史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

大正十二年日記

大正十二年日記



○九月一日土曜 晴○午前安をして有馬泰明に贈る書留書状を出さしむ○午前九時三十分頃より出勤す○午前十一時五十五分頃徳川頼倫、予の事務室に来り、徳川か先日より暑を別府の近傍に避け居りたるか、昨日帰京したることを告く。避暑中の状を談す。十一時五十八分頃地大に震ふ。予等尚談を続く。震愈々激しく壁土落つ。予、徳川期せすして走り出て非常口に至り高廊を過ぐ。歩行すへからす。強ひて走りて屋外に出つ。十分間許の後、震稍々歇く。予乃ち審査局に達す。書類及帽を取り来らんとて高廊の辺に到る。復た震ふ。乃ち復た走り出つ。又十分間許にして審査局に達す。倉皇書類及帽を取り来る。尚ほ傘を遺す。西野英男に嘱して之を取らしむ。屋外に居ること十四五分間許青山操、鈴木重孝と歩して帰る。馬車又は自動車に乗らんと欲し西野英男に嘱し主馬寮に謀らしめたるも、混雑の為弁せさりし故、歩して帰りたるなり。坂下門に到る。門衛、門台の瓦墜つるを以て其恐なき右方を通過すへき旨を告く。之に従ひ門を出て広場に到る。地屡々震ひ歩すへからす。屡々歩を停め、震の止むを待ち、復た歩す。桜田門は瓦の墜つる恐あるを以て凱旋通を経て濠岸に沿ひ、参謀本部前を過き独逸大使前より赤坂見附を経て家に帰る。宮城前の広場に出てたるとき、既に警視庁附近及日比谷公園内に火あるを見、参謀本部前を過きるとき赤坂に火あるを見たり。沿道処々に家屋の倒壊したるものあり。難を避くる人は皆屋外へ出て居りたり。既に家に達す。門側より家の両辺を周らしたる錬瓦塀は全部倒壊し、屋内の器具散乱し居り、人影を見す。内玄関より入り茶の間及書斎を経て庭上に出てたるも、家人在らす。塀の倒れたる為、隣家池田寅次郎の家と界牆なきこととなりたる故、直に池田の庭に到り、家人の所在を知らさるやを問ひたるも、之を知らす。乃ち復た家を出て池田の家傍を過き、安藤則光の庭に到る。数十人避難して此に在り。内子、安、婢、敏、静、沢三人亦此に在り。予、皆無難なりしを喜ふ。内子、震起りたるとき、安と共に勝手口より出て、裏門を出てたるとき、安か頻りに自分(内子)を推して前面の隣家の牆塀に近かしめたるか、其時早く其時晩く自家の錬瓦塀か虖然として自分(内子)等の在りたる方に倒れ、塀の上端と自分(内子)等の在りたる所とは僅に一尺許を隔たり居りたるに過きす。安は自分等の後方の塀の倒れたるを見て自分(内子)を推し危難を免ひしめたる由なるも、自分(内子)は塀の倒れたることには気附かす、幸に難を免れたりとの談を為し、予は此談を聞き内子等の無難は真に幸なりしことを知りたり。婢等三人は塀の倒れたる後に家を出てたる趣なり。晩の内、安藤の庭より返る。安及婢等と共に震を庭上に避く。是より先き内子は安をして防水布を市に購はしむ。幸に其家災を免れ数尺を購ふことを得たり。之を用ゐて寝台二脚を蔽ひ雨露を凌く設備を為せり。午後五時頃に至り安藤則光、予か家の庭隅崖を為し崩壊の虞あるを以て、安藤の庭上に来るへき旨を告けしむ。乃ち寝台及蓋布等を携へて安藤の庭に移る。庭上に露坐する者数十人、坂田稔及ひ其家族亦来り居れり。午後安藤の庭に在るときは赤坂田町辺より起りたる火、南北に広まり、一ツ木町に近き将に予か家の附近まてを延焼せんとする勢なりしか、風向急変したるを以て幸に之を免かるることを得たり。午後五時後、枢密院書記官堀江季雄自動車に乗りて来り。急に内閣総理大臣官舎にて枢密院会議を開かるることとなりたるか、通信機関絶無と為りたる為、顧問官を招集する方法なく、自分(堀江)か陸軍省の自動車を借り顧問官の家々に就き出席を求め居れり。午後七時まてに総理大臣官舎に行き呉れよと云ふ。予、之を諾し、六時三十分頃より歩して官舎に行く。外務大臣取扱内閣総理大臣兼内田康哉、内務大臣水野錬太郎、司法大臣岡野敬次郎、陸軍大臣山梨半造、農商務大臣荒井賢太郎、鉄道大臣大木遠吉、逓信大臣前田利定、文部大臣鎌田栄吉、内閣書記官長宮田光雄、法制局長官馬場鍈一等在り。時に官舎南隣中華民国公使館正に焼く。火焔官舎に迫まる。大臣等皆官舎の庭に在り。顧問官は予の外一人も来り居らす。既にして井上勝之助来る。予より水野錬太郎に会議を開くことを得るやを問ふ。水野之を開く積りなりしも、顧問官の出席も困難ならんと思ひ戒厳令を出さるることは之を止め、政府の責任を以て臨機の処置として出兵を要求せりと云ふ。予、井上と然らは別に用務なきやと云ふ。水野然りと云ふ。予等乃ち去る。荒井に震災火災の程度を問ふ。荒井農商務大臣、官舎余程破損せり、私宅は近辺より(江戸川)より火起りたりとのことなるか、或は延焼するやも図り難しと云ふ。七時後家に帰り庭上にて夜を徹し、火勢を注視し一睡もせす○午後五時後岡野碩来り訪ひ、震災の見舞を為す。岡野は他出中震に逢ひ、未た家に帰らす。予か家は崖上に在るを以て之を危み来り問ひたると云ふ。枢密院書記官堀江季雄か来りたるも此時なり。
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