東京シンヂケートとサンパウロ州政府との間で土地無償譲与の契約成立

Contrato de doação de terras assinado entre o governo do estado de São Paulo e o Tōkyō Syndicate

An agreement on a gratuitous grant of land concluded between the State Government of São Paulo and the Tokyo Syndicate

藤田克己は、盛岡高等農林学校卒、1910年(明治43)1月農業経営の目的でアルゼンチンに渡航、同年7月伯剌西爾に転航、東京シンジケートの青柳郁太郎のイグアペ植民地予定地調査に従事、1914年(大正3年)3月伯剌西爾拓殖会社技師、1924年(大正13)8月までレジストロ植民地を指導、1930年(昭和5)6月サントスに転居、サントス日本人会長。橋田正男は、岩手県技師から伯剌西爾拓殖会社技師となった。この書簡の写は、橋田自身が作成したものと思われる。

四十五年四月十五日着
二月八日イグアペ郡レヂストロに於て

橋田正男様 藤田克巳拝

拝啓 其後は如何御暮し被遊候哉 絶へて御音信に接せす如何被遊候事かと只管御案じ申居り候  次に当方御蔭様にて無事消光罷在り候間乍他事御安神被下度候 前便サンパウロ市より発信(一月七八日頃)御落手被下候事と存候 其節申上候通り今回当地に日本人の殖民地設定の計画により同殖民地の一役員として働くことに相成申候 東京シンヂケート(法律上の存在は知らさるも平田、大浦、桂等の前諸大臣以下有力なる官辺を含有せる組合らしく)の代表者として青柳郁太郎氏丁度小生の此国へ入国と少しく後れて来り 爾来各方面を踏査し政府と交渉し昨年末漸く州議会を通過致候 目下契約書に調印中(多分相済みたるなるへし)巳に法律として発布されたるものにて残るは日本に於ける会社の組織及び殖民輸送計画のみに候 今度契約されたる内容の全部は追て詳細可申上候か大体は左の如くに御座候

甲、サンパウロ州政府 乙東京シンジケート
一、 甲は乙に対しサンパウロ州イグアペ郡に於て殖民の為め五万エクターレスの土地を給ス
ニ、乙は二ヶ年内に二千家族の日本人を該殖民地に移入すること(期限は延期するを得べし)
三、甲は殖民地より海岸に出ずる道路及鉄道に達する道路を設置す
四、甲は市街地として適当の面積をレヂストロ附近に於て給与す
五、甲は農事試験場及牧畜試験場を設け種苗及種畜を殖民に給与す
六、甲は学校を建てポルトギス教師を置きてブラヂル語を教へしむ
七、乙は殖民地区を二十五ヘクターレス内外に区画して各殖民に給す 但し一ヘクタールに付き十ミル乃至三十ミル以内に於て売却すへし 一ミルは我か六円五十銭内外
八、甲は殖民一人に就き渡航費用を給す
九、乙か若し殖民を全部に移入する能はされば残余の土地は還附する義務を有す

大体に於て右の如くにて従来の移民に比し格別なる恩典に候 然して此予定地は政府技師一回青柳氏三回、藤田当国駐在代理公使一回小生二回視察致候 気候の点に於ても土地地勢の点に於ても頗る良好なる点に於て皆感想を一致せる所にて将来殖民上何等の心配なき処たるを確言致し候 小生視察の大様を記せば下の如し 但し左は約四十キロメートルを距れる海岸イグアペ町のものにて此地は陸に四十キロ入りて余程冷しく且つ湿気も少なし。 (表は略した)