白を追求していたのでしょうか。「肉體色白新劑」の広告文には、商品を使用すれば、男女共に肌が白く美しくなり、きめも細やかになると書かれています。
二色・三色刷りの広告が現れ、カタカナ交じりの商品が増えました。「ヲイテルミン」の広告は、当時鉛中毒の問題が認識されていながらも依然として鉛白粉が使用されていたことを示しています。
広告文では依然として白肌が強調されていますが、より成分や効能に言及するようになりました。また、鉛中毒の危険性が広く認識されてきたのでしょうか。御園白粉をはじめ、無鉛を謳う広告が登場しました。
絵画調のタッチが特徴的なクラブ白粉、有名デザイナーやハリウッド女優を起用するヘチマコロン(画像掲載なし)など、視覚的に訴える広告が増加しました。
昭和初期の近代化政策に伴い、「健康美」が重要視されるようになると、化粧品においても「青春」「健康」「爽やか」など、若々しさをアピールする商品が増えてきました。
戦前・戦中期に入ると、健康美や日本人の美しさを称える広告が増すとともに、「銃後」「戦場」など物々しい文言が並ぶようになりました。
戦後には再び、欧米人や英語を全面に出した広告が登場します。
戦前は、白粉を中心としたベースメイクの広告が多く見られましたが、戦後は、口紅をはじめとするポイントメイクの広告が増加しました。流行色を打ち出した広告や海外製を強調するキャッチコピーが特徴的です。また、「マダムジュジュ」のような年齢化粧品も現れました。
カラーテレビが登場したこの頃、広告はより鮮明になり、化粧品自体のカラーバリエーションも増えました。1964年7月には、東京オリンピックにちなんだ広告も見られます。
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参考文献