イグアペ植民地への勧誘

Convite à Colônia Iguape

Attraction to the Iguape Colony

白鳥尭助はイグアッペ事務所長、1930-1933海外興業伯剌西爾ロ支店長

イグアペ植民地

                白鳥尭助


海外興業会社イグアペ植民地主任白鳥尭助氏は過日ノロエステ沿線諸殖民地の視察を終へて帰聖されたる機会を捕へて氏の諸殖民地比較談を聞かんと一日氏をホテル、ロチセリに訪ひしに謙遜なる氏は巧みに記者の質問を避け談一句も他殖民地に及ばざる代りに多年自己の心血を注げるイグアペ殖民地の過去、現在及び将来に関する自己の所信を吐露せられたれば茲に之を記して殖民地撰択者の参考とせり(一記者)

 我が日本は明治御維新以来眠れる獅子の蹶起せるが如く凡ての方面に勢ひまうに発展して来まして、今日東洋唯一の大帝国として世界の強国に列しました事は我々国民の誇りとして衷心愉快を禁ずる能はぬ所であります、凡そ国が興り来る時は元気旺溢し人口とみに増加する事は争はれぬ事実でありまして、我が日本民族の人口増加著しく元気の溌剌たる事は御同慶至極の次第でありますが、限りある土地に限りなく人口が増える事は遂に憂ふべき結果を生ずるものでありますから、我が同胞が益々海外に出てゝ活動する事は最も必要な事で、斯くして人口を調節すると共に貿易を発達せしめ富を増す様にせねばなりませぬ。右の次第でありますから吾等既に海外に在る者は努めて産業を興し土地を開発し衛生、教育に注意し社会を向上せしめて御互の幸福を計り追ては益々同胞を招来し以て我が民族の発展地を築き上げる様努力せねばなりませぬ。

 茲にサンパウロ州南方にリベーラ河と申す延長百里を有する緩かな流れがありまして、其流域一帯は気候、地味及至交通も日本人の定住発展に都合好き塲所と認め、サンパウロ州政府と植民特許契約を結び確実なる基礎ある植民地設立に着手しましたのが今から七年前即ち明治四十五年三月でありました。

 植民地とは申す迄もなく唯土地割をして売り、又買つた人も入つて勝手に金儲けすれば夫れで好いと云ふものではないと思ひます、其所を第二の故郷とも墳墓の地とも定め安心の出来る生活を得る迄に打ち集うて一つの社会を造り上げるのです、従つて仮令如何に小さな一村一と字を創設しますのも容易な事ではありませぬ、夫れ故此植民地でも植民を収容する迄には準備に多くの年月を費しました、土地の踏査区画から、道路の開鑿、家屋の建築、中にも最初から最も意を用ゐて調査や設備をしましたのが衛生に関する事で、一植民も到着せぬ前から医院薬局を整へ、又将来生産の発達に必要なる試験農塲、種蓄塲等の設備も完成せしめた次第であります、州政府と契約が整ひましたのが明治四十五年で大正五年迄に先づ一と通りの準備が出来ましたので、夫れ等の仕事に従事して居た人々が植民として初めて就地し、翌大正六年からは珈琲園在住の方々のみならず日本からも直接に渡来する様にな[り]昨大正七年には続々と増加し今日では千四百人を有するに至りました、斯く植民の増加に従ひまして色々の仕事も亦増加して来まして、会社職員及び植民が一つ心に不断の活動をなし以て当初の目的に叶ふ様努力して居る次第であります、

 我が植民地は只今では、桂及びレヂストロの二ヶ所でありますが、将来此リベーラ河流域に於て逐次に拡張せられる計画であります。会社は州政府から土地引渡しの内談を受けますれば、先づ地味、地勢等の調査をなし不適当と信ずれば断然之を斥け、良好なる部分のみを受領し、之に都合の好い私有地があれば買収して一大区域となし、地勢、地味、交通の関係等を考慮して出来るだけ平均を得る様に二十五町歩乃至五十町歩の大さに区画測量し、且つ各地を通過する様必ず道路を開設します、既に土地の大部分が政府から交附されたのでありますから、伯国にあり勝ちの地券の間違ひは当植民地には全然あり得ないのであります、其上州政府の監督保護を受けて居るのみならず当局者は非常に此植民地を重要視し何彼と植民の利益の為め注意と便宜とを与へて居る事は、州統領以下農務内務長官等其他有力なる官民の視察絶えざるに見ても其一般を想像する事が出来るだらうと思ひます[、]又日本から来られた視察者の当植民地を閑却せられる事も殆んどありません、如斯かくのごとく内外の人々に依り注視せられつつある間に立つて我が植民地は幸ひに今日迄、内は極めて平和に伯国人との関係も親密にして、外は極めて良き評判を得つつあります、尚ほ植民地の現状を少しく申述べますならば

   大正七年末現況
◆地区割の完成しました地区数は桂植民地に三十三地区、レヂストロに三百九十七地区及び目下区分中のもの(四月完全)百五十余地区あります[、]其中桂の三十二、レヂストロの三百二十九は既に契約済夫々植民が就地開墾耕作して居ります。

◆道路は馬車の自由に通行し得るもので専門の技師設計監督し新開地の道路としては寧ろ立派に過ぎる位で現在延長レヂストロに於て六十キロメートル余完成して居るのみならず、絶えず日本人を主脳として伯人外人常に八十名乃至百二十名位毎日道路工事に働き本年五月中には更に三十五キロメートルは完成の見込であります。

◆当植民地内の交通は右の道路に依る事は勿論でありますが、此植民地の地理上結構な事はリベーラ河本流は元より大小支流が運輸上多大の便益を与へる次第で、此地方河蒸気船の運賃は極めて低廉、レヂストロ、イグワペ間水路八十キロメートルの米一袋の運賃二百九十レースであるのを見ても其一般が窺はれます、之れも畢竟政府が此リベーラ河流域の発達の為め鋭意保護に勉められる結果であります。

◆当地方は大部分尚原始林でありまして一向開けて居らず又世間にも知られて居ないのです、夫れ故有望な作物で此地方に適するものも沢山ありませうが、従来極めて暢気な土着伯人の居住せし土地とて未だ何等試験したものもありませぬ、州政府は当植民地に州立試験農塲を設ける筈でありますが、会社に於ては之を待たず創業早々試験に着手しまして新作物の試作、耕作法の試験、種子農具の輸入供給等に勉めて居ります。申す迄もなく農事の試験には多数の経験を積む事が必要で、当試験塲も開設日尚浅く未だ充分とは行きませんが、既に結果を認めたものは一般に実行せしめて居りますし又植民に依頼して塲外試験中のものもあります。

◆試験塲の仕事として毎年八月に当植民地農産物品評会を開きます、之は新しき農業上の智識を与へ、品種の改良を期するためで、当植民地産と云へば市塲でも品其物を見ずして直ちに特等品と定評される位に優良なそして品の揃つたものを得たいと云ふ目的であります、現在桂植民地産米とし云へばイグアペ町商人間には一割高に取引きせられる有様であります。

◆昨年は第一回品評会をレヂストロ本部植民収容所の階上に開きました[、]米、豆、甘蔗、玉葱黍、ピンガ[注 ブラジルの酒]、砂糖、各種の蔬菜等百余点其他農具、瓦等の手工品もありました、今年は一般に昨年の例も承知せる事ではあり、又植民家族数も幾倍に達せる事とて随分盛大に行はれる事と思ひます。

◆牧畜は未だ植民地が新しいのと、日本人一般に家畜の趣味に乏しい為めに、現在一向進んでは居りませぬが、当地方に於て有望なる事は申す迄もない事で、大に奨励の必要を認めて居ります、之も亦州政府が種畜塲を設ける筈でありますが会社自ら別に種馬、牛、豚、鶏を輸入して植民地内の品種改良を企てつつあります。

◆医療、衛生に就きましては会社の最も注意して居る所であります。此地方は嘗て誤り伝へられた様な悪疫の発生地でもなく、何等の風土病のないことは数年の経過に依りましても已に明白な事実でありますが、尚当会社は日本人の老練なる医員と助手とを有しまして植民は勿論附近一帯の伯人迄の診療に従事せしめて居ります、此両三年著しき人口の増加を見ましたに拘らず衛生状態は誠に宜しく何等懸念す可きものもありません、昨年□月より当国内に流行を逞うしました西班牙感冒も本部所在地の仮隔離所に於て『サンパウロ』『サントス』等の流行地通過者に手当を加へましたために、植民地内には蔓延するには至りませんでした、医員以下皆日本人ですから診療上言葉の不便はなく、医局には常に日本製薬品を豊富に準備してありますから、植民は充分安心して衛生を委任し専心各自の業務に従事することが出来るわけです。
 此植民地に到着した者は誰人だれでも必ず健康診断を受けるのでありますが、珈琲園から来られた人々は百人中ニ十六人強の割合で十二指膓虫に犯かされ、又日本から来られた方々も却々なかなかな率に上つて居りまして、一般に知らず知らず衰弱の原因となりつつあるのです、当国に置きましては寄生虫病は殊に注意を要しまするに依り[、]植民地内では毎年八月を健康診断期と定めまして、平素気のつかぬ病を診断することに致して居ります。
医薬の費用は共済の主意に依りまして一家族一ヶ月伯貨弐ミルレースを納めますれば随時に診断と投薬を受けらるるのみならず、重病急病の塲合医員の来診を受け得られます。

◆学校も桂植民地には昨年二月より州立の男女の二小学校が出来まして、伯国人の男正教員一名、女正教員一名無料教授して呉れます、外に日本人教師一名日本語を教へて居ります[、]当国に来て子弟教育のために学校のないのに非常に困て居られるる方も沢山にあるのです、殊に伯国に於て将来成人する児童には充分に葡語を操り、葡文をしたためらるる様にすることは当然必要の事で、桂植民の一同はワケテも温良熱心な伯国の先生を得て喜んで居る次第です。
 州政府との契約にもあります通り政府は『レヂストロ』は申迄もなく、尚拡張する植民地内にも其の必要な数の州立小学校を設立せらるる筈で、『レヂストロ』には相当児童数も増加しましたから近々開設せらるることと思ひます、而し尚会社では之のみに止らず日本語を教へる設備をも整へて吾等の子孫が民族精神を忘れない様に心懸けて居る積りであります。

   気候及農産物
◆当植民地は『サンパウロ』州の南方で熱帯圏を離れた所に位して居ります、海面からの高さも極く少ないのです、夫故『サンパウロ』市や以北州内地方の如き乾燥した寒い空気ではありませぬ、去年珈琲園が霜で大損害を被つた時でも当地方では『バナナ』『カピン[注 草]』の葉端が僅かに黄ばんだ位に過ぎません、然し『サントス』附近の様に後に山が近くありませんから湿り多い鬱陶しい暑さは決してありません、一帯が南に開けて海に近いのでありますから南の涼風が常に吹きまして、暑中と雖も九十五度以上に昇ることは極めて稀であります、雨は年中割合に多く空気も湿て居る事は事実でありまして、植物の生育の宜しい原因も一は此の様な気候に依ることと思はれます。
右の気候でありますから大抵の作物に適当して居ります。雨多き為めか由来米作に適当した地方と称せられて居りました、恰度州の内地が数年前迄珈琲より外の作物はない様に思惟せらせられたのと同様、当地方では米より外出来ない様に思はれましたが、試験の結果は甘蔗、珈琲、綿[、]煙草、マンヂオーカ、豆、何んでも立派に生育しますことは明白でありまして、去年の如きは玉葱、甘蔗、馬鈴薯、マンヂオーカ、等植付けた人々は誠に見事な出来栄を得て居ります、就中甘蔗栽培の面積は近来著敷増加しまして、小規模なりとは云へ各所に工塲を建設中で、三四年には米以上の主要生産品となることと思はれます、其他試験農塲に於きましても又植民各個の内にも新しき作物を試験中のもの数へ切れぬ程ありますが、此所には省略いたします。

   植民地将来の交通
◆『サントス』港から起る現在の鉄道の終点は『ヂユキア』と云ふ所にありまして、『サントス』より百六十二基米突きろめいとるであります、『ヂユキア』から『レヂストロ』植民地本部迄は鉄道の予定線で申しますと僅に十六キロメートルでありますが、当時欧洲戦争のため延長工事を中止して居りましたが、州政府でも『リベイラ』河々岸迄の延長を必要と認めまして此上工事の延期を許さぬ意向の模様でありますから、近き将来に完成する様になるでしやう、左様になりますれば『サントス』港と植民地間の距離百七十八基メートル、朝植民地を発して夕方には『サンパウロ』市の客となることも容易となります。
 現在植民地附近の産物は多く『イグアペ』港を経て海路『サントス』又は『リオ』市へ出るので、運賃は陸に比し低いのでありますが、又前記の鉄道完成の上には積替や時間の点に於て著しい利益を得ることとなり、地方的生産物は別として、都会向きのもの、『サントス』直送の品等には便利更に加はり、海陸両路の利備はりますことは此植民地の将来の望ある点の一つであります。

   視察の道順
◆珈琲園から入地せられた百十余家族中其大部分は先以て一度視察に来られ、実地に色々と調べられた上に第二の故郷とも、永住の地とも定められたので、見ずに地区の予約をされた人は前任者の親類か友人の呼寄せられた二三の人々に過ぎません、会社も亦土地さへ売れば宜いと云ふのではありませぬから来て見て得心の上契約され、堅実に発達せられんことを希望して居るのですから、此種の視察者を最も歓迎して居る次第です。
 朝一番汽車で『サンパウロ』市を立ち『サントス』へ着き直ちに電車で『ヂユキア』行の停車塲に向ひ九時二十分列車に乗込めば午後の三時過ぎに『ヂユキア』着、一泊翌朝『ガソリンボート』にて河を下れば午前十一時頃には『レヂストロ』に到着することが出来ます。
 『サントス』『ヂユキア』間の二等汽車賃は十ミル百レース、『ヂユキア』宿泊料五ミルレース、船賃四ミル七百レース、汽車の『サントス』発『ヂユキア』行は一週間三回で、水曜日が一番都合がよろしい、植民地では会社より案内を受けて土地を見て廻り気に叶ふた地区があれば即ち保留金として百五十ミルレースを納め、入地する迄其地区を保留して置くのです、此保留金は入地の際第一回払込金となるので保留の期限は払込の日より一ヶ年であります。

   移住希望者の心得
◆植民となる資格
一、農を本業とする(家族)
但し夫婦を本位とす。
一、家族皆健全にして全治し難き悪疾又は伝染性疾患を有せざること。
 入地の際は凡て健康診断を受くべきものにして、仮令地区を保留せる者と雖も不合格の塲合には公衆衛生上入地を拒絶することあるべし。
一、入地の際土地代第一回払込金一百五十ミルレースを払ふこと。但し土地保留金を納めあるものは之を振充つることを得。
一、入地後最初の収穫迄の生活費を支弁し得ること。
 之は生計の保証の意味にて入地の際一ヶ月五十ミルレースの割合で、収穫時期迄の金高を会社に預け入れ、毎月五十ミルレース以内の払戻しを受くるので此預け金には会社は年四分の割合で利息を附けます。

◆土地所有の方法
一、地区の面積は大小あるも二十五町歩前後を多とし中には四五十町歩に及びものあり、一家族一地区に限る。
 形状は道路に面する間口二百五十メートル奥行一キロメートルを普通とす。
一、代金は面積に応じ一町歩三十ミルレースの割合とし、其払込は入地契約の際全額を払込むる原則とするも、年賦払とすることを得、此際は第一回払込金として五分の一(約百五十ミルレース)を納入し、残金は翌年より毎年七月三十一日限り残額の四分の一づつ納附す、即ち五ヵ年賦なり、又未納金額に対しては年六分の利子を支払ふを要す。
一、道路費は実費負担にして一区宛現今三百ミルレース内外なり、入地の翌年より毎年七月卅一日限り四分の一宛利子と共に支払ふものとす。
一、 入地第一回支払ひと共に仮地券を受け金額支払済の上本地券の交附を受く。
 此の外に以上に述べました植民資格の内、資金の不足な人々の為めに補助植民と云ふ組織もあります、之は入地の際土地払込金を要せず植民は将来自分の所有にと志した地区に入り開墾耕作をなし得るので、会社は必要の場合には家屋の建築材料として板、瓦を貸与し、且つ食料として月五十ミルレース迄最初の一ヶ月丈け貸与するのです、植民は三ヶ年間総生産物の二割を会社に納め、四ヵ年目から普通の植民の様に土地代、道路費及び建築材料代等を年賦に払込みやがて独立し得るものであります。

   入植の順序
◆愈住み慣れた耕地を後に第二の故郷と定めた『イグアペ』植民地に入植することになりますれば、先つ大荷物は出発前に『サントス』迄『カルガ』便にて送り出し置き、そして全家族が出発したときは他の家族は直ちに『サントス』に向ふてもよいが、家長は必ず『イグアペ』植民地の代理店である『サンパウロ市ウヱルゲーロ十五番地移民組合支部(Brazil Imin Kumiai, Rua Vergueiro No. 15, S. Paulo)に出頭して『サントス』から植民地迄の無賃乗車並に荷物輸送券を受取り、其他万端の世話を乞ふのであります。
 右の順序で愈々植民地へ到着しますれば、収容所あり、売店あり、寝食自由で、やがて医員の健康診断を受け契約書に署名すれば、一地区の地主となり得るので、夫れからは家族の腕次第自由に奮発の結果を収め得らるるのであります