マラリアは、熱帯熱マラリア原虫、三日熱マラリア原虫、卵形マラリア原虫、四日熱マラリア原虫という4種のマラリア原虫によって引き起こされる病気です。マラリア原虫はハマダラカによって媒介され、人から人へと感染します。マラリアの症状の特徴は、規則的な間隔で発熱の発作が起こることです。マラリア原虫に対するワクチンはありませんが、キニーネ、クロロキンなどの治療薬が存在します。
現在、日本国内でマラリアに感染する機会はほぼないと言ってよいでしょう。ただし、WHOの推計によれば、2010年に全世界では約2億1600万人が新たにマラリアを発症し、約65万5千人が死亡しており、強い感染力を持った感染症であり続けています。マラリアが蔓延している地域に行き、そこでマラリアに罹患した人が国内にマラリアを持ち帰る、輸入感染症と呼ばれる問題は他人事ではありません。
現代の日本においては、マラリアはさほど身近な病気ではありません。しかし古典文学の世界では、瘧はしばしば現れます。
平家物語で記される平清盛の最期も、「身の内の熱き事、火を焚くが如し」と熱さに苦しむ様が描写されています。病名がはっきり記されているわけではありませんが、この病状から、清盛もまた瘧にかかったと考えられています。
明治から昭和初期にかけて、国内においてもマラリアが流行することはありましたが、昭和10年までに沖縄や滋賀(特に湖東の湿地帯が多い地域)など一部の地域を除き、流行状況は見られなくなります。その後、第二次世界大戦後に東南アジア等から復員した兵士により、再びマラリアの脅威にさらされることになりました。
俘虜記 / 大岡昇平著 東京 : 創元社, 1949 【a913-1237】
作者自身の体験を基にした、第二次世界大戦に従軍した兵士を主人公とする小説です。フィリピンのミンドロ島に移動した部隊に、マラリアが襲いかかります。小説の主人公もマラリアに罹り、隊から離れ、単身米兵と茂み越しに直面する事態に陥ります。
再発マラリヤの予後及び治療 / 小田俊郎著 東京 : 日本医書出版, 1947 【493.88-O219s】
第二次世界大戦後、多くのマラリア罹患者が国内に引揚者として帰って来ました。『再発マラリヤの予後及び治療』は、引揚者自身が罹っているマラリアへの対処法について記されたものです。この本が出版された1947年には、このような内容の図書への需要があったということでしょう。一方、「戦後マラリアの流行学的研究」は1952年に、当時までの引揚者由来のマラリアの流行状況について回顧したものです。結果的には「戦時中からあれほど心配されていた莫大な外地帰還者のもたらす輸入マラリアは、終戦後五年もたたない中に全く影をひそめてしまった」と述べられているように、早い時点で引揚者由来のマラリアは終息に向かったようです。
沖縄の特に八重山諸島においては、現地で「フーキ」と呼ばれたマラリアが長きにわたり猛威をふるいました。明治以来、八重山のマラリアに対する調査や、マラリア撲滅に向けた取り組みが行われましたが、根絶には至りませんでした。戦時中には、沖縄戦に備えて住民が軍命で山岳地帯に避難し、非衛生的な環境におかれ雑居状態で過ごしたため、新たに大量のマラリア罹患者が出て、これは「戦争マラリア」と呼ばれています。戦後の米軍統治下において、アメリカ406医学総合研究所のウィラー博士の指導のもと、DDT屋内残留噴霧を行ったことで、1960年代に八重山の土着マラリアは根絶されます。
八重山群島風土病研究調査報告 / 三浦守治, 三角恂 (官報 第3556号-第3574号 1895年5月10日-1895年5月31日 【YC-1】
1894年、帝国大学医科大学教授の三浦守治は、文部省の命をうけて、助手の三角恂とともに八重山の風土病調査を行いました。明治政府が行った、初めての本格的な調査でした。その時の調査報告が翌1895年5月の官報に掲載されました。風土病感染者の統計や病状についての報告や予防策の案などが記されています。その報告は、官報だけでなく多くの医学雑誌に掲載されるとともに、同年7月に医科大学病理学教室から『八重山群島風土病研究調査報告』(1895 【40-195】)として出版されてもいます。また、この時点では「本項ニ就キテハ他日更ニ報告スヘシ」とされていた病原については、同年11月の『官報』第3706号で追加報告がなされています。
八重山のマラリア撲滅 : 随筆あの日あの頃 / 大浜信賢著 石垣 : 大浜信賢, 1968 【US41-283】
戦後沖縄の八重山民政府衛生部長となり、マラリア撲滅を推進した大浜信賢の著した回想記です。マラリアの歴史や八重山におけるマラリア研究の歴史について述べた文章や講演録、マラリア撲滅機構の実績を記すもの、と内容は多岐にわたります。実際にマラリア撲滅に尽力した人物の記録として興味深いものがあります。また、定価が1.7ドルと記されており、出版年の1968年時点において、いまだ沖縄が本土復帰していないということを意識させられます。
インフルエンザは、インフルエンザウィルスによって引き起こされる病気です。インフルエンザウィルスは空気感染します。1918年に世界的に流行したものは「スペイン風邪」の名で有名で、その際は、全世界で約6億人が感染し、死亡者数は約4000万人から5000万人とされています。
症状の特徴は、急激に高熱になり、悪寒・頭痛・筋肉痛・関節痛など全身症状が強く出る、という点にあります。従来はインフルエンザウィルスに直接効く薬がなかったため、感染しても、熱を下げる等の対症療法以外ありませんでした。ここ10年ほどは、治療薬として、タミフルなどの抗インフルエンザ薬が用いられるようになりましたが、発症後早期に服用する必要があります。
日本では、1890年を皮切りに、1918年(スペイン風邪)、1957年(アジア風邪)、1969年(香港風邪)などの流行をみました。1890年の流行時には明治天皇の側近であった元田永孚や明治新政府で太政大臣をつとめた三条実美が亡くなるなど、著名な人物もなくなっています。ただし、被害の規模が最大だったのはやはりスペイン風邪でした。
日本を襲ったスペイン・インフルエンザ / 速水融著 東京 : 藤原書店, 2006 【GB481-H23】
歴史人口学者の速水融が各地の新聞や統計データを基に、流行の実態をまとめた本です。海外における発症の起こりから、日本での前流行(1918年秋~1919年春)及び後流行(1919年秋~1920年春)の感染状況について、地方ごとにまとめられています。また、軍艦「矢矧」における感染の状況や相撲協会・企業への影響など、個別のエピソードも紹介され、スペイン風邪の実態を知ることができます。
流行期の医師を取り上げた風刺画です。インフルエンザの流行で大忙しの医師が、マスクで顔を隠して芝居見物を行っています。最後のコマの「これを使ツて顔を隠せば風除けの効能はあるかないか知らぬが、患者除けには大丈夫だ」というセリフからは、効果のほどは不確かと見る向きもありながら、マスクという対策法が一般に知られていたことが窺えます。
インフルエンザが流行ると、その予防・治療に効果があると称して、商品の広告がなされました。新聞から広告をいくつか紹介します。
インフルエンザ対策に、として萬珠堂のポンスが宣伝されています。『東京模範商工品録』(1907 【34-296】)によればこの「ポンス」はポン酢ではなく、萬珠堂の店主吉田安五郎が発明したもので「固有の香気と佳良なる好味」をもち、「就中窒扶斯、流行性感冒、麻疹等の如き総して熱ありて渇するものに飲用せしむれば甚だ有効なり」とされていますが、予防にはどれほど効果があったのでしょうか。
就寝前に枕に「リウメキス」を振りかけることで、インフルエンザの予防ができるとされています。
この「リウメキス」、1931年10月5日に読売新聞に掲載された広告では、「朗らかな近代的保健吸入料」という謳い文句で売り出されています。薬の説明にも「嗅ぐだけで 只嗅ぐだけで 疲労と倦怠を去り 精神を爽かに 頭脳を明快にする 近代人のマスコット」とあり、病気の予防というよりは、香りを嗅いで気分をリフレッシュさせることが主たる用法だったように見えます。
上に見たような、各社による商品宣伝の広告だけでなく、政府としても流行を防ぐための宣伝を行いました。インフルエンザの病因としてインフルエンザウィルスがまだ知られていない時期ですが、マスクとうがい、予防注射など、対処法として今と大きくは変わらないものが挙げられています。
いずれも内務省衛生局編『流行性感冒』(1922 【14.6ハ-150】)より。この本は、猛威をふるったスペイン風邪への対応の経験からまとめられたもので、患者数の統計なども載せられています。
ここ数年、新型インフルエンザが話題にのぼっています。2009年には、豚由来の新型インフルエンザ(H1N1亜種)が流行しました。その時は、幸いにも日本では大量の死者が出るには至りませんでしたが、また次の大流行がいつ来るかは、予断を許さない状況です。特に、2009年の流行以前に強く警戒されていた、H5N1型新型インフルエンザ(いわゆる「鳥インフルエンザ」)は、今でも消えてなくなってはいません。ヒトからヒトへの感染能力を獲得し、広範囲に拡大し、その強い毒性で多くの人を死に至らしめる潜在的な脅威であり続けています。
毒性別 新型インフルエンザ対策 完全マニュアル / 岡田晴恵著 東京 : ダイヤモンド社, 2010【EG244-J130】
鳥インフルエンザ(H5N1)と2009年に流行した新型インフルエンザはどう異なるのか、そして今後の備えはどうすべきかを記した本です。2009年の新型インフルエンザは、流行はしたものの弱毒性のため、被害はそこまで拡大しませんでしたが、強毒性の鳥インフルエンザが感染力を強めた場合、それとは比較にならない被害が出るようです。しかもそれはいつ起こってもおかしくないことであるという事実に直面させられます。
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参考文献