枢密院委員会記録

枢密院委員会記録


入江


(極秘)

昭和二一、四―五
憲法改正草案 枢密院審査委員会審査記録
(未定稿)

摘要
一、審査委員会
委員長 潮顧問官
委員 林(頼)、小幡、竹腰、野村、井阪、河原、美濃部、遠藤(源)、関屋、幣原(坦)、大平の各顧問官(伊沢顧問官欠席)
委員外出席 鈴木(貫)議長、清水副議長
宣仁親王(第二日)

二、場所 宮城内枢密院事務局
三、日時 第一囘 昭和二一、四、二二 午前十時より午後に至る
仝二〃 仝二一、四、二四 午前十時半より午後に至る
仝三〃 仝二一、五、三 午前十時より午後に至る

第一日(昭二一、四、二二 午前十時より)
潮委員長発言(総理の在席時間との関係上本日の日程に付相談)
鈴木議長の挨拶 本件は寔に重大な案件なり。国内のみならず国外的にも関係大なる為、審理に当り慎重たるべし。
第一に、草案を見ると、天皇制は存続せられることとなつた。第一条に国体護持の明文あり。之に付てはポツダム宣言受諾の際議論が起る。特に先方の回答に付盛んに議論あり。陸海軍と一部は、戦争継続を前提とするから、国体護持と反対に解釈し、之に附和する者もあつた。しかし先方は約束を守る国民なる為、天皇の統治の大権を保障するとは云つてないにしても、国民の意思に任されてゐるから大丈夫と自信があつた。此の点政府の努力により、かかる草案ができて結構なり。謝意を表する。
第二に、戦争抛棄に付てなるも之も重大なり。軍備なくして国が保てるかの問題に付ては、マツクアーサー司令官の演説をきいてゐても、尤もなり。
「柔弱は生路なり。強硬は死路なり」、「柔よく剛を制す」との言葉があるが、之が事実生きる路で、よく之を草案中にとり入れたと考へ、敬意を表する。
幣原総理大臣 議長の御挨拶に感銘せり。終戦当時の御労心に付敬意を払ふ。又二点ともに私も同感である。(以下説明別紙要領の通り。)
尚本案は御諮詢と同時に一般に発表し、与論の賛成を確めてゐる。諒承を乞ふ。又、極東委員会でとり上げて居り、微妙複雑なり。故に特に秘密慎重を要す。本院の審議が外部に洩れる様なことがあると、国内のみならずマツクアーサー元帥の地位にも関係あり。波及する所大なり。諒察して戴き度。
(これより総理に対し説明に関聯する質問に入る。)
林顧問官 本案件は重大なる為、慎重厳粛に審議致度。画期的案作成の苦労に付敬意を表す。根本問題又ここで訊ね、後は他日にゆづる。
我国の主権の所在はどこにあるか。天皇の法律上の地位は如何。観念的には、主権の所在は国家にある、天皇にある、国民にある等種々の説あり。この案がその中どれをとるか。主権在民と見る者が多い。(新聞、学者、政党等)。共産党はさうはなつておらぬと反対に解す。マツクアーサー元帥も主権在民として居るらしい。しかし明文上はつきりせぬ。この問題により天皇の御地位もきまつて来る。
総理大臣 総理として、之が主権在民説かどうか、私に答へる資格なし。しかし常識的にかく考へる。即ち、前文に、国政の権威云々とある。然るところ国民は天皇を離れて考へられぬ。常にその中心的存在として、天皇を奉戴してゐるものと考へる。詳細は松本国務大臣より御答へする。
松本国務大臣 抑々民主主義といふものは、国民の意思を中心とする。政治的には国民が主権をもつてゐる。政治的にして民主主義をとる以上、主権在民はその要件となるが、之も政治的観念なり。法律的に主権なり、統治権なりが、どこにあるかは、法律学者の構成する所なり。現行憲法に付ても、いろいろ説はありうる。之に比すると改正案は、政治的には一歩主権在民の方へ進んでゐる。法律的には、私個人の見解としては、日本国に統治権があると解する。而して恰もこの両者の立場は合致するものと思ふ。
林 憲法は政治的にも意味大なるも、法律的にも曖昧にしてよいわけでない。主権がどこにあるかと云ふ根本の問題は、法律的に明かにしておく要あり。かかる問題を憲法起草の際はつきりとせず、偏へに学者の見解に任せるといふことは、納得できぬ。まづ法律的にどこにあるかを明かにし、次に政治的に之を考へると云ふ順序に立つべきである。松本大臣のいふ如く、国家に主権ありと云ふ見解は今日余り採られてない。天皇を中心とした国民にあるといふ総理の説には一理を認めて敬意を表する。大義明文の問題なる為はつきりさせたい。
幣原 主権在民が、人民を君主に対立せしめて、主権がかかる人民に存するといふ考へ方は、草案はとつてゐない。古来我国は、君民一致なる為、主権は天皇を中心とする国民の全体にある。松本大臣の国家と云ふのは、かかる国民をさすものと思ふ。
松本 総理の御説の通り。国民全体の団体に、政治的に主権あり。之は法律的にみて国家の実体を成すものである。各個の国民統治権があるとみる事は、それが同時に統治権の客体になるものであるから、主権が自己から出て自己に迫ると云ふことになり意味をもたぬこととなる。政治的には主権は国民に存し、それを法律的に構成する際にはそれは法人の実体たる資格を有する団体たる国家に属すると見るのである。これが国家法人説であるが、憲法上規定する必要はない。
美濃部 議事進行に付発言。問題を限つて、その問題に付各委員が自由に発言する事にしたら如何。私は、そもそもこの草案を政府が発案した事、及び枢密院に御諮詢になつたこと自体が最初に問題になると信ずる。
潮 それも一方法であるが、差当り従前通りに行き度。美濃部顧問官の意見はその順番の時にのべられたし。
林 主権に付、現行憲法と同様か。それとも現行憲法は天皇にあり。今度は異なると云ふ具合に変革したのか。
松本 法律的に構成するときは変更なし。政治的には実体が大に異なる。規定の上からみても、異なることは明瞭。
林 今の答弁は世間一般の方へ方とことなる。しかし政府がさうであるとするならそれでもよい。次に天皇の御地位には、主権が国家にあるとして、国会が国権の最高機関とあるから、天皇はいかなる機関か。次に天皇の御地位が国民の総意に基くとある。故に天皇の御退位も国民の総意により行はれることが可能か。
(総理退席)
松本 根本問題に付お答する前に憲法草案成立の来歴に付説明致度。それをお話することが各条項の御審議に役立つと思ふ。
潮、林 承認す
(松本大臣より草案成立迄の経過に付説明あり)
松本 天皇の御地位を判定する前に、国会が国権の最高機関なることを説明すべきも、民主主義の下では民意を直接に代表する機関が最高であるとみざるを得ない。第三十七条はその趣旨なり。事実に於て立法以外内閣総理大臣の指名、国務大臣任命の同意、裁判官との関係等に付ても然り。天皇は第一条で象徴として日本国を表現する。しかし政治に関する権能はない。この点現行法とことなるが、維新前の歴史では天皇の親政は寧ろ稀なり。又、現行法の下でも他の機関を御使いになる。故に実際の運行上は従来とさしたる差違なし。
御退位の点は、典範がいかに定められるかできまる。御退位を憲法が直接国会に任せてゐる規定はない。国会の議決による退位は憲法がみとめてゐない。
林 松本大臣自身にとつて不本意な点のある草案を何故さやうに急いで作らねばならぬか。草案成立の来歴をきいてもまだ納得できぬ。まづこの草案は最も民主的である。米でも大統領に拒否権あり。裁判官の弾劾に付ても本案の方が進んでゐる。世界で最も民主的な憲法といへる。故に、これ以上民主的な憲法を他から押付けられることをおそれる要もない。
次に国体の問題の問題に付、ソ聯、濠、ニユージランド等の意見が過激になつておるとの事だ。しかし日本の国体形体は、日本国民の自由に表明した意思できまることは、ポツダム宣言で明定されてゐる。故に左様な動きを恐れる要なし。この点如何。
松本 一応尤もなるも、実情は然らず。
国体に付、往復文書は、一応日本国民にまかれてゐるが如きも、ポツダム宣言は日本国民を拘束するものであつて、聯合國は拘束されぬ(条約でない)と九月六日頃にトルーマン大統領は云ふ。これは正しくないかもしれぬが、現にさう云つてゐる。私の見解では、私法的になるかもしれぬが、国体に付、聯合国側に黙示の意思表示あり。故に聯合国も拘束されると考へられるが、先方はさうはとつてない。事実GHQとの交渉では種々の表現の中に情勢はきはめて緊迫してゐたことを看取できた。マツクアーサー元帥自身も匙をなげるばかりであつた。物事が理屈通りに行くなら心配しない。どうしてもこれより外に国体の護持ができぬ所に行きさうであつた。なほ後の機会に総理からお答へ戴く。
vetoに付、米式(Presidential Democracy)と英式(Parliamental D.)では憲法がことなる。前者は三権分立で議会と別に民意に基く大統領がある。之と同様総理大臣を公選できめる方法も考ヘられるが、はじめはそこ迄考へず英国式に考えた。英のはConventionの上でVetoはないともいへる。しかし天皇のvetoは実質からいへば、責任政治体制を採る以上大したことではない。

林 トルーマンのその様な声明は信ぜられない。又Democracyは道理によつて政治をする筈だから、不本意に非道を呑み込む要はないと考へる。しかしこれ以上もう論じないことにする。第一条に国民の至高の総意に基くとあり、又、第二条も皇位は世襲といふこと以外はきめてない。故に万世一系の天皇が之を統治するといふ趣意にはあはない様に改正も出来ることになるか。
松本 第一条の定め方をしたのは、日本国民の意思に基くと云ふことを云ふてゐるので、具体的な天皇の身分にふれてゐない。又世襲といふことは憲法上きまつてゐる。故に万世一系になる。
林 世襲は万世一系と異なる。又第一条の至高の総意に基づく云々は、これ迄も同様か、ここで新しく定めたのか、前者なら歴史に反する。
松本 第一条が現状とちがふかは見方の差なり。政治的には国民全体が之を推戴することに変りない。民意とはなれて天皇の地位に即かれてゐたとは歴史上言い得ない。歴史上常にさう。今迄と変つたものとは考へない。
林 天壌無窮の神勅を否定するか。
松本 神勅文で皇位が保たれたものとはおもはぬ。国民の推戴が力になる。
林 それなら、第一条後段は法律的に意味なきや
松本 法律的に意味なしと云ふより、むしろかく書いたからさうなるといふのでなく事実を明かにしてゐるのである。
林 第一条の象徴と云ふ意味如何。この字はありふれた漢和辞典にはない。無形な観念を有形なもので髣髴せしめることを云ふとあるものもある。しかしこれではわからぬ。その実益如何。日本国民統合といふこともわからぬ。統一融合か。我国では反駁分裂と云ふことは本来ない。故にunityと云ふ観念は、日本の国法学では重要でない。領土、人民、主権以外にこんなことをとり上げなくともよい。米の聯邦の翻訳的な感あり。
松本 象徴とは抽象的なものを具体的に表現する。故に外交文書でも天皇が日本を表現する。又統合云々は、日本国民の中心点となつてその旨を表現する意味なり。その法律上の効果はわからぬが、例へば日本国を表現するとき同時に日本国民の統合をも表現してゐるともいへよう。外国ではStatutes of Westminsterに例あり。日本国民は各個のものはばらばらである。
林、 日本国民の中に天皇が含まれると云ふ事は先例なし。朕は国民と共に在りと云はれるときも、共にあるといふことは含まれるといふ事ではない。
第三章の国民の中にも天皇が入るか。
松本、 国民の中に天皇が入ると云ふよりは、国民が何々すると云ふとき、それが纒つたものとしてやるなら、それが統合されているので、その中心点に天皇がましますことになる。しかし第三章の国民は各個の国民なる為天皇は入らぬ。
林、 天皇の基本的人権に付何ら規定なし。不可侵権もない。故に天皇は一般の人民より保護がうすいがそれでよいか、
松本、 天皇に第三章の適用なし。又、政治上の無答責の規定あり。不可侵権はないが第一条の当然の結果なり。現行憲法制定当時も不可侵権の規定をおくかどうか議論があつた。天皇はかう云ふ事を超越するものと考へる。
林、 反対なり。天皇が主権者なら答弁の通りになるが、主権はない。
機関にすぎぬからさうはいかぬ。又裁判権も天皇の名に於て云々の規定なき為当然及ばぬと云ふ事になるまい。他に細かい規定があるのにそれを欠くのは如何
松本、 前に申したやうに解するの外なしと私は考へる。
林、 主権の所在と天皇の地位に付質問をおはる。
小幡顧問官
英文をみると、主権と明瞭にある。故に主権ハ国民に移つたと見なければならぬ。憲法上諭によると、今迄は天皇にあつた事は明かである。
松本、 政治的には民主主義は民意が原動力になるべし。故に論文にかく書く事はやむをえない。現行上諭と表現が、ことなるのはやむをえない。立憲政治なら事実においてかくなる。今回の論文には実質を云ひすぎる程赤裸々に表現してゐる。しかし実質に大なる変革なきかぎり表現は、外国との関係もある為、云ひすぎでもないと考へる。
小幡 本草案の修正は実際において出来ぬ事になるか、議会の修正とGHQ、極東委員会、対日理事会との問題如何。
松、 英文で同時に各方面に発表してゐる。政府としては実質を変更できぬ。議会の修正は法律上出来る。出た案に含まれぬ事項に付ては出来ぬかもしれぬが、かかる全文改正の場合にまず何でも修正出来よう。しかし実質は却々問題なり。
小、 このまま行けば外国からの修正はないか
松、 まずないと云ふ暗示がある。それが、つまりこの案が出来た事情でもある。
竹腰顧問官
英文と日本文とどつちを原文と考へるべきか。
松、 日本文なり。しかし両者の相違は今后も調整の要あり。
野村顧問官
本草案は主権在民と思ふ。天皇はpeopleの一人で、stateのSymbolなりと解する。先程からの松本大臣の答弁は余りに政治的なお答と思ふ。
井坂顧問官
国民の権力が大きくなるが、それを行使する国民に課せられた義務は何か。第十一条では明瞭を欠く。
松本、 例へば第十九条は第二十条に比し、公共の福祉云々の字句はないか。勝手な事と許されない。第十一条で大きく抑へる。従つて国民の権力増大の反面義務がないからと云ふ心配は要らぬ。
河原顧問官
国体は護持されてゐるか。第一条があればよいと見るか。
松本、 見方の問題なり。故に国務は従来とも天皇親らは行はれない事多し。天皇は尊敬の的なり。この点第一条で国体はのこる。なほ国体の如き憲法でいかに書いてもなににもならぬ。ラテン諸国、ワイマール、スペイン憲法執れも然り。実質に重きをおき国体を護持して行き度し。
河原 国体と云ふ語がきまつてないから、見方の差も出て来る。しかし政府として天皇といふ語が憲法の中にあれば、国体が護持されたとみるか。
松本、 天皇が国民の中心にある。仰いで以て尊敬する中心にあると云ふのが眼目なり。むしろ日本は天皇が立憲的に行動されたため今日の悲運にあつたともいへる。先方はさうは考へない。故にこの実質を或程度はつきりさせて誤解を避ける要あるべし。
河原 象徴を中心と改めたいが、議論になるからやめる。
美濃部顧問官
今日の改正は枢府に諮詢されたが疑あり。憲法第七十三条が現在有効と考へられるか。それなら、議案は勅命に依るべきである。又、現に改正案においては、それを不適当と考へて廃止せんとする貴族院に付議するのか、又原案にない事項に付追加は出来ぬと云ふから修正権は制限されたものと考へるか。又御裁可に依り改正が出来上るべきなるに拘らず、前文は国民自ら制定する形となり虚偽の声明になる。私はポツダム宣言及び降伏申込及び聯合国の回答覚書で、日本の憲法の抵触部分は無数になつたものと解する。故に第七十三条は、自由に表明した意思云々に反し効力を失ふ。実際問題として原案の力に大きい。現在憲法改正の手続は未定の状態に在ると信ずる。故に枢府の審議も出来ぬ。憲法改正手続法を次の議会で議決すべし。故に一先づ本案は撤回して然るべしと信ずる。
松本、 果して然らばその手続法は何によつて制定するか。憲法改正手続法と云ふ法律で憲法を改正する手続を定める事は出来まい。議会で発議するとすればそれは法律改正手続と同様になる結局第七十三条を働かすより外あるまい。第七十三条のみを改正する案も考へる段階なり。しかし結局実質において民意を尊重すればよいので、五十歩百歩の差のある所を踏みきつた。すると前文が第七十三条とあはなくなる。この前文を削除し度と思つたが出来なかつた。しかし一応前文は勅命でかくかくの案を出すと云ふその内容になる為、筋を通すことができるともいへる。
美濃部 政府が原案を出すからかかる屈辱的案になる。国民の代表たる憲法審議会でやればもつと尊重されたる事にならぬか。故に第七十三条に代る規定を次の議会で設け度し。しかし議論になるからこれで打切ることとする。
(散会)
備考 政府側出席者
幣原総理大臣、松本国務大臣、入江法制局長官、佐藤法制局次長、井手法制局第一部長、渡辺、佐藤法制局事務官

第二日(昭和二一、四、二四 午前十時半より)
遠藤顧問官
主権の所在が根本の問題なり。前囘で一通り判明する。しかし明確にする為に二、三ききたい。
第一に、国体と政体との区別如何。私見によれば主権の所在は国体の問題なり。政体は主権の運営、政治の問題なり。前者に付ては君主国においては君主は主権者なりと考へる。英国においても主権は君主にある。(統すれど治せずと云ふ語はあつても)。我国は歴史的にみても、その他の点からみても、君主に主権ありと信ずるが草案は如何
松本 国体と政体の別に付ては議論はいろいろあり。現行憲法及び君主国の一般では主権は君主にあるが、草案では如何と云ふ点に質問の趣意があるとおもふが、政治的意味における主権と法律的意味における統治権とは区別して考ふべし。政治的には民主国なり。主権は国民にある。英国も主権は国民にある。民意により政治が行はれる。之は疑なし。然らば法律的の構成はどうか。英国にも問題あり(立法権はKing in parliament、行政権はKing in Councilにある等)之は学説はいろいろある。憲法でその点を明確に規定したものはない。英はもとより不文法なり。学説としては国にあると解するのが正しいと思へる。我国の学説としても第一条において天皇は国の象徴なる為、象徴たる天皇に主権があると云ふ説も成立せぬわけではあるまい。しかし適当ではなからう。
遠藤 政治的意味の主権は、基本でなく主権の運用の問題であると思ふ。草案において主権は天皇が御一人でおもちになつてゐるものでないと云ふ事丈は確かなり。故に従来と異なることとなる。
松本 法律的構成論は政府は申上げられぬ。学者にまかせるべき問題なり。故に私見としては国に主権ありと考へる。
遠藤 学者は文字をみて解釈せねばならない。故に文字の上から判然ならしめることを要する。そこで憲法上諭に"国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて云々"とあり、又発布勅語には「朕ガ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ云々」とある現行憲法上疑なし。又歴史的にも疑なし。之と異なるか。
松本 ここで学理論は之と変らない。現行憲法も明確でなく、理論上かくあるべしと云ふ反対論もある。故に学者の説にまかせたい。憲法に一定することは適当でない。又一昨日の説明であつた様な事情もあり、これを明瞭にかく事は実行し難き事情にあつた事は諒察され度。
遠藤 学者は文字により解釈するから、天皇に主権なしと云ふ説の出る虞ある文字はさけ度。即ち前文がいけない。かかる解釈が出ることは差支なきや
松本 前文の文字等は政治的意味の文句なり。故にこの文字あるが故に法律的意味において主権が国民にあると云ふ説は出てこまい。のみならず国民と云ふ漠然たるものに主権があると云ふ事は解し難い。
遠藤 そこ迄行くと意見の相違になる。前文に"陛下の御意思に基き、陛下が国民と共に之を定める"と云ふ字句を加へられぬか。国の基本の事は、政体とことなり当方がきめてもよからう。国民の語の中に天皇を含み一つになつたものを考へると云ふのは、国語として私達の使つてゐる意味とことなる。
三月五日の勅語の中にも「朕曩ニ…日本国政府ノ最終ノ形態云々」とある。故に之をとり、前文の最初を「朕曩に…政府の…のものなるに顧み、国会における正当に選挙された代表者を通じて行動すべきものなるを念ひ、我ら自身と子孫の為に云々」となほせぬか。暗々裏に主権在君をあらはす。国民も君主と別に考へる。
松本 改正案には勅書をつけて付議するので、両者を併せば大体御意見の通りにならう。又国民の中には天皇が入らぬが国民の総意云ふときは、国民統合の象徴たる天皇の御意思を無視して考へられぬ。と私はかく考へる。
遠藤 前文は人民が君主に迫つてこしらへた様な考へがする。故に前文をとりたいが、とれないならせめてモデファイしたい。
第一条に関し国家の性格に付てはいろいろ説があるが、君主が人民と一緒になつて主権をもつと云ふ説はきいた事なし。国家法人説は国家が国際関係に立つときはじめて生れて来るものなり。国内法の関係で国家に人格があらうがなからうが大した事なし。憲法は国内法の問題なり。外国と関係なし。主権の所在と云ふ点からいへば人民にあるか、君主にあるかのどれかにきまる。それはしかし事の実際はそれが誰に運用されるかに重要性がある。
松本 政治的意味の主権と法律的意味の主権と混同されてゐる様にきこへる。外国との関係のみならず、国内の私法上でも国が損害賠償の相手になる、又行政裁判の対象になる。統治権の関係で何故之を否定しなければならぬか、わからぬ。
遠藤 私は法律論をしてゐる。政治に関する部分の法律論なり。混同しない。又草案に主権の所在をかけと云ふてゐるのでない。消極的に天皇に主権なしと考へられるやうな字句を除けといふのである。しかし議論になるからこれで打切る。
関屋貞三郎顧問官
細かい点は後にする。
前文はどう考へるべきものか。憲法の一部なりや。
松本 前文の性質はどう云ふものか、六づかしいが、憲法の一部を成す。日本国憲法の標題の次に規定してある。これに憲法の立案の根本的趣旨が規定してある。故に法律的より政治的意味のものなり。
関屋 国民感情にあはぬものは、さけるべきなり。国民感情を刺激する文字をさける様に、G.H.Q.に交渉すべきでないか、之は政治論なり。至高とか、信託とか云ふ事はわからぬ。憲法は他の法律とことなり、天皇も、国民も、政府も束縛するから、国民感情を刺激する字句をさけなければならぬ。
戦争抛棄は内閣が英断を用ひ、どうせ戦争出来ぬのだから先手をうつた事になる。唯、不戦条約との関係はどうなるか。
天皇の拒否権は如何。
参議院の構成に付てはいかなる案あるや
東大法学部で教授が集り憲法問題を研究してゐるが、進歩的らしいから、之を参考にすべし。
憲法は緊迫した空気の中に生れたから、理想的な事をいつても仕方がないが、内外にいろんな影響を与へるから、国民感情もよく考えよ。以上希望なり。
松本 御希望は御尤もなり。前文と字句の謙らぬ点に付ては、同感。
信託と云ふ点は、他の法律と異り、大陸法系と離れて、英米法系の信託法があるが、その観念からみるとわかりやすい。それによると受託者に表面大権利がうつるが、実体は信託者にのこる。そして権利行使は受益者の利益に基くのである。
又東大の研究に付ては、政府としては、時間もないから原案を変更する意思はない。しかし議会に於て論議されるのは別なり。
戦争抛棄と不戦条約に付ては、不戦条約が尚効力ありや、日本が各国との条約関係から離脱した事にならぬかの二点でもはや不戦条約の条約国としての義務はないとおもふが研究する。
只本憲法改正案は不戦条約と精神はおなじ。尤も不戦条約には自衛権等の条件があるが、今日の第九条も私見では自衛権を否認したものであるまい。
二院制の点、参議院の点は経過は一昨日話した通り。こちらの案ともことなる。こちらの案は参議院は英の上院にやや近い。或点ではそれよりやや近い。又勅選的なるものもおきたいと考へた。しかし結果は権限は弱く又構成も選挙された番に限ることとなる。但し間接選挙も出来る。職能代表は少し問題。臨時法制調査会で研究することと致し度も私見としては、被選挙権を制限し、その範囲を職能的にきめ、それを間接選挙で選挙すると云ふ事を漠然と考へてゐる。
関屋 憲法を改正し、貴族院を新にして、その上で改正案をかけるのが妥当ならんも、その余裕がないのであらう。参議院の構成はその条下で又論じ度し。只改正案全体を通じ民主的な批判を活溌にやらせれば、聯合国司令部の方でも国際状勢によつてはその批判を採用する事もあらう。
幣原顧問官
聯合国との交渉がきりぎりの所迄来てゐるらしいので、政府の労苦を多とすると共に、之を諒とする。内容はやむをえない。しかるに外貌は和洋折衷的日本人がよいと異様な感をおこす事あり。言表し方を整理することはどうか、例えば戦争の抛棄の章第一項はwar is renuncedを抛棄すると書き、第二項は受身にかく。之はなほせないか。
松本 形式は整つてゐるものとはおもへぬ。しかし第二項で、これを許さない。これを認めないと書いても語弊を生ずる。言表し方の問題に付ては広く御注意を戴き度
太平顧問官
天皇制の存置は明かなるも、国体の護持は出来たかどうか疑はしい。第一条に付ては"英のKingはSymbolなり米のFlagの如し"と、米人は云ふ。故に国体は護持されてゐるとはいへまい。そこで学者のやる法律的解釈として国体護持をみとめる余地ありや。G.H.Q.の空気は想像出来る。ぬきさしならぬ。故に明文をおけまい。又下手に交渉して、かへつて薮蛇になると困る。天皇の実権は古来の歴史にも消長あり。虚位を擁する事もあつた。故に此の際は却て明かにしない方がよい。
松本 法律上の構成論としては主権は日本国自体にある。現行法も然り。法律上の単純な論としては、その点は変つていない。実質論としては如何かと云ふと最近の実情とことなる。しかし国体と云ふのはどこで線をひくか。どこから変つたとみるか、日本の天皇の実権に消長あり、むしろ政治上の権力をおもちになると却て国体は良い。日本の国体は天皇制でないか。かかる草案の向きの改正が天皇制を護持する。永遠に護持する所以でないかとおもふ。表現の点では遺憾の点あり。
(総括的質問の続きに入る)
林顧問官
国号を改正する事になるか、(大日本帝国を日本国に)。
この草案は民主主義と平和主義の二大特徴をもつとの事なるも、憲法は基本法律なる為、まづ法律的にどうか、次に政治的にどうかと云ふ順序に研究すべきものなり。主権がどこにあるかと云ふ事を学者の議論に出ぬ様に明瞭に規定すべきなり。(他の書き方でこれがわかる様にしても可)。前文の日本国民の意義。総理と松本大臣と意見がことなる。前者は国民と云へば天皇が入る不可分なり。後者は、国民と云へばその中心に天皇ありとみる。私はどれにも反対なり。不可分関係にあるもの(親子、夫婦)を指すとき、その一をとりて全体を表す事は不可(例へば親とか、妻とかで親子、夫婦を表わす)なり。又中心論も、戸主は家族の中心なる為、家族とすれば戸主も入るといふことは諒解できぬ。私は、天皇は或特殊の関係で特別の地位につく、その他の関係では国民peopleの一人なりとおもふ。天皇は機関といふは特別なものなり。前文の国民の中には当然天皇も包含される。
口語体でわかりやすい。しかし第一条の象徴、至高の総意等はわからぬ。術語がむづかしい。国体護持と皇室制度の存続と同じかどうか。違ふとおもふ。統治の大権が天皇にないと国体の護持にならない。第六条及び第七条は機械的で才量の余地なし。これは"国体の本義"にもある、現行の憲法で認めた国体を変へるなら、古の時代の如何にかかはらず、国体の変革なり。
松本 国号の点については、現行憲法と表現はことなるも、今囘国号を変へたものとはおもはぬ。条約では従来日本国皇帝はと使ふ事多し。日本国が国号なり(然らざれば数多の条約は無効)。憲法の言表し方の問題にすぎぬ。
主権の所在は明瞭にせよと云ふ点は議論になる。現行法の下でも然り。法律的に曖昧にしてよいといふわけでない。法律的の実在ははつきりしてゐる。しかし法律的構成論はことなる。いかに構成するかの仕事は学者の仕事なり。権力の主体は人格者たるべし。国民は人格者でない。前文の文字は政治的な意味しかもたない。この点は意見の相違かも知れぬ。国民の中に天皇が含まるるや、前文と第三章にある国民の意義について特に問題となる。私は前文と第三章は異なる前文は政治的の民主政治の闡明で国民といふのは天皇がその中心に立たれると思ふ。しかし第三章のやうに個々的に国民を指摘したときは天皇はこれに入るまいと思ふ。
表現はよくないがやむをえない。国体護持と天皇制護持は、私見としては同じと思ふ。もつともいはば天皇家の護持は国体の護持ではない。これに反し天皇が国の中心点に立ち国を表現してゐると云ふ事は国体なり。之は天皇家の問題ではない。国民が天皇を仰いでもつて奉戴する事は肇国以来かはらぬ。実権の方は変遷多し。なほ国体の本義と云ふ本は廃止する事にした。
林 国号の点と難解なる字句の点はお答を諒とする。他の点は議論になるので一応以上に止める。
戦争抛棄に付自衛権はない様にとれる。世界の公正と信義に託するとは理想郷にすぎる。第九条に第一項の外第二項あり。故に自衛戦は出来ぬことになるか。
松本 第一項は戦争を仕掛ける方の抛棄なり。この外第二項があるが、これは外国から戦争を仕掛けられたとき、立ち上らぬと云ふ事ではない。この場合反抗することは当然なり。只軍備をもたぬ、その結果として交戦権ももたぬと云ふ丈なり。それなら自衛権ありと書いたらどうかと云ふと、これは又自衛権の名にかくれて戦争をする事になる虞があるから賛成出来ない。
野村顧問官 自衛権でやつた戦争は交戦権でないと云へるか。
松本 この交戦権による戦争ではない。堂々たる宣戦布告の戦争ではない。自衛といふ働き自身を憲法で禁ぜられるものではない。
潮委員長 横田教授は第二項は第一項の範囲で適用されると解してゐるがかような見解については如何
松本 いろいろ説はありうる。しかし憲法の規定は自衛と云ふ行為をおさへきる性質のものではないとおもふ。
井坂顧問官 我々の議論は通らぬ(G.H.Q.との関係で)。国体は万世一系の天皇が日本国を統治されると云ふ点にあり。これは草案で護持されてゐるとみるべきであつて、それ以上は許されない。故に議論は無駄なりとおもふ。
松本 実際はこれで行つて差支なきやと云ふ観点で扱ひ度。当時としてはかかる作成はやむをえなかつた。反対したら危険であつた。
河原顧問官 天皇制の存続と天皇の地位の尊重は規定されてゐるが、皇族の特別の身分はどう考へるか。
松本 皇室典範に規定する。しかし皇族の地位に付ての根本の観念は、現在と違ひはない様になるべきものであり、又さうなる様に国民は考へてゐる。
河原 華族その他の貴族の地位はみとめないとの関係如何
松本 華族は華族令の華族、貴族は朝鮮貴族等をさす
河原 皇室典範は法律なりや。
松本 法律なり。特別の形式とするやうに交渉したが、意を達しなかつた。
美濃部顧問官 改正案の提出は政府の正当な権能でないとおもふので、本院は撤回を要求すべきでないかと考へる。それに関聯して、前文に国民が憲法を制定するとある。欽定でなく民定なり。しかるにその原案は国民の代表に非ざる政府、法制局がどこかと交渉して秘密裡につくり、それを枢密院にかけ、次に天皇の御発議で議会に提出し、その限られた修正権で議決し、しかも御裁可を経、天皇の名で公布する。之を国民が制定したものといへるか。前文は全く偽りの声明とみないか。根本法の冒頭にかかる偽りをおこなふのは不適当恥ずべき事なり。
第二に議会は両院から成立つ。その貴族院は国民の代表として不適当なりとして、政府自ら改正案では廃止しようとする。それにかけて改正する事は穏当なりや。故に憲法会議(一院制が妥当と思ふ)を開き、之にかけるべきなり。政府はそれを作る手続をとるべし。之が唯一の穏当な方法なり。又御裁可で成立するのでなく、国民投票によるべきなり。
松本 第一点は実質の議論であり、形式の議論でない。形式の点で国民が制定すると云ふ事はありえぬ。憲法議会及び国民投票の方法を採る場合でも然り。いかなる程度迄やれば憲法にあふかと云ふと見方の問題で、五十歩百歩なり。現行の憲法下でやれば第七十三条で行くよりほかなし。又裁可については第七十三条に規定がない。ないが裁可された方が穏当なるべし。しかも不裁可と云ふ事はかつてないから、全くの形式なり。故に実際的に考へると、それ丈゛け複雑な手続で改正するよりそれで行くべし。蓋し、内外の要求は改正を急ぐからであり、又、手数をかけても、結果においてはこの草案と同じだろうからである。
遠藤顧問官 第九条につき、国の主権の発動たる戦争と云ふ意味如何。
戦争は外国戦争のことなる為、主権の発動といふことは当然なり。却てかやうに書くと私兵ならよいといふ風にとれる。今まで軍閥は私兵化してゐたから妙な事になる。又自衛権はあると解する。又交戦権は戦争を仕掛ける権利とは普通は見ない。戦争をして人を殺しても犯罪にならぬといふことは、交戦権の効果なり。今後自衛戦は犯罪となるのでは困る。それなら仕掛ける権利の意味に解するより外なし。従つて第一項で充分なり。交戦権云々は削れぬか。
司法権の中に行政裁判権は入るまいと解する。又、行政裁判所は特別裁判所でない。すると行政機関云々が問題になる。第七十七条第二項の権限は従来は司法裁判所も行政裁判所ももたぬ。この点からみて行政裁判所はのこり、その上に最高裁判所をおく意味か、又は大審院を最高裁判所になほして、行政裁判所はその中に入る意味か。どちらか。
松本 国の主権の発動たるは戦争にかかる。学理上の必要がないが趣旨を明かにする。又国の自衛の為のやむをえず戦争をすることは、国内法的に犯罪となる事はない。行政裁判所は廃止する。行政裁判所は仏のコンローニデタからおこり、大陸系のもので英米系のものでない。これは人権の保護に関するから、やはり特別裁判所になる。大審院が最高裁判所にそのままなるわけでないが、統一した最高裁判所なり。
関屋 国家聯合なら兵力をプールする事になるが、それと第九条との関係如何。
松本 UNOの制度はいつ迄この形でつづくか疑問であるが、日本が之に入り得るときは兵力を提供する必要あるべし。そのときは憲法改正の要あるべし。第九条は現状で、国外声明的な意味なり。
関屋 表現は日本の法律家だけでやるのか。国語の専門家も参加したか。Symbolといふ語は英文では一囘なのに、日本文では二囘になる。
松本 文部省の教科書局の事務官も参加した。表現自体に制限ある為面白くない所ものこる。
幣原 第九十三条につき、日本の憲法になにゆえこれをかかねばならぬか。「人権は」は「侵すことのできない云々」に直結すべきでないか。
松本 重複する嫌もあり、又世界の基本的人権の歴史を書いてゐるのでおかしいといへるが、基本的人権の重大性に鑑みここに再録したものである。
潮 施行は公布の日より六ヶ月になる。故に七月公布としても来年一月頃になるとおもふが如何。 松本 五月中旬劈頭提出し、六月中旬両院をおへ、下旬に公布したい。そして今年末施行し度、しかし来年になつても拠所なし。
(散会)
備考、 政府側出席者 松本国務大臣、入江法制局長官、佐藤法制局次長、井出法制局第一部長、渡辺、佐藤法制局事務官、

第三日(昭二一、五、三 午前十時より)
林顧問官 民主憲法で主権は国民に在るといふ建方によめる。我が国で主権在民などといふ考へ方は全然なかつた。現行憲法に於てさう考へられぬ。今日ないものが憲法草案確定によつてきまる。然るにこの草案には国民に主権ありといふことを確定せぬ前にかいてある。確定してから主権が国民にありと宣言することはかまはぬが、これではおかしくないか。
入江法制局長官 前文は天皇が発案せられ、こういふ趣旨に於て改正するといふことをきめられたのである。主権在民といふことに付ては松本大臣が答へた通りである。日本国民が憲法を確定するとかいてあるが、日本国民の中核体が天皇で、その点では従来の考へ方をかへてゐない。
林顧問官 前文は天皇の宣言なりや
入江法制局長官 形式からいへば日本国民が宣言してゐる形をとつてゐる。その中心は天皇であり、案そのものは発案は天皇なり。
野村顧問官 Sovereignty of the people's willとは何ぞや
入江法務局長官 人民の意思の主権性と記せば訳せるが、最高のものであるといふ風にあらはすのが実体に合ふ。
野村顧問官 willといふのは不要でSovereignty of the people至高といふのは主権といふ意を含むこととなるか。仏改正憲法は戦争抛棄を入れたといが本当か。
入江法制局長官 法律的な意味を厳格にあらはす要なく、国民の意思が根本的のものだといふことをあらはしさへすればよろしい。
野村顧問官 英文と齟齬してゐる。
井坂顧問官 英文と邦文との関係であるが、将来英文は日本国憲法に何等かの関係ありや
入江法制局長官 アメリカとの折衝では英文で意見を合致した。日本憲法解釈上有力な参考となる。
竹越顧問官 マツクアーサー司令官が日本文では意思があはぬといふことにならぬか
入江法制局長官 日本文に付ても充分連絡してゐる。その結果本日の訂正箇所*を配布した。*承認、助言の訂正
河原顧問官 多数の者がなるべく諒解出来る語をつかふことを可とす。信託といふ語を何か他のものにかへてくれぬか。
入江法制局長官 信託といふのは他から托された重い任務といふ意なり、近来信託といふ語は新聞でもつかはれ、信頼を受けて托せられた任務といふやうな具合に考へられぬことはない。
河原顧問官 前文は憲法の一部であるが、国民の宣言である。法令の廃止は前文か第九十三条か。
佐藤法制局次長 前文は宣言的であり、第九十三条で廃止するなり。
河原顧問官 前文は廃止の決意を有するといふ意なりや。
佐藤法制局次長 然り。はつきりかけばさうなるが前文といふものは勢をもたせる趣旨から力づよくかいた。
河原顧問官 第九十三条では一部廃止せられ他はのこる、前文は全部なくなるやうによめるのではないか。
佐藤法制局次長 法律的効果は第九十三条となる。
河原顧問官 さうであるから廃止せんとす。廃止する決意を有するといふ語にすべきことと考へる。
美濃部顧問官 先決問題として本案が枢密院に於て審議すべきものかどうかといふ点からききたい。日本憲法中にはポツダム宣言受諾により当然失効、制限せられたものがあると信ず。例へば統帥大権は陸海軍の解消によりなくなつた。天皇の統治は聯合軍の命令の下に統合すとなつた。第七十三条の改正手続規定も当然失効。ポツダム宣言受諾に依りその中には、将来の日本憲法は自由に表明せられたる国民の意思で定まるべき旨がきまつてゐる。之は民定憲法なり。第七十三条は欽定憲法の形を維持した上の話である。
政府は第七十三条はポツダム宣言と両立すると考へておるか、その模様をきき度い。
入江法制局長官 ポツダム宣言受諾により第七十三条は失効と思はぬ。自由意思に依り決定せられるとかいてあるがその仕方にはいろんな段階あり、国会で国民代表たる両院が自由に論議し全文改正故すべてに修正出来ると考へてゐる。
美濃部顧問官 第七十三条は改正を勅令のみとしてゐる。その結果議会の修正権も自ら制限せられてゐる、全く原案にない事項を追加増補はゆるされぬ。発案権を侵す修正は出来ぬ。仮に自由に修正するとしても原案は最終決定に大きな力あり。原案の作成が勅令にのみ留保せられることは自由に表明せられた国民の意思によるといへぬ。民定憲法は何れの国でも国民の代表から発案すべきものなり。本案のやり方は虚偽なり。こんな手続を改正しながら前文で人民がこの憲法を制定するといふ宣言をするのは虚偽なり。良心が承知せず。世界の常識も承知せぬ。かかる虚偽を掲げることは国辱なり。
入江法制局長官 偽りとは考へぬ。国民が自由な意思を表明するに当つて原案に拘束されることはない。原案は天皇が出されて之を議会が論議し確定した上に宣言する前文であるからかまはぬ。
美濃部顧問官 新憲法は枢密院、貴族院廃止の方針なるも民主的には不適当と考へた結果と思ふ。民定憲法を枢密院、貴族院できめさせるのは穏当であらうか。そこに矛盾あり。
入江法制局長官 本案をつくる段階として、憲法上の段階として枢密院及び貴族院を通るのである。即ち民主々義の見地から枢密院廃止、公選といふ見地から貴族院廃止を適当と考へた。然らば将来不要なる、枢密院、貴族院を省略する考へ方を先づやつて見たらといふ点で、憲法の一部改正をやつてから改正憲法をやつたらといふ意見もあつたが、之をとらなかつた理由
(一)改正は遷延を許さぬ事態にある。
(二)枢、貴両院は将来改廃するが絶対的悪いといふので否認するのではない。新らしい秩序に行く迄の段階として現在の組織をつかふことは差支へなし。
関屋顧問官 最后に入れたい文字あり。目的を達成し進んで世界の平和を確立し人類の福祉を増進せんことを誓ふとしたい。単に民主化したといふだけではなく、大きな理想を掲ぐべきなり。国民の総意が至高なことを宣言しのうち至高の語をやめるわけにはいかぬか。
入江法制局長官 実質的なことは三段迄でおはり、第四段はそれを実施しやうといふ考へをかいた。第一段は平和主義と民主々義を書いてゐる第二段にも平和主義を書いてゐる第一段から第三段迄に平和主義がかいてある。これで充分とおもふ。至高といふのは国民の総体の意見の属性を明にしてゐる。
関屋顧問官 進んで世界の平和に貢献するといふ字が欲しい。武力も無い今日、それが我等の光明希望である。第九十四条は抵触してゐる法律がわるいといつてゐるのだ。前文の方は詔勅は御歴代ずつとある。どの程度迄廃されるのか、判定困難なり。河原顧問官のやうにそんな心持でゐると書けばよい。参議院は本来なら先に作つたがよいと考へた。そうしなかつたのは天皇制護持といふ見地からも事情切迫したのでやむを得ぬと考へる。
枢密院の意見は政府からマックアーサー司令部へ伝達するか。
入江法制局長官 司令部へ交渉する考へはあるが、枢密院といつても政府と同一体と考へてゐる。議会のやうな公開の席でやつた論議よりは先方へ通じにくい。
関屋顧問官 口語体とするのに文部省の人のみが入つたが、法律家をこんなことに坦能な人をいれたらどうかと考へる。法律の民主化に骨折つた人で三渊忠彦(大審院判事で三年に入つた人)などあり。
幣原顧問官 国民のうちに天皇も含まれてゐるといふが従来東洋で君といふと支配者は入らず、然るに今回は天皇を含んだ意味とするのは従来の用例とは違ふ。Japanese peopleは国人とする外なし。信托といふ語を憲法に入れるのは品が下る。信任委託とするを可とす。
大平顧問官 第七十三条はマックアーサー司令部は認めてゐるか。
入江法制局長官 それを取上げて論議したのではないが、かかる手順で進めることは諒解してゐる。(以上前文)
林顧問官 皇族の地位はどうなるか。第十三条の貴族のうちに皇族は入るかの河原顧問官の問に対し、松本大臣は王公族は入るが皇族は入らぬと答へられた。
入江法制局長官 一応国民の一人と考ふる外なし。憲法は世襲を皇室典範が定める。としてゐるので皇族がその限度で第二条及皇室典範に基いて特別の地位につく。又摂政も憲法では皇族に限つてゐない。が結局皇族から出られるので、その限度で特別の地位をもつ。第八十四条の皇室財産のことで、特別の地位をもたれるかも知れぬ。
林顧問官 皇族の地位について、将来議会でどういふ態度をとるかわからぬから、憲法草案で何等かの留保をしておかぬと困る。
裁判権も一般国民と全然同じとなるか。
入江法制局長官 皇族の地位に付留保すべき事項があればかかねばならぬが此の程度でよろしい。皇位をつぐべき立場、摂政又は之につくべき立場といふので、特例を設けねばならぬやうなものがあれば格別、それ以外の特例の要なしと考ふ。裁判所構成法を事物管轄で特例でつくるかも知れぬ。
林顧問官 一君万民で上一人を除いては平等とも考へられ、長官の答へたやうな特例的な立場に立つようにも見える。草案はどちらの考へか。
入江法制局長官 皇族なるが故に特別の扱をする考へはなかつた。
林顧問官 皇室に対する財産権の主体は皇室のやうにも見える。天皇が主体のやうである。従つて皇族自身が主体となるのがあたりまへだが、どうなつてゐるか。
佐藤法制局次長 皇室が法人として財産を持つといふ意ではない。天皇各皇族の有せらるる財産を対象として皇室財産といふ語をつかつた。
林顧問官 皇族の財産の受授は、国会の決議がいるか。
入江法制局長官 皇族内部の財産の受授は、八条の関する所ではない。
林顧問官 皇族が何かする度に一々議決がいるのか。
入江法制局長官 八条の趣旨は皇室の財閥化、恩恵を施して特別の地位に立つことをとめるので、本条は国会が包括的の規定をしておけば可なり。
林顧問官 今のやうな趣旨なら財産といふような無制限な語をつかはず適当な語をつかはれたし。
入江法制局長官 そういふ趣旨から基くといふ字をつかつた。
林顧問官 摂政は必ず皇族といふことは出てこない。過去に於て我国も然り。現在他国にもある。世襲は血統を意味せず養子もある。
入江法制局長官 世襲といふ語をつかつた心は血統が要素と考へた。皇族の範囲をどうするかは別ではあるが。
摂政に付ては憲法上制限なし。
林顧問官 世襲財産などといふ世襲の字に血統が要件とする如き解釈はない。
第四条の国務と政治とは別なやうによめる。国務即政治なり。要綱のときの「除くの外政治に関する・・・」の方がよくわかつた。
入江法制局長官 その国務だけで、それ以外は政治に関する権能を有せずといふ意なるもこの国務のみを行ふといふこととそれ以外は行はぬといふ二点をかきたかつたのである。
林顧問官 そういふ意味ならそれ以外といふ字を入れたらどうか。
第四条第二項の意味如何。
佐藤法制局次長 予想せられるものは下級の栄典の授与の如きものであまりない。監国といふやうなもの、外国に施行せられる場合の広い委任もやりうる。
林顧問官 天皇が内閣の助言と承認に依ることは第三条で明か。第七条に重複したのはどうか。第七条にかく以上は第六条にもかかぬとおかしい。
入江法制局長官 御説の通りなり。第七条が本体なので立憲的な制度を更にくりかへした。
林顧問官 第六条も第三条が働いてくるか。
入江法制局長官 然り。
林顧問官 こんな点こそ訂正してもらへるのではないか。英文にあつても。
入江法制局長官 第七条は本体故第三条のことをくりかへした。第六条、第四条第二項も皆内閣の助言と承認がゐる。これにも入れると首尾一貫したこととなるがそうはせんでもよいと思ふ。
幣原顧問官 第六条のときは内閣はないから助言はいらぬのではないか。
佐藤法制局次長 前段は第六十七条でやる。指名の通りやらぬとこまる。そこに補佐と同意といふことを入れると気持ちがよわくなるともいへる。
林顧問官 七条五号、任免が国務か、任免の認証なりや。
入江法制局長官 任免の認証の意なり。
林顧問官 どんな形式か。
入江法制局長官 確定してないが内閣の辞令に天皇が御名を親署し及び御璽を鈴せられるか又は御璽を鈴せられる。
林顧問官 法律の定むる官吏はどんなものか。
入江法制局長官 親任級のもの又は特種な宮内官のやうなものも入るかも知れぬ。
林顧問官 任免の効果は認証によるか。
入江法制局長官 認証は効力要件なり。それがあつたときに効果発生す。
林顧問官 第七条第六号の恩赦権は何人か。
佐藤法制局次長 第六十九条第七号で内閣が実体権をもつこととす。
林顧問官 恩赦は裁判の効果を変更廃止出来る場合に於ては法律変更と同じ効果を生ず。内閣がよいのか。諸国の例はどうなつてゐるか。
佐藤法制局次長 アメリカ大統領その他の君主をもつ国は君主が大部分なり。
林顧問官 第七条第八号の批准権は何人か。
入江法制局長官 内閣がもつ。
林顧問官 それは法文に根拠ありや。
入江法制局長官 第六十九条第三号に締結の語のうちに批准も入る。
(午后一時半再開)
小幡顧問官 世界の諸国民の公正と信義に委ねるといつても、諸国がその状態になつてゐないといかぬ。この憲法の世界への反響 は如何。
松本国務大臣 草案に対するアメリカの数種の新聞を知つてゐるのみ。皮肉な見方もある。仏憲法は一院制といふことが入つたやうだが、戦争抛棄といふことはよく知らぬ。
小幡顧問官 補佐が助言に同意が承認にかはつた。訳があるからかへたのか。実質的な相違なりや。後者なら英文もかへてゆかねばなるまい。
入江法制局長官 adviceはそばへ来て手伝ふので補佐ではassistなり。Approvalとconsentとagree toの三を同意とせるも、approvalと、(consentとagree to)の二者とは意味が違ふ。
小幡顧問官 第五条後段は不要ならずや。
入江法制局長官 政治に関する権能をもたぬといふことを準用する要あり。
小幡顧問官 政令とは内閣総理大臣又は内閣国務大臣の発する命令なり。これを天皇が公布するのは逆なり。上の人が下の者の出したものを公布するのは解せぬ。
入江法制局長官 政令は内閣の第六十九条第六号にあり。重要な事項でその公布を天皇が為す。大臣自身が出す命令は委任命令として出るが、それは別。
松本国務大臣 第五条第二項は尤もな質問であるが、摂政として他の何等かの政治的の権能ある地位を保たれることは出来ぬ。
法律に付ても両議院の議決に依り法律となるが、それを天皇が公布せられる。その点政令も大体同様なり。
野村顧問官 第一条のsovereigntyの語あり。その訳が曖昧なのは苦心の処ならんも、ポツダム宣言を受諾した以上は之に従ふ外なし。前文でも第一条でも主権はpeopleにありといふことをはつきりしたらどうか。それでよまねば此の憲法はよめぬ。頭を切りかへて無血革命であることをはつきりせぬといかぬ。
井坂顧問官 象徴は新語であり意味はつきりせず。symbolもはつきりした意味なし。
松本国務大臣 象徴の語が不明確(法律的に)とは御尤もなり。日本国を表現するといふ意味なり。その象徴の具体的結果は第三条乃至第八条であらはれてゐると見て可。
野村さんの御意見の通りで政治的にはpeopleが主権者なり。文字から見てsovereign willを主権的意思もそのままではおかしいので意味から至高の総意とした。
河原顧問官 国会の議決云々といふことで皇室典範は法律だといはれたが憲法と国法と典範と三系統のやうに考へられる。皇室法といへば勿論そうだが、世襲的のうちに血統的といふことを含むといふが、更に之を問ふ。皇室が集団乃至家なりや。世襲と言へば家又は集団を前提とするやうに考へるが。
入江法制局長官 皇室典範といふのが習熟したからかいた。法といふ語を抜いたから議決がいらぬやうに見えるから議決したとかいた。又これをかかぬと議決がいらぬ従前のもののやうに考へられる。他の系統のもののやうに考へるがといはれるが、公布の処や、最高法規の処にもかいてないからそんなことにはならぬ。
松本国務大臣 dynasticといふと同じfamilyに於て同じ系統に依りといふことを意味し、世襲はそういふことを示す。
河原顧問官 助言、承認を外部へあらはす形式如何。副署のやうなものは如何。
入江法制局長官 憲法には副署の規定をおかぬが、之に基く公式令などに之をおくつもり。現在でも輔弼と副署とは別といふ学説もあり。助言と承認を確認する形式を憲法できめる必要もあるまいと考へた。

河原顧問官 第五条後段がある為、第四条第二項が動かぬといふ意味ならずや
松本国務大臣 天皇の代りをやられるが、摂政がそれ以外に国務大臣になるなどといふことはない。
他の条項は当然適用あり。
河原顧問官 第四条第二項を準用せぬといふ誤解はないか。
松本国務大臣 第四条第二項のみならず第三条なども然り。第四条第一項をかいたのは特別必要のものであるからかいたので他を妨げぬ。
河原顧問官 第七条の助言と承認は重複である。その為却つて第六条には助言がいらぬやうな感じがおこる。
第七条第四項は補闕選挙などは天皇は公示せぬか。
入江法制局長官 参議院の半数改選は入る。補闕は入らぬ。
河原顧問官 認証は効力発生要件といはれたが、政府のはつきりした解釈の発表が望ましい。
河原顧問官 皇室に譲り渡し、皇室が譲り受け、のどちらかが不要でないか。
入江法制局長官 両方面から規律した。
河原顧問官 無償譲渡のみか。
入江法制局長官 有償無償を含む。ここでは無償のものを大体考へたのであるが、有償のときなどは包括的な議決をしておけば可。
美濃部顧問官 日本の憲法といふのは大日本帝国憲法と異なる。帝国といふ語が詔勅などで随分つかつた。帝国といふ呼称をやめようといふのか。帝国大学などいふのをやめるか。民間の帝国ホテルなどもやめさせるか。
入江法制局長官 此の憲法で国務を一定したものではない。現在も皇室典範は日本帝国条約批准書では日本国といつたりしてゐる。昭和十年頃に統合を可とするといふことを宮内省、外務省、と内閣と協定した。今後必要に応じ改めたらどうかと思つてゐる。
美濃部顧問官 七十三条によると国会の議決後更に御裁可があつた後成立するが、朕…之を公布することとなると前文と衝突するか。
入江法制局長官 従来通り上諭をつける。上諭をつけることと前文とは矛循せぬ。
御裁可の内容として天皇が中心となる国民がつくるといふことを書いたつて矛循せぬ。
美濃部顧問官 象徴に代るに国家及国民を代表するといふ風に出来ぬか象徴は何かわからぬ。国旗みたいだ。
松本国務大臣 曖昧なるも、改めるかといふと成立の経過として政府として出来ぬ。
議会の修正にも同意出来るかどうかもいはれぬ。
美濃部顧問官 皇室典範は法律の一種なりといふことに対しては疑あり。法律第 号として公布せらるるか。然らば皇室典範の特質に反す。皇室典範は一部国法なるも同時に皇室内部の法にすぎぬものあり。此の後者に天皇は発案件も御裁可権もないことはおかしい。普通の法律とは違つたものである。天皇が議会の議を経ておきめになることにせぬと困る。
入江法制局長官 内容は現在の皇室典範がそのままと考へる。将来は国務に関する事項のみとし度い。内部のことは皇室自らおきめになるとよいと考へた。
美濃部顧問官 然らば皇室典範といふ名称はやめぬといかぬ。この名称は皇室の家法といふべきものなり。憲法と合併してその一部にするか普通の法律とすべし。天皇不可侵規定は欠けてゐるが御一身上の行為に刑事裁判が行はれるか。
入江法制局長官 第一条の象徴の地位から当然包含せられる。神聖といふ語は誤弊あり。侵すべからずといふ語をおくかといふに之も一条に入つてゐる。実際上は今日と同様に考へてゐる。
美濃部顧問官 第七条第一項、第四項の公布公示の意は何か。官報の発行をされるのか。現在なら公布を命ずとあり。
入江法制局長官 官報の発行のやうな形式的なことを考へず、一般につげしらせるといふことを考へた。今回も実際問題としては下僚をしてやらせられると考へてゐる。
美濃部顧問官 第七条の認証は法律的言葉としては初めてで、意味不明、証明といふことは大権としてはおかしい。
入江法制局長官 公の証明といふにとどまらず、現実に効力を確定せしむるといふ効力要件として考へてゐる。
松本国務大臣 公布公示は事実上のはたらきをいふのでなく、公布がなければ臣民に対し遵由の効力なしといふことを解釈として考へる要あり。改正商法一六七条で認証といふ語をつくつた。当時者相互間だけでなく外に効果があるのは認証がなければならぬ。
美濃部顧問官 公証人と同じ行為をなさるのか。
松本国務大臣 最後に効力を与ふるという行為をなさるといふことになる。
遠藤顧問官 第一条の此の地位はといふのはシンボルであるといふことか、天皇といふものがといふことか。
入江法制局長官 象徴であるといふ地位である。
遠藤顧問官 第四条第二項の考へ方は何か。
入江法制局長官 例外的と考へてゐるので、あまり具体的に考へてゐないが栄典の授与は軽微なことは委任している。
遠藤顧問官 何人に委任出来るから条件づけておいた方がよくはないか。
入江法制局長官 法律でかくことになる。
遠藤顧問官 第七条第一項の政令などといふより閣令とすれば如何。又強すぎたら命令にすれば如何。
入江法制局長官 六十九条にあるやうに合議体の内閣が発布するのならそんな形式のものは今回初めてなり。それで新語をつくつた。現在の閣令、各省令に当るものである。政府の出す命令なる故政令とした。
遠藤顧問官 第十五条の命令の中に政令は入るか。
入江法制局長官 入る。憲法で命令といふときは政令と、閣令、省令、府県令等をいふ。
遠藤顧問官 認証では何等の効果を生せず、事実を事実として認識するのみなり。
入江法制局長官 ここではそれと意味が違ふ。単純な確認でなく、そのことが効力要件となるといふ意味なり。
遠藤顧問官 そんな前例の使方ありや。
入江法制局長官 商一六七条は効力要件につかつてゐる。
遠藤顧問官 この憲法で勅令はなくなる。詔勅はある。詔勅はどんな場合に出すか。
松本国務大臣 今日と同じやうに詔書、勅書がのこる。公式令に当るやうな法律が出来ると思ふが、その中で、認められることとならう。
遠藤顧問官 皇室から外へ財産を賜与でなく、譲り渡される分は如何。
入江法制局長官 金銭なら第八十四条となる。予算を通ぜず財物の方は賜与となる。
遠藤顧問官 賜与には有償の譲渡はあるか。それはどうか。
入江法制局長官 有償は入らぬ。有償の場合は外へ売るので結局予算を通る。
関屋顧問官 実際問題として一々議会の議決を経るのは厄介。given toとreceived byと重複してゐる。話せばわかる。
入江法制局長官 国会の議決といつても皇室財産法をつくり、基本的な根拠をつくつておけば可。
関屋顧問官 皇室から財産を譲り受ける場合はどこにゆくか。
入江法制局長官 八十四条は世襲財産以外の皇室財産は国に属するのでそんな大きな財産は外にない。小さなものは第八条の賜与となる。其の他は世襲※自然に規律せられることとならう。 ※財産の解釈などは別に法律の規定で
松本国務大臣 八条は皇室に大きな財産を差上げる、之をおうけになることは見方によつては皇室の地位に影響することだから議会の議決がいる。皇室が大きなものをおやりになることも同様なり。こんな趣旨なり。慈善国体への年々の御下賜などは八十四条の予算のたて方である。
関屋顧問官 財産を売るのは議会の議決がいらぬなら結構です。拒否権はないのか。アメリカでも一応ある。
松本国務大臣 拒否権はいらぬ。アメリカは三権分立なり。大統領は議会と関係なし。従つて拒否権あり。議会中心の立憲制度では拒否権は意味をなさぬ。議会の出先が総理なり。その総理が助言と承認で議会のきめたことを拒否するなどといふことはない。イギリスでも実行せられてゐない。
関屋顧問官 日本国を代表し統合の象徴とするを可とす。前文の代表者は天皇ではないらしい。第四条など「この憲法の定むるところに依りてのみ国政を行ふ」とさへ書けば足りるのではないか。此の憲法が国民感情に合ふやうな表現にしてもらひ度い。
幣原顧問官 憲法改正を公布するとつづくのか。
入江法制局長官 然り。
幣原顧問官 憲法改正は天皇の大権でなくてよいのか。
入江法制局長官 改正そのものは九十二条にある。きまつた改正を公布するのが天皇の大権となる。
潮顧問官 第三条は現行憲法と同じく、天皇に責をおふやうによめる。六十二条二項の議会への責任を負ふとあるが両方に責任があるのか。
入江法制局長官 三条の方は内閣に於て一切責任を負ふのだといふ大原則を示す。六十二条二項の方は国会に対し責任を負ふ。三条の方では何人に対して負ふといふことは書いてないので、六十二条の方で解決してゐる。
(散会)
備考 政府側出席者
松本国務大臣、入江法制局長官、佐藤法制局次長、井出法制局第一部長。

(極秘)

昭和二一、四―五
憲法改正草案、枢密院審査委員会審査記録(その二)
(未定稿)

摘要
日時 第四囘 昭和二十一年五月六日 午前十時より午後に至る
第五囘 昭和二十一年五月八日 午前十時半より午後に至る
第六囘 昭和二十一年五月十日 午前十時より午後に至る
第七囘 昭和二十一年五月十三日 午前十時より午後に至る
第八囘 昭和二十一年五月十五日 午前十時半より午後に至る

第四日(昭和二一、五、六、午前十時より)
第二章関係
林顧問官 第一点は此の前委員長から御尋ねあつた第九条第一項と第二項との関係である。第一項は此方から働きかける侵略、戦争の禁止の規定である様に見えるが、第二項を第一項と別々のものとして見るといかなる場合にも戦争を否定する趣旨の様に見える。自衛戦争は認められないか。この関係如何。
第二点は国際聯合憲章によると加盟国は一定の場合、兵力保持を必要とする。将来之に加盟する場合武力を絶対に有さぬことになると、加入してもその義務を履行することが出来ぬと云ふ疑がある。この関係如何。
入江法制局長官 第一項と第二項は別の規定である。第一項に於ては自衛権は観念的に否定してはゐない。但し、戦争による自衛権の行使は第二項で否定される。戦争によらざる自衛権の行使なら出来る。唯武力を有たぬ以上実際には問題にならぬかもしれぬ。
国際聯合の問題は或ひは憲法改正をしなければ加入できぬとも考へられるが、又不可能を強ひることはできぬとして、加入のみは認める。この場合国際聯合憲章を改正するか、又はさう解すると言ふことになるかも知れぬとも考へられる。
林 さうすると第一項と第二項とは独立のものである様だが、第一項では観念的には自衛権を認める。しかし第二項でそれが実際上出来ぬと云ふことか。
入江 第二項の方は自衛権とは関係なく交戦権を認めぬとしてゐるので、観念的には第一項によつて自衛権を認めても、実際的には出来なくなる。例へば竹槍等で邀撃することは出来る。
林 国際聯合に関する二つの道の中、政府は何れをとるつもりか。
松本国務大臣 今の聯合規約が何時までこのまま続くかと言ふことも判らぬ。或ひはもつと理想的になれば、制裁の規定は不要になるとも考へられる。そこで聯合に日本が今の規約の下に於て入ると云ふときに聯合の方でどう見るだらうか、二問題がある。今から当方で態度をきめることは不可能であるし、またその必要がないと思ふ。
林 大体この憲法は基本的人権の規定が多い。個人について人権を徹底的に保証する。それなら基本的国権をも充分に保証することにしなければ釣合がとれぬと思ふ。自衛権は保証する。個人の場合の正当防衛を認めることは当然であるから、それは国家についても当然でて来ねばならぬ。しかるに国家の場合には不当に侵害を受けても手を供いて防衛出来ぬことになる。不調和である。戦争抛棄は結構であるがこの点如何。
入江 国家として最小限の自衛権を認めることは当然であるが、それは戦争、武力による解決を今後絶対にやらぬと云ふ捨身の態度をとると云ふことが一つの態度であると思ふ。平和を念願する国際社会に挙げて委ねると云ふ態度をとつたのである。根本観念として国家の自衛権を認めることは御説の通りであるが、この規定の主旨はここにあると思はれ度い。
小幡顧問官 第二項の文字がいかにも翻訳めいて憲法にふさはしくない。国民の至高の総意による自己制限ではなくて、外から強要された様な書き方に聞える。弁護士会の案のやうに「陸海空軍の戦力は之を保持せず」の方がよい。
入江 色々考へたのだが、これ以上の表現は見出せなかつた。認めないものだと云ふ本質的な意味を許されない、として表はした。之を保持しようと思つても保持することが出来ぬ様なことになつてゐるのだと云ふ強い意味を持つ。本来的に認められない性質のものだと云ふことを示したかつた。なほ受身の表現も日本語として許されないことはない。
小幡 御説明は承服し兼ねるが、これ以上は追及しないことにする。
野村 自分はこの憲法は主権在民の憲法と思ふが、「許されない」と云ふのはピープルによつて許されないと云ふのか、或ひは外部の力によつて許されないと云ふのか。
降伏文書には完全な武装解除は定まつてゐるが、永久に之をもたさないと云ふことはなかつた。唯、その後の対日政策の上で未来永劫之を認めないと云ふ方向に変つてきてゐるやうに思へる。この憲法の意味はピープルによつて認められないと解すべきものなりや。之は天皇制と共に最大重点であると思ふからそこをはつきりされたい。
入江 国民にこうて許されぬと云ふことではない。許さないもの、認めないものと云ふ本質を表はした。しかし全体の建前から云へば政治的には、一切の規定と共に、九条二項も国民の総意に基くと云ふことになるかもしれぬ。しかしそれを特にここで示したものではない。
野村 外国の正義に依頼するとすれば、占領軍が居なくなつた後には不安になる。占領軍が何時までもゐることを期待してゐるのか。占領軍以外の国が聯合にも入らずに日本の周囲にあることも予想せられる。マツクアーサー自身も戦争抛棄の方針はユニイヴァーサルでなければ到達されぬと言つてゐる。
入江 御尤である。これで本当に安心だとは断言し得ない。しかし自ら捨て身になつて世界平和に入つてゆくと云ふ気持もあり、又平和が正しいとすれば、戦争を予想することは正しくない。この方法より他に途はない。相手のことを心配して武力を保持して行くと云ふ考へはとるべきでないと云ふ気持であつた。
野村 大体心持は判るのである。又この通りになるとも思ふのだが、やはり人民の自由の意思により作ると云ふことであるから、人民がそれを心配してゐると云ふことがはつきりせねばならぬ。特に議会に於て大いに納得できる様に論議されねばならぬ。いかなる場合にも、外国依存でだまつてゐなければならぬと云ふ様な国民の気持になればそれは亡国の兆である。だからこの九条の意味を納得行かせねばならぬ。
井坂顧問官 国内の内乱を抑へる上の武力についてはどの様に考へるか。
入江 国内については警察力の拡充が必要と思ふが、現在、聯合軍司令部の方針でそれも出来ない。軍隊と離れた警察は弱力なるため、段々と交渉の結果広い意味の警察力強化を図るより以外にはないと思ふ。
河原顧問官 「許されない」と云ふ文句が長官の云ふ意味であるとすれば、第一項の抛棄するも許されないと云ふことにした方がよいと思ふ。しかし勿論第二項の方を保持しないと規定すべきである。
遠藤顧問官 第二項を憲法にかかげることは如何なものかと思ふ。しかし今日の実状からすれば政策としてはやむを得ぬから入れることはよいとして、しかし出来るなら訂正したい。即ち「主権の発動たる」は当然のこと故削った方がよい。かへつて誤解を生ずる虞がある。又出来るなら不戦条約の様な書方にして狭めたい。二項の方は、「許されない」「認められない」はどうしても外国から強要された様にとらざるを得ぬ。すると独立国でなくなる。したがつて弁護士会案のやうに、「保持せず」、「之を行はず」の方がよい。
内部の問題としては警察のみでは足りぬ。やはりある程度の戦力が必要。故に出来るならそこに制限をつけたい。例へば「国内の治安を保持するに足る以上の」等の規定を入れたい。竹槍等で防衛することを予想するなら、交戦権を認めぬと云ふのは可笑しい。第一項と第二項の前段だけでもう充分である。故にとりうるなら後段はとりたい。「交戦権はこれを行はない」といふのも不充分である。
関屋顧問官 捨て身は捨て身として第二項も第一項と同じ様に自主的な表現にすることは先方も諒解するのではないか。受身の書方も日本語にあるといふ御話なるも普通ではない。又第一項がある以上交戦権云々はとつてあつてもよいのでないか。文字の表現に関する交渉の余地なきや。
松本 文字についても交渉はしたが、九条については特別にはやつてゐないと記憶してゐる。その理由は第九条と第一条については成文化の前から色々と交渉をしてしかも困難であつた事情がある。むしろ本条を第一条に持つて来たい空気があつた。之にふれることは困難な事情があつたことを御諒承ねがひたい。又その後に於ては交渉をしても益がないと思はれる。
関屋 枢密院としてそれを強く云ふことは出来ぬが、色々の団体として、国民の声を代表してこの種の意見が表はされることを期待する。
幣原顧問官 書き方についての心配は尤もである。日本語の特有の性質として、一人称を省略することがある。第一項ではWeが省かれてゐる。二項でもWeが省かれると云ふ気持になるから変に思はれる。
潮 「戦争抛棄」と云ふことは日本語として意味を為さぬといふ説があるがどうか。二項ではBy the constitutionが省かれてゐると考へられる。結局弁護士会案がはつきりしてゐる。
松本 戦争の抛棄に関する条約と云ふ先例もある。戦争と云ふ観念を抛棄してしまふと云ふ様に考へられたい。
第三章関係
林 国民と国民でないものとの区別が第一の前提であるが、国民の要件が定まつてゐないのはいかなる主旨なりや。又現行憲法のやうに国民たるの要件は法律で規定してゐない。
入江 国民と云ふのは日本人と云ふことである。国籍の観念はある。国籍については法律か条約で決める。現行憲法一八条の規定を特に入れなくても、当然法律又は条約できめると云ふことになる。しかし現行憲法の規定の下においても、法律に限らず条約で定まることもあり、又今日国際法的に当然に決まることもあるから、特に一八条の様な規定を置くことも適当でないと考へた。
林 何等規定をおかなければ何ででも出来る。行政命令でも可能だと云ふことになる。もし法律条約できめることになるのならそれを書くべし。
入江 日本人と云ふことは法律制度以前の問題であり、実体である。自らそこに内容がある。その実体を法律又は条約で受けてはつきりすると云ふことになると思ふ。
林 憲法で権利義務を負はせる日本人は如何なるものかと云ふことは法律問題であり、自然にさうなるものではない故に根本的規定は憲法にかくべきである。
入江 現在の国籍法に於てもそれ自身で直接にカバーしてゐない部分がある。国籍法だけで日本人が定まるものではないと考へる。
林 国籍法によらずして日本人であるとないとは何によつて決まるのか。
佐藤法制局次長 現在の国籍法によつても例へば父が日本人なれば子は日本人と云ふことで、父に関しては規定がなく、既定のものとして取扱ふ。故に憲法の上で国民と云ふ文字を使ふときにも何か既定のものを前提としてゐる。それをすべて憲法にかくことは不可能と考へる。帰化その他の場合は条約で決め、日韓併合の場合は一般原則できまる。故にここには書かなくてもよい。なほ、現行憲法とはことなり法律事項については取り立てて書かない方針である。
林 現行憲法十八条が行はれてゐないと云ふことになるのか。
入江 三二年の国籍法以前は規定は憲法発布以前にもある。外国人を養子にする場合等のことを中心として、明治初年に太政官布告が出てゐて、十八条は之を承けてこの様になつた。全部十八条で網羅すると云ふ趣旨ではなかつたと思ふ。したがつて十八条が行はれないのでなく、さやうな趣旨に運用されてないといふわけである。
林 さうすると、十八条的のものは憲法に書かない方がよいと云ふことか。
入江 書かねばならぬといふわけでなく、書かなくてもよからうと考へた。若し書くなら相当に細かに書かぬと意味がない。
林 その意見には反対なり。次に基本的人権についてきくが、一体それは天賦の権利として存在するものを憲法が認めると云ふのか、それとも憲法がその権利を与へるのか。十条の前段は前の様に見、後段は創設的である。どう云ふ主旨であるか。
入江 建前から云へばそれは創設したものではなく、認定的のものである。ただこの憲法ではその具体的内容をはつきりさせてゐるのであつて、大体はつくしてゐるが、その他のものも含まれると思ふ。十条前段は、それが本来的にもつてゐることを示し、後段はその内容を具体化したものと考へられたい。両者は矛盾しない。
林 前段と後段は範囲がちがふのか。
入江 同じである。
林 十四条に国民固有の権利とあるがそれを特に言ふ主旨如何。
入江 特にさう言つたのは公務員の選定及び罷免の能力の根源が国民に存すると云ふことを示した。
林 それは前文にもある。又各条の人権も国民の意思に淵源する点は同様である。特に十四条だけ云ふのは判らない。
入江 十四条は公務員の性格を示す規定と思ふ。それの選定及び罷免の権利の根源が国民にある旨を明言し、第二項の公僕たる性格を示す規定と表裏して、特にはつきりさせたのである。
林 すると「国民の権利」として「固有の」を落しても同じか。
入江 「国民の権利」だけでは国民が直接に任免することになる。実際には法律できまるのであるから、究極的にその根源を国民に有すると云ふ意味である。したがつて「固有の」は意味のある文字である。
林 固有といふ文字には、さういふ意味が表はれてゐないやうに感ずる。
語の使ひ方に「自由を有する。」「自由を侵されない。」「保障する。」「権利を有する」等色々あるがそれは意味がちがふのか。
入江 その場その場で適当な表現をえらんだ。例へば十七条は侵害行為を防ぐ趣旨だが、十九条は自由を正面から保証するといふ趣旨である。
林 二十条一考には「自由を有する」とあり二項には「自由を侵されない」とある。区別する必要なし。
入江 二項は移住すると云ふことが常にある。と云ふことでないと考へて、積極的に書かなかつた。移住する場合に妨害されなければ足りる。
林 「自由を有する」と二十四条にある「権利を有する」とを区別する理由如何。権利の内容は、自由か利益なるため問題ではないといへるかも知れぬが、書き分ける要があるか。
入江 十一条に自由及び権利と並べた。自由は実体であり、その自由について特に権利として認めたものを権利とした。自由と云ふ方面から押へるのと権利から押へるのと両方あつてもよい。十五条の請願権のやうなものは、自由とは称し難い。
林 一一条の自由と権利は一〇条の基本的人権とはちがふのか。
入江 一〇条の基本的人権は一一条の自由及び権利を含む。一一条はそれを内容的に表はした。
林 「国民の不断の努力」云々の意味如何。後段の規定は結構だが、前段は何の意味ありや。
入江 前段は必ずしも個々人でなく、国民たる立場に於て、相互に自分のものを保持するとともに相手方に対してもその自由と権利を尊重すべきであると云ふ主旨であり後段はそれを有する個人を捉へて書いた。
林 すると前段は他人のことか
入江 全体として尊重するの意味である。自他の区別を離れてゐる。
林 そんなことを憲法で云ふ必要ありや。
入江 公法面に於ては得に国民全体の権利を尊重せねばならぬので、こう云ふ道義的方面があつてもよいと思ふ。選挙権等のことを考へると道義的意味の規定にせよ置いた方がよい。
林 書く必要のないことが沢山あつて、国民の要件や納税の義務等は書いてないことは遺憾である。
次の一二条であるが、幸福追求に対する権利とは少なくとも法律語としてはきいたことがない。その主旨如何。権利の内容は利益又は自由なる為、権利とはすべて幸福追求のためのものである。又一〇条の基本的人権とこの生命云々に対する国民の権利との広狭如何。
佐藤 幸福追求は新しい語であるが、その気持としては、現状を維持するためのみの権利と一歩幸福の方に進めるための権利とにあつて、幸福追求の権利はこの後者の種類のものと考へたい。享楽主義の誤解あるやもしれぬが、今迄は犠牲の面のみ強調し暗すぎたが、今後はもう少し明るさを増すと云ふ方針をここで出し得たと思つてゐる。
一〇条との関係は、幸福追求の権利も基本的人権に含まれると思ふ。
林 さうすると、之等の権利の範囲は一〇条と同じか。
佐藤 同じ。
林 基本的人権の一部が入つて来たと思はれる。もし同じとすれば「基本的人権については」でよい。
佐藤 第一段が主眼であるから、そこから出て来た押へ方である。そこから少しちがひがある様に見えるが幅としては同じである。
林 この主旨は一一条で謳ってゐることである。ちがふのか。
佐藤 押へ方がちがふのである。
林 一三条三項の栄典で世襲的のものは今までは爵位のみ、今後それを認めない。するとこの憲法も爵位を予定してゐるのか。位記は如何、いかなる特権とはどう云ふことか。宮内席次等は如何。
入江 第二項で華族は認めないのであるから現在の爵は今後認めない。将来どんな栄典が出来るか予想できない。新しい栄典が世襲的なものであつてはならぬことを示した。特権は特定の具体的利益を伴ふ権利のこと、宮内席次も技術的に席次をきめる方法と考へれば特権とはならぬが、それに利益を伴ふなら特権になる。位については一三条から廃止されるとは考へてゐない。

林 宮内席次は非常な栄誉であり、日本国民としては、やはり一の特権であると思ふが、お答へとは考へがちがふ。一四条二項はいかなる意味か、又何の必要ありや。三項はすべての選挙に共通なものとして秘密選挙が要求されることになるのか。末段も何の必要ありや
入江 二項は公務員の本質の規定であり、国家社会全体の利益を考へる公僕たるべしと云ふ気持である。之を元として官吏法を作るときの指導原理になると思ふ。三項は公務員の選挙の意味であり、議会の議員や市町村吏員もはいる。秘密投票によらずに選任するときは含まれない。
後段の規定は当り前ともいへるが、選挙の自由公正は重要であるから之を保障した。
林 すると三項は公務員選挙の原則を定めたのが、記名選挙を全く禁止したのか。
入江 記名投票もできる。法律で記名を認めたときは入つてない。秘密投票ときめた場合だけの規定である。
林 全体の奉仕者の全体は国民全体のことでないのか。
入江 公務員が勤務義務を負ふ団体をもつのであるから、その団体全体といふ意味である。市町村吏員等についてはその市町村全体をいふ。
林 十五条の請願に於ては司法権の行使に対しても請願を認めるのか。この規定では除外を認めてゐないが、裁判の結果に対しても請願を許すことは、司法権の独立を損ずることとなり許されないと思ふ。
(午後一時再開)
入江 現行憲法でも請願の範囲は限定されてゐない。故に現在「その他の事項」を下に入れることを考慮中である。そうなれば裁判に関しても含まれることになる。原案で「その他に関する救済」とあるから、司法裁判に関しても救済と考へらるべきものについては含むと考へられる。司法の民主化の下に於ては平穏且つ法律に従つてならば請願を許してもよいのではないかと思ふ。
林 一九条に一切の表現の自由は無条件とあるが、明らかに公序良俗に反するものも自由なのか。
入江 法文から云ふとさう見えるが、自由は放恣と異なることは当然の条理である。故にその内容が極めて悪いものであるときは勿論法律で制限してよいと考へる。
林 二〇条には条件がある。制限が出来るなら、その表現があるのが普通であるが如何。右の様な解釈は無理である。
入江 大体基本的人権については、一一、一二条等に於て原理が示されてゐる。又今度の憲法では国民の権利はすべて法律によつて定めると云ふ大原則が立つたのであるからそれを特に書くまでもないと考へた。
林 検閲を禁ずれば無条件になることは当然の結果である。今の説明ではこの第二項が可笑しくなる。第二項はどう云ふ意味か。
入江 第二項については絶対にしてはならぬことの趣旨である。しかし第一項によつて検閲をしないで出した場合事後に於て措置することが出来る。
林 一旦は巷間に出てしまふことはやむを得ないと云ふことになるが、それらは一旦出してしまへば困る性質のものである。事後の措置は効果がない。それでよいと云ふ気持でこの条文が出てきたのか。
入江 犯罪行為をなす様なものは事前に於ても検閲でなく、刑事的手続でその頒布を阻止することができると思ふ。
林 二二条は個人主義を採用し、家族制度を廃止すると云ふ精神か。
佐藤 その主旨は個人主義になるが、家族制度を正面から否定すると云ふことにはならぬ。本質的平等であつて平面的平等ではない。
林 家族に関するその他の事項とは何か
佐藤 例へば戸主の同意権等を広く拾つて居る。
林 そうすると第一項両性の合意以外に同意等をも必要とするのか。
佐藤 第二項は第一項の婚姻を前提とする。婚姻に於て親の同意を要するとする立法が二項によつて批判を受けることになる。
松本 第一項によつて両性の合意以外に婚姻の成立要件を加へることはできない。しかし未成年の間は同意を要するとすることは差支へないと思ふ。又第一項自体についても、全然届出がなくてもよいと云ふ様なことではない。ある程度の要件を認め、しかしそれが成立要件になると云ふ様なことは出来ないと云ふ主旨であらうと思ふ。例へば届出に際して親の同意書を附加させる。それがないときに一応照会する。しかしそれを拒むことも出来ると云ふ様な風にしたいと私個人としては思つてゐる。それは第一項に反するものではないと思ふ。
林 二三条□個人を主とせず公衆を主とする主旨で、個人尊重の全体の調子と合はぬ様に思ふ。それがこの精神なりや、社会の福祉をあげた以上公衆衛生は必要ない。他の条文では「公共の福祉」と云ふ語を用ひるのに、これのみは社会となつたのはどう云ふ意味か。
入江 二三条は立法の目途の規定なり。「ために」とはこの目途の下に、と云ふ意味なり。公衆衛生は日本の過去及び現在に照らし特記した。社会と公共も特に深い意味はないが、法律は社会生活の規準であると云ふ意味から書いた。
林 二四条に特に「法律の定めるところにより」とした理由如何。
入江 なくても判ると云ひ得るが、従来日本では勅令によると云ふ制度で来てゐるから、それをはつきりあらはした。
林 二五条により「法律の定めるところにより」があつてもよい。それは無制限か。
入江 本質的に権利をもつとして、第二項の具体的基準は法律によつて定める。一項では省いてもよい。
林 二七条三項は、公用徴収が之に当ると思ふが、それは法律を要しないか。
入江 その規定があるのと同じである。又二項を受けてゐるから入れなくてもよい。
林 二八条の「法律の定める手続」とは刑事訴訟手続のことか。
佐藤 その主旨は手続である生命及び自由を奪はれる際の目的及び場合はどこにあるかと云ふ点についても勿論法律で定める。しかし更にその手続も法律で定めると云ふことである。前の段階は当然のこととして書かぬ
林 七三条に訴訟に関する手続は最高裁判所が定めるとある。すると二八条との関係はどうなるか。
佐藤 七三条は細則のつもりである。
林 そうなると民事訴訟手続についてはどうなるか。民事については二八条的のものはないか。
奥野司法省民事局長 七三条は、プラクティスの細目に関する「ルール」のつもりである。その上に法律としての両手続法が法律として存するのは明文はないが当然である。
林 そうなるべきものと思ふが、立法上そうなつてゐない。又民事に関して二八条がないなら七三条は広く解さねばならなくなる。
入江 訴訟手続法については一般的な規定はない。二八条は刑事訴訟手続法のことにはなるが生命の自由等に関するものは法律できめること、又それは刑罰に限らず、行政検束等もこれに入ると解されたい。
林 この憲法上法律事項の範囲がはつきりしない。この点は又あとで質問する。
二九条は裁判官でなく裁判所となつた。陪審制なども之で可能になるがその主旨如何。
入江 二九条の主旨は現行憲法と同じと考へて居る。裁判所は裁判官を中心とするのであるから結果に於て同じになる。陪審は今度はどうなるかについては研究中である。
林 すると現行規定と同じだとなるが、その答へは意外である。裁判官とあつたために、陪審制の違憲論まで出たのであつた。お考へを願ふ。
三〇条の司法官憲の中には司法警察官も含むか。
佐藤 含む
林 すると下級の警察官でも令状さへあればよいことになるのか。
佐藤 権限を有する、で限定される。
林 三一条を読むと拘禁の方は正当な理由あり、且つその理由が直ちに告げられるか、又は告げられねば弁護人に依頼されなければできない。之に反して抑留は正当な理由がなくてもよいと云ふことになる。この区別の理由如何、且抑留とはいかなることか。
佐藤 抑留、拘禁は現在の刑事法には捉はれないつもりである。抑留は留置、拘禁は拘留等を予想する。前段の又はは選択的の意味ではない。後段の正当な理由とは後のその理由にひつかける意味をもつ。公開の法廷で正当な理由が示されたときにその拘禁が正当なものとして続けられると云ふことになる。同じ理由であつても前段と後段とはちがふ。
林 そうしても抑留と拘禁とを区別する必要はない。
佐藤 拘禁の方が重い。
林 三二条によると住居、書類、所持品に限つてゐるが、何故身体を除いたか。要綱にも英文にもあるのに何故除いたか。
佐藤 要綱にはあつたが、そこでは、拘禁もあつた。身体は拘禁のみについて考へた。後に重複すると考へて身体と拘禁をとつた。身体の捜索関係は、所持品で出て来る。所持品以外の関係では他の原則が出て来る。
林 その場合働く規定とは何か。
佐藤 二八条系統のものが働くと考へる。
林 私は二八条はここには出て来ないと思ふ。身体が拘禁に関係するなら、三一条の問題である。
佐藤 所持品でつきると思ふ。
林 三三条は何の必要ありや。残虐な刑罰とは何か。拷問は手続であり、刑罰は実体である。それを一緒に書くことは不適当である。刑罰の実行方法として官吏が残虐な方法をとつてはならぬと云ふのか。それとも立法の制限か。
佐藤 立法の制限のつもりである。
林 三四条二項の「強制的手続」とは何か。国でとは何か。裁判所のことか。大げさな言葉すぎると思ふ。一項の「公平」の文字を裁判所の上に持つて行つたことは何故か。
佐藤 強制的手続とは強制的方法によりて召び出すことのつもりである。「国で」とは公費官選のことで、国費の負担でと云ふ意味も出て来る。「公」平は裁判所の組織が公平を期する様に出来てゐる所のと云ふ意味である。手続のみならず組織にも関する。
林 強制的手続とは当り前のことで何等書く必要ない。
佐藤 当り前であるかもしれぬが、憲法上之を保障する意味であつてもよい。
林 三五条の「唯一の証拠」とは放火等の場合、自白したときもそれが唯一の証拠と云へるか。
佐藤司法省刑事局長 傍証が他に全然ないときは自白だけでは有罪となし得ないと云ふ主旨である。
林 他に傍証がなくて被告人だけが自分がやつたと云ふ場合、即ち被害の事実は明白にあつても被告人との関係が明かでないときはどうなるか。
佐藤 自白だけだと云ふときでも、裁判所が総合認定する資料となるときは有罪とすることが出来る。
林 それならば従来の考へ方の大革命であるが、承つておく。
三六条の「実行のときに適法であつた行為」とは書方が可笑しい。行為を分類すれば適法行為、放任行為、違法行為と三つあり、前の二者は無責任行為と云つてゐる。実行のときに放任行為であつたものも後に法律により既往にさかのぼり違法行為とすることを禁じた主旨であるとすれば、無責任行為とすれば放任行為も入つてくるからその方がよい。
佐藤 無責任行為は当然に含むつもりである。
林 主旨はその通りでなければならぬ。それを成文化すべきである。そのためには「無責任であつた」とすべし。
佐藤法務局次長 違法でなかつたことを常識的に適法であつたと云ふ表現をとつた。
小幡 国民の義務と目すべきものは一一条後段、二四条と二つある。
納税を省いたのは如何。八〇条で解釈するのか。
入江 八〇条で明かとなると思ふ。納税は大切だが、建前から権利を主とし、しかし一〇条、一一条でそれが義務を包含することとなるから第二章から除いた。
小幡 一五条の「命令」は英文ではordinancesとなつてゐる。之は政令のことなりや
入江 政令は之に入る。それ以下のものは法律で根拠を書く。従つてここの命令とは政令以外各種の命令を含む。
小幡 一二条の「個人として」も「最大の尊重」も文字として不適当なり。
入江 「個人として」は個人個人の人格尊重の意味であり「最大の尊重」もとは常に非常に重要なものと考へろと言ふことである。
小幡 「最上の考慮が払はれねばならぬ」とした方がよいと思ふ。
入江 研究します
竹腰 二〇条は、日本人が日本に居て国籍を脱することをも許す趣旨なりや。
入江 可能である。
井坂 国民の義務に関する規定が少ない。一一条の書方でもはつきりしないと思ふ。それをはつきり書く必要あり。今後国民の義務を定める立法が多くなると思ふが、それの基礎となる言葉を憲法にかかげたい。
入江 御尤もである。しかしそれを表はすやり方について個々につき書くと圧制的制約的になる。一一条は相当に内容があると思ふ
河原 一〇条、一一条は相互に関聯するのだから全部基本的人権と統一すべし。
入江 具体化の段階を示す趣旨である。又一三条以下は更に具体化する趣旨である。
河原 一三条の華族、貴族の中には皇族は入らぬとしても皇室典範の審議等に際してなほ説明が足りぬ様に思ふ。
入江 皇室と言ふことが憲法にも認められてゐるのだから、ここで皇族が入るとは思はない。
河原 一四条の「固有の権利」についての先の説明は無理と思ふ。
一八条に於て、政治上の権力を宗教団体は固有に持つてゐるのか。固有に持つてゐるのではないから「受けてはならない」とした方がよい。
入江 宗教団体は政治とは無関係であり、政治上の権力等は持つべきものでいないと云ふ主旨である。
河原 機関は学校を含むとすれば、宗教学校等はどうなるか。
入江 宗教的方針による教育のことであつて、学問的研究等についてはふれない。
河原 宗教的活動の範囲如何。
入江 特定の宗教に即した具体的活動のことである。情操的活動は入らない。
河原 神道の排除の余波として、宗教心の涵養に対して消極的になることを恐れる。
河原 学用品の費用等も無償とするのか。
入江 授業料の意味である。
河原 二六条には罷業権も入るか。
入江 然り。
河原 最近官吏の罷業権を禁止する方針の様に見えるが、それは違憲ではないか。
入江 之は原則を示すもので、ある程度の制約はある。

(散会)
備考 政府側出席者
松本国務大臣、入江法制局長官、佐藤同次長、井出同第一部長、 今枝同第三部長、 渡辺、佐藤法制局事務官、奥野司法省民事局長、佐藤同刑事局長。

第五日(昭・二一・五・八 午前十時三十分ヨリ)

遠藤顧問官 現行第十八条と同様の規定とはなしてもよいと云ふことなるも、その理由如何。
松本 現行憲法も不備である。制定后朝台の併合があつた。しかるに朝鮮には国籍法の施行がない。故に凡ての日本人に付法律の規定があるわけでない。又、日本人の「もと」に付国籍法自体に規定がない。又、今後は戸籍法で万事きまり、国籍法的なものが不要になるともいへる。もつとも法律できめられることはいふをまたぬ。
遠藤 一通りはわかる。朝鮮人に付規定はない。故に日本人に入る入らぬの議論も出てゐる。故に之は国籍法の不備の問題で憲法の問題でない。又日韓併合の条約で之はきまつてゐるともいへる。条約が法律と同様の効力を有することは解釈で確定する。故に憲第十八条の規定はこの点に付揃つてゐるともいへる。又外国でも大体かかる規定はおいてある。ないと何が国民か不明瞭である。之をおいたからといつて全体の仕組がこはれるわけでない。民主主義には弊害は生じない。
松本 現行第十八条の実施が上手くいつてゐるか否かは問題とする要なきが如きも、日韓併合の条約は当時現存の朝鮮人に付規定してゐるに止まる。その后の者に無関係なる為、やはり欠陥がある。又、外国の憲法の例に付ては承知してゐない。法律で定められるのは当然である。しかしその旨の規定をおかなければならぬ理由は少い。ことさらに狭くする方針をとらなくともよい。又政府原案には入つてゐたが結局削られてしまつた。今更入れろと云ふ交渉は致しかねる。
遠藤 不磨の大典なる為完全にしたいと思つたのだが、この点は議会の修正に任せよう。外国の例はお答へ願はぬとも結好。
次に希望なるも条文の排列が不揃ひであり、又、文字の言廻しがとくに本案は乱雑である。政府でなほせなければ議会で修正してもらふ様な態度をとつて戴き度い。
次に第十四条の第二項は何の全体か、何の一部かはつきりせぬ。全団体とか全社会とかいはぬとはつきりせぬ。
入江法制局長官 公務員は公僕なる為国家社会全体に奉仕すると云ふ本質を示すものである。むしろ一部の奉仕者でないと云ふ点に重点がある。之から逆に全体云々が出来て来る。
遠藤 趣意はわかるがこの文字でそれが表れてゐるか否かにわからぬとこはあるも、見方の相違になるからこれまでとする。
次に第十六条の奴隷的拘束はここにかくのは面白くない。日本の歴史上の立場から考へても然り。この中に何が含まれるか。売娼婦が入ることは考へられるが、職人の徒弟や農村の長期の奉公契約は入るか。
入江 相手方の人格を否定し権利主体を無視するやうな形で相手の自由を拘束することを云ふので、売娼婦がこの適例になりうることは勿論なるも、徒弟や長期の奉公は通常は入らぬ。ひどくなると入る。
遠藤 苦役とは何か、市町村制の夫役は之に入るか。
入江 ここの苦役は奴隷的拘束程ではないが、通常人のたへる事の出来ぬやうな甚しい苦痛を伴ふ役務をいふので、夫役は常人の到底我慢出来ぬ肉体的、精神的苦痛を伴ふものでないから、入らぬ。又徴用といつた制度も将来どうなるかわからぬが、ここで一般に禁じてゐない。
遠藤 常人云々は見方なるも、夫役は苦しいこともある。実際はこの標準は困難であらう。とにかく夫役現品は法律できめれば出来る趣意であるか。
入江 然り。
遠藤 第十八条第一項の政治上の権力云々は、本来持つてゐるが、只その行使は許されぬと云ふ意味にとれる。国から特権を与へてはならぬし、又政治上の権力を行使せしめてはならないとかいた方がよい、語呂もよいとおもふが、意味が違ふか。又は修正出来ぬか。
入江 さうかいても意味はかはらぬが、国を主体にかく様にすることになるが、修正の能否については問題がある。
遠藤 第十九条第二項につき、検閲には東北から来る手紙は今すべて検閲されるその為おそくなつて困る。個人としては迷惑なるも向ふは必要らしい。従て事変の場合等今后も検閲の必要は出て来ようが、実際困らぬか、又弊害を除く方法があるか。
入江 法律をもつてしても第二項はやぶれぬ。取締上困る場合もあろう。しかし言論尊重、思想の自由の方向からみて之を無制限にひておかぬと濫用される虞がある。故に利害を較量して検閲撤廃にした。その弊害は事前に警察力□を強化して取締るも、又犯罪捜査の方法で司法権にも活動してもらひ相当程度迄不利益は除去するつもりである。
遠藤 意見の相違なるも、検閲をせづに他の方法によるともつと弊害が大になる。人権蹂躙になり易い。
次に第二二条第二項の財産権は夫婦財産制度の狭い意味か、広い意味か。住居にしても同様の問題がある。
佐藤法制局次長 狭い意味である。家を中心としたものである。
遠藤 住居の選定に付、夫婦意見の合はぬときは同居しなくともよいのか。
松本 之は今后の立法による。憲法は、個人の権威と両□□に立脚してといふ原則を示す文である。意見の合はぬとき勝手にしろといふことは夫婦生活をこはすことになる。故に立法に当りどこ迄原則を守るかは困難な問題である。相続に付ても年上の女の子が女戸主になるとは少くとも私は考へてない。この原則を頭において研究することになるにすぎぬ。遠藤 極端に行く虞があるが、立法の際にまかせる。個人の「権威」はdignityである。他のところでauthorityを権威又は権力としてゐる。寧ろdignityは威厳とした方がよいとおもふが、特殊の意味がこの権威の文字にあるか。
入江 用字の問題でなく、かかる語を用ふるべき実体の問題なるもこれは"個人として尊重される地位"を表す語である。第一二条の精神をうけてゐる。力とか権利とかいふ意味とは一寸ことなる。
遠藤 他の場所の権威といふ意味とは語を同様にとられると困るから威厳と云ふ語が一層適切でないかとおもふ。
次に第二三条の生活分野について他の法律語に例があるか。
佐藤 他に例はないと記憶する。
遠藤 生活分野がわからぬことはないが、「生活関係については」とすると一層はつきりする。生活分野とすると何か意味がありそうでいかぬ。どこに之を使つた意味があるか。
佐藤 あらゆる部面に亙りといふ気持、生活分野、社会分野等あらゆる部面といふ意味で使ふ。
遠藤 特殊の意味はないか。
佐藤 ない。
関屋顧問官 第三章に義務の面が少ないと云ふ気がする点は各顧問官が意見一致する。納税の義務の規定がないことは遺憾である。米の憲法では義務なきも米人によると義務は当然であるといふ。人民が権力者と争つた結果なる為人民の権利丈保障すればよい。
納税は国税はよいが地方税の成績は悪い。市町村の幹部が卒先納めぬ、故にこの規定をおとすと困る事にならう。
地方税等は臨時軍事費とことなり納税の熱が出ない。米人の日本人に対する考へ方に錯覚がある。政府は納税につき心配なしとみるか。
松本 見方の問題なるも国が課した義務を履行しなければならぬ事は当然である。義務の遵奉の精神が足りぬことは遺憾である。税に付ては第八〇条があるからまだよい。故にむしろ義務一般を守れと云ふ規定が必要適切なのかもしれぬ。権利に付ても第一一条があるから之は明瞭。義務不履行が他人の権利、国の権利を侵す事になる。
関屋 第十一条に責任及び義務をおふとかきたい。事の段の自由及び権利に照応する。すると義務一般の点も解決する。しかし納税の義務は特に書きたい。参考に申上げてをく。
なほ一般に文字の点わ遠藤顧問官と同様の感がある。
第十三条の門地とはいかなる意味か。
佐藤 平たく云ふと、その家の家柄をいふが、朝鮮貴族令の用語を借用する。
関屋 皇族も入るか。その他の貴族に朝鮮貴族はもう問題ない。
皇族は一代のものかつづくべきものかこの規定がないが問題ないか、朝鮮貴族はもう出て来ない。故に王公族はみとめないか認るか。
佐藤 門地に皇族も一応入る。皇位継承等にも特別の地位の者相当あらうが。又、貴族に将来みとめるといふ意味が今の朝鮮貴族ではない。王公族は入る。現存の王公族も一代限り名誉的な地位にもなれることと補則にある。
関屋 第十三、十八条につき信条、信教、宗教の三種類の字句あるも、信条といふ用語は信条でなければならぬか。第十四条、選定は選挙も入るか、公務官の範囲は全部か。大臣から属官迄入るか。
入江 公の職務を持つものは全部入るが、民法上の雇傭契約による小使、給仕の類は入らぬ。公法上のものは凡て入る。選挙による者も任定による者も入る。
関屋 英文中、罷免に当る部分removalとdismissとあるがその使ひ分けはどう考へるか。
入江 ここでは但しその処分たる罷免も、法による一般的な罷免も入る。removalの方が解釈が広い。
関屋 第十六条第二は奴隷制度が少し残つてゐるのではないか。
こちらには奴隷がないから、おかしくないか。
入江 この語は最適でない。王朝時代は別として日本には奴隷はない。しかしそれに似た様な制度はないわけではないし、又奴隷的といふとわかりがよい。第二次的、第三次的な用語なるも採用した。
関屋 宗教につき神道が害をなしたから、この規定にかく入れたものらしい。神道はおそれ過ぎてゐる。むしろ日本に今后宗教を大いに起すべきである。米憲法に比して故に第十八条第三項は行過であらう。国の機関に学校は入る云ふことなるも、私立学校はよいと思ふが如何。
入江 政教分離の指導精神である。しかし宗教をおこすべきことは第一項に表れてゐる。機関の中に私立学校は入らぬ。
関屋 信教の自由は宗教の自由とおなじか。現行法にもあるが。
入江 同じ。
松本 信条はことなる。宗教も入る。無信も入る。又例へば兵役に反対、戦争に反対と云つた信条も入る。
関屋 本章の関係は大事業なるも、民刑法等の改正は憲法施行に間に合ふか。
松本 自分も心配してゐる。全部に亘り完全なものは出来まい。民法も醇風美俗に合はさんが為に大正九年頃臨時法制審議会が手をつけ昭和四年にその答申の要綱により成文化をはじめてゐるがまだ出来ぬ。しかも人事係のみである。畢竟するに却つて国難である。故に直接必要なことのみに止めるより他はない。

(午后一時再開)
関屋顧問官 第十三条の特権中に宮中席次は入るか。宮中席次は、順序のみの問題でなくて、一定の席次以下の者は、全然宮中の待遇をお受けしないといふ場合もあるから、重大である。又、第二十三条につき、前の要綱では、平和、正義等が入つてゐる。それを削つた理由如何。
入江法制局長官 自由、正義等を削つた理由は、本条は、立法の指導精神を定めたのであるが、福祉、公衆衛生等具体的内容を持ち得るものに限つた点にある。
関屋顧問官 それを恢復するやうな修正は、可能か。
松本国務大臣 新内閣の方針にもよるが、困難であらう。なほ特権の中には栄誉は入らぬ。宮中席次は栄誉である。宮中席次のある者は、縛つてはならぬといふのは特権である。
関屋顧問官 文化勲章をもらつているもので宮中でお召しになることは栄誉であり、差支へなしとおもふ。例へば重大な発明発見した者をお召しになることは今后もあらう。
(第四章関係)
林顧問官 第三十七条には唯一の立法機関とあるやう、法律は国会の議決を経なければならぬことは明らかであるが、いかなる事柄を法律で定めるか憲法上の立法事項如何。十数ヶ条で法律の定めるところによりとあるのは、これのみが立法事項と云ふ趣旨ではあるまい。
入江 憲法上の立法事項といふ特別な観念はない。いやしくも新な法規をきめることは法律による。国会が唯一の立法機関なる為、法律できめなければならぬ。もつとも法律の委任はありうる。現在の議会は、天皇が中心になり、それによりみとめられた範囲でのみ議会がはたらくから第七条もあるが今度は限定的な立法事項といふものはなくなる。
林 新たな法規とは何を意味するか。いひかへると法律でないか。さうなると意味をなさぬことになる。
入江 法規といふのは国法といふ事になる。定義的に云ふのは困難なるも新な権利義務を規律するものは国法であり、国家組織の如く国家自体の権利義務に関するものも法律が要る。
林顧問官 国民の権利義務に関するものは入るが、国家組織云々の範囲はわかりかねる。又今日の法律は権利義務のみ規定するのでない道義的な準則をきめることがある。これが近来の特色である。この憲法にもそれが夛い。どの範囲を法律できめるか。
松本国務大臣 これはむづかしい根本的な問題である。現行憲法の下にも議論がある。私の解するところでは、権利義務に関するものは、法律でなければならぬ。しかし法律中には、それに関しないこともありうる。法律できめうる事項は全部におよぶ。法律できめなければならぬ事項を立法事項と云へば権利義務に関するものである。なほ第六十九条第六号を見ると法律の施行の為に政令を制定できるだけである。立法事項の広いことはここからも明かである。
林 権利義務といふのは、国民の権義のみでなく、国家組織に関するものも入る趣旨か。
松本 畢竟するに国民の権利義務である。国家の機関が人格をもつときはその権義も入る。国家組織の内部の規律は必ずしも立法によらぬ。権義に関しないものもある。事重要なものは権義に関しなくとも法律できめるべきである。
林 各国の条文で「法律の定めるところにより」とあるのは権義に関するもの夛き為いらぬ事にならぬか。例へば第二十七条第二項がそれである。第二十八条も国民の権利に関する為ここにことはる要はない。
松本 只今の説例の場合は意味がある。第二十七条第二項は「公共の福祉に適合するやうに」とみる点にアクセントがある。第二十八条も手続を法律できめたいのである。実体的な規定でない。憲法全体で一貫した論理で説明できるかどうかは疑問である。
林 第四十条は如何。
松本 これはむしろ但書が必要である為である。しかし例へば第三十九条第二項は権義に関係しない。
林 それなら権利義務に関する事は法律できめると云ふ条文をおいた方がよからう。そうせぬと諒解に苦しむことになる。
松本国務大臣 畢竟するに、法律と云ふものの性質自体は観念できまる。そう云つたものは一々定義しない方針を採つてゐる。唯一の立法機関と云ふので充分。自明の理は書かぬ。
林 委任命令は認められるか。基本的な規定はない。委任には、無条件無制限か。相当の条件を必要とするか。無条件なら委譲になる。名実、合はぬことになる。第六十九条第六号、第四条(話は違ふが)第七十三条第三項に委任の字句がある。法律の委任は第六十九条第六号でみとめる事は明らかである。
松本 現行憲法には法律の委任の規定はない。しかも実際はやる。いかなる程度に付、委任でやるかは規定の必要がなからう。一つの事項には一括委任すると云ふ事は、違法、少くとも不穏当である。適確には規定できぬ。ことばに膠することになると困る。
林 基本的な規定は明にすべきである。学説にまかせたり、運用に任せたりすることは不可である。一括委任が不可なるといふも、委任命令は段々ルーズになる。委任命令を認めるなら何か原則を書くべきである。書かぬと無条件、無制限になる。さうなると制限と思はれるものも、法律を運用する者の心構へにすぎぬ。法律の意義として制限なきも、政治の実際に当るものの手心といふことになるか。
松本 いろいろ考へ方はある。個人として意見を述べると、全く無制限といふことはあり得ぬ。委任とは事項を定めて委任することである。一括委任は、憲法の精神に合はぬ。或程度迄は解釈は自由にすべきである。極端にいへば英国流のフレキシブルなコンヴェンションによる憲法がよい。不穏当な事をやらうとおもへば、書いてあつてもやる。
林 今後は従前とことなり、最高裁判所に違憲立法審査権がある。今迄は行政権により、政治力で無理押出来たが、今度は然らず。故にこの点は重要である。
松本 意見の相違なる為、これ以上申し上げることはない。
林 例へば第十九条につき、出版なら出版の内容がいかなるものであつても自由である。検閲がないから、査前取締は出来ぬ。出版の後犯罪になるものなら刑事手続でおさへる。しかし、刑法で出版に関する罪をきめることは違憲であるとおもふ。
松本国務大臣 自由を絶対に保護して犯罪になる様な事迄、保護する事には絶対にならない。何時どこを焼討しろと云ふ事を内容とする出版は出来ぬ。結果において、犯罪になることは出来まい。信教の自由だからといつて、印度におけるがごとく、御家さんを焼殺すといふことは自由でない。これを一々明にすることは不可能である。公共の福祉云々がなくとも当然である。その都度裁判所が適当に処置、解決することにならう。意見の相違になるかも知れぬ。
林 出版法等で取締の場合として、安寧秩序を害する事、風俗壌乱になる事等の文字あるも今度はこれが撤廃されるものと一般に考へてゐる。故に制限があるのか、ないのか、あるとすれば根本のものにならうか、それを表す必要があらう。無条件の規定を置きながら制限できるといふのはどうしてもわからない。次に第三十八条に付、二院制なるにかかはらず、同様に「全国民を代表する選挙された議員」とある。尤も法律でも違ふ様にきめ得るが、憲法ではなにも差がない。これでは二院制を設ける趣意がたたぬ。参議院の方は職能代表にする等、性格を異にする必要があらう。
松本 第四十条で議員の資格、選挙人の資格は別々にきめる。米も然り。又任期に差がある。解散も一方にはない。故に実値は大いに異ることになる。又選挙の方法もことなる。例へば、私見にわたるが被選挙資格も大にかへる。選挙の方法も間接選挙式にする。仏も一院制が今度国民投票で否決された。両院同じなら意味はない。これをことならしめることは、この規定で充分できる。
林 両院ことならしめることは当然なるもそれが憲法に出てゐないでないか。附随的な任期に付てであるが、何人が議員かと云ふ根本的な点について規定がない。職能代表は認められるか。
松本国務大臣 私見としては、議員の被選挙資格を何業に何年従事したといふことを入れる事は出来よう。この程度は但書に関係あるまい。尤もこの点は后日立法の際にはじめてわかる。但書の字句では納税資格の制度も認められよう。米も住居、年令等には相違がある。従つてさう云ふ余地もあると私一個は解する。
林顧問官 全国民を代表するとあり。社会的身分、うんぬんとあるも大丈夫か。
松本 さう解する。選挙されたといふのも間接選挙が入る。
林 第四十五条につき一般の官吏、その他の公務員には俸給をうけることを規定した規定がない。議員と裁判官についてのみある。何故これらに付、おいたのか。片跛はおかしい。
入江 公務員が俸給をうける事は当然である。さう云ふ制度が出来る事は云ふをまたぬ。裁判官と議員につきおいたのは国会が尊重すべき機関であるためと、才費は予算にくみ行政権が支出するものであるから、裁判制度を確立しておく必要があるためである。又相当額とあるのは一の保障である。裁判官は司法権の独立を確保する趣旨である。かやうに両者につき特異性がある。
林 裁判に付、規定をおき、参議院の組織に付規定がないことは、軽重を誤る。又裁判官に付いても憲法に書く必要はない。却つて裁判官を日本的な感情の下では下員にすることになるとおもふ。第四十六条に付、現行法は、現行犯罪者は例外になる。その点如何。
入江法制局長官 現行法と変へる趣旨はない。法律で定める。法律には成案はまだない。現行犯罪その他法律の定める場合と書くのもよいが、簡単にした。
林顧問官 第四十七条、現行法では公刊の場合の責任の規定あるも、これは当然である。なぜおとしたか。
入江 現行法と精神は同じ。現行法の公刊の行為は院外の責任の中に入らぬ。院外の行為に付その限度で責任を持つのは当然である。
林 但書が落ちるから現行法と異なると解釈するのが当然で、少くとも禍が生ずる。しかし重ねて問はぬ。
第四十八条、常会に会期の定なき理由如何。常会の日時と期間を決定する主体は天皇か。法案で臨時会の召集決定は内閣にある。衆議院の解散の主体は天皇か。
入江 召集権は常会、臨時会を問はず天皇にある。即ち第七条にもどることになる。ただいかなる場合に臨時緊急の必要があるかを決定するのは内閣である。それを第四十七条で決定したにすぎない。解散も天皇の権限である。常会の会期は議員法の中に然るべく書かうと思ふ。
林 第五十条、緊急集会に於ける参議院の権能には規定がない。法律を議決出来るか。
入江 国会と同様の権限をもつ。第二項の但書はそういふ気持である。第三項の措置はそういふものをさす。
林 条文にさう書いてない。口語体にして解りやすくするならもつとはつきり書くべきである。
第五十一条は選挙訴訟、当選訴訟を云ふか。それとも違つたものをさすか。
入江 その両訴訟を指す。
林 手続は何できめるか。
入江 議院法或ひは国会法できめる。
林 第五十三条、会議は委員会もはいるか。
入江 はいらない。両議院としての会議であり、委員会はそれに対しての関係で、準備的なものに過ぎぬ。現行法もさうなり。
林 会議の記録を保有云々や、会議その他の手続云々等の会議には委員会がはいると思ふが如何。
松本 両者とも委員会に入らぬ。第五十三条第一項但書で出席議員ノ三分ノ二以上とあることを見ても明瞭である。その他の手続の中には委員会は入る。又会議記録の公刊も現に委員会に付ては、やつてゐない。
林 民主主義の気分からいふと、疑にならう。現に政党の会議でさへも公開してゐる。なほ出席議員三分の二云々については、委員会の委員も議員である。
第五十五条、特別の定のある場合とは如何。
入江 本条第二項の場合を考へる。尚第九十八条も然り。
林 法律案には両院協議会のない理由如何。
佐藤 国会法等で両院協議会を設けても差支ない。然し憲法上は三分の二の再議決の方法がある為それにゆずる。
林 第五十八条、証言の供述と云ふ語はおかしい。証言と言へば、すでに証人の供述である。
佐藤 特別の意味はない。ひらたく証人に証言して貰ふことを云ふ。
林 それなら証言だけでよい。
政府委員の規定なきも如何。
入江 現行法では政府委員の権利として規定する。今回はそう書かなくとも、国会法等で書けば足りる。
林 第六十条に付、これは第七十四条を受ける規定であらうが、訴追は唯がどういふ手続でやるか。
入江 第二項の判事弾劾法で規定する。大体内閣が司法大臣の申立でやる。そして司法大臣が申立をするときにいろいろな事情を勘案することとしたい。
小幡 第四十八条、会期は現在三箇月なるも、今回は議事の多少により会期がきまることになると思ふか。議会の機能が閉会することになるか、政府と一緒にきめるか。
入江 憲法上四箇月ときめてしまふのはいかがかと思ふ、又国権の最高機関としてはそうきめることがおかしい。しかし年中開くことは出来ぬから議会法等で五箇月以内で定める等とすることにならう。私としては内閣が会期を決定して上奏して召集の際発表する。会期の延長も同様に出来るやうにすることにしたい。
小幡 第五十条に付四十日、三十日はどうしてきめるのか。短すぎぬか。
入江 この期間を長くすることは、その間国会が活動しないことになるなるから良くない。その期間を通じて七十日間とした。なほ四十日は現在の経験を徴し三十日より延長した。
小幡 第五十七条、承認は批准を含むか。批准は内閣がするか。
佐藤 第六十九条第三号に条約を締結することとあるのはこの中に批准は入る。
小幡 対外的に日本を代表するのは第一条から天皇なることは明かなるも、条約文の日本国皇帝云々とあるのは、日本国天皇はとなるべきも、これに対し山川博士は疑問をもつが政府の所見如何。
入江 条約の前文に付ては日本国天皇の御名を掲げる心算である。条約の前文の字句はそのままかどうかやや慎重を要する。
林 今のお答は条約の批准、全権委任状に付前に御質問したときと異なるやうに思ふ。前は何れも内閣がやるとあつた。今日はこれと異なる様におもうか。
佐藤 異ならず。前回と同じである。
林 全権委任状等の名義は内閣か。
佐藤 内閣である。唯批准書、信任状、全権委任状等に天皇が証証されることとなる。
(散会)
備考
政府側出席者
松本国務大臣、入江法制局長官、佐藤法制局次長、宮内第二部長、今枝第三部長、渡辺事務官、佐藤事務官、奥野司法省民事局長、佐藤同刑事事務長、鈴木内務省地方局行政課長

(極秘)

昭和二一、四―五
憲法改正草案枢密院審査委員会審査記録(その三)
(未定稿)

第六日(昭、二一、五、一〇 午前十時より)
河原顧問官 三七条の国権と国とは意味が同じか。
入江法制局長官 国権と云ふのは国家活動の方から云ひ、後の方は三権の中の立法と云ふことを云ふために国といふ組織体の方から押へた。作用と云ふ方面から押へるのと、組織体の方面から押へるのとの相異である。
河原 常識的に云ふと、最高機関と云ふこれは国の機関と云ふことの方が判りやすい。国権の最高機関といふとやや疑問がおこる。最高機関としての作用が即ち立法機関になるのか。
入江 最高機関とは国家活動の最高の地位をしめると云ふ属性を表わす。その作用は実質的には立法と云ふことになる。
河原 三九条で二院制をとる訳だが、今日発表されたクレーギー氏の話を見ても両院の間に明白に差違をつけた方がよいと思ふ。しかしこれは意見に止める。四九条に臨時会の召集は内閣が決定するとあるが、決定権は七条により天皇がもつのではないか。内閣がもちそれが天皇を拘束することになると、七条に反する。
入江 七条で召集されるのは天皇である。何時召集するかについては常会は四八条で定まり、臨時会は必要あるときであるから、その必要の有無を決定するのが内閣である。即ち基礎的事実の決定と云ふ意味である。故に七条に反しない。
河原 七条を見ると天皇が法律案の公布、色々の文書の認証等するときは決定は内閣にある。しかるに召集については召集権自身が天皇にあるのだから、その決定も、天皇にあるべきではないか。官庁内部のことはどうでもよいやうにならうが、憲法の明文に出るとなると問題である。
松本国務大臣 四九条は招集するかどうかの内部の決定の手続であり、それに基いて召集は天皇が行ふ。即ち四九条と七条とは別である。実際では内閣の助言と承認の下で何等支障がなく行はれると思ふ。それはあたかも、六条の総理大臣の指名、任命と同じ。四分の一以上の要求云々を規定しなければならないから、決定と云ふことと召集と云ふことを区別することが意味あることになる。
河原 総理大臣の任命を云はれたがそこには「指名に基いて」と云ふことが書いてあるからよい。又内部的事柄を憲法で決定と云ふ文字で現はすことは適当でない。第六九条第七号の決定(天皇は認証のみ、大赦を行ふのも内閣)とはちがふのか。同じ語で意味ちがふのか。憲法上同じ「決定」なる語が二つの意義をもつことになる。
松本 内部的と云ふことは、決定だけでは外に対して効力をもたぬ。大赦は認証がなければ外に対して効力を有しない。召集も同じ。文字の上で不捗ひな点のあることは認める。それはこの案の成立の経違やむを得ない。所謂松本対案に於ては、内閣のやることはすべて決定として内部的関係にし、認証等と云ふことは書かない様にしてあつた。そこでこんなチグハグな結果になる。
河原 四九条の決定と云ふ文字が出て来ねばならなかつた理由はそれでも判るが、決定と云ふ文字を使はなくてもよいのではないかと思つたのである。第四八条並に規定すればよい。五〇条の緊急集会は国会の権限を行ふのか。
松本 然り。その主旨は五〇条、二、三項だけでは不充分なことも認める。しかしこれでもこの規定の出来た事情を諒察されたい。草案要綱にはこの規定がなかつた、之について松本対案では、常任委員会のことを考へてゐた、それを以て□□両院自体に代らせる、それが同意を得なかつた結果要綱となつた、しかしこのままでは憲法違反のこととやるか、又は国権を止めるか、どちらかになるよりほかない。そこでなほ交渉の結果として無理に此方から押しつけて、妥協的にこの規定となつた、違憲にならないで緊急措置が行ふる様に明文化する趣旨であり、これ以外には方法がないと思ふ。同意がないまでは参議院の議決は国会の議決と同じ、どうも足りぬところがあるが、解釈で補ふことはできよう。
河原 経違については承知してゐる。但し条文の解釈について、参議院の緊急集会でやることは、国会の仕事とみるのか、常任委員会の仕事的なものと見るのか。前者とすれば、内閣が集会ヲ求めることができると云ふ点が天皇の召集権と反する。
松本 之は勿論国会の召集ではない。しかし、それが恰も国会と同じ仕事が出来る。しかし国会の仕事よりは効力が小さい。解除条件附のものである。
河原 その効力を失ふとは将来に対してのみか。既住に遡るか。
松本 法律が施行されてゐては遡ることは困る、財政上の緊急処分と同じく既に発生した効力を失はせることはできない。法的安全の上から、かく解する。
河原 さうすると現行憲法の様に「将来に向つて」と云ふ文字をあらはした方がよい。
又五三条、の秘密会は政府も要求し得るか。
松本 誰がイニシアチブをとるかは議院法で決めるつもりである。
河原 五四条第二項の「各々その会議云々」の「その」は、第一項に照らし削つた方がよい。又、その下は、内部の規律に関する規則を定めてこれにより懲戒するといふ風に読む慮がある。
五五条の「特別の定ある場合」には緊急集会で法律が議決された場合も入るのか。
松本 然り。但五五条自体が出来た時は五〇条二項を予想してゐなかつた。
河原 法律となる時期は明かになつてゐるが、予算については如何、現行憲法上もはつきりしてゐない。御裁可のときと考へてゐる。
入江法制局長官 予算についても両院で可決したときと考へてゐる。
河原 「これと異つた議決」には否決を含むか。
入江 然り。
河原 そうだとすれば三項末文に否決したものとみなす云々の文字をあらす必要なし、これと異つた議決をしたものとみなす云々とする方がよい。
入江 三項は二項ではまかなへない場合であり、だまつてほつておいたのだから之を修正議決したことと考へることはできない。否決したものとして一項に戻る趣旨である。
河原 文字の使ひ方を一定した方がよい。みなすとかなで書くと、かへつて読み難い。文字を直しても言葉をなほさぬからいけない。「みなすことができる」でなく、「することができる」で十分でないか。第五六条第二項とも合致する。
入江 みなすとしたのは「看做す」があて字だからである。無から有を生ぜしめる意味で法律用語として特別だから、今日廃止は適当でない。
河原 否決したものとみなさないこともできるのか。
入江 然り。
河原 五六条二項もみなすのでないかとの疑がある。なほ両院協議会の議決のみで足りるのか、或ひは現在通りに又両院に戻すのか。
入江 法律できめるのであるが、現在通りのつもりである。
河原 憲法の上では、協議会のみでよい様にとれる。各院の議決が要ることとするのは違憲ではないか。
松本 国会法に於て協議会をいかにでも決められるから差支へない。両院に戻ることも必要なからしめることもできる。
河原 衆議院で予算を長くにぎつて居て、僅かの会期を残し参議院に廻せば不成立となるのか。
松本 そのときには会期延長を行ふことができると思つて居る。
美濃部顧問官 一々疑があるのだが、極く一・二のみにする。先ず第一に三七条であるが何の必要あつてかかる規定を設けたか判らないが、それは別として、この規定は真実に反し、偽りを述べてゐる。国会が最高機関だとするが、国会は国民を代表することは明文がある。あたかも摂政が天皇を代表すると同じであつて、故に国民こそ最高機関でなければならぬ、最高機関とする以上又憲法改正の権をもつものでなければならぬが、それは国会は唯発議のみで国民が決定する。したがつてこれは真実に反する規定だと云はねばならない。又、唯一の立法機関とあるが立法、とは単に法律と云ふ名のものをきめると云ふことではなくて実質的に法規を立てると云ふことでなければならぬのだが(行政権(六一条)も実質上の意味、司法権(七二条)も同様)、さうすると、憲法の中には憲法改正を含む。然るにそれは国民が決定する。最高法規の中に条約も含まれるが、国会は条約を作るのではない。法律の委任に基く命令は内閣が作る。之等から国会が唯一の立法機関でないことは明かである。又もし立法も形式的に解しても、法律は天皇の公布によつて国民に対する効力を生ずるのだから国会が唯一の立法機関と云ふことにはならない。
松本 御説は学説的に考へると有力であるが、国民と云ふものを機関と見ることはむづかしい。国会が国民を象徴するのである。九二条は事最も重大なるが故に原の所まで戻る趣旨である。即ち国会を選んだ国民の承認を求めることにした次第で、だからといつてこの承認をする国民を法律上機関と見ることはむつかしい。摂政の場合とは意味がちがう。摂政と天皇は人格者間の関係に過ぎない。
国会が国民を代表するのは政治的意味であつて、法律的意味に於て国民と云ふ機関があるとは思へない。第九二条は例外として、それ以外では国会が最高機関である。唯立法のみに止まらず、総理大臣の指名もする。立法機関の立法を形式的に見るか、実質的に見るかについて、実質的な意味と見るが、そうなると九二条、九四条とはどうなるか、と云ふ問題であるが、九二条は重大なるが故に例外的に手続を示す。条約はやはり国会の同意を要するのであるから、そう云ふ関係のない現行憲法に於ては国会を唯一の立法機関とすることは虚偽になるかもしれないが、この草案に於ては誤りとは云へないと思ふ。大きな眼から唯一の立法機関と云ふも差支へない。何故かやうな規定を置いたかは、自由な立法論では御意見に共鳴するが、経緯の上でやむを得ない真を諒承ありたい。
美濃部 この憲法は全文を虚偽に満ちて居て、今の答では氷解しない。しかし意見なる所今の点は以上に止める。
四〇条、にれば、法律によつても人種以下の要件を以て差別してはならぬことになるが、社会的身分とはいかなるものか。追放令に当るもの、前科者、現に役人になつてゐるもの、現に刑を受けてゐるもの等も社会的身分に入る。彼等を無資格たらしめることは不合理である。
入江 社会的身分と云つたのは、士族、華族、前華族、部落民等・・・・・・
美濃部 それは門地であつて社会的身分ではない。
入江 社会的に階級差違を伴ふものを考へてゐる。御訓示のものは個人的属性の差で、社会的ではないと思ふ。
美濃部 社会的身分と云ふものがそれらを含まぬとは考へられない。すべての選挙訴訟、当選訴訟は議員の資格を失はしめる効果をもつのであるが、五一条但書によると、議員の議席を失はしめると云ふ、議員に不利な決定をするときには三分の二を要し、之に反し有利なときは過半数でよいとなるがいかなる理由なりや。
恰かも判決を行ふに当り有罪の場合と無罪の場合を別扱ひにするのと同様で、公平を欠く。
入江 当選をしたものの当選の効力等実体的規定は法律で定める。犯罪の結果議席を失ふことが法律によつて当然に生ずることもある。しかし特定人がその特定事項に当たるか否やの制定に当つては、慎重を期するため三分の二とする。現行憲法では懲罰についても同様の原則がとられてゐる。
美濃部 懲罰は相当の理由があるが、訴訟を之と同じに考へることはあやまりである。当選訴訟とは主として投票数(被選挙権の居無)の計算が主とある。故にその場合、計算の結果、甲が当選でない、乙が正当と云ふことにきまつたときに、それに2/3を要するとするのは乙に対して不公平である。
入江 訴訟の性質については然り。唯事柄を慎重化するため、全員一致を要するとすることも考へられぬことはない。特別議決を要するとする点では懲罰と同じであると思ふ。過半数は一の原則で特別議決が悪いはけではない。
遠藤顧問官 三七条に付て国民を機関と見る見ないは別として、国会は外部に対しては国を代表することはない。衆議院は天皇により解散される。天皇の方が最高機関の様に思はれる。最高裁判所が違憲立法の審査により国会の作用をコントロールすることもできる、故に最高機関の一とは云ひ得る。国会を最高機関とするのは天皇の地位とも関聨してどうも面白くない。「国の最高の立法機関」なら適当と思ふ。
松本 民主主義は政治的に見る立場からとらへてゐるので、至高の総意を有する国民を直接に代表してゐるものは国会である。だから国会を最高機関だと云ふ。この規定は、むしろ政治的意味と解されたい。全国民を代表すると云ふこと自身も同様である。
遠藤 国会が国民全体を代表すると云ふことは、やはりこの憲法によつて定まる。その同じ憲法で天皇、内閣に或点で最高機関的な地位を認めてゐるのだから、どうしても最高機関の一、と云ふことにしかならぬ。
松本 解散、違憲立法審査等があると云ふことのために国会が最高機関でないとは云へない。現行憲法に於ても天皇の統治権には無く制限がある。例へば立法権に付議会の協賛がなければ、どうしても立法ができない。かやうに例外があつても最高である。又、最高と云ふ以上一に限り、二、三ありとは不可。
遠藤 国会に制限を加へる加へないとは別に、国会と同じ様に最高の地位をもつものが他にもあるではないか、と云ふ意味であつた。
松本 さうなれば、行政格は内閣が行ふ、司法権は裁判所が行ふと言ふのだから、□れらも最高と言へる。唯、その原となつてゐるのは、立法権をもち、然かも総理大臣の指名、最高裁判所の裁判官の罷免等もできる国会と解するのは決して不自度でいない。
遠藤 五十一条但書□にみると議員で裁判をすることになるが、具体的には如何なるや。議院が自ら裁判するか、又は裁判所を作るか。
松本 議院が裁判する。これは、現在の貴族院でやつてることと同じになる。それを両院に広げるつもりである。
遠藤 選挙訴訟で選挙が無効になるときは議席を失はしめることになるが、それは三分の二を要する。故に選挙数で行ふときは、選挙が有効と言ふことを決める場合等に限るのか。
松本 然り
遠藤 さうすると、やはり均衡を失する様に思ふ。しかし議論になるからやめる。五十五条と五十六条の相互、即ち協議会の有無の区別の理由如何。
松本 法律は重大であり、又必らずしも急がないから、衆議院の方でもう一度強く考へ直す機会を与へる。
予算は、急がし、又成立を期待すべきものであるから、先の衆議院の議決でよろしいと言ふ意味である。
遠藤 緊急の応答が問題か。
松本 緊急と言ふか、それの区別することが相当だと考へた、即ち、予算は成立しなければならぬし、又一時的なものであるに比し、法律の方はそれがなければ国がつぶれると言ふことにはならない、と思ふ。現在でも議会制度に、法律案のみにあり、予算にはない。それぞれに相当なる方法を採るはけである。
遠藤 大事なことであればそれ丈け両院でみとめることの方が適当であり、区別の理由がないと思ふ、五十七条の締結には批准を含むや。
入江 然り。
遠藤 亦疑問があるが六十九条で間又質問す、ことにする。
(午後一時再開)
関屋顧問官 三九条、やはり参議院の構成についての明文を置かぬと、参議院法を書く場合にむつかしいと思ふ。衆議院と異なるといふことを憲法の上ではつきりさせたい。
松本 三九条二項、四〇条、等で別々に両院を決める。その決め方については、この前に話した通り被選資格の制度、間接選挙等で相当衆議院と異つたものにすることができると思ふ。社会的身分と言ふことで職能的な構想が問題となるが、それはやはりそこからはなれられない様な生れついての、ついて廻つた身分と言ふことになると思ふ。従つて納税要件と言ふ点は入らぬと思ふ。又学問、教養等も入らぬと思ふ。
関屋 四〇条及び四三条は「各々法律はこれを定める」とすればこの趣旨がはつきりする。四〇条も、四三条も両院で何か一つのものを考へてゐる様に見へる。参議院法が之を定める旨の規定があれば、もつとはつきりする。
松本 その点は御心配ないと思ふ。四〇条及び四三条の法律は複数であることがむしろ自然な読方である。もし一様に定めると任期丈の差になり、むしろ不当であることは明かである。条理から言つてあり得ない。
関屋 罷免、の英語にはdismiss.とremoval.と両方があるが、日本語としても使ひ分けすることを考へていただきたい。社会的身分の用語に付て、松本大臣のいはれる通りに解されることを希望する。
潮 五〇条、の緊急集会を求めるとは普通の国会の召集でなく、集会を要求することか。
入江 然り。
潮 実際に地方代表となると集るのに時間がかかる。それが困なんを伴ふ心配なきや、即ち実際に間に合ふや。各地方から集ることが出来るのなら臨時会の召集も出来るのではないか。
松本 臨時会の召集は、衆議院が解散されてゐる場合に限る。他方に於て政府が緊急事態に対して仕事をすすめ乍らも、緊急集会を求めると言ふ風にやれば、日時にも余裕が出来ると思ふ。実際論として集会には少くとも五日位はかかる。人数は五二条で三分ノ一あればよいから、それ程困難でない。
潮 常任委員会なら実行可能性あり。しかしそれが採用できぬ事情にあればやむを得ぬ。これで、うまく行けさうなら結構である。次に期日がまちまちである。一〇日、二〇日、四〇日、六〇日等、五〇条第三項の一〇日は、臨時議会の会期が一〇日以内のこともあるから、主に通常会についての規定なりや。
松本 必ずしも通常会に限らず、会期の短い臨時会に於ても、之等の期日は会期延長等で調節する。
潮 法律案の発案権は国会にありや。ないようにも見へるが、若しないなら不当である。
入江 政府と共に議院にもあると思ふ。特別の規定はないが、特に限定してない点から見て議院にもあると考へられる。予算については特に六九条に於て明らかであるが、法律案の提出者に付ては議院法で明にしたい。
潮 法律についてもやはり両院協議会にかけてしかる後五五条二項になる様にすべし。税法、起債法等会議法案は予算と同異なるか。
松本 法律案についても協議会を経ることは差支へない。さうなると、協議会でもまとまらぬことが明らかなときに五五条二項になる。それは国会法できめることになるが、その場合に必づ協議会を開くべしと書くこと迄はできないと思ふ。

(第五章関係)
林 天皇の国務に関し内閣の行ふ助言、承認も六一条に言ふ行政権に入るか。
入江 然り。
林 内閣と言ふ組織機体が主体に考へられてゐるが、単独の国務大臣は外部に対して行政権なきや。
入江 あり。七〇条に「主任」とあるのもそれを示す。即ち国務を具体的に行ふときには、行政各部として各大臣が行ふこと多し。
林 国務大臣行政長官兼任制を七〇条だけでしめすのは十分でない。明文を以はつきりすべし。
入江 全体としての内閣が責任をもつが、そのメンバーたる各大臣も担任の事務につき責任を有する。現在に於ても各省大臣の他部局長もある程度の対外的権限を行ふ。なほ国務大臣即行政大臣といふ制度に付ては検討の要あり。故に明文を置かぬ方がゆとりがあつてよい。
林 六二条に付、内閣総理大臣も国務大臣か。
入江 然り。
林 内閣と言ふ以上「連帯して」は不要であると思ふ。
入江 各大臣が連帯してと言へば、それは内閣を組織してと言ふ意味であるから、特に書いても差支ないと思ふ。
林 国会に対する責任であるから、それは内閣全体として負ひ、一員としての大臣の責任は国会に対する責任ではないと言ふことにならぬか。
佐藤法制局次長 内閣は合議体でありそれが行政権の行使につき責任者になる。その一員たる大臣の立場は別にある。その立場に於ては内閣の執行機関となる。その場合に一大臣が不手際なるときには、その上に立つ内閣の責任になるのではないかと思ふ。
松本 行政長官として、責任は、国会とは無関係なり。国会に対して責任を負ふときに常に合議体たる内閣なり。
林 閣議決定事項の他、各省大臣が専断である場合は如何。
松本 閣議の有無に拘らず、各省長官に委任してゐる場合は憲法上に書く必要はない。
林 国会に対する責任の本質如何。民事上の責任でも刑事上の責任でもない。
松本 現行法に於ても議論あり。国会に対して負ふ以上は、大体に於て政治上の責任であると思ふ。民刑の責任事は別の話であらう。
林 その政治上の責任をいかにして追及するか、不信任決議であらうが、所でこの案を見ると参議院にはその権限がないから、参議院との関係では「ノンセンス」になる。
松本 参議院も不信任決議をしてもよいと思ふ。唯、解散は衆議院のみであるから、そこでは解散か総辞職かといふつきつめた所まで書ける。参議院にはそれを書けない。政治上の責任は参議院に対してもあると考へる。
林 何故に天皇に対しても責任を負はぬか。
松本 政治上責任といふ観念から云へば、国会に対して負ふだけで足りると思ふ。それ以外の責任は勿論国に対しても責任を負ふ。国に損害を与へた場合等は之に当ると思ふ。
林 行政権の行使に付不法不適当なときに限るにしても、天皇に対しても責任を負ふべきものと思ふ。即ち助言をあやまつたことに対して、天皇に責任を負ふと思ふ。
松本 天皇に対して徳義上の責任を負ふことは当然である。しかし制度としては国会が最高機関として見てゐるのだからそこをおさへればよい。内閣が天皇に対しても政治上の責任を負ふこととし、従て天皇に政治上の実権を与へることは、この憲法の精神に合はない。
林 道徳上の責任だけでなく、憲法上の責任を天皇に対しても負はねばならない。参議院なみに考へるべきである。
松本 そう考へることもできるが、又それを書かなくてもよい。参議院に対しても書かれてなくても責任ある。天皇に対しても同じ。責任が明瞭になるための制裁の規定がないと云ふ丈である。制裁なきところ責任を規定する必要がない。
林 六三条二項の二十日は長すぎると思ふ。政治情勢が許すまい。一院のみで二十日とはかかりすぎる。何故二十日を置くか。
松本 その様なことも時々は生ずると思ふ。然し実際ここまでつきつめることは稀であらう。実際の運用では両院意見一致せぬときは、衆議院の意見通り二十日後にきまるから、自ら帰着するところがわかり、処置のおくれることはあるまい。
林 国務大臣の任命には国会の同意を要するとしながら罷免するときは首相の独断でよいのは何故か。
入江 任命をするときは、その具体的人物のよしあし、適不適の判定が必要であるのに反し、やめるときは将来引下る訳だから、後任者を任命するときに後任者につき国会の同意を要するだけで足りると思ふ。国家の行政に及ぼす影響よりて両者に差があると思ふ。従来からも任命に比し罷免のときは、手続を簡単にする一例は、他の場合にもある。
林 それと反対の場合もある。裁判官がその適例であると思ふ。即ち任命での手続が常に重いとは云へない。普通なら任免ともに同等とするべきである。又六五条で国務大臣の任命については参議院も関与するのに反して、不信任のときは衆議院のみなのは如何。
松本 衆議院に対しては解散と云ふ手がある。参議院に対してはそれがないから、六五条が出来た。又、六四条第二項は、内閣の統一を保持する上に必要がある。実際上これでないと困る。
林 六六条によれば総選挙後の召集のときに必ず総辞職することになるが、政府与党が大多数のときに、何の必要ありて辞職するのか。
松本 その場合でも信任を問ふ。そのときは再指名されるのは当然であるが、国政の一新と云ふ意味で、一応くぎりをつける。新議会により再び指名をされることを要件とするつもりである。
林 きまりきつてゐるなら、無駄な手続を弄することになる。
六七条は規定として不合理である。総理大臣が任命される迄旧内閣が国務を行ふとしてゐるが総理大臣が任命されたからと言つて内閣は組織されない。国務大臣は、国会の同意がないと任命できない。多少の日がかかることもあり得る。従つて不都合が生ずると思ふ。
松本 実際から言へば首相が指名によつて出来るときには他の大臣已決あらねばならぬと思ふ。一日かそこら遅れるだけであらう。一時に内閣総理大臣が二人出きることは避けるためかやうにした。その間の引継関係は、内閣に関する法律の中で規定する。
林 多くの場合はさうなると思ふが、将来のことも予竟すると常にそうなるとは思はぬ。「新たに内閣が組織されるまで」とすれば何の問題も生じない。このままだと実際に行政権の行使され得ないときも生ずるおそれがある。
松本 六二条の内閣法で内閣総理大臣以外の国務大臣の欠けた場合の規定もきめられる。
林 六九条一号にある「誠実」と云ふことはすべての事務につき共通である。二号以下にも一々誠実にと書かないと揃はない。一号のみに限つた理由如何。
入江 主旨としては、「法律による行政」即ち法律の定める規準に従つて厳格に行政すると言ふ原則を特に強調したのである。行政権は、内閣が行ふから、かやうに規定することになる。この用例はアメリカ憲法にある。之を削らうと交渉した段階もあつた。
林 四号の主旨如何。
入江 官吏に関する事務は、法規的性項を有しないものもあらうが、それをも法律で決めると云ふ趣旨である。
林 各官庁の命令(省令、府県令)等を認めるのか。
入江 政令以下の命令のあることは、他の条文に命令とあることの前提となつてゐるのであるから、それらも認める趣旨である。各省官制等法律でその根拠を明かにするつもりである。
林 七号は従来非常な大権とされてゐた、法律効力を変更し、裁判の効果を消滅されることであるが、内閣一存で決定されるのは不当であると思ふ。国会に関与させるか、国会の召集、衆議院の解散なみに天皇の権限とするような方法はないか。
佐藤 第七条の国政の中どれを形式上どれを天皇の行為とし、どれを天皇の認証にするかと云ふことになるが、その振分を考へると七条の中の公布の収集は天皇の名義で行く、栄典も問題ないと思ふ。之に反して認証のグループに入るものは多少個々的、具体的処分行為と云ふべきものである。その中で恩赦はいくらか前のグループに入りやすいが、認証さへあれば陛下の意思があらはれると云ふ意味で、実質は内閣が決定すると云ふことにした。内閣だけの問題にせず天皇の認証を加へて重く扱つた。しかし認証たると天皇の行為たるとは、実際は大差ない。
林 根本的に考へがなかく、恩赦に当つては天皇の御仁慈によるといふ趣旨を明かにする必要がある。それを、首相がしてくれたと云ふことになると有難味が少なくなる、認証があつたとしても御心の程度が少ない。感奮して再起する度合が大分ことなる。しかしこれで止める。又特赦の他に刑の執行の免除をあげた理由、如何。特赦とは刑の執行の実際であつて重複することになる。
佐藤 新しい見地から特赦の中からそれをぬき出したのみであつて積極的な理由はない。
林 特赦はすでに古い語で観念もはつきりしてゐる。しかも刑の執行の免除が、むしろ特赦の本体である。特別特赦は例外である。故にどうしても両者重複する。積極的な理由なければ削るべし。
佐藤 どうしても置かねばならぬ理由もないが、置いても差支へないと考へてゐる。
河原 この憲法で云ふ内閣は今の行政官庁に当ると解してよいものか。
入江 官庁にも色々の定義があるが内閣はこれを国家意思を決定して外部に有権的に発表する組織と考へると内閣は合議体の官庁であると思ふ。
河原 すると各省長官は内閣の下級官庁なりや。
入江 下級と云つても、同時に国務大臣なのだから、そして又内閣の一員なのだから他の官庁と趣はちがふことになると思ふ。しかし各省の行政は、内閣の決定にしたがひ、又総理大臣がこれを指揮監督するのだから、下級官庁ともいへよう。
河原 内閣は意思の決定権をもつが、その決定は夛数決なりや、全会一致なりや。
入江 閣議で決める。憲法上はそこまで書いてない。
河原 全会一致が夛数決か、その何れををとらねばならぬと云ふことを憲法が要求してゐるのではないのか。
入江 然り
遠藤 条約の締結に批准が入るとすればそれは何人がするのか。
入江 内閣と思ふ。内閣は国家の機関として作用するのだから外国に対しては国家がする。対内的には内閣である。
遠藤 締結する者と同じ者が批准することは可笑しい。批准は締結をしたものと別の者が行ふことに意味がある。
佐藤 事の実際では、署名は全権委員が行ひ批准は内閣が行ふと考へられる。
遠藤 手続はそうだろうが、自分で作つた条約を自分で批准するのは無意味である。又国会の事後の承認と云ふ様なことは批准後ならが可笑しい。
佐藤 事後の承認のときは、急ぐ条約のときであつて、批准なしの条約もある。
遠藤 批准後承諾なきときは如何。
松本 条約は効力を生ずる、但し内閣の責任が生ずる、事前の原則であるが実際上事後となるのもやむを得ないと思ふ。
遠藤 秘密条約は、事后になるか。
入江 急がなければ事前に承認を求める。
遠藤 全体から見て内閣が議会に比して余りに弱くなる、強くする必要があるのではないか、世界各国の例を見るとその感あり。しかしこれは希望に止める。
関屋 日独同盟のごときが不可として、国会をして外交権をコントロールさせると云ふ全般の主旨から云へば事後の承諾などは認めなくてもよい筈である。
松本 国会の事後の承認がないときの責任と申したが、内閣と国会とは一体なのだから、実際上差支へない。どうしても緊急やむを得ないときの例外を認める必要がある。参議院の緊急集合の制度が後でできたから、この必要性は減少したが、しかしやはり必要である。
潮委員長 国会と内閣との関係は誰も心配して居る。或期間だけは、国会万能を抑制する方法は考へられないか。
松本 政党政治の弊害は、たしかに問題となり得る。「チエツクス、アンド、バランセス」が必要であるが、現下の事情ではやむを得ない。有権者の向上によつて国会を向上させることが肝要である。
(散会)
備考 政府側出席者
松本国務大臣、入江法制局長官、 佐藤同次官長、渡辺・佐藤法制局事務官、奥野司法省民事局長、佐藤司法省刑事局長

第七日(昭和二一、五、一三、午前一〇時より)
(第六章関係)
林顧問官 第七十二条につき、陪審裁判に関する事柄は文字にないが、いかなる趣意になつてゐるか。
佐藤法制局次長 表面にはない。現在の陪審は間違ひなくこの憲法の下で行はれると考へる。
林 今のは本当の陪審でない。しかし、この民主主義、人権保護の観念からいへば、各国に例の夛いやうに、陪審ができる筈なるも、どう考へてゐるか。事実の認定権を陪審員に与へるべきである。
入江法制局長官 米憲法の下の様に強い程度のものも、只今迄の研究ではみとめられるといふ方向でゐる。なぜ文字の上に表はさぬかといふと、今迄の実績が香しくない。陪審法さへ作れば憲法に明文なりとも出来る。今のも陪審をどんどんかへるといふことは、実際は、ないから結果はおなじである。
林 陪審制度を認めぬことも、憲法の精神には反しないか。
松本 認めても認めなくとも差支へない。法律に定めたる裁判官とないから現行法より大分解釈が楽になる。第七十二条の裁判所に陪審が入らぬといふ事もない。規定としてはこの辺が丁度よい。陪審は欧洲の制度にはじまつた制度で、一般の法律観念が進めばともかく、さうでないと危険もある。参考的に意見をきく程度がよいとみるのが私見である。
林 個人の意見としては同感なるも、弁護士等の意見にかうなつた以上陪審をみとむべきだといふ方向にあらうから、議会等では質問が出よう。次に特別裁判所は、段々いろんな事柄に付世界では設ける傾向にある。交通裁判所、労働裁判所等。特殊の事項に付特別の知識経験のある裁判所を設ける方がよい。なぜ厳禁したか。
松本 特別裁判所は設けられぬが行政機関は終審以下は出来る。故に特別審判の外労働審判等も出来る。固より労働争議の調停は裁判ではない。最も公正な裁判所に終極は行き得るといふのが、国民の権利を保護する所以である。故にこの程度が適切である。
林 下級審の特別裁判所は設けることが出来る趣旨か。
松本 それで裁判の終つて了ふ特別裁判所はいけないといふ事をいふてゐて、行政機関が行ひ、当事者が納得すれば、それで片附くものならよい。裁判といふ程でないが簡易保険等にも現在例がある。賠償関係にも無い。
林 違警罪判決処分は憲法上出来るか。
佐藤司法省刑事局長 なるべく、認めぬ方が良いが、出来る。
林 懲戒裁判所に付、裁判官の懲戒裁判はどこで行ふか。
入江 特別の統治関係における官吏の懲戒は本条と無関係に行政機関は出来る。司法権とは考へぬ。しかし裁判官は司法権の独立を確保する上で行政機関では行はぬといふ丈である。
林 第七十三条に付検察庁についてはいかなる考へ方をもつか。現在検察庁は司法裁判所と不可分になつてゐる。
佐藤刑事局長 明文がないから司法省でも研究中なるも、現在のやうに裁判所構成法の中に規定するか。検察庁法を設けるか。まだきまつてない。いづれ法制調査会で研究する。
林 本条第二項は如何なる意味か。
佐藤 第一項と同様検察官が裁判所の「ルール」に従ふべき事を定めたにすぎない。第二項の規定は第一項の規則をうけたものである。
林 それなら第二項の規定は無用の規定である。第一項の規則に従ふのは当然である。
入江 検察官は特別の身分をもつから、それが最高裁判所の定めた規則に従ふのかといふことを宣言した趣旨である。
林 第七十四条は身分保証なるも、いかなる場合に公に弾劾出来るか。弾劾の理由如何。
奥野司法省民事局長 之は判事弾劾法で記載することにならうか。米の立法等をみると判事に犯罪のあつたとき等が夛いから、さういふ線にならう。
林 第七十五条の審査も弾劾の一種か。全然別か。
奥野 全然別物である。
林 第七十五条に付これは大きな問題である。違憲かじうから最高裁判所の裁判官はきめるから非常に強い権限をもつ。さういふものを内閣で任命するとは筋があはぬ。その任命手段は内閣総理大臣と同様にすべきである。この規定はそのもつ権限の強さにも、又司法権の独立の原則にも合はぬ。
入江 尤もなるも、一応内閣で任命するが、第二項で更に国民の審査にかかる。総理大臣のやうに議会で指名したものと云ふ事も考へられるが、この方法が司法権の独立を確保する上に一層よい。政治的なものでないから議会の指名は不可。又議会の指名だと、第二項のやうな事は出来なくなる。内閣で慎重に人選し、次に国民の審査で、その民主化を図れば良い。
林 裁判官の能否は、裁判が合議体で行はれるから、外部からは、わからぬ、内部の司法省でもなかなかわからぬ。故に無能な人も相当勤められる。もし国民が審査するなら、或国の様に裁判の評議も公開すべきである。このままだと不純な動機により、外の要求から審査される事にならう。之で弊害なきや。
松本 最高裁判所の裁判官は、之を議会から独立させようといふ趣意で本条が出来てゐる。内閣の任命の確認は議会に非ざる国民が審査する。両院の議員を選挙する国民がこれを行ふ。更にすすみ裁判官を国民投票できめるのがよからうが、これでは適任者を国民が選定出来ぬ。さればといふて、選挙運動をすると弊害が出る。そこで一応内閣が定めそれを国民が審査する形をとつた。総選挙は四年に一遍は少くともあるからその機会にやる。投票用紙は別にならうが、その手続は今后研究する。裁判官のよいかわるいかは外部からわからぬが国会議員のやうに少数のものでなく国民全般が悪いと云ふ以上は比較的公平であらう。又米のやうに評議の公開も考へてよい。この可否は議論があらうか。少くとも憲法では禁じてない。
林 衆議院の方は、立候補し選挙運動をする。最高裁判所の裁判官はさういふ事はない。故にふだんの仕事で判断すべきなり。すると合議体なる為国民の判断の標準がない。すると外の要素で動かされる事になる。評議を公開すればはじめてわかる。しかしこの憲法に最高裁判所評議の公開を予想してはおらぬ様に思へる。私はこの審査制度には不安を感じてゐる。裁判官の資格は特別なものとするか。行政官と同じにするか。年令と員数丈法律で定める規定があるだけである。
入江 法律で資格をきめる趣旨である。第六十九条第四号にその趣旨が出てゐる。行政官との差違は憲法上はつきりせぬが現在の裁判所構成法程度の資格はやはり必要であらう。
林 第七十六条に付、最高裁判所がはつきり人をきめて内閣が形式的に任命するのが又は枠の中で内閣が人選するのか。又何により指名するか。
奥野 最高裁判所の中に下級裁判所に関する調査の機関が出来る。それが名簿をつくる事にならう。又前段の説明は追て研究する心算である。
林 司法省の人事課は最高裁判所に移ることになるか。
奥野 米では検事総長が司法大臣を兼ねてゐる。少くとも検察関係で司法省はのこるか。裁判官の内部でも司法省はのこらうが、最高裁判所の事務局との関係は追々確定することにしたい。
林 第七十七条に付、処分とは何か。何れだけの範囲か。
入江 行政機関の行政処分の意味である。
林 条約は如何。
入江 条約は考へてない。
林 条約の憲法違反は決定しないか。
入江 決定しない。
林 その理由如何。
入江 対外的に関係深し、故に国会の同意を経た上きめた以上、之がくつがへると対外的にも窮するから、条約を除いてゐる。
林 その理由はのみこめぬが追究しない。命令の法律に適合するや否やの問題は如何。
入江 第七十七条は憲法との関係のみで問題にする。法律との間の問題は裁判所本来の機能である。明文を要さぬ。
林 処方については当然なるも形式的に完全な命令の違法は間違ひないと思ふがさやうか。
入江 裁判所の命令、審査権の問題であるが、具体的事件に関する命令の効力は現在でも恐らく裁判所が審査を行つてゐると考へる。故に裁判所本来の権能の中に含まれてゐる。
林 もしさう云ふ論なら法律の憲法違反も同様でないか。
入江 憲法は最も根本的な法である。その理由から、違憲問題はすべて最高裁判所に来るべき事を闡明してゐる。
林 下級裁判所は違憲でもそれを守らねばならぬか。
入江 判定は出来る。しかし最終的には最高裁判所に来るべきで憲法問題の決定権は最高裁判所にある。
林 それは不可解である。結局上訴の問題に帰着しないか。
松本 法律が違憲なる事の判定は裁判所が出来ぬか。命令の違法は裁判所で出来る事に、やや動揺した事もあるが従来きまつて来たやうに考へる。しかして前者も最高裁判所では出来ることにした。下級裁判所は、最終には最高裁でやるということで、具体的事件について、独自の判断はできようが、手続法の上で憲法問題を含むものはそれ丈きりはなして最高裁判所に送る事としたらどうであろうか。手続は立法の際大いに研究する。
林 第九十四条は今の条文との関係ではどうなるか。憲法違反の法律は当然無効なるも、それを第七十七条で決定するのか。無関係か。
松本 第九十四条は第七十七条に対応する。両条ともに条約は除いてゐる趣旨も然り。第九十四条の決定は第七十七条でやる。又条約は単に国内のみならず国外との関係を生ずる故に一国丈では効力をきめかねることは当然で法理である。
林 第七十七条第二項は或具体的な事件に関する様にもおもへるし、或事件を契機として一般的にも出来る様におもへる。
松本 一応効力をみとめられて働いてゐる法令等にふれる問題なる為テストケースによるか。一般的にやれるか。立法できめる。私見としてはテストケースによるのがよいと思ふ。
林 次に第七十八条、附審と判決以上に評議の公開を加へねばなるまいと思ふ。次に政治に関する犯罪は今でも一定してない。はつきりさせる必要がある。一つは純粋の政治犯政治上の秩序が法意たる政治上の秩序破壊の犯罪であり、一つは政治上の動機に基く犯罪である。そのどれをとるか。
佐藤次長 両者を含む。しかし立法ではつきりさせる。
林 私は広すぎると思ふ。前者に限るべきである。出版物に関する犯罪には、出版物に風俗壊乱の記事や絵をのせた事に関する犯罪を公開で裁判すればそれは出版物にのる。風俗壊乱の上塗りになる。今は要領のみのせる様に注意されてゐる。故に行過ぎでないか。どういふ意見か。
佐藤刑事局長 御意見御尤である。但書の事件は広いから出来れば刑事訴訟法等で憲法の精神に反しない程度で取締りたい。目下研究中である。
林 憲法が手放しでゐる以上さやうな取締はできまい。広すぎてもやむを得ぬ事にならう。民事にしろ刑事にしろ、国民の権利に関するから、大抵の犯罪は国民の権利に関する事件となる。故に公布良俗を害しまいとする懸念が破壊されて了ふきらひがある。
松本 但書はさう広く解すべきでない。国民の権利についてそれら直接に行はれてはならぬ様に規定したので、文字にそのままとらはれることはない。又公開裁判の記録を出版すれば他の法規に反することにならう。一々細かに但書を書くと大変だから大きく書いたのである。政治上に関する犯罪とは政治上の意見に関する犯罪である。
林 今の説明のやうにしたいと希望するが、その表現ではその通り参らぬと思ふ。しかし国民の権利が問題となつてゐる事件とはなるほど広くないと解する事も出来よう。
河原 第七十五条第二項につき、任命行為自体を十年毎に審査する様にとられる。字句は適当ではあるまい。
入江 その裁判所を任命したと云ふ事柄の審査といふつもりである。
河原 それならば字句は不適当である。第七十七条の第一項と第二項は全然独立のものであらう。第二項の決定は下級審も出来、只終審として最高裁判所がやる意味なら書く必要はない。又今迄の疑を晴らすといふ事ならそれでもやや意味があるかも知れないが。
松本 第一項と第二項は別のこととみてよからう。下級審は全然判断できぬか又判断しても必ず上訴すべしとするか。いづれにしても憲法問題は最高裁判所に専属すると解すべきである。
河原 訴がなくとも、或法律の違憲なるや否やを最高裁判所が積極的にきめる権能と理解したが如何。
松本 左様な事は司法権の作用として行過ぎであらう。やはり或事件に関してやるべきである。しかし立法の際に考へる。
美濃部 第七十二条の司法権の定義に付て規定なきも民事及刑事の裁判権と理解すべきが如きもさうなると行政裁判権は入らぬこととなり、行政裁判を裁判所で行ふ事の拘束がないこととなる。行政裁判所はどうするか。
松本 現行憲法では司法権を民事及刑事の裁判に限るが、しかし公法上、私法上の別はきはめて判然しない。故に権利保護といふ観念からみて司法権の範囲を広くきめたい。故に行政裁判権も司法権の中に入る。
美濃部 それは意外な事に承る。司法権が裁判権と同義になるか。補獲審検、懲戒裁判、権限裁判等も入るか。
松本 国民の権利義務に関するものは一切入る。懲戒は特殊のものであるし、又裁判といへるか疑問なる為入らぬ。
美濃部 補獲審検は司法権に入ることになるか。学校の退学処方不当の訴は教育をうける権利の侵害として裁判所にくるか。
松本 補獲審検は戦争を抛棄する以上その事件がない。又退学に迄及ぶかどうかは法律できめる。
美濃部 少くも諒解できぬ。第一項の「すべて」と第二項後段との関係如何。
松本 第二項後段は第一項の例外である。それは司法権から外れる。
美濃部 例外なら書方がおかしい。
松本 行政機関が終審前の裁判を行ふのは形式的には司法権ではない。結果は大体おなじ。
美濃部 訴願の裁決で確定する事をきめた法律は違憲で出来ないか。
松本 終審としては許されない。尤も実質が裁判でない訴願、権利義務に関しないものはよろしい。
美濃部 内務大臣の出版物禁止に対する訴願は裁判所にもちこむのかどうか。
松本 いかなる事項が裁判になるかは立法事項である。

(第七章関係)
林 全般を通じて伺ひたいが、現行現法の章とどう云ふ基本的な差異ありや。
入江 国の財政の処理について、国会が国権の最高機関として権限をもつことを大原則とする。
財政上の緊急処分、前年度予算施行主義等を削つた。その他の点については継続費も条文としては入らない。これは七九条の大原則の中に入ると思ふ。
又、皇室費が八五条で趣を変へてゐる。
林 継続費の問題であるが、八二条に毎会計年度と断つてある。故にその年度に限る趣旨で、次年度に亘るものは組むことができない。現憲法では年度を限らないから継続費が認められると思ふが、毎会計年度とした以上継続費は認められないことになるか。
入江 毎会計年度としたのは現行の「毎年予算ヲ以テ」と趣旨を同じくする。
即ち予算として数年度を一会計年度とすることも否定されるのではないかと思ふ。
林 すると八二条は一年を会計年度とする以外に数年を一会計年度とすることをもみとめるのか。
入江 然り。会計法で例外的に右の場合を定めたい。
林 現行法の予算外支出の制度と比較すると、予備費のみを認めるが、それでもまかなへない様な支出はどうするか。
入江 現行憲法六四条二項と八三条は趣旨は同じ。
現行六四条二項は予備費以外のものにも関するとせられてゐるが、今度は予見し難いものは必らず予備費から出すとしてゐる。

(午後卅時再開)
美濃部 第五一条第六十条の争訟、弾劾裁判所等も司法権の作用なるや。第七二条の例外規定なるや。
入江 性質から云へば行政事件としての司法権の中に入る。しかし、裁判所以外に之を行ふに明文がある。
美濃部 国会が司法権を行ふものなるや。
入江 現行事件は民事、刑事程司法権にはつきり入るや否やきまらぬ。学説の問題である。選挙訴訟等は民衆争訟なる為、司法権に入るや否や疑問である。又弾劾も国民の権利義務に関しない。罷免するか、どうかの問題なる為司法権に入らずとも考へうる。
美濃部 司法権の範囲を明確に承はれないことは遺憾である。次に海員審判や捕獲審検や簡易保険審査会も特別裁判所としてみとめられることにはならぬか。
松本 懲戒は明瞭に司法権ではない。又簡易保険は今でも終審でないとおもふ。一般の法規によらず、特殊の関係に基く懲戒は裁判所に行くものではない。税の関係等は全部裁判所に行くことになると考へてゐる。
美濃部 村と村との境界争ひは府県参事会と内務大臣丈で決定してゐるが今後は最高裁判所に行くことになるか。
松本 行政管轄の問題なら別なるも、村の権利に関するものは最終には裁判所に行くと考へる。
美濃部 陪審員も裁判所を構成する分子と云はれるが、第三項の裁判官の中に陪審員も入るか、又第三項の法律とあるは命令を含まぬか。
入江 裁判官には陪審員は含まれぬ。法律とあるは形式的の法律の意味なし。命令で拘束するのは行政権が司法権の独立を妨げることになるから採らなかつた。法律の中に委任命令は入る。
美濃部 命令には一切拘束されず、勝手に出来るか。
入江 命令も適用する。法令を適用するのだから法令の中の一として命令も適用する。しかし司法権の独立の条文なる為必要以上に規定せぬ。
命令も結局実体は憲法又は法律から流れ出るからこれに拘束される結果になる。法を適用する事になる。
遠藤 第六章全体が不賛成。米合衆国式である。米は各州であるから之でよい。しかし日本には府県に裁判権はない。故に之で相当の裁判所の構成が出来るかどうか、疑問である。大審院の権能を最高裁判所が憲法裁判以外に引継ぐのかどうか、大体どんな構成になるか見当を知らせて貰い度い。
松本 今後の研究事項である。私見は大審院を人員の関係で少くし、控訴院の地位をやや高める。後は大体同じでよいと見る。又、行政裁判所は廃止し控訴院位でやることにしたらよいと考へる。
遠藤 大審院の上に最高裁判所があるのか。
松本 ない。
遠藤 大審院は人をへらすが、権限もへらすか。
松本 事件をそのままにしておくと人をへらす事が困難にならう。しかし今後の研究問題である。唯今の裁判官は助手をつかはぬ。裁判官が雑務迄やらされる。之はよくないと思ふ。
遠藤 司法権と云ふ事がはつきりせぬ。しかしくりかへさぬ。行政裁判の事なるも之は特別裁判所ではないと解する。それら一種の行政機関と考へてよいか。
松本 行政裁判所の裁判は司法権の作用と考へる。故に終審は裁判所に行くべきなりと解する。
遠藤 下級審はすぐに控訴院に来るか。訴願として申立により行政機関でやらせるか。後者なら司法権の範囲外と考へてよいか。
松本 訴願の内容によるが上の両者ともよい。之からの研究問題である。
遠藤 行政機関が終審以外を行ふときはやはり司法権の行使となるか。
松本 訴願類の内容による。
遠藤 下級審又行政裁判所をのこしてやる事は出来るか。
松本 事件は制限してやれる。憲法上さうしてはならぬといふことはできない。しかし立法の問題である。
遠藤 三十何年の行政裁判所に於ける経験からいふと、行政裁判を普通の裁判所に持つて行くことは不可。裁判官たる人との関係が第一に問題である。希望としては最終でなくともよいが、行政裁判所を設けておきたい。
次に第七五条任命は内閣でやるのはよいとして、それを国民の審査に付するのは理論はともかく実際は不能である。会議を公開にしても適不適は世間の人にはわからぬ。出来ればやめてもらひ度いと云ふ希望を表明する。又第七十八条第二項但書はとつてあつた方がよい。国民の権利云々は権利自体が問題になつておるものに限りこれに関聨するものは除く趣旨ならよいがさうでないと、第二十二条等もあり、大変な事になる。之を削る意思なきや。
松本 政府原案として削る意思はない。
関屋 第七十五条第三項の報酬は通常の官吏の俸給とは違ふ意味か。
入江 同じ意味である。
関屋 何故之のみ規定したか。
入江 司法権独立の上から相当額を憲法上保障した事及び在任中減額出来ぬと云ふ事を表はす。
関屋 財政上規定なきも、現行の既定費の様になるか。
入江 司法権に対する保障で予算の審議権の制限にはならぬと解する。
関屋 相当額と認定するのは支給者であり又国会も関係して来る。米にならひたるものなるも、現行憲法第六十七条と無関係なりや。
松本 今度は第六十七条の如き規定なし。しかし、裁判権の報酬と議員の裁費は事実上は第六十二条と同様になつて来よう。
関屋 国民の審査は実際上は出来まいと思ふ事を附加へることになる。
遠藤 (追加)停年七十才を法律の定める年令に改めるのは結構である。そこで希望を云ひ度い。最高裁判所の裁判長は非常に偉い人がなる事にならう。故にさう云ふ人はざらにはない。もし適任者がゐたときは仕事の出来る限りは終生そこにゐてもらつた方がよいと考へる。故に八十才、九十才と云ふ高令にしてもらひ度い。
潮 行政裁判を行ふ裁判所の中の組織につきまだ成案なきや。なにか別に行政部といつたものをこしらへた方がよからうとも思ふか。
松本 凡ての控訴院に行政部をおく事は考へ物である。行政事件をふやす事は考へ物。故に夛さうな二三の控訴院に行政部を設ける方がよからう。又最高裁判所も事件の出るときにやる位がよいと私見として考へる。
潮 その際資格は別に考へるか。公法学者を入れる等。
松本 仰せの通りと考へる。

第七章関係
林顧問官 予備費だけで賄切れぬとき、責任支出が出来るか。
松本国務大臣 責任支出は認めないこととしたい。現行法の下でも問題なるも今回は国会の権能を重じるから一層消極になる。国会が仕事多く、又会期も長く出来から実際上支障なし。是も国は解散時には第五十条第二項がある。
林 予算不成立の場合はどうするか。
入江法制局長官 その場合直ちに議会又は緊急集会を開き、予算の成立につとめる。又会計法の中に仮予算の制度あるとき一月位はそれによるか、予備費を多少多く認めるとかで賄ひ度
林 さう云ふ重大問題は少くとも基本は憲法に定むべきなるにかかはらず、何故規定せぬか。
松本 前年度予算施行は外国でも非難多し、そのため議会の地位が軽くなる。又一方特に今日の様なとき、前年度予算は施行し難いのでこの制度にも欠陥多し。故にその規定はそのままにしておけない。それで会計法等でやむを得ないとき、賄ひをつけたい。憲法の上で固定するよりかへつてよい。第七九条が根権になる。
林 前年度予算がよいとは思はぬ。又予算が成立せず又政情により新予算の出来までギャップを生ずる事も多からうからその間に処する原則だけでも憲法で定むべきであらうと思ふ。第七十九条はあるが、それによるといふなら他の条文は一切いらぬともいえる。議論になるからこれで折切る。
次に第八十一条に付、条約の中債務を負担するものあるもそれと本条との関係如何。爾後に国会の同意なるも差支なき事となり居るも、本条でも爾後でよいか、又はそれ限り本条は第六九条第三号で変更されたものか。
入江 そういふ例は少いから第八十一条に例外が出来たとみるか、第六十九条第三号に例外が出来るとみるか、研究中である。第六十九条第三号は対外関係もあり、特例かとも考へてゐる。
林 第八十四条に付、世襲財産の決定は何によつてするか。
入江 世襲財産は、世伝御料と略、同じ観念なるも、皇室財産法で定めたい。主として不動産なるも動産も加へ宮内省が政府と相談してきめると云ふことに致し度い。その細目は議会で公表するも可。
林 解釈としては、現在の世伝御料丈とも考へらる。新しくきめる事も可能か。
入江 可能と考へる。
林 世襲財産以外のものなら御身辺にある動産等も国に属すると孝へらる。実際問題として不穏当である、行き過ぎてないか。
入江 陛下が日常お使ひになる個々のものは当らない。これは皇室の財産に入らぬ。
林 条文にはそう書いてない。
松本 この憲法の規定は大きい大綱をきめる。契約書の様にいちいち但書を入れる様には出来てゐない。ここに皇室の財産といふのは大きいもの、これに収益の生ずる様なものを云ふ。従つて不都合な結果が出て来る事はありえぬと常識的に諒解願ひ度い。御身辺のものに付但書をつけると体裁もわるいし、又実際固ることになる。又この解釈は宮内省と相談してゐるが、最後的にはきまつてゐない点もある。
なほ第六十九条第三号と第八十一条とは、第六十九条第三号が先に行くと考へる。事前の同意のあるときは同じ事になる。事後のときは後から議決なしとして外国に対して債務を定むる事あるまいと思ふ、政府の責任のみ譲る。
林 第六十九条と第八十一条との関係はそれで了解出来た。
第八十四条に付、窮屈すぎるのは困るか、今の松本国務大臣のお答へとは逆に規定してある。「すべて」とあるから何ともならぬ。法律をつくるときからそう無理な規定を置く要なし。故に納得できぬが重ねて質問す。
法律の定める皇室の支出とは何か。
入江 御内廷の費用、議礼の費用、御下賜の費用等は法律で定めて予算し計上することにならう。
林 第八十五条に付、非常に窮屈である。実際に適しないやうにも思へる。公の支配に属するとか属しないとかは何の標準によるか。
入江 国又は共公団体が自ら経営するか、法令の根拠により指導監督してゐるものを指す。
林 何故それ以外はいけないか。
入江 慈善等、的情に訴へ、又は恩恵をほどこす事業は、権力の作用をはなれて自由にやらさぬと私恩を売る様なことになる。
林 その根本の趣旨は問題である。私立学校に対する補助は如何。
入江 私立学校令で公の支配に属するものと見る。
林 各種学校は私立学校令の適用なしと思ふ。
入江 私立学校令の適用のない学校がありとすれば、それには禁じらるることになる。
林 第八十七条に付、国会及び国民に対しとあるも、国会は国民の代表である。何故国民に対しても別にやらねばならぬか。又他の国政一般に付何故行なはぬか。
入江 財政関係は国民の負担に直接関係する。故に国民に対し特に報告する。又、財政状況を知れば、他の国政一般も察知出来る。故にかやうに規定した。
林 自分はそう思はぬ。
官報や新聞でやるなら、なにも国民に対して憲法上保障する必要なし、他に方法なきや。
松本 大きい事件はその時折の新聞等でわかり、国民も関心をもつ。財政に付てはそれまでいかぬから議会の報告の時公表する方法を取ることになる。又第八十五条は美名にふらふらとなつて濫費すること事を抑制する趣旨である。
河原顧問官 第八十三条、内閣の責任でと書いたわけは如何。内閣の責任で出来るなら国会の同意を得て責任解除を受ける要なし。
入江 責任にそれ程強い意味なし。しかし費目がはつきりせぬから、それを使ふ際にも充分責任を感じて、支出すべきであると云ふ道義的意味である。
河原 第八十四条の皇室財産は世襲財産の事なるか。
入江 世襲財産が皇室財産である。又同時に国有になつた皇室財産の収益も国に入るのだと云ふ事を併せていつた意味である。
河原 国に属するといふのは国には属するが、しかし皇室財産といふ物があると解するのか。
入江 さうは解しない。
河原 前段は過渡的な規定か。
入江 後日世襲財産の解除のあるとき、意味を持つて来るから、経過規定に限らない。
河原 第八十四条の予算は一般の予算の事なりや。それなら何故議決といはず同意といふのか。
入江 結果に於ては予算の議決と同じになる。
河原 第八十五条の公といふ意味如何。国又は公共団体を含むの意味なるべし、ここだけ何故公共団体を含むか。
入江 ここだけ特別に広くしたのである。
河原 国有地の上の建物はどうなるか。
入江 憲法施行まで研究して無理をおこさぬ様にしたい。
河原 大日本育英会、大日本教育会等は如何。
入江 前会は公の支配に属すると考へる。
河原 第八十六条、毎年と次の年度の意味如何。決算の翌年中には検査をするか。次の年度は決算の次の年度か。
佐藤 決算の出来た年に検査をし、その次の年度に国会に報告することになる。忙しくなる。
美濃部 皇室に世襲財産以外には財産権を全くみとめぬことはおかしいくないか。国民の権利以下になる。第八条との関係如何。
入江 皇室の支出はすべて国の予算で賄ふといふ方針である。残つた皇室財産はすべて世襲財産であり、それ以外はない。しかし第八条の献上費を世襲財産に入れるか否か、振分ける時間はもとよりある。
遠藤 第八十一条の租税を変更しは税率の変更も含むか。
佐藤 然り。
遠藤 何故税率の変更とせぬか。
佐藤 あしたに税法を課しとあるからこれを受ける。
遠藤 第八十二条 審議を受けといふ言葉の意味如何。
佐藤 積極的の意味の違ひはないが、法律と異なり政府から提出するから審議を受けと入れる。
遠藤 第八十四条、皇室財産から生ずる収益とは世襲財産から生ずる収益なりと思ふが如何。
入江 仰有る通りに考へる。
遠藤 世襲財産としてみとめる以上、その収益を国庫の収入とするのは行過ぎでないか。
入江 皇室に対する考へ方が司令部側と当方と異なる。殊に財産関係は問題となる。これ以上を望む訳には行かない。
遠藤 世襲財産は全くの虚名になるか。皇室財産たる事により利益あるや。
入江 名義丈になるかもしれぬ、唯世襲財産にして置くと、まれには解除したとき天皇が皇族の私の財産に加入れる可能性もないわけでない。
関屋 第八十四条、本条は皇室で一年にどれ位経費をお使ひになるかを知らないと話がきまらぬ。宮城等の世襲財産からは収入はない。
もし御料林が入れば収入の目的になる。現在は宮内省の中に予算委員があつて御料林の収入等を上奏御裁可を経て使ふ。余り夛すぎると却て皇室の不為である。実際の皇室財産の模様を知らぬと形式的には議論は出来ぬ。その辺を調査したいが政府の所見如何。
入江 皇室財産御下賜の計画が今進んでゐる様に仄聞する。又純然たる国費で賄ふべき費途もあつて整理を要する。それらは今後はつきりする性質のものだから皇室財産法のときの問題に致し度し。
関屋 大体は皇室が立つて行ふ上に国から全部費用が出ると云ふ建前の可否、又皇室が今後民間に御下賜になる必要の有無等を考へると、純然たる国費のみの主義といふのがあるや否や疑問である。明治の先輩が苦心してつくつた皇室財産のことである。故に若干皇室財産をもつた方がよからう。これは程度問題である。
松本 なにか、皇室財産があつた方が良いと私は考へるが、財産税の問題があり思つた通りには出来なくなる。結局今後交渉しても皇室財産法の問題程度による。今后は皇室経費の費用を出来だけ大きくしたい。英のお手許金はprivy purseの様に一本にしたい。
(散会)
(備考)崇仁親王臨席、伴沢、井坂、幣原各顧問官欠席
政府側出席者 松本国務大臣、入江法制局長官、佐藤同次長、今枝同第三部長、渡辺、佐藤同事務官、奥野司法省民事局長、佐藤同刑事局長、窪谷大蔵省主計局司計課長

第八日(昭和二一、五、一五、午前十時半より)
関屋顧問官 将来皇室制度はことなることとなるが、日本の中心として皇室を奉戴することにはかはりなき為、皇室が対外、対内的に形を整へられること、又民間に対し義は君臣、情は父子と云つたやうな御行動は必要である。故に各顧問官が皇室財産、皇室経理等に付充分な認識をお持ちになりこの点を研究して戴きたい。
皇室の会計等が窮屈でもなめらかに動くやうにしたい。又この規定を出来る丈改正せずに実際が動く様にしたい。
第八四条によれば将来は世襲財産以外の皇室財産はなくなる趣旨である。故にこの規定は経過規定たるものと思ふが、政府の説明に納得できぬ。propertyとはどういふ意味か。動産も不動産も凡てpropertyなら困ることになる。
松本大臣 第八四条に付御関心深き事は政府も同感である。第八四条の財産には動産不動産も入る。又hereditary estateの中にも両者は入る。するとどこ迄行くかに付ては先にお答へしたが、大きく見て戴き度い。御身辺のいろいろなもの迄国に属するとは解しない。一団をなして世襲財産、一団をなす皇室財産のみ国に行くと解する。
関屋 世襲財産は何んなものになるか。
松本 世襲財産が何かはこれから定まる。又世襲財産と国の財産に属するものとの間に中間がないわけでない。
関屋 世伝御料は土地と建造物との外に、昔は歴代天皇の御震翰或は天皇のきたへられた刀剣等の動産もはいつてゐたと思ふが今はわからぬ。又中には世伝御料とする価値の少ないつまらぬ建築物も入る。世伝御料らしくないものもある。大まかにきめることは賛成である。しかし世襲財産とは何んなものか。世伝御料に止るかいなかそれをききたい。
松本 皇室財産法等により、又その適用によりきまる。今日の世伝御料にも不適なものもあらうし、又それ以外にも及ぶことにならう。之は宮内省当局にも成案はあるまい。
関屋 至極御尤もである。寧ろ今日世伝御料にどんなものがあるかを承り度い。しかしそれは後になる。
皇室の歳入歳出に付経費のみならず歳入も予算に計上されることにならぬか。皇室会計と云ふやうな特別会計的なものが出来ぬか。
松本 収入は国庫に入ることが明定されてゐるから、当然歳入予算に計上される。この経費も大まかに立てて貰ひ度い。そこでこの経費、皇室から云へば、収入に付宮内省において更に予算的なものを作る必要があらうが、之は国の予算ではない。一家の収支に類似のものである。
関屋 歳入の多寡の問題は大して議会で出ないが、経費は問題になり得るが、これが大まかにきまるなら結構。又賜与も大きく意味をとつて貰ひ、賜与費といふものを議決して貰ひ、その中で適当に運用出来る様に致し度い。之を細くやることは不可能である。大災害の如き場合急遽みるにしのびず、賜与されることもあらう。そのとき議決が一々必要ならやりきれまい。
松本 賜与に付一々議決は出来ない。要らぬ。議決に基くとあるから何らかの基き方があればよい。経費の枠は必要である。又、世襲財産の賜与されるときは議決は必要であらう。
関屋 賜与も賜与でないものも皇室の経費に入らうが、経費でなく賜与されることもある。建物の賜与の如し。かかる場合国会の議決が必要であらう。すると重復はせぬが、一体、そんな賜与の議決が何故必要か。皇室が不要だから市町村にやるといはれるのに何故議決が要るか。皇室財産法の中に書けばよいかもしれぬが、憲法違反の法律は出来ぬ。そこで政府は経費以外の皇室の賜与に何んなものを考へてゐるか。
松本 私見としては、賜与される金銭に付ては予算にのる。もし不足のときは追加予算とならう。又、金銭以外の賜与は小さなものは別でそれは規定してない。御手函を下さる様な場合はその側である。大きなものが議決事項なる為結局世襲財産に限られよう。株券とか不動産とかを世襲財産から解除されて国の財産とせずに之を賜与される以上国会の議決が必要になることは、第八四条前段の趣旨から当然である。第八四条前段がいけないといふなら勿論議論出来る。細かい事はわからぬがなるべく円滑に運用致し度い。
関屋 世襲財産の解除の場合丈と考へないか。
松本 私一個としてはさう考へる。
関屋 第八条は何故第八四条とはなれて置いてあるか。両者連絡があるなら話はわかる。
次に世襲財産の現状と皇室の御経費の現状を承り度い。世間一般は皇室は四百五十万円丈で経費を賄つて居られると思つてゐる人もある。しかし財産税の問題もあり、相当の財産が国に御下賜になるものと思ふ。財産を云ふと身軽にされ、その代り議会で余り議論にならず皇室経費がきまる様に致し度い。
松本 世襲財産をどうきめるかは成案はまだない。税の問題等もからんで来る。世襲財産がどうきまらうとそれからの収益は国庫に入つて了い、経費は凡て国から出る。故に世襲財産に何がなるかは今言明出来ぬ。唯経費は凡て予算に出るといふことを申し度い。立法論の当否は問題となりうる。皇室財産をなくさうといふ説も昔からあつた。尾崎行雄氏の意見等があつた。故に皇室経費の予算はどうだらうかが第一に問題となる。世襲財産が大きければ、ことに収益財産が大きければ、その収益を見返りにして予算にとりやすい。要は世襲財産を大きくし、その経費の立方を大まかにしたいとおもふ。
関屋 大体同感である。故にその事に付質問せぬ。ことに時折柄宮内省に御迷惑な問題がおこつてゐるから不謹慎に質問したくない。しかし世伝御料の内容を知り度い。
塚越宮内省内匠頭 世伝御料の範囲は土地及び建物である。その内訳は次の通りである。土地は宮城、赤坂離宮、青山御所、京都皇宮、桂離宮、修学院離宮、正倉院宝庫、高輪御料地、上野御料地、新宿御苑、畝傍山御料地、以上が御料林以外のものである。
御料林は千頭御料林(静岡)丹沢御料林、木曽御料林、七宗御料林、段戸御料林、瀬尻御料林である。
箱根離宮及び浜離宮はそれぞれ地許に御下賜になる。
建物に付ては宮殿(焼失)赤坂離宮、京都御所、大宮御所、桂離宮、習学院離宮、正倉院宝庫である。
今日の状態でいはゆる世襲財産として残すことが適当かどうか疑問のものもある。又むしろこの中に入れたいものも外にある。之は確定的に申上げられない。
関屋 普通御料も序でに承り度い。
塚越 世伝御料以外の全部なる為個々に申上げるのは煩瑣になる。故に全体の形に付話す。従来は外部に発表してない。強いて秘密にする趣旨に非ざるも、このことをお含み願ふ。
総額は宮内省自体もはつきりした数字を出してない。昨年十月G.H.Qの要求に基き□々の中にとりしらべ出したものは1,590,000,000円といふ数字であつた。その後凍結の指令の出たとき上の財産目録の正確度の調査の命令が政府にあつた。特別調査委員会で慎重審議し、G.H.Qに報告した。大体に於て前の調査は正確なりと云ふことになつた。尤も追加した分もある。合計1,650,000,000円になる。更に最近の状態を知り度いとG.H.Qが言つて来た。又税申告の必要もあり宮内省でとりまとめた。すると1,723,000,000円となる。これは現金等の動きによる。
その内訳は 現金有価証券 三六〇万円
土地 三六一
建物 三二二
立木 五九六
その他物件 八二
その個々の内訳は
有価証券、現金の中有価証券は国債、地方債、社債、株式等である。
土地の中世伝御料は一七・八%なり。御料林の素地も入る。
建物の中京都の皇宮が最大。宮内省の庁舎も入る。
立木は御料林の素地の上の木
その他の物件は御料林経営の為の森林鉄道、調度類、自動車、車両等。
関屋 動産で世伝御料たるものは如何。
塚越 なし。御物の中特に由緒あるものは含ませるべきだといふ意見は従来もあつた。
関屋 宮様の御使ひになつてゐるものもあるか。
塚越 土地建物に一部あり。例へば京都の久邇宮邸はその例である。
関屋 皇室の諸経費の中に宮様の経費も入るか。
松本 宮様の御財産から御使ひになるものは別としてその不足分は皇室経費から更に御下賜になる必要はあらう。
関屋 第八五条に付、公の支配云々はわからぬ。実際に仕事をしてゐる人はこれはやりきれまい。宗教上云々の余波とも考へられるがかうはつきりかくとはさうもいへぬ。之を支出しては悪いといふのか。
松本 自らの事業としてやるのは差支ない。しかし、とかくその美名のもとにいろんな経費が分捕されて濫費になる事を防止することが一つと、その中にいかがはしいものが均霑して事務費になり、無用な人を養ふてゐる結果になる事を防止することが一つ、これが理由である。我国には少いが外国にはさやうな心配がある。この立法の趣旨に応じてこの規定は解釈され度い。
関屋 外国には有力な助成団体が多いから、その力で慈善云々が出来る。日本では産業関係には出してゐる金が多いが慈善云々には少ない。又、教育視察団の意見は私立学校に補助を出せと云つてゐる。各種学校の中には私立学校令によらぬものもある。之に公金を出すのは一向差支へない。之は翼賛政治会、大日本婦人会等に金を出し軍国主義の温床になつたことの心配がでたとおもふが、出来れば「法律の定むるものの外は」とでも書き度い。国情の違ふものを同一に見てゐると思ふ。
松本 心配いらぬ。補助の必要があるときは、公の支配に属する様にするがよい。公の支配はうけぬ。金丈もらふといふのがいけない。
関屋 弊害をとめるのは行政上の処分で出来る。在外同胞引揚援護会等は公の支配に属せしめればよいともいへるが、この規定はいらぬのでないか。米人記者から紀元節に皇室から、社会事業に御内努金を下賜されるのは結構であるも、キリスト教団体のものには出さぬと云ふ差別がある様に思ふが如何といふ質問があつた。それは誤解であつて、むしろキリスト教団体の方に厚いと答へたら、すつかり納得した。社会事業法の補助は従来1,000,000円、今年度750,000円である。之なら分けやうがない。全部国で社会事業は出来ぬ。篤志家にやらせ政府が助成する方法が実際的である。先般社会事業家の集りに、サムソン氏が説明したらしいが日本の実情とは開きがあるやうにおもはれた。以上意見にとどめる。
竹腰顧問官 第八四条に付、総理大臣の説明中に「右の収益の帰属に付ては聨合国司令部とも打合せ中云々」と留保した事項があつた。どうなつたか。
松本 第八四条を訂正したいと云ふ意見の下にG.H.Qと交渉することをいはれたのだが多少の努力は払つたし、今後もやるつもりである。
河原顧問官 宮内官吏は国の官吏になるか。
松本 充分に決定せぬ。大部分、国の官吏になり、一部分は全く私のものとなる。世襲財産の定め方がまだきまらぬのと同様である。
河原 現に奉職しておる宮内官吏の身分がどうなるかははつきりさせ度いと思ふ。予算が宮内省に廻つてから、更に内部の予算的な扱ひがあるなら一寸私的のものになる様な感じがある。
松本 大部分国の官吏になる。今も皇族附の人が宮内官である様なものである。所要の金を全部国費にするか、補助金的に考へるかは別の問題である。
潮委員長 皇室に関する収支は特別会計的になるか。
松本 研究がきまつてないが、特別会計にしないでなるべく大きな経費を出し、その支弁を自治的に行くことにし度いとおもふ。
潮 特別会計的にして、しかも大まかにするといふ方がよくないかとおもふが、将来支障が出ぬ様に研究され度い。
第八四条の「国の管理」が「公の支配」に代つた理由如何。法令による指導監督とは何か。各種学校に付、市町村で条例を出せばよろしいか。それならこれに私立学校令をかぶせるといふ方がよい。
松本 第一点は、公の支配に代つたのは、公金その他公の財産といふ字句に合はせたものである。
第二点は、例へば社会事業にしても、社会事業法で補助を受けたいといふものに対しては、かかる支配に服すべし。さすれば補助するといふ建方に致し度い。すべて強制的に国の支配下に入れるのは不賛成である。
潮 管理と支配の差如何。
入江 管理といふと経営主体になる場合丈をさす様にとれる。そこで広くした。
河原 各種学校は私立学校令に根拠あり。公の支配に属するものであると思ふ。御研究あり度い。
関屋 今日中に一応全部済ましたいが、如何。
潮 その為には質疑応答簡潔に願ひ度し。
(午後一時再開 林顧問官退席)
松本 河原顧問官の御質問について調査したが、各種学校も私立学校令の適用を受ける。唯その適用を受けぬ、いはば寺子屋的の学校もあるので、それらに対しては八四条の問題が残ると思ふ。
(第八章関係)
小幡顧問官 八九条に吏員の選挙されるものは法律が定めることになつてゐるが、どの程度のものを公選にするつもりか。
入江 大都市の助役の中一人位を考へてゐる。又、地方行政の監察に当る様なものを置くことも考へてゐるが、それらは公選にしてもよいと思ふ。あまり多くせぬつもりである。
小幡 それは市町村長の選挙と同時に選挙することを考へてゐるか。
入江 まだはつきりときめてゐないが簡潔な手続にしたいと思ふ。
河原 地方公共団体が憲法上確認されたのであるから、それが国の監督を受けることを明かにした方がよいと思ふ。
入江 公共団体は、国の統治権を分ち与へられてゐるのであるから、監督を受けることは八八条の法律により定めてよいと思ふ。
河原 今後は委任事務は法律でなければ定められないか。
入江 委任事務は今後もあると思ふしその根拠は法律で定めるのが本旨であるが、ある程度は政令に委任してもよいと思ふ。
河原 九一条の住民投票は法律制定の前に行はれるのか。
入江 それが本旨であるが、その法律に停止条件的に書いてもよいと思ふ。
河原 その様にしなければ実行出来ぬと思ふが、この条文によると不明瞭である。「制定することができない」と云ふ規定の仕方はそれに反しないのか。
入江 それは国会が唯一の立法機関とする趣旨からの文字であつて、政府からも発案できると思ふ。
美濃部 地方公共団体は府県、市長村、都、北海道、六大都市の区であると思ふが、府県に付いて云へば、府県知事、書記官、事務官等何れも住民の直接選挙によることとなるとして、中央政府についてはこの憲法は内閣と議会との間に信託関係を定めて、それによつて行政府と立法府との間の関係を維持してゐるのに反し、地方行政の方は行政部と地方議会との間に何等の信託関係を認めてゐない。又県知事と共に補助吏員をも、別個に直接選挙にするのは、行政部と立法部のみならず、行政部内部にも政党的な争ひが生ずる。何故に中央行政と地方行政との間にこの様な差を設けたのか。
松本 御尤もな御質問と考へる。かつて内閣制度について説明したときに、議会主義をとつたと言つた。しかし同時にこの主義にはよい所はあるが議会の専横の危険もあると申した。しかし天皇制の下の中央政府に関しては、英国式にするより外なかつた。但し地方行政に於ては両者をひきはなして、行政府に対する立法府の支配を強く受けない様にした方がよいと考へて、中央の体制と異なる様にした。
長と吏員との間の争ひが起るとは思ふが、直接長の使ふ所のものは公選にしないで、多少独立的な地位のあるもののみを公選にすれば、それはある程度避けられると思ふ。町村は別として都の様な大区域に於ける公選制については、不適当な人物が選挙されることもある等、考慮すべき点もあり、交渉もしたが成功しなかつた。私一個としては被選挙資格をせまくし、又議会との何等かの関係あることを要件とする様なことも考へてゐる。
美濃部 直接選挙は好ましくないと思ふ。
遠藤 八八条の「本旨」とあるのは統治権を分かち与へられてゐる点のみか。
入江 それのみではない。地方住民が地域的に固より、地方民の意思の力によりその地方の統治を行ふといふ、地方民による民主政と云ふ実質的な意味も勿論地方自治の本旨である。法律論的に云へば国の監督等にも関聨する。
遠藤 運営と云ふ言葉は、公共団体の事務のみのせまい意味が国家の事務の運営にも含まれるか。
入江 固有事務が本体であるが、委任事務もある限度に於てあり得ることを前提としてゐると考へる。それが地方自治の本旨にも矛盾しないと思ふ。
遠藤 八九条二項は議会によつて選挙させた方が便利と思ふがそのことは問はない。唯、長は委員の一人であらうが、それに国の事務を扱はせることになるときに、官吏の資格をも認めるのか。
入江 長を直接選挙にしたときにはそれを公吏にすることが理想と考へる。しかし官吏にすることも不可能ではないと思ふ。官吏にしてはならぬと云ふことにはならぬと思ふ。地方自治の本旨に基いて云々と関係する。
遠藤 大体の見込如何。
松本 第一、地方公共団体をどういふ風にするか、北海道、東京都等をどうするかについても決定してゐない。従つてその長の身分についても決まつてゐないが、ある方面に於て官吏たらしめる場合もあると思ふ。
遠藤 それなら特に希望として申すのであるが、中央政府と地方政府との円満な関係を保つためには、どうしてもある程度までは官吏たらしめねばならぬと思ふ。九一条は実際的手続から云へば政府の御考への様にならぬと思ふ。
関屋 「地方自治の本旨」と云ふ観念は一体いかなるものなのか。これを入れたために従来と大分ことなることになるか。
都内務省地方局長 法律的な意味に併せて、市町村制定の際の上諭の精神がそのまま謳はれてゐると見てよいと思ふ。
関屋 私はむしろアメリカ流の考へで州と云ふことを頭に入れてゐるのだと思ふ。その結果直接の選挙を要求したのではないか。すると地方分権的な考に支配される危険があると思ふ。食糧問題の解決等に支障を生ずる。
郡 内務省として地方制度に関してG.H.Qと交渉してゐる所から判断すると、彼等も特にこの本旨に今までと異る意味を含めることを考へてゐる様には思はれない。米の供出等が直接選挙による知事によつてうまく行かぬのではないかとの虞もあるが、地方公共団体の吏僚組織を確立し、又、地方民の自覚を促して輿論による外部からの観察を強化することによつて避けられるのではないかと思ふ。しかし地方ブロツクの勢が助長することは否定出来ない。それの対策を考へたい。
関屋 アメリカの州とちがつて日本の地方自治体は数が多い。従つてこの様に地方自治体な独立な地位を認めると融通がきかぬ危険があると思ふ。
潮 地方ブロツク的になり、悪くいへば封建制の復活にならぬかと憂へる。吏員組織は政党色のついた長が任命するから、更迭頻繁して行政上弊害が生ずる。吏員の身分保障について何かの制度を設ける必要なきや。
松本 出来れば八八条の法律でその様な点をも考慮したい。しかし余り細かに規定すると地方自治の本旨の上から如何かと思はれる。根本は地方自治に対する自覚と遵法の精神にあると思ふ。急速な進歩を図る必要があらう。
潮 地方分権、自治を今日の府県にそのままあてはめる考へか。将来供出、経済、文化の方面から府県の区画については考慮を要する。ブロツク制、道州制等をいかに考へてゐるか。
郡 一方の気持では末端までしみ込む行政をせねばならぬ。他方広域行政の必要あり。この両者の調和がむつかしい。唯現在の府県の区画を変へることは今考へてゐない。
松本 私一個としては、地方公共団体としては今の府県でも広すぎると思ふ。故に行政区画と、公共団体の区域とを別にして行きたいと思つてゐる。米の州は国である。
潮 地方公共団体と地方行政官庁に別にすると、公共団体の事務、例へば警察等は今よりせまくなることか。
松本 一国の行政の面でもつものはせまくすることが当然と思ふ。地方の大きな官庁を作つてその様なものはそれにやらせることが適当と思つてゐる。
関屋 実際問題として知事にでもなりたいと思つてゐる者も多いのであるから却々府県を少くすることはできないと思ふ。故に知事になる人は多少の配合が出来ると思ふが、その知事に人を得る様な方法を作りたい。

(第九、十、十一章関係)
竹腰 九二条に国会が発議して国民に提案するとはいかなることか。
入江 国会の意思が各院三分の二づつで決まる。更にそれを国民に提案することを決めると云ふことを国会の発議と云ふ。
竹腰 すると国会の外に国民があると考へるのか。
入江 国会の議決の後に更に国民の承認を経ると云ふ主旨である。
竹腰 又は以下の意味如何。
入江 特別の国民投票と云ふのは憲法改正のみを取扱ふものを考へてゐる。国会の定める選挙とは次の総選挙のときと定めてもよいと云ふ主旨である。
河原 国会の定める選挙の際云々の意味如何。
入江 提案された後の最初の総選挙と定めた場合には、国民投票が併せて行はれるが、その際法律によつてその手続を定める。
河原 国民の名に於てと云ふのは天皇の御名が詔書の上に出て来ないと云ふことか。
入江 七条に公布とあるが、その形式は天皇が公布するのであるから、上諭、御名御璽と云ふ形になると思ふ。
河原 国民の名でと云ふのは実質的のことか、それともその趣旨が形式的にも何かに表はされるのか。
入江 形式に於ても何等かその意味を表はす方がよいと思ふ。
河原 九三条は削つた方がよい。
美濃部 第十章の中、九三条は法律的に無意味であり、九四条は、憲法、法律、条約を等しく最高法規としてゐるが、最高は憲法のみである。程度を異にする三つを等しく最高とし従つて法律に違反する法律は無効と云ふ変なことになる。又命令に違反する行政行為に付規定がない。又九五条には公務員を憲法尊重の義務あるものとしてゐるが、国民全部が義務を負ふと考へねばならぬ。従つて第十章は全部削るべし。これを存置する理由如何。
松本 御尤もと思ふ。全部削つても何等支障ないと思ふ。しかし強いて弁護すれば、九三条はこの憲法の精神を更に強く云ふ主旨であり、九四条についてはこの憲法が法律条約の上にあることは「これに基いて」とあることからも判り、手続内容共それに基いて作られるものが国の最高法規であることを示す。法律に反する法律とは憲法に基かざる法律といふことも考へられぬはわけでないから、解釈によつては全然アブサードなものと思はれない。
又国民も憲法尊重の義務あることは勿論だが、ここに書いてある公務員は国民からの権力の受託者として特にその義務を強く持つ主旨と思ふ。全部削除しても法律上何等支障は生じないが精神的には意味があると思ふ。
美濃部 削つてもよいのなら、前文はともかくとして、本文のここでは削つた方がよい。意見の相違なる為これでやめる。
遠藤 九二条の国会の発議はどの院がするのか。又その案も各院別々に作るのか。
入江 原案の作成手続は実際上は両院の代表者が集つて作ると云ふやうなことになると思ふ。改正に付輿論が澎湃として起つて来ようから、それは政治上の運用に任せ、国会法に於ても実体的のことは書かない方がよいと思ふ。それが出来た後どの院に最初にかけるかも固定しない方がよいと思ふ。
遠藤 九三条は前文の重複としか思へない。又、「人類の」より「試練に堪へ」までは日本と関係ない。
松本 日本を除外した意味に読む必要はないと思ふ。日本にも自由獲得のための長い歴史があつた。政治的、徳義的な意味でこの条文を残す価値はあると思ふ。基本的人権をせばめる様なことは余程重大な必要がなければ出来ないと云ふことを明かにする意味があると思ふ。
河原 日本に於ては自由は陛下の寛大な御心持によつて与へられたものとする方が、国体の上から見ても適当ではないかと思ふ。削ることは出来ないか。
松本 政府原案として削らうと云ふ考へはない。
遠藤 九四条にその条規に反する法令云々とあるのはこの憲法施行の際に現に存するものについて云つてゐるのではないか。
松本 さう云ふ専ら経過的のものではない。唯前の説明を少し訂正することになるがその条規に反する法律の条規とは憲法のことであり、又命令以下に対する条規とは、法律、条約を含めた最高法規の条規であると言ふ意味によめると思ふ。
遠藤 施行の際のものは全然別のことになるのか。
松本 それらも含まれるが、将来のことにも関すると思ふ。又、七七条二項とも対応してこの条文も作用すると思ふ。
遠藤 九七条は一三条で華族、貴族を認めないのであるから、現にその地位を持つものに限られる訳だが、一三条は当然なくなる様に書いてあるとの関係如何。
松本 九七条は経過的規定として十三条の例外をなす。
遠藤 一三条一項との関係から九七条但書が無駄の様に思つたのである。
関屋 九四条によると最高法規に反するものは無数となるがそれは単に宣言的な意味であるか、それともやはり廃止する手続をとる必要があるのか。
入江 違憲の問題については最後的決定は七七条できまる。それ以外のものは行政官庁が速に廃止改正することになると思ふ。
関屋 すると直ちに失効すると云ふことではないが、詔勅の無効に付ては前文ではこの原理とあつて少しく漠然としてゐるからよいが、ここでは具体的になつてゐて困ると思ふ。この憲法発布以前の歴代の詔勅も無効になるのか。
入江 今日詔勅として現に行はれてゐるものはここに入ると思ふ。
関屋 詔勅は別に制裁がある訳ではないのだから、行はれてゐるか居ないかは判らないと思ふ。詔勅は道徳的に大きな意味を述べられてゐるのだから、詔勅だけは別にしておいてもよいと思ふ。
松本 法的効力のない詔勅は勿論ここに含まれないと思ふ。
入江 法的効力の実際上の判定はむつかしいが、例へば金鶏勲章を設定されたときの詔勅、元帥府設置の詔勅等は当然失効すると思ふ。
関屋 私はどんな詔勅でも法的効力はない所に意味があると思ふ。軍人勅諭も軍のデイシプリンたるに止まると思ふ。詔勅が軍国主義的のものであると云ふ考へは遺憾である。この区別を知らずに詔勅も法律、条約と同じにするならば、あやまりと思ふ。
幣原 九七条の他の貴族とは朝鮮貴族とすれば、李王殿下は皇族なりや貴族なりや。
入江 李王殿下は貴族と思ふ。
幣原 李建公は如何。
入江 同じく貴族と思ふ。
美濃部 全体の体裁について一言したいが、口語文は感心しない。口語文にしても俗語、方言、会話体と云ふ様なものはさけて、やはり文法は守りたい。然るに全体の書方を見ても「・・・・しなければならない」、「・・・してはならない」と云ふのは東京地方の方言であつて文法的ではない。「せねばならぬ」とすべし。又英語のandは「甲と乙と」とすべきであるが下の方のと、をとつてある。「甲と乙を」とすると甲and乙とはならぬ。
又、「・・・される」と云ふ使ひ方が多いが之も俗語であり、「・・・せられる」とすべし。又「・・をも」とすべき所を「・・・も」とするのはいけない。この点意味如何
松本 文体については私としては定見がないが、又。「・・たることは出来ない」も「・・・たることを得ない」とした方がよいとも思ふ。しかし、口語体の文体、文法もすでにあるので、それに熟達した専門家に見てもらつたのでそれに従ひたい。
入江 「せねばならぬ」も研究した。国定教科書でも両方使つてゐるが、「しなければならない」の方が文章に語として完全である。andも「甲と乙との父」と云ふ様な場合を除いては後のと、を略することになつてきた由である。美濃部顧問官の御意見の諸点は何れも研究した事項であつた。
美濃部 仮名使ひが乱雑である。「並びに、」「若しくは、」とあるに拘らず「基く」とあり感心しない。国定教科書のみを唯一の標準とせずに古来の伝統を重んじていただきたいと思ふ。
河原 一八条の国及びその機関には公立学校も之に入るのか。
入江 公共団体は国の延長と考へて入る。官立とか官庁とか云ふなりも広く官公庁的に考へて公立学校等も入る、と考へる。
潮 大体一応は済んだことになる。委員会は明日よりしばらく休会する。
(散会)
備考 政府側出席者 松本国務大臣、入江法制局長官、佐藤同次長、宮内同第二部長、渡辺・佐藤法制局事務官、奥野司法省民事局長、佐藤同刑事局長、塚越宮内省内蔵頭、窪谷、坂田大蔵事務官、郡内務省地方局長、鈴木同行政課長

(極秘)
昭和二十一年五月
憲法改正草案枢密院審査委員会審査記録
(その四)

第九日(昭和二十一年五月二十九日 午前十時半より)
(新内閣成立に伴ひ新たに御諮詢後第一回の審査委員会)
吉田総理大臣(就任の挨拶)
説明 後掲の通り
林顧問官 審議をお急ぎの事情は判るが、国家の根本法故最も慎重に審議を要する。しかるに内外の情勢により速に実現したいと云ふのであるから、実際に即して我々は任務をつくさねばならぬ。そこで内外の情勢について私は次の様に考へてゐる。国内情勢から見ると、三月六日の政府草案要綱発表以前に発表された各政党案よりも政府案はより革新的であるために、世間では驚いた位であつて共産党は別として、他の政党はこの草案の大体については賛成している。共産党は議会で僅か五人であるから発言権はない。故にこの草案や審議を慎重にしても国内関係では心配はないと思ふ。国際関係を考へると、この草案はポツダム宣言の趣旨に基き民主主義を充分に現し、戦争抛棄も宣言してゐる。そして議会を通して国民の意思によつて決しようと云ふことになつてゐるのであるから、ポツダム宣言に充分に適合し聯合軍司令部も全面的に支持してゐる。故に二・三の国が反対意見を持つてゐるとしても、聯合各国を動かすことは出来ないと考へられる。故に国際関係から見てもそんなに急ぐ必要はないと思ふ。我々は充分に審議をつくすべきだと思ふ。この審議を急がねばならぬ理由を伺ひたい。
吉田総理大臣 私の知つてる限りのことを申し上げるならば、二月には甲、乙両案が出来て総司令部と交渉を始めた。二月一二日、松本大臣と二人で「ホイツトニー」将軍と会見した。(以下略)
皇室財産の規定等日本人として納得できない点もある。先方は、議会で修正すればよいではないか、とにかく草案としてはこのままで出せばよいではないかと云ふ意向であつた。
林顧問官 今説明の様なマ元帥の意向や、極東委員会の空気等から見て、草案の発表が急がねばならなかつた理由は諒承出来るが、草案が発表された以上その草案の審議を急がねばならぬ理由は判らない。
五月十五日の各新聞にのつてゐる。UP電によると極東委員会は日本の新憲法採択に関する三原則の第一として草案の審議検討のため「必要な充分の期間と機会を確保する」と云ふことを挙げてゐる。さうすると我が国で急いでも向ふで念入りに審議すると云ふことになるのではないか。すると不完全な箇所が発見されて工合の悪いことにならないか。この様には決議が真にあつたのか、もしあつたとすれば委員会はいかなる方法をとると予想されるか。
これらの関係についてなほ伺ひたい
吉田総理大臣 第一点については、日本としてはなるべく早く主権を回復して進駐軍に引上げてもらいたい。費用の点も問題であるがそれは別としてもアメリカ軍の軍人やその家族より見てもその声は強い。GHQはGo Home quicklyの略語だとする者もある。そのためには先方の望の様に日本再軍備のおそれはなく又
民主化は徹底した、と云ふことを世界に早く証明し、占領の目的完成になるべく早く近づきたい。そのためには憲法改正が一刻も早く実現することが必要である。私はひそかにそう考へてゐる。
第二点については、ワシントンに於ける委員会の空気は直接に知ることが出来ないが元来この委員会の設けられた事情を考へてみると、昨年十二月前後、極東諮問委員会を置くことにモスコーの三国外相会議で決定され、一月末それを開くことになつたところ、ソ聯より日本占領行政に直接参加したいとの申出があり、そのためむなしく散会になつた。とにかくソ聯が参加する権利を強く主張した結果、遂に極東委員会と対日理事会に於てもソ聯はアメリカに対し干渉的態度をとつた。マ元帥も後には融和的態度をとるやうになつた。要すにソ聯と英米との関係は微妙になつて居り米国も最初は日本管理はアメリカのみと云ふ方針であつたのが遂次譲歩してゐる状態である。お示しの決議についても、理事会に於て憲法改正についても妨害が入つたのでソ聯の感情を緩和するためにその様な決議になつたのではないかと想像する。

林顧問官 ある程度事情は判つたが私はひそかに次の様に考へてゐる。ポツダム宣言によつて民主主義を全面的に受け入れることになつたのだが、民主主義と云つても一様ではない。ソ聯としては共産主義もプロレタリヤ・デモクラシーだと云つてゐる。ポツダム宣言のデモクラシーの解釈について英米とソ聯との間がしつくりしてゐないのではないか、即ちこの草案は英米式デモクラシーを完全に取り入れたのだが、ソ聯式デモクラシーではないから、之を以てポツダム宣言の完全な履行にはならない。この様な空気がソ聯側にあるのではないか。さういふ空気が拡大されると困るから、その点は余程考へないといけない。
吉田総理大臣 両者間の関係に色々の曲折があり、戦争の噂さへあつたが、最近はソ聯の方が多分に緩和を示して来てゐる様に見へる。ソ聯も戦争の考へはなく、対日戦争に関しては米国の犠牲が最も大きかつたことを考へ、対日政策に対する米国のみの発言権が強いことを認めてゐる。ソ聯の干渉も、主としては日本以外の問題について多いので、日本に関する問題は結局は妥協する傾向にある。横槍も最後までがんばると云ふ様なものではないと考へてゐる。
林 それはそれとして、伺つておく。この草案の形式上の点について相当非難すべきものがある。いかに考へても納得できぬ表言字句については司令部の方でも修正に異論はないと云ふ。四月五日のマ元帥演説にも、形式や細目の点の変更は問題でないと云ふ趣旨を述べてゐる故に多少の面倒はあつてもそれらの点では大いに修正したいと思ふ。今日の草案を見ると大分修正されてゐて結構であるが、なほそのままになつてゐる所もある。例へば第七条六号、第六九条六号の「刑の執行の免除」と云ふ文字について私が先に述べた修正意見はとり入れられてゐない。又改めて草案要綱を見ると「刑の執行の停止」となつてゐて、これなら実質の当否は別として、特赦との区別の点では、意味が判る。現在刑の執行の停止は検事がやつてゐるが、これはむしろ恩赦として行ふ方がよいともいへよう。是非これも修正すべし、字句の修正に対して政府はどの様に考へてゐるか。
吉田総理大臣 マ元帥の意向は草案の基本的な原則や形が崩れなければ細目の修正は勿論差支へないと云ふ点にあると思ふ。又従来の経緯もそれを示してゐる。この点に付てはなほ研究の上お答へをしたい。
林 内容に関しては簡単に一つだけ伺ひたい。主権はどこにあるのか。国民か、天皇、国家か。これは従来の委員会でも繰返し繰返し問題になつたのである。主権在民だと云ふことは新聞、学者その他国民全般が疑なしとして認てゐる。マ元帥も三月六日の声明で「この草案は主権を明白に国民に移した」と明言して賛成の意を表したのである。しかるに前回松本国務相は、それは政治上のことなので法律論としては国家に帰する。従つて天皇は国家の機関であると説明された。この考へ方については根本的に疑がある。
新内閣に於てもやはりこの様な見解をとられるのであるか。又議会に於ける答弁にも政府は公けに右の様な考へを明言され得るか。又それがマ元帥生命にも副ひ、各国も亦納得するものであらうか。その点心配であるから伺ひたい。
吉田総理大臣 その点について私にはお答へする充分な用意はないが、マ司令部との交渉の経過を述べれば第一条によつて陛下のpersonが守られる。又畏れ多いことではあるが戦争責任からも陛下をお救ひすることができると云ふ考へである。即ち政治上の責任からはなれられることが肝要である。日本国が戦争を遂行出来たのは皇室があり又神通と云ふ好戦的宗教があつたからであるから、聯号国としては第一条の表現が適当であると考へる。かう云ふ事情であつたから私として、そこで安心をしたのである。
法人説、及び議会に於ける答弁の仕方等についてはなほ研究する。
野村顧問官 九条について伺ふが占領等徴収後の国内治安をいかにして保たんとするか。第二項は削除すべきものと考へる。又支那朝鮮比島等からの辺境侵入に対していかにするつもりか。
更に八四条によると、予算が通過しなければ皇室は無一物になることにならざるを得まい。一般国民に付私有財産を認める以上この規定は改めたい。

吉田総理大臣 九条は日本の再軍備の疑念から生じた。これを修正することは困難である。日本の始安については進駐軍を使ふより他に方法はない。日本の警察は特高の廃止により殆んど崩れてしまつた。故にその再建までは進駐軍の援助を期待するより他はない。此の点については先方も諒承してゐる。しかし直接に進駐軍が手を出すことは出来ない、と言つてゐる。
御質問の戦争の場合についても之と同様であると思ふ。軍備をもたざる以上、例へばソ聯に対しては、英米の力を借りるより他ないと思ふ。
八十四条については議会によつて修正させる以外に方法がない。皇室財産を公けに論ずることは臣民として忍び得ないので原案を改めたいと思ひ、実は種々交渉したのである。之に対しては、議会の議決を経れば却つて威厳あるものになるのではないかと云ひ、結論を得なかつた。しかし私としては世襲財産及びその収益以外は国庫に属すると云ふ風に修正したいと考へてゐる。
野村顧問官 八十四条については諒承するが九条については、降伏条項もポツダム宣言も日本軍隊の完全な武装解除を要求してゐるだけで永久的に軍備を廃止することを要求してゐるのではない。現在の武装を解除するだけである。スイスの様な永世中立国も軍備をもつてゐる。又朝鮮等の軍隊の侵入に対しては或程度の武力を必要とすると思ふ。このままだたと朝鮮等以下になる。その様な場合に九条を改正するつもりか、それとも日本人がアメリカ軍の軍服を□着ること等□を考へてゐるのか。強いて答弁を要求しないが心配してゐる。
(午後一時三〇分再開)
入江法制局長官 先程の「刑の執行免除」の問題についてお答へする。現行の恩赦令の特赦については一応御質問の通りなるも現在の恩赦令によらなくとも新しい観念によつて整理することも出来ると考へた。即ち特赦が必ずしも現行の様な刑の執行免除と解さなくてもよい。刑の執行の免除の特掲は、減刑の特掲と釣合ふ。広く赦すのが大赦であり、特定のものにつきせまく赦すのが特赦であると考へてよいと思ふ。従つて極端に云へば憲法の規定では「恩赦の認証」とだけにして恩赦の内容、種類等はすべて法律で定めても差支へないとも云へると思ふ。又reprieveと言ふ語には免除と云ふ意味もある。故にこのままにして置きたいと思ふ。
河原顧問官 政府でもなほ修正の希望を有つてゐる箇条があり司令部でも議会で修正することを諒承してゐるとのことであるが、八十四条以外にもあるのか。
吉田 八十四条と、知事を間接選挙にしたいと云ふ三土内相の意見を取次いだ。それから裁判官の年令の問題。以上三ヶ条について交渉した。最後のものは解決済である。
河原 八十四について、二点疑がある。第一に現内閣の与党が過半数を辛じて擁するにすぎない現状に於て、希望する修正が出来るかどうか疑問がある。やはり原案で修正する方がよいではないか。
第二に仮りに議会が政府の希望する修正を議決したとすれば、一般国民の感情としてその様な決定をなぜ政府が最初から成さなかつたかと云ふ非難が生じ、政府の忠誠心に対する疑惑を抱くこともあるのではないか。
吉田 八十四条について、なほ一言する。マ司令部とすると、従来マ元帥の対日態度、特に対皇室態度が弱いと云ふ非難があり、又アメリカ人一般には皇室が財閥と同様苛斂誅求的であるといふ疑惑があるため、マ元帥としては草案としては我々から見て不当と思はれる様な条文を以て皇室に臨んでゐると云ふ態度を特に財産関係について表現する必要があるのではないかと思ふ。さう云ふ政治的意味があるのではないかと思つてゐる。
遠藤 形式の問題であるが、この機会に念を押したい。前内閣当時御解答を得たものを、現内閣の御解答と見てよろしいか。
吉田 差支へありません。
遠藤 それでは御参考までに再び申上げるが、内閣が弱い様な感じがする。議院内閣制は国会を背景とするから強い面もあると云ふお答もあつたが、必ずしも多数党内閣でない場合もあり、内閣を強くする必要がある。議会で修正する様な気運をつくられることに御努力願ひたい。
関屋 画期的な改正であることは国民がよく判つてゐると思ふが、主権の問題について、御安心はあつたと思ふがこの書方ではやはり国民的感情が満足しないと思はれる。法文の意味を甚だしく変へない限りで、その字句などは国民的感情に副ふ様に修正したい。それに適合しない憲法に対しては遵法精神もたかまらない。或程度の文句の修正は話合ひがつくものであるか。
吉田 先程も申した様に基本原則の変らない限りは修正に同意するとのことである。
関屋 先日の皇族方への財産に関する指示は我々の考へてゐないことであつた。又今後この様なことが生じない様に政府と宮内省との間に充分の聯絡をとらしたい。将来皇室は政治には関係されないのであるから、せめて栄典や賜与の面で充分にお働きになる様に皇室財産については御考へねがひたい。九条について、今度修正された文字でもなほ自主的でない様に思ふ。又UNO加入の時に空軍を持たねばならぬことになつてゐるが、聯合に加入することを考へてゐないのか、又参議院についてであるが、二院制度の目的を達するために衆議院と異つた組織がとれる様に明文を以てこの主旨を明かにしたい。
吉田 UNO加入のことは講和条約の出来た後に課すべきことで、それが存外早いとも考へられるが今の所全然判らない以上、すべて将来の問題と思ふ。参議院のことは現在折角研究中である。
幣原顧問官 最も心配なのは占領軍撤収後の国内に於ける擾乱のことである。メーデー等の実状を見ても心配に堪へない。歴史に徴するも中央政府の力の足りないときに源平が現はれた。この辺の御見込如何。
吉田 撤収後の状態について今日なほ予想出来ない。一に講和条約その他の規定によると考へられる。常識論としては、一片の条約を以て平和が回復されるとも思はれない。聯合国としてはUNOを以て世界の平和を維持しようと云ふ決だがその通りに出来るかどうか問題である。聯合国側にも色々の考案がある様だがそれらの考案も考へる必要がある。日本が独立後いかなる形をとるかについては、やはり国家として兵力をもつ様になるのではないかとも考へられる。やはり歴史はくりかへすと云ふことになるかとも思はれる。
林 先程の「刑の執行の免除」についてのお答へは極めて遺憾である。特赦の概念は明確である故に当を得ない。六一条、七二条の「これを行ふ」が「に属する」と改つてゐるが、これでは文字のみでなく趣意が異つて来たと思ふ。「属する」は帰属を意味する。「行ふ」は帰属しなくてもよい。この改正の主旨はどこにあるのか。
七七条二項に関係するが最高裁判所が憲法違反を決定する場合、その手続はどうなるか。法律の定め方によつて、具体的な民刑事の事件の場合に法令処分の審査を行ふのか。それとも最高裁判所が積極的に行ふことを予定してゐるのが、前者だとのお答へなるも疑がある。
入江 「属するとしたのは、その方が趣旨を明にすると考へた。六一条について云へば国民に属する主権の一態様たる行政権が三権分立主義によつて内閣に帰属するのであり、具体的に行はれる場合は色々の官庁が行ふと云ふことになると思ふ。
七七条については、違憲法令が無効となると云ふ実体的規定は九四条であり、それが裁判所で問題になるのはやはり具体的なケースが出た場合であると考へてゐる。しかしお示しの第二の方法も不可能ではない。
林 具体的ケースでやると云ふときにはその判決の効果は当事者以外に及ばないことになるが、それでは違憲法令審査の機能としては甚だ弱いと思ふ。
次に民事刑事事件について裁判するときに審査すると云ふのなら第一審から審査権があることになると思ふ。それらの関係が判らない。
入江 一応今の考へで説明すると第一の方法によるとすればその効果はその当事者のみに及ぶと思ふがその場合は直ちに政府がその法令を改廃すべきであると考へてゐる。
下級裁判所の審査権については、命令規則処分等については下級審に於ても職責上判定する権利あり。ただ最高裁判所まで上訴の途を開かねばならぬ。法律についての下級裁判所の審査権については今後考へたい。
林 主権の所在について明白なお答へをねがひたい。
吉田 私自身としてお答する自信がないが、従来御説明した通りである。
潮 五十条二項但書は勿論本分の但書であるから、衆議院が解散された時のことであると解すべきことは当然であるが、そのやうな場合は、むしろ例外であるので、緊急勅令等に当る場合は不便と思ふ。
入江 この草案では、その場合にはいかなる事態に於ても両院を召集する以外に途がないのである。最初の先方の案には勿論緊急措置を許さなかつたので、三月六日の要綱にはそれを欠いてゐたのである。その後交渉の結果漸く五十条二項但書が出来たので己むを得ないと考へてゐる。その場合に不便が生ずることは予想されるが、私共としては、緊急勅令に当る場合は委任命令を広く認める様な立法を準備したい。財政上の緊急処分に当る場合は暫定予算的のものを会計法で定めて置く方法予備費を多額に作り、会計法の中でその予備費の一部分を緊急の費途に使へるとしてその費途を規定して置くと云ふ方法や等を考へてゐる。

(最後に崇仁親王より、天皇制、象徴、皇室典範等につき御質問あり、総理大臣、法制局長官よりお答して散会)
(備考)政府側出席者 吉田内閣総理大臣、入江法制局長官、佐藤同次長、井手同第一部長、渡辺、佐藤同事務官

枢密院委員会に於ける憲法改正案吉田内閣総理大臣説明 (二一、五、二九 再諮詢ノ際)
今囘御諮詢に相成りました憲法改正草案に付きまして、御説明申上げます。
憲法改正に付きましては、前内閣に於きまして、鋭意研究を逐げ成案を得て既に本院の御詢議に付せられ数次に亘る委員会の審議を煩はしたのでありますが、内閣更迭に伴ひまして、一応之を撤囘し、茲に新に新内閣と致しまして御諮詢を奏請致した次第であります。
今や、憲法改正は、内外の情勢に鑑み速かにこれを行ふべきものと信ずるのでありまして、日本国民の至高の総意に基いて、基本的人権を尊重し、国民の自由の福祉を永久に確保し、民主主義的傾向の強化に対する一切の障害を除去し、進んで戦争を抛棄して世界永遠の平和を希求し、これにより国家再建の礎を固めるために、憲法の全面的改正案を来るべき臨時議会に付議せられんことを奏請するに至つた次第であります。
而して、本案は前内閣の当時、曩に本院に御諮詢あらせられた草案と全く其の趣旨を同じうし、法文も前の草案を殆んどそのまま踏襲することと致しました。
唯本案に於きましては若干の字句の訂正を加へて居りますが、その大部分は先般来、御審議中に、お示しのありました御意見に基き更に研究の結果改めたものであります。
以上甚だ簡単でありますが、今囘御諮詢の草案に付きまして一言御説明を申述べました。尚、今議会は六月十日頃開会のことに奏請致したい心組で居るのでありますが、出来まするならば本案は右開会の劈頭に付議せらるる様取計らひたいと存じますので、右の事情御諒察の上何卒宜敷く御審議の程御願ひ申上ます。

枢密院委員会に於ける憲法改正案
吉田内閣総理大臣説明(二一、五、二九 再諮詢ノ際)
私、先般、大命を拝しまして、時局下総理大臣の重責を荷ふことと相成りました。何卒よろしくお願ひ申上ます。
今囘御諮詢に相成りました憲法改正草案に付きまして、御説明申上げます。
憲法改正に付きましては、前内閣に於きまして、鋭意研究を逐げ成案を得て既に本院の御詢議に付せられ数次に亘る委員会の審議を煩はしたのでありますが、内閣更迭に伴ひまして、一応之を撤囘し、茲に新に新内閣と致しまして御諮詢を奏請致した次第であります。
今や、憲法改正は、内外の情勢に鑑み速かにこれを行ふべきものと信ずるのでありまして、日本国民の至高の総意に基いて、基本的人権を尊重し、国民の自由の福祉を永久に確保し、民主主義的傾向の強化に対する一切の障害を除去し、進んで戦争を抛棄して世界永遠の平和を希求し、これにより国家再建の礎を固めるために、憲法の全面的改正案を来るべき臨時議会に付議せられんことを奏請するに至つた次第であります。
而して、本案は前内閣の当時、曩に本院に御諮詢あらせられた草案と全く其の趣旨を同じうし、法文も前の草案を殆んどそのまま踏襲することと致しました。
前案に付きましては、先般来、格段の御配慮に依りまして、急速且御熱心に審議を進められ、その審議の経過は当時閣僚の一人として総理大臣、法制局長官等を通じまして、逐一承知致して居るのでありますが、今囘御諮詢の草案の趣旨及細目につきましては、前内閣に於て前草案につき御説明申上げました所と全く同様の見解を有するのでありまして、之に何等の変更もないものと御了承願ひたいと存じます。
唯、本案に於きましては若干の字句の訂正を加へて居りますが、その大部分は、先般来、御審議中に、お示しのありました御意見に基き更に研究の結果改めたものであります。
以上甚だ簡単でありますが、今回御諮詢の草案に付きまして一言御説明を申述べました。尚、今議会は六月十日頃開会のことに奏請致したい心組で居るのでありますが、出来まするならば本案は右開会劈頭に付議せらるる様取計らひたいと存じますので、右の事情御諒察の上何卒宜敷く御審議の程御願ひ申上ます。
枢密院委員会に於ける憲法改正案
吉田内閣総理大臣説明(二一、五、二九 再諮詢の際)
私、先般、大命を拝しまして、時局下総理大臣の重責を荷ふことと相成りました。何卒よろしくお願ひ申上ます。
今回御諮詢に相成りました憲法改正草案に付きまして、御説明申上げます。
憲法改正に付きましては、前内閣に於きまして、鋭意研究を遂げ成案を得て既に本院の御詢議に付せられ数次に亘る委員会の審議を煩はしたのでありますが、内閣更迭に伴ひまして、一応之を撤回し、茲に新に新内閣と致しまして御諮詢を奏請致した次第であります。
今や、憲法改正は、内外の情勢に鑑み速かにこれを行ふべきものと信ずるのでありまして、日本国民の至高の総意に基いて、基本的人権を尊重し、国民の自由の福祉を永久に確保し、民主主義的傾向の強化に対する一切の障害を除去し、進んで戦争を抛棄して世界永遠の平和を希求し、これにより国家再建の礎を固めるために、憲法の全面的改正案を来るべき臨時議会に付議せられんことを奏請するに至つた次第であります。
而して、本案は前内閣の当時、曩に本院に御諮詢あらせられた草案と全く其の趣旨を同じうし、法文も前の草案を殆んどそのまま踏襲することと致しました。
前案に付きましては、先般来、格段の御配慮に依りまして、急速且御熱心に審議を進められ、その審議の経過は当時閣僚の一人として総理大臣、法制局長官等を通じまして、逐一承知致して居るのでありますが、今回御諮詢の草案の趣旨及細目につきましては、前内閣に於て前草案につき御説明申上げました所と全く同様の見解を有するのでありまして、之に何等の変更もないものと御了承願ひたいと存じます。
唯、本案に於きましては若干の字句の訂正を加へて居りますが、その大部分は、先般来、御審議中にお示しのありました御意見に基き更に研究の結果改めたものであります。
以上甚だ簡単でありますが、今回御諮詢の草案に付きまして一言御説明を申述べました。尚、今議会は六月十日頃開会のことに奏請致したい心組で居るのでありますが、出来まするならば本案は右開会劈頭に付議せらるる様取計らひたいと存じますので、右の事情御諒察の上何卒宜敷く御審議の程御願ひ申上ます。

(極秘)
内閣総理大臣説明要旨(二一、四、二二、
枢府、審査委員会第一回
幣原総理大臣)
今囘御諮詢に相成つた帝国憲法改正草案について、御説明する。
御承知の通り、昨年我国が受諾したポツダム宣言には、「日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除し、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重を確立すべきこと。」及び「日本国の政治の最終の形態は、日本国民の自由に表明する意思により決定さるべきこと。」といふ条項がある。この方針は、まさに平和新日本の向ふべき大道を明かにしたものであつて、このためには、何としても、国家の基本法たる憲法の改正が、その要諦であると考へられるのである。よつて、政府は、昨年十月組閣匆々本問題の準備調査に着手し、鋭意歩を進めて来たのであるが、去る三月五日、畏くも内閣に対し勅語を賜はり、憲法の根本的改正に関する聖旨を拝したのである。
そのお言葉には、「日本国民ガ正義ノ自覚ニ依ツテ平和ノ生活ヲ享有シ、文化ノ向上ヲ希求シ進ンデ戦争ヲ抛棄シテ誼ヲ万邦ニ修ムルノ決意ナルヲ念ヒ、乃チ国民ノ総意ヲ基調トシ、人格ノ基本的権利ヲ尊重スルノ主義ニ則リ、憲法ニ根本的ノ改正ヲ加ヘ、以テ国家再建ノ基礎ヲ定メンコトヲ庶幾ハセラルル旨」を仰せられたものである。
政府は、この憲法改正の御発意を意味する聖旨を拝して、いよいよ決意を固め、御内奏を経て三月六日、憲法改正草案要綱を発表したのであるが、爾来、その成文化に努め、ここに成案を得たので、来るべき帝国議会に付議せられんことを奏請し、今日本院の御審議を煩はすこととなつた次第である。
本改正草案の基調とするところは、右に申述べた憲法改正に関する御聖旨をその根底として、権力の行使は、国民の総意に基き、国民の代表者を通じて行はるべきものとするとともに、基本的人権を確立し、以て、内は民主主義政治の基礎を確立し、外は全世界に率先して戦争を抛棄し、自由と平和を希求する世界人類の理想を国家の大憲に顕現しようとするにあるのであつて、この精神は、本草案中の前文に詳細に示されてゐるのである。
本案は、前文の外、その内容を十一の章に分ち、第一章天皇、第二章戦争の抛棄、第三章国民の権利及び義務、第四章国会、第五章内閣、第六章司法、第七章財政、第八章地方自治、第九章最高法規改正、第十章改正最高法規、第十一章補則とし、全条文の数は百箇条に上つてゐるのであるが、以下、この改正案中重要な諸点について、申述べたいと思ふ。
(一)第一は、天皇の御地位についてであるが、これについては、第一条において、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、その御地位は日本国民至高の総意に基く」ものと規定してゐる。
これは、天皇が、外に対しては日本国家を表現し、内においては日本国民結合の中心的地位に立たせられることを示すとともに、この天皇の御地位はここにあらたに日本国民の、至高の総意に基くものであることを規定したものである。
これは、去る一月一日の詔書にも示された通り、天皇の御地位が、神話と、伝説に基く架空のものでなく又単に御世襲の御威光を反映するに止まらず、ここに、あらたに、現実な国民の総意を基礎と□して此の地位に立たれるものであることを明かにしたものである。
しかしながら、天皇が、現行憲法におけるやうに、万般にわたつて具体的に国務をみそなはせられることは、かへつて、政府その他の権力者が、誤つた理念に動かされて、天皇の御名義にかくれ、民意を歪曲して国政の専断、人権の蹂躙を憚からず、ややもすれば冒険無謀の政策を施行しようとして、つひに国家、国民を破滅に導き、累を皇室に及ぼす虞があることを免れない。 改正案においては、天皇は一定の国務のみを行ひ、その他においては、政治に関する権能を有せられないこととしてゐるのである。この形態は、民主主義国政の常道であつて、このことは、皇室の御安泰を確保する所以であると存ずるのである。
(二)次に改正案は、第九条において、戦争の抛棄を規定してゐるが、これは、改正案における大きな眼目を成すものである。
前文にもある通り、日本国民は、恒久の平和を念願し、この精神に徹底して、平和愛好国の先頭に立つたのである。
かやう思ひ切つた条項は、およそ従来の各国憲法中に類例を見ないものと思ふのであるが、我国としては、他国がこれに蹤いて来るかどうかを顧慮することなく、正義の大道を踏み進んで行かうといふ決意を、国の基本法に昭示しようとするものである。現在においては、諸国はなほ武力政策に執着する状況であるが、学術の急激な進歩は、ますます恐るべき破壊力を有する武器が発明されないことを、何人が保障することができよう。
かやうな発明が完成された暁には、世界は初めて目を醒まし戦争の廃止を真剣に考へる時があるものと思はれる。我々は、この大勢を察し、今後は新武器の発明又は整備よりも、全然武器使用の機会をなくすことを、最先の目標として、この条項を草案の一眼目としてゐる次第である。
(三)次に、国民の権利及び義務については、基本的人権の保障、民主主義の発展向上の確保のため必要な事項を列挙し、ことに過去において種々弊害の認められた刑事訴追の関係等については、詳細にこれを規定してゐるのである。
(四)次に、国会であるが、国会を国権の最高機関とすることとし、且つ国会を国の唯一の立法機関たるものとした。これは、民主主義的政治形態として当然のことであると考へられるのである。
国会は、国事審議の慎重を期するため、両院制度を採り、衆議院と参議院でこれを構成することになつてゐるが、各院の関係においては、若干の点で、衆議院に優越の地位を認め参議院については、いづれかといへば、主として衆議院専制に対する牽制乃至はこれに対し反省を促がす機能を期待してゐるのである。
(五)次に、内閣制度についても、根本的改革を加へ、行政権は、すべて内閣がこれを行ふものとするとともに、天皇の国務に関するすべての行為には、内閣の補佐と同意を要するものとし、内閣は、行政権の行使については、国会に対し連帯してその責に任ずることとなつてゐるのである。
しかして、内閣総理大臣は、国会の指名に基いて、天皇がこれを任命せられるものとするとともに、他の国務大臣の任命は、内閣総理大臣が、国会の同意を得て行ふこととしてゐる。なほ、内閣は、衆議院において不信任の決議を可決した場合等には、衆議院の解散がない限り、総辞職をしなければならないこと等の条項を設けて、所謂議院内閣主義の原則を採つたのである。
(六)司法権については、行政訴訟も一般の裁判所の管轄とし、なほ、最高裁判所に憲法裁判所的機能を併有させ、一切の法令又は処分が憲法に適合するかしないかの裁判をすることができるものとした点が、大きな改正である。なほ、最高裁判所の裁判官の任命について、国民の審査に付し、多数の反対投票がある者は、罷免されるものとして、最高裁判所の裁判官と国民を直結した等裁判所の民主化について新しい規定ヲ設けてゐる。
(七)財政については、皇室財産の関係において、世襲財産以外の皇室財産は、すべて国に属するものとし、皇室財産より生ずる収益は、すべて国庫の収入とし、法律の定める皇室経費の支出は、予算で国会の同意を得なければならない旨の規定を設けて居るのであるが、右の収益の帰属については、なほ聯合軍司令部側と打ち合はせをつづけてゐる。
(八)地方自治については、現行憲法には、何ら規定するところがないのであるが、改正案においては、地方自治の民主主義的政治における重要な使命に着眼し、あらたに第九章として、これに関する規定を設けることとしたのである。
(九)次に憲法改正の手続であるが、これについては、将来は、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経ることを要することとしてゐる。我国政治の形態は、日本国民の自由に表明する意思によらなければならないことは、ポツダム宣言の明示するところであつて、憲法が国家の根本法である点に顧み、その改正の手続としては、右のやうな方法によることを適当と認めた次第である。
(一〇)なほ、本案には、特に最高法規に関する一章を設け、この憲法において保障する基本的人権が特に貴重な所以を明かにするとともに、この憲法及びこれに基いて制定された法律及び条約を国の最高法規とし、これに反する法令等は、効力を有しない旨を定め、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員はこの憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ旨を規定してゐる。
(一一)最後に、補則として、この憲法は、公布の日から起算して六ヶ月を経過した日から、これを施行する旨を定め、その他若干の経過的規定を設けてゐる。
なほ本案の形式について一言申添へるが、以上述べた本案の実体に照し、その形式についても所謂法の民主化を図り、なるべく一般国民の理解に容易なやうに、口語体で表現し、平仮名を採用する等の措置を採つた、これは、法令の形式としては、まさに画期的な事柄であると存ずるのであるがこの憲法改正を一転機として、諸法令についても、できる限り同様な措置を採りたい心構へでゐる。

宜敷く御審議のほどお願ひする次第である。

議事手控
第一回諮詢
再諮詢(吉田内閣)
審査報告書
修正後諮詢ノ手控
仝審査報告書
(内閣))
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