アリアンサ植民地の評判(邦字紙記事)

Opiniões sobre a Colônia Aliança (artigo publicado em jornal de língua japonesa)

Article on reputation of the Alianca Colony

開設当時のアリアンサ移住地について邦字紙がとりあげる紹介記事は概して辛口のものが多かった。先輩移民には、土地を購入して日本から直接入植することに対する反発は根強く、コロノを経験してから、独立すべきだと論じた。

珍らしい立派な殖民
          アリアンサへ

『聖州時報』1926年7月2日

 ラプラタ丸で来航のアリアンサ殖民地入殖者が、九十余名、去る卅日の朝バウル駅に着いたが、午后一時発ノロエステ線汽車の連結ワゴンに乗つて、リンス駅まで出発した。

 彼等殖民者の一行は、是迄に嘗つて見ない、所謂智識階級の人々で、容貌、色合ほんとに上品な方々で、眼の光りも人間性に満ちた希望が燃えて居り、服装もやくざな殖民地式な伯人の眼を驚かした殊に女性の美に到つては、日本帝国の粋を現はして、獣のやうな外人の性を恍惚たらしむるものがあつた。あの白魚のやうな指でエンシヤーダ仕事は、生活とは云へ古くから居る日本人の心をいたましめてた。

 殊にワゴンに詰めて出発したのでコントラストの上からも、見る人をして気の毒に感じさせた。


新植民の悩み

『聖州時報』1926年8月13日

 ギンブラの文化生活裡に耽溺しながら、原始的人間生活を想像することは、夢と幻の世界に彷往するまで、辛さも悩みも虚偽だ。

 然し一度現実のそれにブツつかつた時、太古の森の中、奥深くで味ふ孤独感、植物に吸はるる人間の鮮かな血の混濁、自然脅威の体験、一歩一歩躍動せねばらぬ開拓の労苦は、想像の温かき衣をかなぐりすてられて肉と骨の涸はく惨なものだ。

 総てはそれが遣瀬なき精神おう悩に化する。

 新殖民諸兄姉よ、郷等は祖国で失業した方が、どんなに楽であり慰められたと想はぬか。

 だが、郷等が祖国に於ける教養の光は、やがて此おう悩も辛苦も浄化し去つて、郷等更生の春の新芽を恵むであらうよ、

 悩みは生むの体験だ。


近ごろ評判のアリアンサ植民地

『日伯新聞』昭和2年8月12日、昭和2年8月19日

 一週三回バウルーを午前四時に出るトレス・ラゴアス行の汽車は午後四時ルサンヴーラ駅に着く、カンポ[注 野原]の中に駅の建物があるだけで外には何にもない、アリアンサ植民地事務所のカミニヨン[注 トラック]が汽車の着く日には駅に来て待つてゐるここで降りるのは日本人ばかりだ[。]
大きな袋が郵便車からカミニヨンの中に投げ込まれた植民者はまだ三百家族そこそこだといふのに[、]汽車の度毎にサツコ一杯の新聞雑誌手紙があるといふのだから[、]此所の植民地は普通のお百姓さんでないことはこれだけでも合点が行く、駅長切符売りのジヨゼー君「日本人はこんなに手紙をどうするんだらう?」と不思議だと云はぬばかりにたまげてゐた[。]

 駅の標高二百九十八米突、これから植民地の中央、事務所のある所まで三十数キロの間はマト[注 森林]の中を走る坦々とした道路、大した登りもなさそうだ一時間半で事務所につく[。]この附近が現在アリアンサ植民地の中心でアルマゼン医局、移民収容所、青年ホーム[、]協会経営の珈琲園のコロノ住宅など全部ここに集まつてゐる[。]野球のグランドもある[。]

 現在アリアンサ植民地と称してゐるのは信濃、熊本、鳥取の三協会で購入した八千五百アルケーレスの土地の総称でその内信濃協会に属してゐるのが約五千五百アルケーレスである、熊本[、]鳥取は今年になつて漸く十数家族の入植者があつたばかりでまだ問題でない、だからここに紹介するアリアンサ植民地といふのも信濃協会のことである、

 植民の大部分が直接日本から来たものばかりだが中には北米南洋支部あたりで海外生活の経験のある人もあるやうだ、永田稠氏一流の広告のせいか、元何々とかいふ肩書のある所謂知識階級の人々が可成りある、さうして「吾々は移民でない」といふ認識錯誤から来た誇りを持つてゐる人がそれらの中に大分ある土地の売価が買価に比して大分高いといふ非難があるやうですがと支配人の北原地価造氏に質問すると「いや尤もです」と当植民地経営の他と異る所以を次のやう説明した

 アリアンサ植民地経営方針について北原氏は語る「今日までに開かれた植民地は無数にあるがそれ等は何れもただ土地を切り売りにしたといふだけで其以外には何もしてゐない、だから売買の手数料以外には費用は余りかからぬから土地は安く売れるのです。吾々は更らに一歩進んで開拓した植民地を完全なる自治団体にまで仕上げやうといふのです、その為めには公会堂、学校,教会、製材所、製煉所、病院、ペンソン[注 下宿屋]等の植民地に必要なものはどしどし協会の方で建築し植民地が充分独立出来得る様になつた時にこれ等公共物は総べて無償で植民地に寄附してしまふという計画です」と[。]

 来年からそれ等を建てるといふ市街地へ記者を案内した、市街地は四アルケーレスで已にクワルテロン[注 街区]に切り道路も立派についてゐる、本通りに面した方が住宅地帯で裏通りの側が諸フアブリカ[注 工場]の建つ工業地帯だと市街地の説明をしながら語を続けた「こんな費用を予め植民者の頭へ割り当てるからどうしても売値が他の植民地に比べて高くなるのです」と理想的新植民地の建設方針を得意気に語つた、

 耕地生活の経験を持たない、謂ゆる移民ならざる有識階級の植民者が、斯うした新計画の下に経営される植民地で果して理想郷の出現に成功することが出来れば、今後の植民地経営に一新紀元を作るだらう、だが現在ではこれから開拓にかかるところだ,何所となく落ちつきがない、早くパスト[注 牧草]でも作り牛馬が悠々と草でも喰む光景が見られたら落ちついた気分が出るがまだそれどころでない、

 児童の教育も校舎が無いのでトタン屋根のガラージの中で松井黒龍氏外三人の熱心なクリスチヤンが先だつて全ての無報酬で、日曜の午前中を神の教へと教育に従事してゐる植民地の中を自動車、巡るとマトの間から勾配の急な赤い屋根の文化住宅がポツリポツリ見える、高等学校時代に剣道三段で鳴らした庭瀬健次君のヴアンガローやアリアンサ御殿の称ある輪湖俊午郎氏の家など素晴しいものだ、日曜の午後など断髪男装にステツキといふいでたちの妙麗なモツサの散歩姿を訪問者は決して見逃してはいけない