子供のけんぽう 一郎君と春子さんの日記から

絵入り
子供のけんぽう
一郎君と春子さんの日記から

みなさんへ

新しいけんぽうが出来て、世の中が明るくなりました。みなさんの学校でも、自治会をひらいたり、ディスカッションをさかんにやつているでしよう。一郎君と春子さんのクラスでも、中々ねつしんです。この二人の日記をおかりして、どんなにして、新しいけんぽうをべんきようしたかを見せてもらいましよう。

新教育振興会

今日、学校に行くと、みんな一年づつ上になつてニコニコしている。一年生にあがつた子たちが、お母さんにつれられて来てにぎやかだ。ぼくらの受持は、山本先生にきまつた。教室にはいると、先生がはじめに、
「今年はぼくがこの組を受けもちます。みんななかよく勉強しましよう。今年は新しいけんぽうを日本が行なう年だから、学校でも、このけんぽうの心もちに合うように、やつて行きましよう。」と言われた。みんなの顔が、何か明るくかがやいて居るように思われて気もちがよい。
それから先生が、「学年がかわつて男女一しよになつたがみんな力を合せてやるんだよ。」と言われると、みんな一せいに「ハイ!」とはつきり答えた。又「新しい級長はだれにしようか。」といわれると、「せんきよです。」と大ぜいがさけんだ。前に級長だつた田中君と、もとの女子組の級長の木村さんとが、せんきよ委員になつてせわをした。くばられた紙に、連記制で二名づつ書くことになつた。集めた紙を木村さんが、一枚々々読みあげると、田中君がこくばんに書いてゆく。みんなはジツとそれを見つめていた。石川正雄君が四十五点で級長、今井久子さんが四十一点でふく級長にきまつた。みなが一せいにはくしゆした。
そこで先生がいわれた。「今までは、学校からにんめいされて、級のせわをしたので、級長、ふく級長といつたが、こんどはせんきよでえらばれた代表者だから、学級委員長、学級ふく委員長としたらと思うが、みんなはどう思うか。」するとみんなが「さんせいです。」とはくしゆしたので、そうよぶことにきまつた。
石川君と今井さんははずかしそうに、でもニコニコしながらだんに上つてあいさつをした。そして、「みなさんのせんきよで正ふく学級委員長になつたのですから、みなさんのいけんをよく聞いて、組のためにしつかりやります。これからはかげでブツブツ言つたり、二三人がないしよできめたりしないで、自治会をひらいて何んでも話し合い、明るくなかよくやりましよう。私たちのほかに、組のせわをする役員はいりませんか。」という。いろいろそうだんで、組を六ぱんにわけることになり、はんはんで又せんきよをした。
はん長にとうせんしたのは、木村さん、田中君、宮本君、西山さん、山川春子さん、それにぼくであつた。しかしはん長ということばも古いので、新しく学級委員ということになつた。ぼくのはんは八人である。家もきんじよだし、いつも一しよに学校へつれだつて行くものだから、これから一そう力をあわせ、家の勉強や遊びにも、なかよくするよう、ぼくはおせわをするつもりだ。 (上田一郎)

今日ほうか後の自治会で、この四月に行われる知事さん、町長さん、参議院議員、衆議院議員、県会議員、町会議員の六つのせんきよを、大人の人たちが、明るく、正しく、きけんしないようにするには私たちとして、どんなことをするかをそうだんしました。
いろいろ話が出ましたが、せんきよのポスターにする図書と清書を、七日までに書いて、もつて来ることにしました。西山さんが、「明るい選挙、良い政治」「棄権は危険」というポスターを、もう書いてもつて居られました。お父さんが熱心だから、西山さんも早いなあと、かんしんしました。みんなも字や絵を考えて、書いて来ることにしました。 (山川春子)

日ようなので、朝から机にむかつて、ポスターを考えて書きました。お夕はんのあとで、家の人々にみせましたら、よく出来たとほめて下さいました。お父さんの話では、県知事さんは、今までおかみできめられたそうですが、こんどから、みんなでせんきよすることになつて、「これでこそ本とうに我らの県知事だ。」と言つて、うれしそうな顔をなさいました。町長さんもこれからは、ちよくせつ町の人々のせんきよできめるので、この町では、候補者が五人も立つて居られます。木村さんのお父さんもお立ちになります。あの元気な八百屋さんが、町長さんになられたら、きつと役場もほがらかになり、この町にやさいがたくさんはいるだろうと、お母さんがおつしやいました。 (春子)

いよいよ知事さんと、町長さんのせんきよの日だ。ぼくらは自治会できめたとおり、はんべつに分れて、きけんのないように色々なせわをした。男子も女子も、じぶんで作つたメガホンを持つて、町のせまい道から、お百姓さんの一けんやまで、何ども歩いた。杖をついたとなりのおばあさんに、とちゆうで出あつた。「ハイハイ行きますよ、一郎さんたちごくろうさんですねえ。」とニコニコがを。役場通りの方を見るといろいろの人々が元気よく投票に行くのが見える。ふとうしろの方で女の人の声がする、「せんきよに行かないような人は、日本人ではありませんわね。」「世界中から笑われますよ。」と、午後になるとまだ行かない人は、もうわずかしか残つていないことがわかつた。しらべて見ると、ずいぶんお気のどくな人もある。前田のおじいさんは車でつれて行つてあげることにした。かえる道々、おじいさんは車の上から、「ありがとうありがとう」と何どもくりかえして居られた。二はんの女子は、投票所の前で、赤ちやんをあずかつて守をしてあげていた。夕方になつて家にかえつたら、「一郎は声がかれちやつたじやないか。おかみからほうびが出るぞ。」と言つて大声で笑われた。 (一郎)

今日もよい天気です。せんきよの開票で、木村さんのお父さんは、おしいことに次点でした。最高点は、薬屋さんの佐々木さんでした。ばんのラジオできくと、となりの郡では、女の方が村長さんに当せんされたそうです。
学校では、先生にお願いして、二十日の参議院議員のせんきよのお話をしていただきました。木村さんが、「今までの貴族院とどこがちがいますか。」とおたずねすると、「貴族院はとくべつの高いくらいの人や、金持の人などをおかみできめられたのですが、これから参議院の議員は全国民の選挙できめるのです。三年毎に半数の人をせんきよするので一人で六年やることになつています。」大山さんが、「衆議院とどこがちがいますか。」とおたずねしたら、衆議院の方が力はずつと強いが、ある党派があまりゆうせいで、かるはずみなことをきめたり、行きすぎたりした時には、参議院がこれにブレーキをかけて、むりなことにならぬようにするのだ。学問やけいけんの深い人や、全国のある仕事を代表する人などが、えらばれるようになりましよう。衆議院のように、解散してせんきよをやり直すことはありません。」とおつしやいました。 (春子)

この間、先生が参議院のお話をして下さつたあとで、「二十五日にせんきよのある衆議院については、みんながくわしくしらべて来てはつぴようするように。」と言われたので、あれからぼくたちは新聞を見たり、話をきいたりして、けんきゆうして来て、毎日ぎろんするので、みんな大そう物知りになつて、大人の人にも負けない位になつてしまつた。ぼくは今日おばあさんに、それをとくいになつて教えてあげた。
「衆議院は参議院とならんで、国の一番高いたいせつな会です。議員は、せんきよできめた全国民の代表で、身分や、金や、男女のくべつなしにせんきよ出来ます。任期は四年ですが、かいさんになることがあり、その時はみんなせんきよをやり直します。参議院と力をあわせ、国のだいじなきまりを作つたり、国でつかうお金をきめたりします。議員は議会では、何をしやべつても罪にはなりません。ですから、国民の気もちをそのままのべることが出来るので国民の声がよくわかります、」というように、とうとうとせつめいしたら、おばあさんは目をパチクリさせて聞いておられた。 (一郎)

今日学校からかえるとおばあさんが、「一郎や、一つ聞くが、内閣ちうのは何かいな。」と言われたのでヒヤツとした。あまり昨日とくいになつてせつめいしたからである。内閣というのは、いくぶん知つてはいるが、うまくせつめい出来ない。そこへおりよく、兄さんが学校からかえつて来たので助けてもらうことにした。兄さんの話では、「内閣というのは、議会できめた法律にしたがつて、じつさいの政治をやる一番高い役所で、内閣総理大臣を中心に、ほかの大臣ぜんぶがこれに当つている。総理大臣は、議員の中から、議会できめることになつているから、人数の多い党派の人が、おのずとなることになる。ほかの大臣は、ぜんぶ総理大臣が自由にきめるのであるから、強く一致して政治をすることが出来る。この内閣は衆議院で、多数の議員に不信認されると、大臣ぜんぶがやめねばならない。又衆議院のせんきよのあつたあとでは、必ずやめることになつている。」と、くわしく話して下さつてうれしかつた。 (一郎)

この間から衆議院のけんきゆうが組でさかんになり、私たちもこれにならつて、自治会をやることにしました。上田一郎さんの出したあんをもとにして、次のようにきめました。
一、自治会は毎月一かいは必ず開くこと。クラスの四分の一以上が学級委員長に申しこめば、いつでもりんじ会を開くことが出来る。
二、自治会はクラスの三分の一以上の出席がないと開けない。
三、ことをきめるには、出席したものの、半数以上のさんせいがいる。さんせいと反たいと同じ数の時は、学級委員長のいけんできめる。
四、自治会でしやべつた事を、あとであれこれ言わないこと。又一たんきめたことは、クラスのきめとして、みんなが一致して行うようにする。 (春子)

待ちに待つた楽しい遠足の日です。桜の花は、この間の雨ですつかり散りましたが、野も山も、目のさめるような明るいけしきになりました。大川のつつみに上つて見わたすと、麦ばたけの麦と、れんげそうと、菜の花とで一めんにもうせんをしいたようです。あちらこちらで、よもぎをつんだり、つくしを取つたりしている人が見えます。私たちは春風にふかれながら、南へ、南へと歩いて行きました。とちゆう右手の方に、松山町のやけたあとに立ちならんだ新しい家が、日に光つて美しいなあと思ひました。
やつと海の見える岡の上にたどりつき、おべんとうをひろげました。今井さんのおにぎりを包んだ新聞に、全国の衆議院議員にとうせんした人の写真が、一めんに出て居りましたので、みんなで、女の人をかぞえましたら十五人ありました。それから色々と、男女同けんの話に花が咲きました。西山さんが、「この間学校のかえりに、二年生の男子が、女の子たちをいじめて居つたのよ、私ほんとにはらが立つたわ。これから男子にどんどんしかえしをしてやりましようよ。」と言うと、木村さんが、「女は女らしく、ジツとこらえるがよいと思うわ。私この女の代議士なんかきらいよ。」といわれました。それから、「西山さんはおてんばだ。」「木村さんはいくじなしだ。」とみんなでいろいろ言い合いました。今井さんが、「女が男子にしかえしをしたり、つつかかるのはよくないと思うわ。だけど女子も負けないようにしつかり勉強して、男子と力を合せて、政治やいろいろの仕事をするのはよい事と思うのよ。だから自治会でも、もつと女子の人もいけんを言いましようよ。それからじつこうの方も、男子に負けぬようにやりましようね。」と言いましたので、みんなそれにさんせいして、しつかりやることをお約そくしました。 (春子)

ぼくらが体そうしていると、学校の前の道を、たくさんの人が元気よく歩いて行く。あとから、あとからと続いて来る。若い女の人もそろいの服のえりに、みんな花をさして美しい行進だ。織物会社の女子工員だそうだ。「今日はメーデーといつて、働く人たちのほこりを示し、そのむすびを固くする日である。」と先生が話をされた。それから、「これからの日本人は、一人残らず働かねばならぬ。ひとに働かせて、自分は遊んでいて、ぜいたくをするような考えはすてねばならぬ。そのかわり、働くものはきつと楽にくらして行けるようにせねばならぬ。それが通らぬ時には、だまつて居らずに、働く人たちがみんな一しよになり、大ぜいの力でそれを通してもよいのである。ただそのために、世の中全体にめいわくになるようなことはよくない。」と言われた。ぼくたちは行進にむかつて、一せいにはくしゆした。ならんで行く人たちも、こちらをむいて、「ヤアー」とか「サンキユー」とか言つて笑いながら行進していつた。 (一郎)

五月三日、今日からいよいよ憲法がじつさいに行われるので、学校ではあさ式がありました。校長先生のお話の中に、「日本の新しい憲法を、世界の人々が祝つてくれて居ります。今日から宮城や国会に、高く日の丸の旗がひるがえることになりました。うれしいことです。日本人がみんなで、この憲法のとおりにじつこうしさえすれば、きつと美しい平和な国が出来るとしんじます。」と力強くおつしやいました。 それから私たちは、はんべつに分れて、記念のポスターをくふうして書きました。おひる少し前に、みんな出来上りました。教室に六枚の大きなポスターがはられました。みんなのいけんで、二はんの絵が一等にきまりました。青い空にまつ白な大きなはとがまい上り、子供たちが日の丸の旗をふつてそれを見送つている絵です。私たちは駅の前や町の辻にポスターをはりました。 (春子)

朝、教室にはいると、新聞がかりの田中君が、けいじばんに新聞をはりかえている。見ると、新けんぽう記念の写真が一ぱい出ている。天皇へいかが、宮城前のひろばにお立ちになり、すぐ近くに、大ぜいの人々が集つて式をしている。雨の中でへいかは、コーモリがさをさしていらつしやる。文をよむと、「われらの天皇、あこがれの天皇、君が代の歌のなかを二重橋からへいかのお出まし、自動車からおり立たれたへいかは、礼服に中折ぼうし、ズボンに雨がふりかかる。台の上におあがりになると、集つた大ぜいの人の中からだれともなく、『天皇へいかばんざい』のさけびがおこり、それはついに大波のひびきのように、何べんもくりかえされて行く。大臣たちも一しよに、『ばんざいばんざい』をくりかえしている。みんなの顔はいつか雨のしずくと涙とで、一ぱいにぬれていた。」
ぼくもその式の中に、一しよに居るような気もちがする。二三日前の新聞にも、へいかが新聞記者の人々に取りまかれて、ニコニコ話していらつしやることがのつていた。記者の人が、「このごろおからだはいかがでしようか、国民は心配しておりますが。」と申し上げると、「それはありがとう、今年はかぜも引かないでね、元気だから、安心してもらいたい。」とお答えになり、又、この間、絵のてんらん会を見たが、これからの日本は、文化の国として立つて行くのだから、このような会をドシドシやるように、私もああいう会に出来るだけ行つて見たい。」「それから、スポーツはからだも心も明るくするから、大いにやつてもらいたいね どんなスポーツでも、おりがあれば出かけてみたいと思つている。私はスケートのほかは、たいていの運動をしてみたが、ひろくやりすぎてね、どれもあまり上手にはならなかつたよ。」とおおせになる。
又、「地方をまわることは、これからもつづけたいと思つている。気のどくな人々を出来るだけはげましたいと思う。これらの人々が、元気ではたらいてくれるのを見ると、うれしくてね。まだ石炭の山へは行くをりがなかつたが、こんどは行きたいと思つている。ほうぼうで待つているから、早くまわりたい。」とお話なさつている。ぼくの日記を見ると、きよ年の十月三十日の新聞に出ていた、へいかの災害地をおまわりになつた時のおうたが書いてある。

たたかいのわざわい受けしくにたみを
思う心にいでたちて来ぬ
わざわいをわすれてわれを出むかうる
たみの心をうれしとぞ思う
国おこすもといと見えてなりわいに
いそしむたみのすがたたのもし

この間、兄さんが買つて来たアメリカのライフとゆう雑誌を、ふと開いて見たら、天皇へいかのお家でのごようすが、たくさんの写真入りでのつていた。ぼくはあれを見て、天皇へいかは、なつかしいおかた、したしいおかたで、神さまとゆうかんじはちつともしなかつた。これがほんとうのぼくらの天皇さまだと思う。ぼくらは戦争にまけたが、天皇さまはやつぱりおいでになつて、国民のことをいろいろごしんぱいして下さるし、時々ほうぼうをおまわりなさる。国民はみんなへいかをうやまいしたしんで、それで日本の国もよくまとまつて、平和になかよくくらせるようになつたのは何よりうれしい。へいかがあまり政治にかんけいなさつて、後鳥羽上皇や、後醍醐天皇のように島流しになられたり、こんどの戦争のように軍人の人たちが、へいかのおおせだと言つては、むりなことをするのは一番いけないと思う。 (一郎)

五月の自治会を今日開きました。今年から男女一しよになつたので、男子の方にも、女子の方にも、いろいろ言いたいことが多くて、時々ゴタゴタが起きますので、今日はそれをかいけつするために、ディスカッションをやりました。始めは女子は下をむいて、みんなだまつておりましたので、男子ばかりが、次々としやべりました。
「女子は自治会ではだまつていて、あとでブツブツ不平をよく言う。先生にすぐつげ口をする。だからクラスが明るくならんよ。」
「仕事をやる時に、グズグズしていて、早く出来ない。もつと進んでやつて下さい。」
「女子はちよつとしたことですぐにおこる。男子の悪口をよく言う。」
「西山さんは、何んでもすぐ『男女同けん』といつて、ぼくらに食つてかかるからいやだなあ。」
すると西山さんが、おこつたような顔をして、「でも、けんぽうにあるぢやないの。皆さん、こんな男子だけがしやべつて居て、女子はだまつているのはディスカッションじやないじやないの。」といいました。すると女子の方からも、
「男子は何かきめる時に、よくそうだんしないで、むりおしにきめるからこまるわ。」
「めんどうな仕事は、みんな女子にやらすから、不平を言うようになるのだわ。」
「男子はすぐ大ごえでおこる。そして、たたくようなまねをするからこわいわ。」
この時、ふく委員長の今井さんが立つて、「自治会では男子も女子も、思つていることをみんな言い合いましよう。男子は女子をバカにして、いじめたりしないように、女子も、すぐ『男女同けん』といつて、たいこうするのはやめて、もつとなかよく、ほがらかにやりましよう。」と言いますと、それからは男子も女子も打ちとけて、かわるがわるいけんを言い合いました。そしてだんだんに、反省したり、直したり、よくするような話にむかいました。最後に学級委員長の石川さんが、「今までは、ぼくたちが女子は一だんひくいものと思つて、何でもやつたが、あれは先生が言われた通り、まちがつた考えです。男も女も人間としての尊さには少しのちがいもないと言われました。女子の人も欠点を直して、えんりよせずに何んでも、どしどしやつて下さい。今日の自治会で、心の中をのこらず言い合いましたから、これから仲よく、しつかりやりましよう。」というと、みんな「やろう」「やりましよう」と、さかんに手をたたきました。先生が教室のうしろの方から、「みんな自治会がうまくなつたね、たいへんなしんぽだ。」とおほめになりました。 (春子)

日曜日だ、中村君、竹内君と三人で社会見学に出かけることにした。
はじめ中村君のおじさんのつとめて居られるけいさつしよに行つた。おりよくおじさんも見えて、心よくむかえて下さつた。この頃はじゆんさもサーベルがなくなり、服もかわつて少しもこわくない。せいのスラリと高いじゆんさが、入口に立つて居る。かみをわけて、めがねをかけた、ほんとにスマートなしんしだ。若い女の人もいく人も仕事をして居られる。あちらこちらに花がさしてある。中村君のおじさんにあんないされて、応接室にはいつた。女の給仕さんがニコニコしながら、「いらつしやいませ。」といつてお茶を出して下さつた。ぼくらは顔が赤くなつてしまつた。おじさんが、「えんりよせずに飲みなさいよ。」と笑いながら言われた。かべにはきれいなあぶら絵がかかつている。その下に「人権尊重四十八時間の決断」と書いたポスターがはつてある。おじさんにわけを聞くと、
「今まではうたがわしい者をとらえると、いく日もブタ箱といつて、せまいへやに閉じこめておいて、時々つれ出しては、けつたり、なぐつたりして白状させたが、これからは、ちよつとうたがいがかかると、すぐにとらえるというようなことはしない。これは罪人にまちがいないという時に、始めてとらえる。けつたり、なぐつたりして白状さすこともしない。いく日もブタ箱に入れてほつておくのも、これらはみな、人間らしくあつかうやりかたでないから、取りしらべもなるべく早く、長くても四十八時間いないには検察ちようといふ所に送るか、又はゆるすかをきめてしまうのです。」とせつめいして下さつた。「それから、いつか刑務所をけん学してごらん。罪人でもふろも入れるし、本をよんだりすることも出来るようになつている。罪人のおかした罪はにくむべきだが、罪人も人間であることは、そんちようしなければならないのだよ。」といわれた。かえりに門の所で、しんしのじゆんさに、「さようなら」と三人であいさつすると、「やあ、サンキユウ、グツトバイ、」とほがらかにこたえられた。 (一郎)

となりのおばあさんとようじがあつて役場に行きました。新しい町長さんの佐々木さんが、入口のつい近くにこしかけていらつしやる。おばあさんが、「かわりましたね。」と言われると、「ぼくは、せんきよの時にもはつきり約そくしておいた通り、役場につとめるものは、みんな町の人々に、つかえるつもりでおせわをしたい。それには第一に、しんせつに早くしてあげることだ。みんないそがしい身ですからね。それで今までのように、町長が奥のへやに入つていては、おせわが出来ない。この窓口に出て、話せばわかることは、すぐにきめてしまうのです。そして町の人々のことばをよく聞き、したしくならぬと町長はつとまりませんよ。」と言つて、ハツハと大声で笑われました。おばあさんは、「ほんとにねえ、ありがとうございますよ。」と、これも大笑いなさいました。 (春子)

ほうか後、この三月まで六年生の兄さん姉さんだつた人たちが、そろつて学校にたずねて来た。ぼくらは、みんなめずらしそうにそれを取りまいた。校長先生をはじめ、多くの先生が次々と出てこられて、いろいろ話をしていられる。ぼくはこの人たちが、きゆうにえらくなつたように思われた。今まではぼくらの学校にも、高等科があつて、中学校や女学校などに行けない人は、ここに居たが、こんどから、この町にも男女一しよの中学校が新しく出来て、その方に全ぶ行つてしまつた。今までのような入学試験もなく、まずしい者も一人のこらず中学校にはいつた。見ているといかにも楽しそうだ。中学は三年だそうだ。義務教育だから、誰も行かねばならぬし、授業料もなしに中学で勉強し、みんな卒業することが出来るので、今までのように、中等学校に行つた者と、高等科の者とが、いばつたり、ねたんだりして、はいせきするようなことがなくなる。ほんとに気もちがよい。 (一郎)

今日、西山さんのお家に遊びに行つていたら、若い男の人と女の人がそろつておいでになつた。女の人は見おぼえのあるような人である。「カズちやん!」と女のかたが呼ばれると、西山さんがびつくりしたような顔つきをして、あら、ねえさんぢやないの、ねえさん!」と答えて、「久しぶりね、どうしていたのよ、ちつとも手紙もくださらないで。」とつづけて言う。「もう、これからは、いつも来ますよ。」と笑いながら、出むかえたお母さんのあとから、男の人と一しよに奥に上られました。西山さんも奥に入つてしまわれた。しばらくすると出て来て、「春ちやん、私うれしいわ。姉さんがこれから、いつも遊びに来るつて。私にもたびたびいらつしやいつてよ。ほんとうにうれしいわ。ねえ春ちやん。」「カズちやん、どうしたの。」ときくと、「あのねえ、姉さんはズツト前にね、お父さんや、お母さんが反たいなさるのに、どうしてもあの男の人が、しようらいのぞみがあると言つて、お嫁に行つちやつたの。お父さんがカンカンにおこつて、『もうおや子のえんを切るから、かつてにせよ。』と言つて叱つたの。そしたら姉さんは、『お父さまやお母さまの、お考えにそわないで申しわけありませんが、私はきつとごせんぞさまをはずかしめたり、家の名をはずかしめたりしないで、りつぱに世のお役に立つようになつていきますから。』と言つて出てしまつたの。手紙もくれなかつたのよ。」「それがどうして今日はかえつていらつしやつたの。」「それがねえ。こんど、新しいけんぽうになつたでしよう。お父さんが、今日おふたりをよんで、『新しいけんぽうが出て見ると、わしがむりをいつていたことになる。お前たちも、今までのことは一さいわすれて、今日からは親子のつきあいをしておくれ。』と、いま何べんも言つていらつしやつたのよ、私ほんとにうれしいわ。」と言つて西山さんが泣き出したので、私もとうとうもらい泣きしてしまいました。 (春子)

東京の大学に行つているおじさんから手紙が来た。
お父さんも、お母さんも、初男にいさんも、みいちやんも元気ですか。赤ちやんも大きくなつたでしよう。もうじきたんじようびですね。君も一年すすんで勉強がむづかしくなつたろう。しつかりやりなさいよ。東京もだいぶん家が立つて、みんなの顔も明るくなつたような気がする。のりものにのつても、すぐに、どなりちらす人は少くなつて、みんなの心にもおちつきが出来た。デパートにも、いろいろの品がたくさんならぶようになつてにぎやかだ。スポーツも次々とはなやかだが、音楽会、てんらん会もあちらこちらにあるし、映画館はいつ行つてもまんいんだ。ぼくらのほしいのは本だが、ボツボツ良い本が出るようになつた。しかしもつとたくさん出て、安く手に入るようになるのを待つている。学生も本式に勉強にはげむようになつたし、学問は何をけんきゆうしても自由だから気もちがよい。一時にいろいろの花が咲きそろつたように、学問がさかんになるのは楽しいものだ。外国の本もだんだん入るようになつて来た。夏休には早くかえつて、又いろいろめずらしい話をしてあげよう。みなさんによろしく。
六月一日

加藤太郎

上田一郎君

一学期のおわりの自治会をしました。今までの反せいをいろいろ話しあいました。女子も自治会でかつぱつにいけんを言うようになつて、男子と女子のたいりつした、へんな気持はちつともなくなりました。男女一しよになつた四月頃のことを思うと、ほんとにうそのようです。おたがいに、何でもスラスラと言えるようになりました。男子の人も、女子をばかにする人は一人もなくなりました。ほんとによいクラスになりました。日本ぜんたいが、早くこんなになつたら、どんなにかよいことでしよう。 (春子)

まい日あつい天気がつづく。ぼくらの六ぱんの者は朝の涼しいうちに、一しよに勉強するのが何よりの楽しみだ。今日は勉強のあとで八人が、戦争をやらぬ、というけんぽうのとりきめについてぎろんした。
「日本は軍人やそのほかの人が、むりやりに戦争をはじめて、多くの国民をかりたてて、命をすてさせ、家はやかれ、ものはなくなり、とうとう負けてしまつた。宮本君のお父さんも戦死されたし、木村さんの兄さんは二人ともなくなられた。ほんとにお気のどくだ。戦争なんかコリコリだ。ぼくらはこんな戦争が、いつまでも起らぬようにけんぽうにきめたのだ。」
「日本の国を守る戦争だと言つていましたが、外国の土地をせめ取つたので、世界中の人々が、日本をうらみ、日本をきらうようになつたのです。」
「日本は一さいの武器をすて、兵たいは一人もおかないことを、けんぽうにきめました。そしてどんなことが起つても、けつして戦争はやらぬときめたのです。」「外国からせめて来たらどうするか。昔のもうこのように。」「それでもこちらはやらないのです。もうこのようならんぼうな国は、これからはけつしておこらないと思います。私たちは世界に、いつまでも平和がつづくように願つています。又それが、一番とおとい理想だとしんじておりますので、どうしてもそうさせねばなりません。それには日本が、けつして戦争せぬというだけでなく、世界の人々をうたがうことなく、みんな平和を愛する人たちだ、としんじて、それによつて日本もしんぱいしないで、安心してゆくがよいのです。」
「それでも、きつとせめて来ないとは言えぬよ。」
「そのようにうたがい合つていては、世界は平和にはなりません。日本がまつさきに、一さい戦争はしません、せめて来ても手を出しませんと、はつきり言い切つて、どこまでも平和主義ですすめば、世界中もそれについて来るようになると思います。それこそ日本が、世界からしんようされるもとです。」
「そうだ、もうけんかや、戦争のことなんかみんなわすれて、その力を、学問やげいじゆつや、けいざいのほうにむけよう。」
「そうですね、このけんぽうでは、平和ということが第一です。そうして幸福な日本をつくり、世界のためにもつくすのです。戦争にまけたために、日本が早くそれに目ざめたことは、かえつてありがたいことです。」
「そのためには、おたがいが仲よくすることがたいせつですね。」
「そうだそうだ」「そうですそうです」と、みな手をたたいた。今日はほんとにしんけんなぎろんをした。クラスのディスカッションもこんなにしてはつてんさせたい。 (一郎)

ぼくらのはんのそうだんで、こまつている家の手つだいをすることにした。今日は町はずれの百しようさんの所で、田の草を取つてあげた。おばあさんとお母さんと、小さい子供だけでこまつておられる家だ。暑い田の中にいると、顔じゆう汗だらけになるし、こしがいたくてたまらなかつたが、はたらいた後は、ほんとに気もちがよい。百しようさんのなんぎな事がよく分つた。あす、もう一日行つてあげることにした。 (一郎)

大阪の一ばん上の兄さんから手紙が来ました。ぼくは大阪で、今のしごとをしんけんでやりたい。長男だけれども、国にかえつて、家のめんどうを見ることは出来ぬと思うから、家は弟がゆずりうけるようにしたい。新しいみんぽうでは、いままでの家の主人のけんりもなくなつたので、それをつぐこともないようになつた。家にいて、親の手つだいをしている弟が、家のせわをすればよいわけだから、そのうちに一どかえつてみんなとゆつくりそうだんしようと思う。」と書いてありました。それを持つてお父さんに話したら、「それがよかろう。大阪にいては家のせわもしてもらえないから。」とおつしやつた。そして、「これからは戸主というものがなくなり、戸せきは夫婦が中心になるから、子供が結婚すれば、新しい戸せきが出来る。そして男も女もまん二十才以上になれば、自由に結婚できることになり、妻も夫と同じけんりで、力を合せてゆくことになるのだ。ざいさんも長男が大かた取つてしまうようなことをせずに、弟でも妹でも、分けることになつた。家の中でも男がいばつたり、年上だからいばるというようなことはなくなるのだ。」とお話になりました。 (春子)

暑い日だ。今日は電車で大浦へ海水浴に行つた。なかなかのにぎわいで、はまべには大きなテントがはられて、だれでも自由に休むことが出来るようになつている。きよねんまでは、べつそうのならんだ美しいはまには、くいになわを引いて、入られぬようになつていたが、ことしはどこも自由に遊べるようになつた。ぼくらがべつそうの庭の方を歩いていたら、べつそうの人が、「自由におはいりなさい。」と言われる。行つて見るともう大ぜいの人が、べつそうにあがつて休んで居つたので、ぼくたちもそこで、海をながめながらべんとうをたべた。 (一郎)

今日は氏神さまのお祭りです。学校はいつもの通りありましたが、ほうか後に、友だちや妹たちとつれだつてお宮にまいりました。みんな美しい着物をきて、次から次へとつづいて来ます。道のりようがわには、お店がならんで、にぎわつています。もとは県社でしたから、県から使の人がおいでになつて式がありましたが、今はやめになりました。私たちも学校を休んで、そろつてまいることはやめました。先生のお話では、「お宮やお寺は、人からむりにつれられてまいつたり、役所から助けをうけてやるものではない。みんなが自由にまいるものだ。」とのことです。氏神さまは、私たちがおまつりをして、自由に楽しむ神さまです。家ではおすしやおもちなどのごちそうがたくさんありました。 (春子)

けんぽうをひろめる会で講演会がひらかれました。大人の人のための会であつたが、ぼくも聞きに行つた。むつかしいことばが多くて分らぬ所もあつたが、ぼくたちはズーツとけんぽうをけんきゆうして来たので、話のすじはよくわかつてうれしかつた。その中に次のようなことがあつた。
「新しいけんぽうは、国民のけんりを、しつかりと守るようにきめてある。そのけんりのだいじなものは、みんながじぶんのことを自由に安心して行うことの出来ること、じぶんたちのせんきよした人のきめたきまりのほかには、一さいしたがわないでもよいということ、次にじぶんの良心にしたがつて、正しく考えたりぎろんしたりしてもよいこと、どんな人からも、むりにおさえつけられることのないことなどである。ぼくらは何ものもおそれるものはない。」と言われた。
それから終に、「国民のけんりや自由は、けつしてみだりにつかつてはならない。大ぜいの幸福のために、これをもちいる責任がある。自由だからと言つて、一人がつての気ままをしては、世の中はみだれてしまう。又けんりけんりとばかり言いはつて、責任をわすれては世の中はうまく行かない。
「このけんぽうは、どんなにりつぱに書いてあつても、国民の一人々々がこれをじつこうせねば、死んだけんぽうです。毎日のくらしの中に、けんぽうを生かして下さい。」と話された。
今日、新聞を見ていたら、ある百しようさんが、米をなかなか供出しません。かかりの人が行つて、あなたたちがえらんだ役人たちのきめた割当だから、したがわねばならんと言うと、百しようさんは、「だから自分はせんきよにはいつも棄権している。」と言つたと書いてあつたが、こんなことではけんぽうは死んでしまつて、世の中はみだれてしまうと思つた。 (一郎)

九月になつてから、社会科のじゆ業がはじまりましたが、その一ばんはじめの時間に、先生は、「戦争が終つてからもう二年すぎ、しんけんぽうが行われてから三月になる八月十五日に、みなさんの知つているように、外国とのあいだに貿易がひらかれはじめました。いよいよ外国とおつき合いができるようになり、日本でできたものも買つてもらえるし、日本にほしいものも売つてもらえることになり、日本のはつてんと、日本人のくらしとに、きぼうの光がさして来ました。これからは、日本人のたれもが、世界の人たちに信用される、りつぱな国民となり、日本でできた品物は、せかいで、もつともすぐれた、もつとも安いしなものとして、一ばん信用されるものとしなければなりません。
この次は、講和会議ですが、アメリカの力ぞえで、思つたよりもはやく、ひらかれそうです。講和のおやくそくがむすばれると、日本は一人まえの国として、世界の国々と、まじわることができます。
みなさん、新日本に、なにかしらとつぜん光がさして、夜があけて来たきもちがするでしよう。」といわれた。クラスのみんなの顔に、きゆうに赤い色がさして、なんだかうれしいほがらかなきもちになつた。 (一郎)

ぼうえきかいしと、講和会議のお話をきいてから五日のちに、文学ずきの西山さんが、「お父さまに直してもらつたところもあるが、しんけんぽうで生れかわつた新日本では、私たちはこういういきごみでいなくてはと、作つた歌がこれです。」といつて持つてこられました。みんなで声をあげて読んでみました。大そうよく出来ています。

新日本子供の歌
 
一、 朝だ夜明けだ 立上ろう
僕も私も 平和の子
愛と正義を とけ合わせ
さつさ築こう 和かな
平和の国の 新日本
二、 朝だ夜明けだ 立上ろう
君もあなたも 自由の子
義務と責任 かみ合はせ
さつさ築こう 晴れやかな
民主の国の 新日本
三、 朝だ夜明けだ 立上ろう
僕もわたしも 文化の子
文明開化 香らせて
さつさ築こう 朗かな
文化の国の 新日本
四、 朝だ夜明けだ 立上ろう
君もあなたも 科学の子
学問技術 身につけて
さつさ築こう うららかな
科学の国の 新日本
五、 朝だ夜明けだ 立上ろう
僕も私も 道義の子
善と悪とを かみわけて
さつさ築こう すこやかな
道義の国の 新日本

西山さんが先生に見せられたら、「少しむつかしいが大変よい歌です。皆さんはその気持で、りつぱな新日本の子供になつて下さい。そのうちに、歌いやすい曲を先生が作るから、みんなで歌うことにしましよう。」といわれました。新しいけんぽうがじつさいに行われて、夜明けをむかえた新日本の子供として、強くたくましく進むことを、私たちのクラスのみんなが、かたくちかいあいました。私たちのこの気持を、ほんとうによく表したこの歌を、全日本のお友だちの胸に、ひびけとばかり歌える日をたのしみに、曲の出来るのを、今日かあすかと、待ちわびています。 (春子)

[奥付]
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