香山六郎 「廃刊の辞」 『聖州新報』 1941年7月30日
廃刊の辞
香山六郎
『聖州新報』 昭和16年7月30日
七月末日が明後に日と迫つてゐる外国文字新聞を伯国に於て発行し得る最后の日である聖州新報は日本文字新聞である。外国文字新聞である、茲に伯国新聞法令により今日版を以て愈廃版する事にした、勿論、伯字版のみを以て発行すれば【NOTICIAS DE S. PAULO】は適法の新聞として、尚ほ発行を継続し得るのであるが、日本文字を以て発行してこそ、民族的新聞の使命もあり、意義もあり、価値もあるのである。伯字を以て発行しては意義を失ひ、使命を果さず従つて価値もなくなるのである。
若し在伯邦人の聖報愛読者大衆が、伯語に精通せる教養ある人々であるならば、伯字新聞発行も意義なしとせず、従つて多少の価値も生づるのであらうも、聖報愛読者の大衆は伯字新聞を邦字新聞の如く理解し得る人々とは、其十分の一も、百分の一もあるとは信じられないのである、価値論は兎に角として邦字に非ざる民族的第一義を喪失したる新聞は、生ける屍に等しき新聞である。
本社は断然本号を以て廃刊する事にした、海外に政治的権力なき民族新聞の儚さも、散る可き時が来て、名残りなく散るは、花にしても悔なしである。
在伯日本字新聞人の吾々は、実は、日本移殖民の大衆が伯国に居住する間は何の蟠りもなく、日本字を以て発行し得るものとの見解に、何の疑もなく暮してゐたのであつた。在伯外字新聞は、伯語の全訳つきで発行する様との令達を昨年うけた時でさへも、外字では新聞一切発行罷り成らぬとの厳令が次にあらうとは、夢にも想はなかつたのである、無邪気と言へば無邪気ウツカリ漢といへば、ウツカリ漢である。
母国日本は東亜共栄圏建設のため、国内経済組織を一変し[、]国家総力の基に愈々予定の南進を始めてゐる、仏領印度支那曠原には、日章旗が仏国旗と共に空に高く翻へつてゐる[、]英米は日本を東洋の侵略者扱ひにしてゐる、両国によつて日本は経済断行をされたのである。
現実斯うした時代相に直面して、日本は旧態制の海外発展策に尚ほ窮々として、新共栄圏外に日本移殖民をとどむ可きではない。
亜細亜人は亜細亜に帰らねばならない、東は東、西は西だ、斯うしたモツトーよりして在伯日本民族主義の邦字新聞が伯国法を遵守して、名残り気なく廃刊することは花ならば散る可き時が来たのである。千九百二十一年九月七日、聖州奥地ノロエステ邦人殖民地の入口、バウル市に創刊した本紙であつた、由来号を重ねる事茲に二千二百三十六号、春秋数ふる二十年の新聞生命であつた、此間聖報は兎に角他邦字紙の週刊発行を週二回にリードした[、]バウル市より聖市へ移転後、週三回にもリードし、日刊へも一日早くリードしたのであつた。
千九百卅四年当時伯国社会は思想と政情の一大転換期で、国民大衆の葡系市民は、伯国国粋派としての勃興時代であつた、当路者は、智識階級は故アルベルト・トーレス氏の知的国家愛国主義観に心酔、共鳴し国民大衆に、国民意識を吹き込み、普及し出してゐた、一方外国移民の入国数制限を始めた、憲法に外国移民二分制限を採用し、表面何等差別待遇に触れてはゐないが、日本人移民数を実質的に制限してしまつたもので、此の秋よりして、不同化民族圧迫の色彩が必ず将来するものと予期されたのであつた。
斯くて伯国の移民歴史に、一画期を来たしたのであるが、千九百卅七年日支事変は勃発した、茲に於て世界の近代移民歴史型は百八十度の転換をしてしまつた。
即ち今日でもはや、民族の混淆による以外に、民族的他領進出の形式はあり得ないこととなつてゐた処へ、日本民族は満洲へ、満洲民族と混淆なしに移住し得る歴史を始めたのである。
それから三年目、欧洲大戦は遂に勃発した。
日独伊の枢軸軍事同盟は締結された、在伯枢軸国民が反枢軸国北米に一層親善なる伯国当局から、殊に日本移民が敬遠される、当然な過程の色彩である。
日本人の如き、独乙人の如き[、]ラテン民族に比して、他民族へ同化し難き素質ある民族が国民統一を企画中の伯国民の中に、混雑しゐる事は、伯国当局者にとつては、油断のならぬ事である。
是等の不同化民族を同化さすべく努力する事は、仲々容易の仕事ではない、全く一筋縄では行かぬのである。
それで、是等不同化民族の第二世、第三世たる伯国生れの人間を待つて、始めて統一国民を作り上げる事に企画する策からも、外国文字新聞を伯国内に発行させて措く事は、大きな片手落ちである。
日本文字新聞も御多聞に漏れず、此際他外国文字新聞同様発行を禁止する、至極お尤の
顧みれば十年前、満洲事変突発して以来、海外日本人の殆んど喪失しかけてゐた民族意識を、鮮明に取り戻したのであつた。
以来世界各国人の民族意識は覚醒され、日支事変により、欧洲戦により世界経済ブロツクの民族的新体制成るの日ある可き予想も確定的となりつつある、今日本は、何物も恐れず、何国の迫害来るも打砕きて、東亜新共栄圏の建設に乗出してゐる、此の母国を持つ海外日本人は如何なる迫害も乗越え得る毅然たる皇国移民であらねばならぬ。
伯国に於て予想される次の外国人への相剋的摩さつは、地権剥奪の実施令であらう。
伯国は伯国人の領土たるの主旨からして、意識からしても当然そこに到達せねばならぬ事項である。
それは唯時間の問題に過ぎないのである。
東亜新秩序を平和の線に沿つて進める日本を、血迷つた英米は侵略者扱ひしてゐる、経済断行は宣言された、次に来る物は今夕にも砲火である、英米が日本に対し砲火を以て、相迫つた後米国は伯国を汎米防衛戦の戦線に引き込まぬであらうか、英米の抗日意識と態度が益強化熾烈化するに従つて、在伯日本人の上に不幸なことが予想されないと、誰れが言ひ得ようぞ。
昨今、聖市発行の伯字紙の何れを観ても、第一面の頁全体にわたつて、ニユースなる物は極東日本の大見出しである[、]斯うした非常時相に際して新聞の使命は、民族的に一層重大さと、緊張活やくさせねばらぬ時であるに係はらず[、]外国字新聞の故に、日本字新聞は、無慙にも廃刊させられるのである。
新聞人として堪えやらぬ遣瀬なさがある
散る可き時が来たんだ
去る二十六日午後、伯国当局の命により、同盟通信のニユースを伝達してゐた伯人会社アゼンシヤ・ブラジレイラ聖市通信社は遂に閉められた
聞く処によると、在伯イタリヤ聖市通信社のロテフソニ支局も伯国当局の命により閉鎖させられたと伝える
是迄邦字紙が毎日在伯邦人に伝へてゐた同盟通信のニユースは、遂に在伯邦人の眼に入れ得なくなつたのである
在伯二十、余万聖州新報愛読者諸君
昨日迄毎日読みえた邦字紙なき後の寂寥さ
異境万里、殊に時局が時局だけに、其遣瀬なきは唯涙だ
聖州新報は民族的新聞として此の不可抗力の前に廃刊する[、]永々愛読を忝けなくし、経済的にも多くの社友に御厄介をかけてゐるが、報ゆる事もなく廃刊の辞を述べねばならぬ[、]愛読諸兄姉の御健康を念じ擱筆する さよなら