江戸狂歌界の中心人物士
(おおたなんぽ)
1749-1823(寛永2年-文政6年)
南畝は号。名は覃(ふかし)。字は子耜(しし)。通称は直次郎。
世間的には別号の蜀山人、四方赤良(よものあから)で知られる。
狂歌師、戯作者、幕臣
父は幕府の小吏。17歳で家督を継ぎ、70余歳まで清廉な能吏として、御徒・支配勘定役などをつとめた。
この間文人として、狂歌・狂詩のほか洒落本・黄表紙・漢詩文・随筆などに才筆をふるい、『万載(まんざい)狂歌集』ほか百数十点、500冊を著した。天明期前後の文壇では大きな勢力を持つようになった。
一方、衣食の費用を節約して書籍を買い求め、なお購入できない珍書は知友から借りて手写につとめたという。手写した資料は、『麓の塵』『三十輻(みそのや)』等の膨大な写本叢書にまとめられ、今日、有用な文献として利用されている。
「南畝文庫」印を巻頭に、「大田氏蔵書」印を巻尾に押して2種を併用していることが多い。
ほかに、「杏園」「蜀人」「蜀山人」「南畝」がある。
「南畝文庫」(なんぽぶんこ):26x27mm
「大田氏藏書」(おおたしぞうしょ):40x12mm