緒戦時の現地警察とサンパウロ総領事館からの文書

Documentos da polícia local e do consulado geral em São Paulo no início da Guerra do Pacífico

Documents from the local police department and the Japanese Consulate in São Paulo during the first stage of the war

日米開戦に伴い1941年(昭和16)12月8日領事館から在留邦人に対し、相互扶助と悪質宣伝にまどわされず、言動を慎み職務に専念するよう求めた告。同年12月16日ブラジル当局からサンパウロ総領事館に厳重注意通達方依頼された事項。国交断絶が決まった1942年(昭和17)1月25日石射猪太郎大使からの訓辞、1月28日原馨在サンパウロ総領事からの挨拶、レヂストロ警察分署長からの告示。

昭和16年12月8日 在サントス領事館告

当地警察分署長(聖市より特派、着任)よりの告示及び依頼をお伝え致します

5/2 ヒロタ

◎告示『独逸、伊太利、日本国籍の外国人は、登録届出(武器の)の有無を問はず、所持の武器(銃器一切)を当地警察分署に預托すべし、違反者は規定法規に依する処罰と同時に武器を没収さる』
家宅捜査の結果没収されることを避ける為め、本告示を示されたので、誰々が銃器を持ってゐるかは警察側では既に判って居りますし、猟銃と雖も現在、日本人の使用は禁ぜられてゐますから、今更ら隠匿は無駄でせう、これに対し一週間の期限を貰ひました
 尚ほ日本人第二世は当然伯国人ですが、これを前記外国人と見做さずとして除外するや否やに関しては、電報問題(後述)と仝様未だ判然たる解釈はされてゐませんが、恐らく事態は斯ノ様な姑息的な解釈を許さないでせう

◎電報問題といふのは独、伊人は外国電報のみ葡、英、西の三ヶ国語以外にては打電出来ませんが、それ以外は従前通りなるに、日本人に対しては発信、受信人が日本人の場合、外国電報は勿論、内国電報も受付けられません、或ひは日本語に依る電報の間違ひに非ずと思はれ、且つ又事実不可能の場合は、日本人第二世の場合は如何か、目下様子を待つてゐます

◎聖州保安課より発表されたる一般パウリスタ民衆に対する訓示及び独、伊、日人に対する取締令を書添えませう
『現下伯国の直面せる非常時局に対し、当局はパウリスタ人の愛国に訴え、今迠諸かせの持し来りし洗ママされたる訓練秩序の精神を更らに強化して時局に当られんことを乞ふ、如何なる場合と雖も枢軸国々民の人身、財産、及び名誉に対し攻撃的態度を採るべからず、非武装民に対し暴挙、破壊的行為は国際正義に悖るのみならず、却て自国の名誉を辱め、国家を不利に導くものなり、(中略) 当州居住上記三ヶ国臣民に左の件を禁ず
1.自国語にて書かれたるものの流布、公開
2.自国の国歌を歌ふこと、又は発すること
3.自国に対する声援、示威
4.衆人の集る所、又は公共場所(カフェー等)にて自国語使用
5.衆人の出入りする場所、又は人目につく所へ自国政府関係者の写真を掲げること
7.私的な祝事にての集合、仮令私宅に於ても
8.公衆の場所に於て、国際状勢を論じ、又、意見を交換すること
9.既得の許可証ありとも銃器の使用、並に銃器火薬類の売買
6.10.11.12.は旅行、移転関係(省略)

◎デレガードより特に注意あり、絶対に往来で日本語を使って呉れるなと一般に知らせて呉れとのこと、御留意願ひます


未曽有の帝国非常時局に際会し在留邦人は徒に動揺することなく冷静なる態度を持し伯国官民との円満関係保持に一層努むると共に特に此の際皇民たる自覚にたち在留民間の相互扶助の実を挙げ各種悪質宣伝等に迷はず厳に其の言動を慎み各自其の職務にいそしむること、即ち現下の帝国々策に副ふ所以なることを篤と銘記せられたし

     昭和拾六年拾弐月八日
                   在サントス
                     大日本帝国領事館
 在留民
    各位


昭和16年12月16日 在サントス領事館告

 時局に際し在留邦人のとるべき態度に付ては過般申進めおきたる通りなるが今般伯国当該官憲より左記事項在留邦人に対し厳重注意通達方在聖市総領事館に希望申出ありたる趣なるに付在留同胞全般の安寧利益を考慮し此の際伯国側の希望に副ふやう致度し

一、路上、酒場、飲食場、倶楽部其他公開の場所に於て戦況、政治或は国際政局を議論すること
一、ブラジル国、ブラジル人及ブラジル官憲に対する誹謗若くは暴行
一、正当なる事由なくブラジル人使用人を解雇すること
  伯人のみを先に解雇し又正当な解雇手当の支給を拒絶するが如きことなく又解雇に当りては已むを得さる事情を本人に充分説明すること
一、警察官憲の許可なくして武器を携帯すること
一、警察官憲の許可なくして集会を催すこと(特に学校、倶楽部等に集会せさること)
一、ラヂオ放送聴取のため多人数集合すること(家族が家庭に於て聴取するのは勿論差支なし)
一、ラヂオ、ニユースを謄写又は印刷して廻文すること
一、日本語の非合法教授
一、誤解又は嫌疑を招くが如き団体運動

以上

  昭和拾六年拾弐月拾六日
                在サントス
                   大日本帝国領事館
 在留民 各位


昭和17年1月25日 石射大使注意

 曩に大東亜戦争勃発後、時局に対する在伯同胞の心構に付ては各領事館より注意を喚起して置いた次第であるが其後国際情勢は不幸にして徐々に悪化し遂に今回全米外相会議は日独伊と米洲諸国との国交断絶勧告案を採択するに至つた、惟くに日本とブラジルが修好関係を結んでより約五拾年両国間の関係は年と共に敦厚を加へ殊に近年は通商経済文化移植民等の各方面から其の連鎖は益々強化せられ有無相通、共存共栄の大義に則り両国民は平和と親愛と繁栄の喜を倶に頒つて来たのであるが今回天意に反し日伯国交が絶たるんとすれば衷心より遺憾とする所である、若し国交断絶し帝国官憲が其の職務執行を停止せられたる場合在留民諸君としては色々の不便と不自由を感せらることの察せられ誠に同情に堪へさる次第であるが事茲に立至る場合諸君は皇軍の大勝に信倚し相頼り相扶け隠忍自重、沈着と正常を持し以て各其の職域にママ念し将来の計を樹つるの途に出て而して他面伯国官民との連絡を緊密にし進んで之と協力に務められ仮初にも第三国の煽動分子に乗せられ伯国人との間に摩擦を誘発するが如き事の無い様細心の注意を払はねばならぬ之れ即ち諸君が大国民たる襟度を示す所以で又後日国交回復の秋日伯関係の改善増進上基調を為す所以と信する次第である
 終に在留民諸君の健在と幸福を心より祈念する

   昭和拾七年壱月弐拾五日
               在伯特命全権大使 石射 猪太郎

        其他当地方に於ての注意

一、各家庭に於ては御真影、日本の絵画、日本語の綴り文書、書籍等は焼捨又は人目に付かない所に蔵ふこと、ほりににや等の日本文字も消削又は張り紙をすること、刷り物等は回覧せない様各区長より口伝へにして戴くこと
一、何如なる場合も許可なく集合らせないこと(今のところ集合は絶対不可能)、戦争の話や其他を日本語で高調にやらないこと、殊に伯人のゐる所たとへカマラダ[注 友人]であつてもつつしむこと、
一、日本のレコード特に国歌、軍歌、行進曲等絶対に鳴らさないこと、歌ふこともつつしむこと


昭和17年1月28日 原総領事注意

拝啓陳者壱月弐拾五日リオに於ける汎米外務大臣会議で採択された勧告に基き伯国政府は遂に日本、独逸、伊太利政府に対し外交関係の断絶を通告して来たので在伯帝国大使館及領事館は何れも閉鎖の已むなきに立至りました、伯国政府のこの措置は吾々の最も遺憾とする所でありますが在伯日本人は過去参拾余年間ブラジルの繁栄のために貢献こそすれ決して悪い企をし来たことなく其点から云つてもブラジル政府及ブラジル人から憎まれる理由は毛頭ないのであります又日本が米国に対し戦を宣するの已むなきに至つたのは米国が日本の実力を軽視し力を以て圧迫すれば日本は必ず米国に屈伏するものと判断し戦争行為に等しい資金凍結や経済断行を敢てしたばかりでなく支那に武器弾薬を送つて対日抗戦を継続させ且濠洲、和蘭等をも誘つて軍事的に日本を脅威し支那反仏印よりの全面的撤兵を要求し日本の生存其物が脅かされたからでありまして今次日本の行動は米国の飽くなき東亜干渉に対する已むを得さる自衛行為であります、これを以て”中南米を含む米洲全体に対する攻撃と看做す”と謂ふのは誠に無理なこじつけであつて日本は中南米諸国従てブラジルに対し何等の野心も敵意をも有しないと云ふことは日々複雑化する国際状勢の大筋を見失はぬ為に皆さんに是非共銘記して頂かなければならぬ重要なる点であります従て今回の伯国政府の措置はアメリカに義理を立てて行つたものであることは明瞭な事実であります、又外交断絶は文字通り国と国との交際を止めたと云ふことで両国間に戦争状態が発生したと云ふことではなく従て日本人は伯国から見て敵国人になつたのではありません勿論大使館や領事館が無くなつたと云ふことは御不自由でもあらうし又心細く感せられると思ひますが皆さんは大使閣下の御訓示にもあるやうに其不自由不便を同胞相互の緊密なる協力及相互扶助に依り補はれ在伯同胞一心一体となつて難局に処せられ度く夫れから再三当館から御注意申上げた事項を良く遵守せられ事件の発生を極力避ける様御願ひ致します在伯同胞の慎重平静なる態度が在伯同胞各位の安全を確保する唯一の途であると信じます

終りに臨み一日も早く日伯両国国交関係が恢復し皆さんと昔話することを期待しつつ呉々も皆さんの御健康と御幸福を祈ります    敬具

   昭和拾七年壱月弐拾八日
                   在サンパウロ総領事  原 馨
 在伯同胞各位