『農業と協同』 コペルコチア 1955年9月 <移(一)-Z147>
コチア青年移民
第一陣着伯
コチア産業組合呼寄せ青年移民一五〇〇名導入のことが一度発表されるや、日本の朝野に多大の反響を呼び、ブラジル国にも大きな期待がかけられ、これまでの移民と変つたものとして社会の話題をさらつていた。
このコチア移民なる構想は、三年前から計画されたものであり、導入許可があつてから、本年三月に下元専務の訪日となり官庁関係の折衝を終り一次募集から送り出しまで約半年の内にすべての準備は完了して、その第一陣一〇九名が八月七日アメリカ丸に、他の養蚕移民力行会移民等四九〇余名の内に交つて乗船四十日の平穏な航海を経て九月十五日遂に、憧れのブラジルに着いたのである。
組合は通関、上陸等に対して当国官憲の特別の取計いを受け、全て順調に手続きを完了し特別仕立の三台のオニブスに搭乗、十六日の真夜中、一応モインニヨ・ヴエイリヨ試験場の仮宿舎に旅装を解いた。
予定より一日遅れたため、引渡しは十八日となつた。当日は近郊は勿論、遠くはプ・プルデンテ、バストス、パラナ州カルロポリス等から五〇名の引取人が、この未知の青年達に対して同じような期待を持つて馳せ参じ、恰も自分の息子を与えられるように引き合わされ、早くも青年とパトロンは睦しく将来のことや仕事のことなど語り合う姿がどこにも見られた。
十八日の午前には、わざわざ磯野総領事が試験場に来訪、歓迎の言葉を述べ、伯国生活についての注意と訓話があり、引取人と青年は引受證書に署名をし、午後五時迄には殆んどの引渡しを終つた。連絡の悪くて残つた五-六名の者も翌日引取られた。
【写真説明】
(1) アメリカ丸は九月十五日サントス港に着いた。翌十六日午前八時下船。
(2) 荷物の検査も終り、サンパウロ行きバスに乗るため勢揃いした。コチア移民は三台の特別バスによつて午後九時サントス出発、十二時にサンパウロ市、コチアの農事試験場に着いた。
(3) サントス税関前に屯する移民一同(コチア移民、養蚕移民、力行会移民)
(4) 移民、パトロン、各関係者一同の記念写真(十八日)
(5) 十六日午後十二時、農事試験場に着いた移民は下元専務に迎えられ、直ぐに食事をした。馴れない伯国食も彼等の胃袋は一向苦にならなかつたようだ。
(6) 十七日、下元専務理事よりブラジル生活、並びに雇用関係について心得るべき訓辞や説明があつた。
(7) 引受證書に署名する。
(8, 9, 10) 十八日早朝より引取人が出迎えに来場し、移民達はそれぞれパトロンに紹介され引渡された。(パトロンと語り合う移民達) 正午より午後五時迄に移民達は車に搭乗、西と東に別れて行つた。