三井物産鈴木董出品の広幅織機

『明治十年内国勧業博覧会出品解説』 10冊 (1878)

解説

ウィーン万博の時期、西陣の職工佐倉常七らがフランスのリヨンで織法を学び、持ちかえった織機を京都府勧業場に設置したのが、日本におけるジャガード機の始まりである。1876年に西陣の職工竹内作兵衛と村山常吉がそれを真似て、広幅の帛(きぬ)を織り出し、紋が一楽編に似ていることから一楽織と称した。
従来は、高いところから職工が経糸(たていと)を操作することで紋様を織っていたが、ジャガード機は紋紙と呼ばれるパンチカードで定義するため、操作が容易である。鉤状の針金が多数あり、紋紙の穴のあいた箇所に相当する針金だけが下に降り、経糸を自動で引き上げる仕組み。
図で見ると、上部の箱が紋紙をセットする装置で、キャタピラのように手前にのびているのが連なった紋紙。この機械では、職工は箱とつながっている下の踏み木を踏んで紋紙を変えればよい。会場では、幅6尺に唐草を織り出した。其三、其四は箱の詳細。
なお、第1回内国勧業博覧会には、ほかにも荒木小兵衛が「花紋機(モンアゲキカイ)」としてジャガード機を出品している。

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