新宅隆一 「輸送監督報告」 新宅隆一関係資料 <移(三)-アルゼンチン-3−8>
目次
- 報第一号(自十一月廿八日至十二月三日 神戸、香港間)
- 報第二号(自十二月三日至十二月拾日、香港―新嘉坡《シンガポール》)
- 報第三号(自十二月十一日至十二月十六日 新嘉坡《シンガポール》―コロンボ)
- 報第四号(自十二月十六日至十二月廿六日 コロンボ、ダーバン間)
- 報第五号(最終報告)
報第一号(自十一月廿八日至十二月三日 神戸、香港間)
報第一号(自十一月廿八日至十二月三日 神戸、香港間)
昭和六年十二月三日 於香港
もんてびでお丸輸送監督
新宅隆一
海外興業会社輸送事務出張所御中
神戸出帆当日雨天にして海波稍々高かりし為船暈者を出せしも概して軽微にして嘔吐を催する者なく、翌廿九日より本日迄天気清朗にして移民一同極めて愉快なる航行を以て三日午前零時十分香港に入港せり。
十一月廿八日夜宮本事務長宍戸医局長篠原司厨長萬木・石井両監督助手等会合の上輸送日程並に根本方策につき慎重協議、トラホーム患者の船内に於る徹底的治療並に船内発生の予防及びこれら、腸ちぶすの予防に万全の策を講じ以て完全に目的地に到達せしめんことを期し、船内生活は平和と愉快を旨とし監督取締の如きは厳に失せず寛に流れざる程度にて自治生活に俟つこととせり。
十一月廿九日午前九時より移民全部に対して検眼を行ひ総数五十七名(内男廿七名女卅名)のトラホーム患者、二名の結膜炎患者を発見せるも概して軽症者多く十二月一日より洗眼を行ひつつあればサントス入港迄には治癒の見込なり。
二名の扁桃腺炎ある外特殊患者の発生なく衛生状態は概ね良好なり。
十一月三十日に腸ちぶす十二月二日にこれらの各第二回予防注射を完了せり。
十一月廿九日家長会議、同卅日青年団発会式を挙げて各室家長代表正副青年団長以下記録、教育、運動娯楽、風紀、衛生、配水の各係役員等の選定を視て今や船内自治生活の陣容整備して新聞の刊行(十二月一日より)小学校開校(十二月二日)国民体操開始(十二月二日より)其の他各般の実際的活動をなしつつあり。
十二月一日家長代表の協議会開催の上宮本事務長より十四項に亘て周到なる諸注意を受くるところあり、また同日、海興寄贈の団扇、日伯協会寄贈の手拭並に書籍雑誌等の配布を完了せり、風紀上の問題もなく別段移民より不平の声も耳にせず今日迄の輸送経過は極めて良好なり。
以上の如くなれば今後細心の注意と周到なる活動に努むる時は不可抗的災難の生ぜざる限りに於てさしたる故障もなく目的地に到達し得るものと信じ且つ努力せんとす。
大阪商船会社支店に対して香港上陸の可否につき問合せ協議の結果、日・支問題紛糾の折柄にて上陸は身辺危険なるを以て絶対に禁止することとせり。またパイナップル及びコンデンスミルクの船上販売を厳禁、風紀、衛生係員の活動に依て適当の取締をなしつつあるを以て香港碇泊中恐らくは事故を生ずるが如きことなくして明四日午出帆し得らるるものと信ず。
(十二月三日午前十時記す)
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昭和六年十二月三日
新宅隆一
海外興業会社神戸出張所御中
謹啓 益々御清祚為邦家奉賀上候
別紙報第一号正副二通同封御送付申上候間何卒御検読成被下度
奉願上候 拝具
報第二号(自十二月三日至十二月拾日、香港―新嘉坡 )
報第二号(自十二月三日至十二月拾日、香港―
昭和六年十一月廿八日神戸出帆もんてびでお丸輸送監督報告(於
監督 新宅隆一
海外興業株式会社御中
十二月四日香港出帆仝月七日
本船出帆以来衛生保健には特別の留意を払ひ船医、医局員と協力の上死亡者は壹名も出さずして目的地に到達すべく努めつつありしに今壹名の死亡者を出せるは実に遺憾至極なり。今後に於る航海には一層の注意をなす考なり、トラホーム患者治療の成績良好、腎臓炎一名、脚気一名外特種の患者なく麻疹の発生をも見ず、風紀上に於ても概して良好、毎日朝夕二回行える国民体操は非常に旺んにして外人一等船客も賞賛せる程なり[。]今回の移民はその質一般に良きため現在迄の処食事その他待遇上の不平もなく極めて平和裡にあり、当
(十二月拾日午後五時記す)
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昭和六年十二月拾日
於シンガポール
新宅隆一
海外興業株式会社御中
謹啓 御社益々御隆盛の段為邦家奉賀上候
陳者別紙報告書第二号、輸送監督日誌各正副弐通並に中畑田鶴子死亡
診断書壱通及船内新聞御送付申上候間何卒御検閲成被下度奉願上候
尚輸送上改善を要すべき点その他の意見書は『サントス』到着後一括して
御送付申上可候
右要用のみ如斯御座候 拝具
報第三号(自十二月十一日至十二月十六日 新嘉坡 ―コロンボ)
報第三号(自十二月十一日至十二月十六日
昭和六年十一月廿八日神戸出帆もんてびでお丸輸送監督報告(於コロンボ)
監督 新宅隆一
海外興業株式会社御中
風紀の取締上に於ける報告特殊的のことなし
教育は小学校、日曜学校、ブラジル語講習会等の設けによりそれぞれ適当になしつつあり、小学児童の出席稍々減少の傾向ある外成果見るべきものあり、運動は毎日朝夕二回の国民体操、柔道、剣道等極めて盛に行はれ、娯楽会一回子供
今日迄のところ大体に於て移民一同平和愉快の中に航行を続けつつありと言ひ得らるるは極めて幸なり。
(十二月十五日午後二時記す)
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昭和六年十二月十五日
於コロンボ港
監督 新宅隆一
海外興業株式会社御中
謹啓 貴社益々御隆盛の段奉賀上候
却説別紙報告書輸送監督日誌各正副弐通並に船内新聞
同封の上御送付申上候間何卒御検閲成被下度候
拝具
報第四号(自十二月十六日至十二月廿六日 コロンボ、ダーバン間)
報第四号(自十二月十六日至十二月廿六日 コロンボ、ダーバン間)
昭和六年十一月廿八日神戸出帆もんてびでお丸輸送監督報告(於ダーバン)
監督 新宅隆一
海外興業株式会社御中
十二月十七日コロンボ港出帆仝廿八日午前十一時当ダーバン入港迄の十二日間の長航中十二月十九日に赤道祭二十日夜活動写真、廿一日夜演芸会、廿三日に運動会、廿五日に相撲大会、廿七日に囲碁・将棋大会等の各種催物をなし体育慰安等に資するところあり、運動会直後急性結膜炎患者約廿名を出せる外催物に依る事故なく移民一同満足せり、
拾二月拾六日発病せる木尾福子(十一ヶ月)は腸炎にて廿六日午後六時廿分死亡、廿七日午後十時水葬に附せり、
神戸出帆直後に行える検眼に依るとらほーむ患者その後の治病成績は良好にして快癒せる者も相当あれ共万全を期する為引続き治療(洗眼)中なり、
神戸出帆後二名の死亡者を出せるは遺憾に堪えざる処なれど一般衛生状態は概して良好にして老人・子供を通じ現在の処特殊の患者なし、青年・壮年者は毎日二回行ひつつある国民体操その他適宜に運動をなし保健状態極めて良く自治機関の中心となりて常に懸命の活動をなす外炊事、食堂、甲板洗ひ等の手伝ひをなしつつある有志も多数あり。
長航に伴ふ自然の疲労気力の弛緩等により風紀を
託されたる船内給与品中玩具、菓子、団子等は大体コロンボ出帆後の催物に於て分配せしが品目・数量等極めて適当なりしものと認む
仮渡しを受たる公費支出は現在迄の処通信費四円五拾銭、香典七円、運動娯楽二拾円、教育費五円、計参拾六円五拾銭なり。
本船の一等船客外人(米国の世界一周観光団一行その他)が移民の各種催物を参観し日本人の統制規律ある船中生活に感歎し居るは喜ぶべきことと思惟す。
十二月廿五日夜行ひし日曜学校のクリスマスの祝ひには外人一同仮装して出席参観せり。
当港に於ては移民一同の検疫あり、無事通過、一般に上陸を許可せるも、トラホーム患者、並に無帽者は絶
明廿九日午前十時当港出帆ポートエリザベツに向ひ、昭和七年の元旦はケー
(昭和六年十二月廿八日午後三時記す)
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昭和六年十二月廿八日
於南阿ダーバン港
監督 新宅隆一
海外興業株式会社御中
謹啓 益々御清適奉賀上候
却説別紙報告書、輸送監督日誌各正副弐通及び木尾福子
死亡診断書一通並に船内新聞を御送附申上候間何卒
御査閲成被下渡奉願上候
右要用のみ為邦家御社の御発展を奉祈上候
拝具
報第五号(最終報告)
報第五号(最終報告)
昭和六年十一月廿八日神戸出帆もんてびでお丸輸送監督報告(於サントス港)
監督 新宅隆一
海外興業株式会社御中
一、衛生状態
十一月廿九日全員の厳密なる検眼を行ひし結果五十七名の『トラホーム』患者、二名の結膜炎患者あり之に対しては十二月一日より洗眼を行ひ経過極めて良好なりしが南阿最終の寄港地たる『ケープタウン』出帆後結膜炎患者の新発生を見るに至り一時相当に憂慮すべき状態なりしが治療に万全を期すると同時に伝染の防圧に努めしため壱月拾日に行える全員検眼には参拾六名の眼患者を視るに至る迄治癒せしめ得たり、而して以上の末治癒の眼患者には健眼者を代理せしめて『サントス』に於る検疫に臨ましめたり。
一般衛生に就ては医局並に青年団衛生係員と協議提携の上日常生活、寄港上陸地に於ける取締上遺憾なきを期せしめたり。即ち仏領西貢に於ては荷役人夫、商人その他苟も『モンテビデオ』丸に来る者に対しては全身噴
腸炎、胃腸炎、胃炎等の消化器病の発生を相当に視、然も婦女子に多かりしは、男子に比して運動不足のため消化不良を起せるものの如し、感冒患者の数亦六十名に達せるは南阿『ケープタウン』出帆後海上席に冷気を催し例年に比し気温十度の低下を示せしが為にして気候の激変に伴ふ皮膚の抵抗力の減退に起因せるものと思惟す。
幼児、子供に汗疹の発生はこれありしも幸ひにして麻疹患者はこれなかりき。
本航の衛生保健状態は眼患者を除き『サントス』着迄には全治せるもののみにして検疫に際し病床に在るが如き者なくして済めり。唯遺憾に堪えざるは中畑田鶴子、木尾福子の二名が死亡せることにして両名に対しては特に看護治療に十全の努力を払ひしも遂に及ばざりき。
二、保健、指導、教養状況
今回の移植民はその大体に於て大部分相当の教養ある者なりし為め特別に保護、指導を必要とする者なく唯高齢者には常に細心の注意と親切なる保護を与えしため罹病者なくして無事着伯せり、入院患者に対しては医局に於て治療に尽さしむる一方一日に一回の見舞は之を怠ることなく精神的慰安に努めたり、小学児童に対しては小学校を開き、日曜学校を設くる等の施設に依り教育し、葡語講習会を設け東京外語出身の大熊、萬木助手の両名を教師として予期以上の成果を収め得たり、一時船内理髪屋の話を耳にして耕地生活の実際に憂ひを抱く向の者増加せしが婦人に一回、男子に貮回伯国事情の講和をなして之を一掃せり、移民の意気沈滞には深く留意を常に払ひ船内新聞を利用し或は座談に於て士気の鼓舞に努めたり。之を要するに本航に於ては安部こと(耳及び眼の不具者)が伯国行を嫌忌するに至り或は途中自殺の懸念あるやに思はれし為特別の保護を与えし以外は極めて平穏なる船中生活を営み得られたり。
三、死亡、出産状況
死亡者貮名、(中略)中畑久太郎長女の田鶴子(八年一ヶ月)は急性肺炎にて十二月九日午前二時五十五分死亡、仝拾日午前四時水葬儀を行えり、右死亡者は移民収容所に入所中、中耳炎の手術をうけて術後の快癒を見ざる儘乗船せる為治療を施しつつありしところ香港入港前、感冒に侵されて遂に死亡するに至れり。(中略)木尾畝長女の福子(〇年拾一ヶ月)は腸炎にて十二月廿六日午後六時二十分死亡、仝廿七日午後十時水葬に附せり。右死亡者は母乳全然なく日本に在る時より豆乳を以て養育しつつありし由にて栄養極めて悪く、加ふるに船中他の母乳を与えんとせしも乳頭を吸引するの習慣なき為め授乳不可能にて遂に死を招くに至りしものなり。
出産者なし。
四、災害に対する措置状況
災害と称する程のことなかりしが財布紛失事件壱回あり、直ちに船内新聞紙上に事務長監督の名に於て拾得者は自発的に届出る様発表、尚酒保に於て金使ひ荒き人を注意せしめしが遂に拾得者を探査し得ずして終れり。被害者に対しては金拾壱円を貸与せり。
移民船室に於て発火せる事件壱件これありしも幸ひにして大事に至らずして相済みたり。この為人騒がせをしたる点については当事者同伴船長事務長に対して直ちに詫びるところありたり。
五、渡航地に於る衛生官憲の検査状況
伯国移民輸送船に乗船せしは今回が始めてなるを以て『サントス』港に於る衛生官憲の検疫の状況を従来と比較考察して報告し能はざるを遺憾とす。
今回の検疫に於て不幸四名の不合格者を出せしがこは寧ろ当然にして何等怪しむに足らず。そは神[戸]出帆直後の検眼に於て既に五十九名の眼患者を出せし程輸送当初に於て無理をせるが為なり、然りと雖も検疫は余の予想せる程厳重を極めずして寧ろ平易なりし感あり、唯右側の検疫官の検疫迅速なるに比し左側のそれが極めて遅々として進まざりしは所謂替え玉使用上相当に面喰えり、而して移民名簿の初めに単独移民ありしならんには今回の検疫も易々として無事通過せんならんと思はる、そは単独青年に健眼者多く替玉に適当せるを以て也
六、特別調査事項報告
本社より託されたる感想録用紙と共に無記名(記名の場合は得て虚偽誇大に書き易くこの弊を避けんが為め)の特別用紙を配布して調査せる事項左の如し
調査数一三五家族、四二六名
学業
学校 | 人員数 | 学校 | 人員数 |
専門学校卒業 | 八名 | 中等学校卒業 | 四一名 |
植民学校卒業 力行会出身 植民同志会 |
二六名 | 高等小学卒業 | 八三名 |
尋常小学校卒業 | 一一三名 | 仝上在学中 | 六五名 |
未就学者 | 七七名 | 調査不能 (解答なき者) |
一三名 |
職業
職業名 | 家長人員数 | 職業名 | 人員数 |
農業 | 八七名 | 商店員 | 二名 |
商店経営 | 七名 | 公吏 | 三名 |
船員 | 一名 | 会社員 | 七名 |
請負業 | 一名 | 漁業 | 一名 |
職工 | 二名 | 園芸行 | 一名 |
製塩業 | 一名 | 坑夫 | 一名 |
運転手 | 一名 | 学生 | 一六名 |
無職 | 四名 |
渡航準備金調達方法
調達の方法 | 人員数 | 調達の方法 | 人員数 |
財産整理 | 五一名 | 呼寄人送金 | 一〇名 |
借用金 | 八名 | 主人贈与 | 一名 |
家族醵金 | 三二名 | 貯金労働所得 | 一九名 |
調査不能 (解答なきもの) |
一三名 |
ブラジル研究の方法
研究方法 | 人員数 | 研究方法 | 人員数 |
在伯親戚友人よりの通信 | 二八名 | 学校及講演雑誌にて | 六一名 |
代理人より聴取 | 七名 | 研究をせざる者 | 二〇名 |
七、移民の消費金高並に送金高の種目別
感想録に記入せる移民の渡航に消費せる金高並に伯国えの託送金高の合計左の如し
(1)仕度金 壹万五千参百参拾六円九拾七銭也
(2)郷里から神戸迄に使つた金高 五千六百六拾五円四拾壱銭也
(3)神戸港滞在中に使つた金高 参千五百貮拾八円八拾七銭也
(4)航海中に使つた金高 参千参百九拾参円拾四銭也
総計 金 貮万七千九百貮拾四円参拾九銭也
託送金総計 金 壹万六千四百四拾壱円也
八、船内傷病状況調
船内医局の診療簿に依る移民傷病状況左の如し
表(省略)
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公費決算書
昭和六年十一月廿八日神戸出張所より仮渡相受申候公費一金壹百円の費途並に
金額左記の通りに御座候間御検査成被下度候
残額は御社伯国支店に相渡置候間左様御了知被下度候
昭和七年壹月拾五日
昭和六年十一月廿八日神戸出帆モンテビデオ丸便
輸送監督 新宅隆一
海外興業株式会社御中
表(省略)
残金 貮拾貮円九拾弐銭也
(備考)十二月廿八日発報第四号中の公費支出に於て金七円とあるは中畑は五円木尾は二円のところ決算書に於て木尾と三円とせるは七日忌に壱円を供えたるものなり。
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昭和七年壱月拾五日
於サントス港
新宅隆一
海外興業株式会社御中
謹啓 益々御隆盛奉賀上候
却説最終報告書、輸送監督日誌、公費決算書、船内新聞各正副二通
並に公費決算書関係の領収書等貴社伯国支店を通じ御送付申上候
間何卒御検査成被下度候
尚移民輸送上の意見書は追てブエノス・アイレス市より御送付申上可候
右要用のみ為邦家御社の御発展を切に祈り上申候
拝具