史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

[政府の答弁書に関しての感想]

[政府の答弁書に関しての感想]

※ 欄外の書込およびページ番号はテキスト化していません。


感想

 政府の答弁書は議会々期の終る直前に送付されて来た。この答弁には私の質問の要点に触れた言葉は何一つ無い。唯「傾聴に値するものあり」といふだけである。之を見た私は呆然として云ふところを知らなかった。
 私の胸には又しても裏切られたといふ感情が涌いて出た。時は今祖国敗残の惨めな経過を辿る此瞬間に、国民が斉しく厳粛な気分に緊張してゐる最中である。私はこの質問書を綴り乍ら幾度か涙を抑へ得なかつた。云はば全身の熱意を罩めて一生懸命で書いたものである。それにしても政府は矢張り昔乍らの遁口上を以て此重大事件を不問に附せようとする所存から誠意の認められない答弁を送つて来たのであらう。それが痛く私の胸を打つたのである。
 大東亜戦争が始まらむとする直前に於て、戦争が南西太平洋に於て苛烈を加へた最中に於て、そして終戦直前の疲弊困憊した危機に際して為政者は全く国民に真実を告げず、其時々に然るべき誤間化しを並べて、断末魔へ国民を引摺つて来たのである。九月初旬に戦力消耗の実相が発表された時、最も驚いたのは純真な国民であつた。国民が憤激したのも無理とは言へまい。国民は真実を掩ひ乍ら遂に負けいくさに導いた責任者はどうなつたかと尋ねるのが当然であらう。
 然し吾々の仕事は過去を談ることではなくて、将来に対する新しい発足である。如何にして再生日本を建設すべきかにある。それは国民の協力と熱意とをもつてする外に途はない。とすれば矢張り国民に納得できる政府の態度が先決問題である。
 黙々として増産に励む農村人、或は商工業に輸送に全身の力を注ぎ込む人々に対して、将来の奮起を促そうと思へば、我国を惨敗の悲境に導いた原因がどこに在るか、その敗戦に誰が責任を負ふのであるかを明かにしないで、政府は国民に呼かけることが出来るであらうか。
 大詔一度降下して戦争は終つた。此際何人も命に従ふ外に考へる余地はない。だが之に対する政治の責任が 陛下にないことも憲法の上から見て問題はない。責任は輔弼の重責を帯びた政治家にあるのである。戦争指導の局にあつた人々が敗戦の責任を明かにするのは聖上に対しても国民に対しても当然の行き方である。これ程の惨事が国民の頭上に降りかかり、聖上の宸襟を悩して置き乍ら、一人として「自分の責任であります」と申し出た政治家が無いとすれば「日本魂」は何処へ迷ひ込んだのかと疑はざるを得ない。
 とは云ふものの、私自身とても責任を感じないのではない。無論今日迠の努力が足らなかつたことを耻ぢねばならぬ。然し日独伊三国同盟の締結に反対し、米英との戦争を避くべしと主張して、官憲の厳重な監視の下に数ヶ年を送つて来た私としては、率直に云つてあれ以上にどうすることもできなかつたのである。
 議会に於ては戦時刑事特別法の通過に反対運動を続け、昨年は「言論出版集会等に関する特別措置法」を廃止すべしとの運動にも微力を捧げたが、孰れも少数で敗れて了つた。敗れたけれども私の行動は正しかつたと確信してゐる。だから我国が今日の悲境に陥る過程に於て私は積極的に敗戦に協力したとは考へてゐない。然し悲境に陥る我国を救はんとして其努力に失敗した責任は痛感する者である。
 この質問書には満洲事変にまで遡つて卑見を陳べた点がある。これ等の意見は敗戦後の今日に至つて初めて世間に発表したといふ訳ではない。議会に於ても、新聞雑誌の評論に於ても、時にはラヂオを通じても絶えず国民諸君に愬へて来た私の持論である。回顧すれば満洲事変に刺激せられて官界を退いた昭和七年以来、一図にこの主張を固執し、前途の狂瀾怒涛から我祖国を救ひたいと念願して来た。然るに残念ながら私の言説は時の朝野に容れられず、却つて之がために迫害をさへ加へられる状態であつた。
 以下に掲ぐるところは、孰れも私が衆議院で行つた演説の抜萃であつて年代も古く、今日から見れば内容も陳腐で生彩に乏しいものであることを虞れる。然し読者諸君がこれらの片言隻語の中から一片憂国の非情と共に私の論旨が必ずしも間違つてゐなかつた(これは全く遺憾至極のことである)点を汲み取つて下さるならば私の仕合とするところである。
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