第2章 芸術
3. フランス音楽の受容
幕末にフランスの軍楽が伝えられ、日本におけるフランス音楽の受容が始まった。御雇外国人シャルル・ルルー(1851-1926)は、軍楽隊におけるフランス式音楽教育の基礎を築いた。軍楽隊は、日比谷公園での野外演奏を通じて一般民衆にもフランス音楽を楽しむ機会を与えた。その一方で、音楽教育の中枢にあった東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)では、ドイツ音楽が重視され、アカデミズムにおいてはフランス音楽は軽視される傾向にあった。しかし、クロード・ドビュッシー(1862-1918)に代表される印象主義音楽が登場すると、永井荷風(1879-1959)、内藤濯(1883-1977)、島崎藤村ら一部の文学者から熱烈な支持を受けた。音楽評論家・大田黒元雄(1893-1979)も、文筆活動やコンサート事業を通じてフランス音楽の普及に貢献した。
陸軍軍楽隊の音楽教育
エル・マイユール(村越銘訳)『サクソホーヌ実科大全書訳文』毎日新聞社【20-9】
慶応2(1867)年末に来日した第1次フランス軍事顧問団がラッパの伝習を始め、軍楽隊は日本におけるフランス音楽受容の拠点となった。明治に入り、海軍の兵式は英国式に定められたが、陸軍では継続してフランス式ラッパ信号が用いられた。本書は、フランスをはじめ欧米各国での正式な出版に先立ち、部分的ながら日本で翻訳が刊行され、教則本として軍楽隊で使用されたもの。原著者ルイ・アドルフ・マイユール(1837-1894)はサキソフォーン演奏の大家で、パリオペラ座、ギャルド・レピュブリケーヌなどでクラリネットとサキソフォーンの首席奏者を務めた人物である。訳者の村越銘(生没年不詳)は、この頃刊行されたフランス音楽書の翻訳をいくつか手掛けている。
音楽社編輯局編『扶桑歌』音楽社出版部, 1912【特279-258】
明治18(1885)年に陸軍軍楽隊教官シャルル・ルルーにより作曲された吹奏楽曲《扶桑歌》は、同35(1902)年に日本陸軍の観兵式分列行進曲に定められた。同曲は、フランスでも吹奏楽及びピアノ独奏版の楽譜が刊行されている。ルルーは、同17(1884)年に第3次フランス軍事顧問団の一員として来日した。教育軍楽隊を編成し、音楽理論、ソルフェージュ、写譜、各種楽器の実技など体系的な基礎訓練を行った。日本滞在中に東洋音楽の研究も行い、フランス帰国後に発表したLa musique classique japonaise【780.952-L618m】は、フランスで最初の雅楽研究書と言われる。陸軍軍楽隊でルルーの指導を受けた永井建子(1865-1940)は、同36(1903)年フランスに留学し、ルルーが隊長を務める陸軍歩兵第98連隊軍楽隊で修業した。帰国後、陸軍戸山学校軍楽隊長に就任し、同隊の充実に力を尽くして名隊長とうたわれた。
印象主義音楽の受容
永井荷風「西洋音楽最近の傾向」(『早稲田文学』[第2期](35)pp.1-21【雑8-40】)
音楽愛好家を自任する永井荷風は、フランス滞在中、足繁く音楽会に通い、最新の音楽に親しんだようである。明治41(1908)年10月の『早稲田文学』に掲載された本記事では、当時最先端の作曲家としてドイツのリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)とフランスのドビュッシーを対比して論じ、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の後継者たるシュトラウスの天才を称えつつ、ドビュッシーを「欧州全体の音楽界が其の日までは聞いたことのない新しい音楽」を生み出したと評価している。
日本初のオペラ
小松耕輔『歌劇羽衣』修文館, 1906【特67-253】
小松耕輔(1884-1966)は、明治から昭和にかけて活躍した作曲家、音楽評論家、音楽教育家。明治39(1906)年、山田源一郎(1870-1927)、小林愛雄(1881-1945)と共にオペラ研究を行う「楽苑会」を組織し、日本初の本格的オペラ《羽衣》を作詞・作曲した。本書は、そのピアノ譜であり、源高湛(森鷗外)の序文が付されている。同41(1908)年に雑誌『音楽界』【雑35-5】の編集主事となった小松は、大正9(1920)年から1年間の外遊中にパリ音楽院で作曲を学んだ。ドイツ音楽こそが本格的な音楽であるという風潮が強かった音楽家の中では、かなり早い時期からフランス音楽にも注目しており、著作に『現代仏蘭西音楽』【564-90】がある。
むすんでひらいての変転
文部省音楽取調掛編『小学唱歌集. 初編』文部省, 1881【767.7-M753s】
ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)作曲(異説もある)の童謡として広く親しまれている《むすんでひらいて》は、元は讃美歌として日本に伝わった。文部省音楽取調掛が編集した本書では、《見渡せば》のタイトルが付されており、初等教育の場で歌われる遊戯歌として普及した。さらに、明治28(1895)年に刊行された軍歌集『大東軍歌』【45-189】には、「見渡せば、寄て来る…」の歌い出しで始まる《戦闘歌》という曲が収載されているが、これも同じ旋律を用いている。