認識派の主張(1)

As reivindicações dos derrotistas (1)

Opinion of ninshikiha (recognition group) (1)

下元健吉はコチア産業組合理事で、認識運動のリーダーの一人。同組合は、戦争中ブラジル人の理事長を迎えて、事業を中断することなく乗り切っており、それが戦後の認識運動につながっていることはこの文章の前文からもわかる。

   定期総会に於ける所感       下元健吉


 過去数年間戦争と云ふ実に憂鬱な環境に在つて暮し、幾多の難事に遭遇し乍らも、幸にして本組合は、凡ゆる支障と困難とを克服し、一路組合主義に遭遇致した為め、本日の総会で明かにされた様に、組合の基礎愈々固く、財経的にも又事業的にも予期以上の偉大な躍進を遂げて参りまして、茲に終戦後平和な第一年度の定期総会を無事に終了致しました事を諸君と共二無上の欣びとするものであります。

 惟ふに、戦争と云ふ物心両面に大きな衝撃と動揺とを受け乍ら、斯くの如き進展を遂げ得ました事は、理事長フエラース氏を始め同僚理事諸君並に従業員六百余名一同の献身的努力の結果である事は今更ら喋々する迄もありませぬ。それと共に三千六百余の組合員又良く時局を認識し、理解と信頼とを以て終始一貫組合発展の為め協同の誠を捧げ、家に在つては農業に励み、益々多く生産された賜に他ありません。私は理事の一人として且つ本組合創立に関与した者の一人としての立場から、年と共に隆盛に赴く組合を観る時、自から大きな感激に浸るものであり、将来も亦永久に発展を希はねばならぬものとするの余り、この機会を利用して一言日頃所感の一端を述べさせて戴き度いと思ふのであります。

   時局認識に関し


 世界の人々が何日如何なる形に於て終熄するか数年間案じ続けて来た今次の世界大戦は、昨年八月十五日、日本が連合国より発せられた「ポツダム宣言」を受諾し、大東亜戦争を終結せしめた事に依つて遂に終止符を打ち、再び平和が到来したのでありますが、此の報を受けた当時、ブラジルに在住する日本人は、誰しもが恐らくは祖国敗戦と云ふ予期せざる現実に愕然として俄にそれを信じ得ないものがあつたと思ふものであります。従つてそこに種々と思考なり行動なりの上に混乱が生じた事も無理なしと言はねばならないと存じます。

 所で一方、この虚に乗じ、一部の人達が何事かを企図して発せられたでありませう「日本戦勝」と云ふ全く事実と反対の虚説が流布され、其の後臣道連盟其他何々会等の秘密結社が大掛りに活動を開始し、時流に反抗せんとする気勢を揚げ、正しき時局認識者を目して非国民よ国賊よと罵り、遂に過激な分子を馳つて徒党を組んで同胞を暗殺し廻ると云ふ血迷つた行動に出でしめ、伯国社会を震駭する一大不祥事件を勃発せしむるに至りました。而して終戦後一ケ年を経過せんとする今日尚未だ正しく時局を認識し得ない人々が非常に多いと云ふ現状であります。

 本組合は組合員の絶対多数が日本人である立場から、終戦直後より、時局を正しく認識し、軽挙妄動を深く慎むべき事を提唱し参つたのでありますが、此の事の必要性は、一、日本人が祖国の新事態を認識せずして国民たるの義務が努まらぬ事、随つて、認識者は更らに他の同胞に伝へる事も又義務であるとする事、二、日本人に対し戦時中と雖も絶大な好意を以て迎えてくれたブラジルに対し、不認識に基く迷惑を掛けたり、悪感情を持たせるが如き挙動があつてはならぬとする事、三、過去に於て一等国民を以て自任して来た者が、世界の新事態を認識し得ざるが如きは、諸外国人環視の裏にあつて、大いなる恥辱であるとする事、四、時局認識なくしては、将来個人並に社会的生活の方針を樹ち得ざる事、随つて認識なき者の集りを以てしては、産業組合の方針も又樹立し得ざるものであるとする事、等々を理由としたものであつて、一部フアナチコ[注 狂信者]の喧伝する様に、殊更らに日本の敗戦を宣伝せんとするものでは絶対になかつたのであります。

 更らに其後デマ・ニユースが盛んに流布され、盲信者が横行し、其の禍ひする所が多くなればなる程、益々その蒙を啓き、正しい認識に導く必要性が愈々加重されて来た事は論ずる迄もありませぬ。特に時局不認識に基く頑迷な徒輩の狂人的行為は、痛くブラジル人社会を激昂せしめ、過日執政官閣下の招請を受けた後に於ては輿論の代表たる諸新聞を見るに、一斉に憎悪と反感とに充ちた記事を掲げ、痛烈に彼等の非人道的挙動を攻撃し、更らに進んでは執政官に対して迄優柔不断の措置なりとして攻撃の矛を向けて居る有様であります。而して政府当局のみならず政界に於ても最早や許すべからざる重大問題として之を取り上げ、近く断乎たる措置に出られるではないかと観測されて居りますが、其の結果として受けなければならない大きな損失と一大恥辱とは単に彼等フアナチコの上にのみ止まるものではなく、一般在留日本人も共にそれを蒙らなくてはならないのであらう事を覚悟せねばなりませぬ。

 幸にして、本組合員諸氏は組合の意図を諒とし、他地方に見るが如き軽卒な行動に組されなかつた事は、偏に諸君の賢明と自重との賜であると思ふのでありますが、更に一歩を進めて、本組合には一人の不認識者も無からしめんが為め、此れ迄よりも一層積極的に認識運動を展開して戴きたいのであります。

 次に、今後在伯邦人は如何なる覚悟と方針とを以て生活すべきでありませうか?誠に重要な問題であります。それで甚だ僭越ではありますが左に卑見の一端を申し述べて見ませう。

(一) 時局を正しく認識する事――昨年八月十五日、日本が「ポツダム宣言」を受諾した事は、当時の新聞が報道し、其の後二回に亘つて母国政府から、御詔勅及び外務大臣メツセージがスエーデン公使館を通じて公式に伝達されて居る以上これを認識しないと云ふ事は国民としての義務を怠るものであると思ひます。「祖国敗戦」と云ふ事は、感情の上から受入れ難いものであるにしても、厳粛なる事実の前には之を素直に認識し、それに依つて、国家に対する態度及び個人的社会的生活の方針が確立されなければなりませぬ。

(二) 島国根性を一擲し、一等国民としての襟度を堅持する事――時局が容易に認識されない事は、日本人の気持が余りにも島国の小さい殻に立ち籠り過ぎた結果であると思はれます。故に此の狭量を一擲し、視野を広くし世界を達観する態度に出なければ祖国の再建は勿論、特に海外に在る者にとつて有終の美を済さしめる事は出来ますまい。随つて今後は新聞、ラヂオ等の報道に依り刻々として変遷する世界情勢を認識し、世界人としての教養を涵ねばなりますまい。

(三) 定住の決心をする事――過去に於て在伯同胞の最も大きな欠陥とされた事は、徒らに望郷の念にかられ、定住性が無かつた為め目前の小利に惑ふて転々し、基礎のある永久の策を講じなかつた事、随つて日本人の持つ勤勉努力の美点も何等効果的な果実を結び得なかつた事であります。即ち、錦衣帰国を急ぐの余り、仕事の上に基礎もなければ計画もなく、多くの場合失敗を繰返し、果ては予定の帰国も出来ねば現実の生活も安定しないと云ふ結果が非常に多かつたのであります。

 殊に、戦災の為め極度に窮迫して居る日本へ今頃帰らうとする事は啻に自己の生活を破綻せしめるのみならず、祖国も又これを歓迎しないこと当然でありまして、この際吾々は当国に骨を埋める覚悟を新にし、更に子孫をして、有能な活動を為さしむべく其の基礎を作つてやらねばならぬと信じます。

 吾々の生命には限りありとするも子孫を通じて永遠への生活があります。所詮人間社会が作り上げた文明とか文化とか云ふものは過去の人々の努力に依つて築き上げられた遺産であつて、吾々も又その活動に依つて更に高い文化を建設し、子孫に遺してやるべきでありませう。随つて、子孫の為め遠大な方針を以て一貫する計画を樹てる事が必要でありまして、間違つた帰国観念に捉はれ生涯を無駄に終らしめてはならないと思ふものであります。

(四) 伯国社会に融合し、その文化建設に貢献する事――日本人は習慣の相違、言語の不充分な為め諸外国人と交融する事が尠いと云ふて居ります。これは、個人生活の上にも社会生活の上にも大なる損失であつて、出来る丈け交際を広くし伯人と協力して、共に生活の向上を期待すべきであります。特に日本人の持つ美点美徳は益々これを活かし、伯人の持つ長所は遠慮なく取り入れて融合一体、真に優秀な文化を建設する事が吾々に与へられた誇りと考へなくてはなりませぬ。

(五) 日常生活に科学を取り入れ事業を計画化する事――今次の世界大戦は科学が極度に利用され、又それに依つて如何に戦果を大ならしめた事が実証されましたが、平和であるべき今後の世界は戦争と破壊との為め科学を用ひるのでなく平和の建設との為め、吾々の日常生活にこれを取入れねばならぬと信ずるものであります。特にブラジルは無限の活野に恵まれて居り、勤勉にして優秀な技能を有つ日本人農家の開発を待つて居りますが、現在の見受けられる農法は多く掠奪的原始農業の域を脱せず、天恵の地力も数年にして消耗し尽し不毛の原野に化しつつある実状であつて、これを永久農地として一層生産的ならしむるには、今後大いに科学を利用せねばならぬ事必然でありませう。

 而して、科学を取入れた農業経営に最もふさはしい農業者は日本人であると云ふことも敢て過言ではないと信じます。科学を取入れると云ふ事は単に耕作上に於てのでなく、吾々の仕事を最も能率化し有効化する為め、凡ゆる角度から要求される事でありまして、農業経営の全面的な計画化、合理化を意味するものでなくてはなりませぬ。

(六) 互に協力し合ふ事――前述の如く、科学に取入れ農業方法を改善し、これを実行するには、概ね大資本、大設備を必要とする事が多く、容易に個人で為し得ざる場合には勢ひ之に代はるに協同の力に俟たなければなりませぬ。現に各部落に経営されて居る共同運搬事業を見れば之が如何に個々の生活に大きな便益を与へて居るかを実証するものでありまして、その他農産物の加工、トラックター等の機械便用、共同倉庫、農村電化、教育娯楽に至る迄今後の農村を経済的にも文化的にも更に住み良いものにする為めには協同事業に依らざれば為し得ない事のみであります。現在社会の動揺と不安とは人間が余りに利己主義に走り、協同の精神を失つた結果でありまして、特に農村生活に於て然りと云へるのであり、日本人農家がその実績を示す事は又吾々の大なる誇りと考へなくてはなりませぬ。

(七) 独立独歩の気風を作興する事――日本人は、国家とか国体とか云ふものに団結する気風は十分にあるが、一人々々が個人の立場に立つた時、甚だ弱い場合が多いのであります。従来協同事業が優秀な成果を上げ得なかつたのは、協同と依存とを履き違へたからであると思はれます。故に、今後の社会は協同に俟たなければなりませぬが、協同の力に依存してはなりませぬ。即ち、真の協同は各自が完全に独立した力を集めたものでなくてはならぬのであります。特に個人生活を営む場合に借金に依つて事業を行はんとする事は自から失敗の基因を作るものでありまして、借金して成功した例のない事を深く銘記すべきでありませう。

   時代の流れに進航する産業組合の将来


 今次の世界大戦はドイツのポーランド進攻に依つて欧洲戦として勃発し、その後、日米英間の大東亜戦争となり、世界の列強は挙げてその渦中に投じ、未曾有の大戦が展開されたのであります。而して、数千万の生命と国富との殆んどを犠牲に供し、人類史上空前の惨劇が行はれた為め、戦火の納まつた今日尚ほ世界人口の大半が喰ふに食なく、住むに家なく塗炭の苦に喘ぐと云ふ世界人類最大の不幸事を出現して居るのであります。

 為めに、敗戦国は素より戦勝国や又直後戦火を蒙らなかつた国々と雖も一様に物資が極度に払底し、経済界は益々悪性化してその止る処を知らず国民の生活に大いなる動揺と不安とを与へて居ります。特に戦後に於けるソ連と米英国の思想的対立、並に社会機構の相異は、今後に於ける世界平和再建に大きな障碍を来たす虞あり、平和産業の復興は悪性インフレとストライキに禍ひされて遅々として進まず、何時如何なる形に於て真に平和な世界が到来するか今の処見当もつかぬと云ふのが世界の現状であります。

 然らば何が故に斯くの如き人類共通の不幸事なる戦争が起つたのでありませうか?それに就ては今後の歴史家が詳にする事でせうが、要は近代の社会組織が尚未だ真の幸福と平和との境地たる可く完成されて居らず、却つて文化の経過そのものが人間生活に多くの矛盾と撞着とを抱蔵せしめた為めそれが激発して戦争の形を採つたものではないかと思ふのであります。即ち、現今の文明が母体とした権力と権力、勢力と勢力との対立、文化の相違[、]思想の相剋、土地及び資源分配の不均衡、等々複雑な諸因が綜合された結果でありまして、帰する処利己心と野心との集結を排他的観念に依つて支配した結果であると思はれます。

 今や世界の人々は戦争の惨劇が余りにも深刻且つ巨大であつた事が骨身に浸み、再び戦争の起らない方策を考究しつつあると聞きますが、前述の戦争の原因を作つた凡ゆる矛盾対立を解消し、世界人が共存共栄を理念とし、相互扶助を実践化するより以外、真の平和を招来する途は無いと信ずるものであります。

 ナチズム、フアシズムが亡び去つた現世界の思潮はソ連の主張する共産主義と米英の堅持するデモクラシーといふ二大主義の対立して残つたのでありますが、共産主義と云ふも民主々義と云ふもその窮極する理想は世界の幸福を念願すると云ふ一つのものでありまして、只その運用と在り方が異る丈でありませう。吾々の観る所では、革命的強制的傾向を持つ共産主義は行き過ぎであり、米英が民主的自由主義に立つて資本主義を堅持せんとする事も、亦些か無理なしとせぬやうに思ふのであります。何となれば吾々が最も幸福である為めには、誰れかれも強制や支配される事なく各々その分に応じて独立独歩、人間としての本分を発揮する事でありまして、前者によつて個人の所有権が認められず、後者によつて少数資本階級の資本的威力下に屈伏せしめられるといふことは共に真の幸福とは申されないのであります。

 故に、吾々中小産階級や無産者大衆は、相互に協同し、平和裏に資本の暴威を防ぎ、自己を圧制と搾取なき環境に置いて個々の生活を安定せしめ、益々多くを生産し、健全な理想的社会を建設せんとする産業組合主義を実践してこそ真に世界平和の理念に徹するものであると信ずるものであります。而して産業組合がモツトーとする共存共栄相互扶助の精神こそは古往今来を通じ全世界に普遍すべきものでありまして、特にその精神を以て単なる理想とせず之を実践窮行する処に産業組合の真面目が発揮されるのであります。

 次に組合の必要性を国内的に観る時、ブラジルは他に比類のない広大な沃野を有し、自然的条件に恵れた比類のない農業国でありまして、その農業を発展せしめる為めにも又組合組織は不可欠であります。

 今や世界的食糧飢饉が叫ばれて居り、国内的にも食糧が不足し大きな社会問題とされて居るのは一体何に起因するのでありませうか?これは要するに、天恵の沃野はあつても耕す農民がない、農民があつても有効に生産せしめる機構がない事に外なりません。詮ずる所、ブラジルは自然的な農業国であり乍ら農業国としての態勢が整つて居らず、徒らに資本主義的都会中心の文化が発達したのに比し、一歩農村に入れば文化と云ふべきものなく、農村は名実共に都会文化の犠牲となり、奴隷環境に置かれて居る状態であつて、為めに農民は非文化的生活を余儀なくせられ、結局は労多くして効少き農業を嫌ひ、漸次農村を放棄して都会に集中し、都会人口の増加に伴ふて益々消費を増大するに反し、農業生産は益々減退してゆくと云ふ結果になつて来たのでありまして、国政上誠に由々しい重大問題とされるに至りました。がこれは要するにブラジルが農本国なる自然条件を無視した、その過誤の顕れであらうと思はれます。

 幸ひ、識者は漸くこの事実に気が付き、今後の農業政策を如何にすべきかが盛んに議論されるやうになりましたが、要は農民が現に当面してゐる自からの立場と社会的環境 = 「甚だ不合理な生活を余儀なくされて居る」事実を認識し自分達自身の力に依つて是正改善する方法を考究せねばなりませぬ。即ち、個々別々の力を以てしては如何んとも為し難い事も、農民相擁して立ち、弱小なりと雖も各々の力を綜合集結し一大勢力と化し、組織的な活動に依つて各自の経済生活を合理化するより外に途が無いのであります。

 即ち、産業組合の目的は、社会的、経済的、政治的に貧弱な存在である大衆が団結して資本主義社会の暴威を防ぎ、精神的にも経済的にも他より掣肘を受けない独立自由の下に自己の生活の安定を計ると共に、更に進んで搾取と圧制の無い真に平和な世界を建設せんとするための実践にあり組織化にあるのであります。

 更にその理念と活動とは人間生活の理想と現実の生活とを一致せしめるものであり、神ながらの道を実生活の上に協同体制化するものでありまして、如何なる権力や勢力を以てしても、これを阻害する事の出来ない公明正大なるものであります。

 本組合が戦時中或は戦後に於て、幾多困難の多い世相の中にも首尾よくこれを乗り越へ、偉大な発展を遂げ得ました所以は、吾々の組織が飽迄正義を行はんとするものであつた故に、政府当局や識者間に称賛を博しつつ有らゆる角度からその支援を受けて来たからであります。

 現在、世界は思想的に、経済的に、将又政治的に混沌として帰結する処を知らない状態に在り、随つて世界の人々は混乱と動揺とに漂ひ迷つて居るの秋、組合の理念は時代の指針であり、その陣営は波濤を乗り切る巨船でなくてはなりませぬ。故に、組合員諸氏に於かれましても、個人の人生観、社会観、更に世界観を一貫した産業組合の真意義に徹底し、小異を捨てて大同につきより偉大な組合の活動を期待し御協力あらん事を切望してやまぬものであります。


以 上

(一九四六年七月廿七日)