(極秘)
三〇部ノ内第一号
政府ノ起案セル憲法改正案ノ大要ニ付キ大体的ノ説明ヲ試ムルコト左ノ如シ
一
ポツダム宣言第十項ハ「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ヲ確立スヘシ」ト規定セリ政府ハ此ノ趣旨ニ遵応シ千八百八十九年二月十一日発布セラレ爾後一度モ変更セラルルコトナクシテ今日ニ及ヒタル日本国憲法ノ改正ヲ起案セントス即チ今回ノ憲法改正案ノ根本精神ハ憲法ヲヨリ民主的トシ完全ニ上述セル「ポツダム」宣言第十項ノ目的ヲ達シ得ルモノトセントスルニ在リ
二
上述ノ根本精神ニ基キ憲法ノ改正ヲ起案スルニ当リ第一ニ起ル問題ハ所謂天皇制ノ存廃問題ナリ之ニ付テハ日本国力天皇ニ依リテ統治セラレタル事実ハ日本国歴史ノ始マリタル以来不断ニ継続セルモノニシテ此制度ヲ維持セントスルハ我国民大多数ノ動スヘカラサル確信ナリト認ム仍テ改正案ハ日本国ヲ共和国トシ大統領ヲ元首トスルカ如キ制度所謂大統領的共和主義ハ之ヲ採ラス天皇カ統治権ヲ総攬行使セラルルノ制度ヲ保持スルコトトセリ
然レトモ改正案ニ於テハ第一ニ天皇ノ大権ハ大ニ之ヲ制限シ国務上ノ凡テノ重要事項ハ必ス帝国議会ノ協賛(已ムヲ得サル緊急ノ場合ニハ議会ヲ代表スル其ノ常置委員ノ諮詢)ヲ要スルモノトシ(要綱二乃至六、十一、二十三、二十四及二十八乃至三十一参照)第二ニハ天皇ハ軍ノ統師ヲモ含ム一切ノ国務ヲ国務大臣ノ輔弼ヲ以テノミ行ヒ得ルコトトシ(要綱二十一参照)且又第三ニ国務大臣ハ帝国議会ニ対シ即チ間接ニ国民ニ対シ其責任ヲ負ヒ及国務大臣並ニ其ノ組織スル内閣ハ衆議院ノ信任ナクシテハ其ノ職ニ任ルコトヲ得サルモノトセリ(要綱二、二十一乃至二十三参照)即チ此ノ改正案ノ下ニ於テハ天皇ノ統治権ノ行使ハ立法ハ凡テ議会ヲ通シ行政ハ凡テ議会ニ基礎ヲ置ク内閣ヲ通シ司法ハ凡テ独立ノ裁判所ヲ通シテ行ハルヘキモノニシテ結果ニ於テ英国ニ於ケルト同様ニ所謂議会的民主主義カ完全ニ発揮セラルヘキモノナリ
改正案ハ以上述フルカ如キ趣旨ニ依リ憲法第一条乃至第四条ノ原則的規定ニハ文字上ノ変更ヲ加ヘサルコトトセリ然モ第三条ニ「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」トアル「神聖」ナル語ハ十九世紀ニ於ケル欧洲ノ相当数ノ憲法ニモ用ヒラレタル例アルモ天皇又ハ其ノ権力ノ神性ヲ示スカノ如キ語弊アルヲ以テ之ヲ「至尊」ナル語ヲ以テ更置スルコトトセリ(要綱三参照)
三
日本国民ノ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ハ現行憲法ニ於テモ相当ノ保護ヲ享ケ得ヘキ規定アルニ拘ラス実際上ハ十分ニ尊重セラレス且或場合ニハ大ニ蹂躪セラレタルコトアルハ反民主的政府ノ下ニ於テ悪法カ制定セラレタルト及法律カ濫用セラレタルカ為ナリ然ルニ憲法改正案ハ前述ノ如ク民主的政府ノ樹立ト議会権力ノ拡張トヲ図レルカ故ニ日本国民ノ自由ト人権ハ従来トハ全ク異リ適正ナル立法ト適正ナル法律適用トニ依リ十分ニ尊重セラルルニ至ルヘキコト必然ナリ然ルニモ拘ラス改正案ニ於テハ以下ノ如キ改正ヲ為シ一層完全ニ其ノ保護ヲ図ルコトトセリ
第一ニ日本国民ノ自由ト権利トノ保障ヲ定メタル従来ノ憲法規定ハ動モスレハ列挙的ノモノニシテ即チ此等規定ニ直接ニ列挙セラレサル自由例ヘハ営業ノ自由ノ如キハ法律ニ依ラスシテ之ヲ制限シ得ルヤノ解釈論アリタリ仍テ従来ノ各条項ニ定メタルモノノ外凡ユル自由及権利ハ法律ニ依ルニ非サレハ之ヲ制限スルコトヲ得サル旨ノ一般的規定ヲ設クルコトトセリ(要綱十参照)
第二ニ従来ノ憲法規定ニ依レハ日本国民ハ其ノ権利カ行政庁ノ違法処分ニ因リテ侵害セラレタル場合ニハ通常ノ裁判所ノ保護ヲ求ムルコトヲ得スシテ特設ノ行政裁判所ニ出訴シ得ルニ止マレリ其結果トシテ其ノ権利ハ十分ニ保護セラレス就中司法裁判所ト行政裁判所トカ何レモ或事件ヲ自己ノ管轄ニ属セストシ(所謂消極的権限争)為ニ権利カ全ク保護セラレサル場合実際上屡生セリ仍テ改正案ハ行政裁判所ヲ廃止シ行政事件ノ訴訟モ通常ノ裁判所ノ管轄ニ属スヘキモノトセリ(要綱二十五参照)
第三ニ右ニ述ヘタル外改正案ハ独立命令ニ関スル規定ノ改正、信教ノ自由ニ関スル規定ノ改正、国家非常ノ場合ニ於ケル大権発動ニ関スル規定ノ廃止等ニ依リ日本国民ノ自由ト権利ノ保護ヲ一層完全ニセリ(要綱四、九、十一参照)
第四ニ従来ノ憲法ニハ華族ナル特権階級ノ存在ヲ認ムル規定及軍人ノ特例ヲ定ムル規定ヲ有セルモ改正案ハ此等ノ国民間ノ不平等ヲ認ムルカ如キ規定ヲ改正又ハ廃止セリ(要綱七、十二、十四参照)
四
帝国議会ノ権力ノ大ニ拡張セラレタルコトハ既ニ二ニ述ベタル所ニシテ此等ノ諸点ニ付テハ再説セサルモ其ノ他改正案ハ会期ニ関スル規定、臨時会ノ召集請求ニ関スル規定等種々ノ規定ノ改正又ハ新設ニ依リ議会ノ権力ヲ拡張スルコトトセリ(要綱十六乃至二十参照)
次ニ改正案ハ貴族院ノ組織ヲ改メ皇族及華族ヲ其ノ構成員ヨリ排除シ且其構成ヲ法律ヲ以テ定ムヘキモノトスルト同時ニ其ノ名称ヲモ変更シ(要綱十三、十四参照)更ニ又従来ハ貴族院カ衆議院ト同一ノ権限ヲ有セシ制度ヲ改メ参議院ハ衆議院ニ比シ第二次的ノ権限ヲ有スルニ過キサルモノトセリ(要綱十五、二十二、二十六参照)此ノ改正ニ依リ衆議院ハ英国ノ代議院カ其ノ貴族院ニ対スルト類似セル優位ヲ有スニ至ルヘキモノナリ
以上ノ帝国議会ニ関スル規定ノ変更ハ我国ニ於ケル民主主義的傾向ノ強化ニ寄与スル所少カラサルモノアルヘキコトヲ信スルモノナリ
五
以上ニ於テ改正案ノ根幹ニ関スル解説ヲ了シタルモ右ニ漏レタル然モ重要ナル二三ノ改正点ニ付左ニ述フヘシ
第一ニ枢密顧問ノ制度ハ動モスレハ立憲政治ノ運用ニ障礙ヲ与フトノ非難アリタリ蓋シ帝国議会ニ対シ何等責任ヲ負ハサル枢密顧問カ相当重要ナル権限ヲ有セルヲ以テナリ然レトモ改正案ハ緊急命令又ハ財政上ノ緊急処分ノ発令ニ付テハ帝国議会常置委員ニ諮詢スヘキモノトシ又条約ノ締結等ニハ帝国議会ノ協賛ヲ要スルモノトシ(要綱三、六、三十参照)従テ此等ノ重要国務ニ対スル枢密院ノ権限ヲ排除セルト同時ニ枢密院官制ハ法律ヲ以テ定ムヘキモノトセルカ故ニ枢密顧問ノ権限ハ極メテ縮少セラルヘク且恐クハ顧問官ノ員数モ減少セラレ政治上全ク無害ナルモノト為ルヘシ(要綱二十四参照)而シテ皇室典範其ノ他皇室令ノ適用上ハ枢密顧問ノ制度ヲ存置スル必要アルヲ以テ改正案ハ其ノ廃止説ヲ採用セサリシモノナリ
第二従来皇室経費ハ全部定額ニ依リ支出シ帝国議会ノ協賛ヲ要セサルモノナリシモ改正案ハ右ノ規定ヲ改正シ議会ノ協賛ヲ要セサル経費ヲ内廷ノ経費ニ限ルモノトセリ(要綱二十七参照)
第三ニ憲法改正ノ発議権ハ従来ハ天皇ニ専属セルモ帝国議会ノ議員ニモ其ノ発議権ヲ認ムルコトトセリ(要綱三十二参照)是レ今回ノ憲法改正案中最モ重大ナル改正点ナリ
第四ニ従来ハ憲法及皇室典範ノ変更ハ摂政ヲ置ク間禁止セラレタルモ改正案ハ此ノ禁止ヲ解除セリ(要綱三十四参照)是レ亦相当重大ナル改正点ナリ |