S・H生 「植民地に於ける初等教育の実際」 『日伯新聞』 大正15年8月20日 ほか
植民地に於ける初等教育の実際
S・H生
『日伯新聞』大正15年8月20日、27日、9月3日、10日
ア線 S・H生
(上)
私は元来が教育者ではない、ただ一ヶ年半あまり某邦人植民地の小学校で教鞭を取つたことの外、児童教育に関しては全く経験を持たない、だから私は何もここで植民地に於ける初等教育論といつたやうなものを振りかざさうといふものではない、自分が一ヶ年半の短い教員生活の間に児童教育に就て感じた事とか又こんな風にして植民地の児童は教育した方がよくはないだらうかと思つて実際にやつてみたこと等を発表して、教員諸君や児童父兄諸君の御意見を伺ひ度いと思ふに過ぎないのである[、]だから私のいふことは広い意味の児童教育といふのではなくてサンパウロ州に於ける邦人植民者によつて経営されてゐる小学校の児童教育といふ極く限られた範囲に於てである。
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邦語教授に就いて
私は教育論をやるのでないから直ちに実際問題に入るが、私が最も教授の困難を感じたのは邦語読本の教授に於てであつた[、]これは中学校で英語を教へる様に厄介なものだと思つた。日本の事情など丸つきり知らない小供に日本の事ばかり書いてある六つかしい字の本を教へた処で先生も生徒も努力の効果といふものは極く僅であるに違ひない[、]単に日本字を読み書きが出来る程度(それも充分なものではないが)に覚えさせるなら無理に国語読本に拘泥する必要はない[、]其の他の事は葡語読本によつて充分補はれると先づ初めに考へた、それに国語読本の中には、まだまだブラジル生れの小供に読ませる為めにはあまりに偏狭な愛国的精神や排他的な国家主義的気分を養ふようなところが沢山ある、ブラジル同化などと騒いでゐる一方、学校でこんなことを教えて行くなど、そんな矛盾した事はない。植民地用の読本がない今日教育者は、こんな点に細密な注意をしなければならぬ。
そこで私は、殊に外国語を教へると同じやうな気のする、第一学年の国語読本第一巻の使用をやめてしまつた。そして全然黒板と口述とで、彼等児童の日常目に触れるところの事物を揃へて直接児童の直感に訴へる方針を取つたのである、例へば、レンソ、シカラ、カーザ、ブーロ等何等の説明を要さなくても小さな児童の頭に直ぐに理解出来る物によつて、教授したが其結果は非常に良好で、短時日の中に、読本巻の一の目的とする効果を上げ得たのみならず、極めてアヤフヤなポルトガル語の発音を矯正することが出来たのと一挙両得の結果を得た、
全く読本の巻一をブラジルで生れた子供に忠実に教へる程馬鹿なことはない、見たことも聞いたこともないものの名前を理解しやうとする努力だけでも小さな子供には已に重荷である。七八才位の子供に考へさせて教へるやり方は全く感心出来ない[、]どうしても小さい子供には自然に覚へさせてしまうといふ方法を採らねばらぬ。
(中)
上述のやうなやり方で、僅々三ヶ月の間に完全に片仮名を修得させることが出来た、さうして直ちに二の巻に進んだが児童は充分に読み書きし得る程度にまで進んでゐた。又第二巻以上の国語読本に於ても、これを第一課から終りまで全部やる必要はない、ブラジル生れの小供に適する課と適しない課とがあるから、これを宜しく適当に取捨して読ませることを心掛けねばならぬ、さうして漢字の如きは極力これを制限して、略字のあるものは成可く使用するやうにして修得に困難な象形文字の煩瑣から可及的に彼等の苦痛を取り除いてやり、そこに無益に費やされる力を他の方面に用ふやうにするがいいと思ふ。教科書に出てゐる略字は数が少いからあれだけではこの目的を達することは出来ない。
又仮名づかひは発音通りに書かせなければならぬ、テフテフと書いてチヨウチヨウと読せたり今日をケフと書いたりするなど全く、くだらぬ事で小供の頭を苦しめるものだこんな事は読本に拘泥せず、どんどん勝手に訂正してやるがいい。
(下ノ一)
地理歴史理科について
地理、歴史、理科の教授は始めから全々伯国の教科書についた。サンパウロ生れの小供に日本の地理から教へて行くなどは地理教育の原則から飛び離れたことだ。サンパウロの小供には聖州のことから、パラナの小供にはパラナの地理から教へて伯国地理に移り更らに南米、北米、アジヤと進むべきである。但し日本を教へる場合には、特に日本地図について稍詳しく口述すればいい。
歴史に於ても同様である。先づ伯国の歴史を知らなくて伯国が理解出来る筈がない。いはんや同化などと云ふ点に於ては尚更らのことである。私は日本歴史の教授はただ噺のやうにして聞かせただけであつた、それに今一つ日本の歴史教科書を使用して悪い事は、読本以上に軍国主義や国家主義の思想が余りに偏狭に鼓吹されてある。あんな教科書を伯国生れの児童に教へ込む事は大禁物である。
又最初に出て来る天孫降臨説にしても、伝説としては興味あるものだが日本など知らぬ小供にあんな話を本気で聞かせるのは、彼等をして日本を誤解せしむる第一歩である、天孫降臨説を否定したからと云つて決して皇室の冒瀆にはならぬ、天孫降臨を教へなければ皇室並びに国体の観念に対して尊敬の念を薄くするなど考へるのは大間違ひである。
伝説は伝説として聞かせ、歴史は飽くまでも科学的でなくてはいかぬ。
日本の小学校の歴史教育否小学教育そのものが、排他的な国家主義に捉れ過ぎてゐる、そのため日本そのものの実際の価値を非常に高く誤つて見せる様になる、即ち日本より立派な国は世界にない、世界で一番強いのは日本だと云ふ様な妄想に陥らせて了ふ、私は何も愛国的精神を教へてはいかぬと云ふのではない愛国的精神は他の平和的方法でいくらも養ふことが出来る[、]こんな思想で固つた者は外国に行つたつて決して同化はしない[、]日本を有りの儘に見せて、欠点も長所も其真実を知らしめねばならぬ。
私は嘗つて上級の生徒三十幾名かに「世界で一番偉い人は誰か」と云ふ質問を発して見た事があつた、生徒の大部分は一様に「日本の天皇陛下であります」と答へたが、只一人「私のお母さんであります」と一女生徒が耻かしさうに答へた、私は其答を聞いた時飛びついて行つてその小供をシツカリと抱いてキツスしてやりたいと思ふ程感激した。何んといふ人間的なそうして自然な言葉であらう。私はその子の母親が如何に立派な女性であるかを想像することが出来る。しかし天皇陛下が世界一の偉い人であるといふ答の批判は避けるが「偉い人」といふ意味をこんな風に解釈することは果して善いか悪いかは大いに考慮すべき問題である。日本の誤つた教育の弊はこんな処にも見出されるではないか。
此の事で思ひ出したが、私がかつて聖市の或る外人の下宿にゐた時の事であつた。その下宿には一人の英国人とポルトガル人とイタリヤが三人に日本人の私が一人都合六人宿つてゐた。夕食の後などよく話がはずんで夫々御国自慢の話になる。或時であつたイタリヤ人がダンテを持ち出してしきりに彼の詩を讃美する、すると、英人はシエークスピアを出して論ずればポルトガル人も負けずにカモンヱスを引張り出す、さて其処で日本人の私は何とかせねばならぬのだがまさか天皇陛下を担ぎ出す訳にもいかずどの詩人を紹介しやうかと迷つてゐるとき英人が「日本では誰か」と聞きき[ママ]だした、「左様だね」と私は実際耻しくなるやうな思ひで考へて居ると側で聞いて居た宿のお主婦さんが「日本にはロシヤと戦争して勝つた大将が居るじやないか」と口を入れた、私はこの皮肉な言葉……お主婦さんは決して皮肉な積りで云つたのではないが……にスツカリ閉口して了つた。
成程日本には偉い大将が沢山ゐる、吾々が小供時代に脳ミソにコビリつく程聞かされた名前は天皇陛下と大将だ、その他に何があるか、この一事を見ても日本の国民教育精神が根本的に誤つてゐることが知れる。
話が横道に入つてしまつたが、要するに伯国生れの日本児童に日本歴史を教へるのに教科書通りにやることは百害あつて一益なしと思ふ。
理科については之又日本の教科書は役に立たぬ、物理化学的なことは兎に角、動植物では児童はブラジルと全々関係のない東洋の島の動植物を学ばねばならぬからである、これはいやしくも教育に携つて居られる人々は必ず同感のことと思ふ。
(下ノ二)
算術について
算術には別に特別な教授法は取らなかつた。又取る必要のあるべきものではない。ブラジルでも日本でも数の原理において異つてはゐないから、だがただ日本の教科書は三年用と四年用としか使用しなかつた。それ以上はブラジル小学校で用ふる上級用の算術書につかせた。三年用と四年用の算術書で算術の基礎である加減乗除の大体は終了してしまうし、五六年用の日本の算術書は全然ブラジルの小学校に適しない。三四年用のでも諸等数に於ける里、段、貫の度量衡の計算は練習させる必要を認めない、又いくら熱心に根気よく教へて見たところで、小供の方では雲を掴んだ位にしか解つてゐないと思ふ、それよりも大切なことはメートル法とブラジルの度量衡であるがメートル法だつて日本の教科書では完全に教へる事は不可能である、これを補ふにはどうしてもブラジルの教科書につかなければならぬ、それなら初からブラジルの教科書で教へればよさそうなものであるが、当国の教科書(算術書に限らずどれでも)はまだ初等教育が進歩して居ない為め編纂が拙劣で算術の初歩教育に適さない、殊に日本の算術書は練習問題が非常に豊富であるから、これだけは是非とも使用したいと思ふ。
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葡語に就て
ポルトガル語を不必要だといふ人はまづ無いであらう、これは云ふまでもなく充分にやらなければならない、私は一年生からどしどし教へていつたが或一部の父兄等には一年生にポルトガル語を教へて貰つては頭が困乱していかんといふやうな意見の方があつたが、それは反対である、小供は、私の経験ではポルトガル語の方を遥かによく覚え読み且つ書くように思ふ、だから私の考へでは一年にはポルトガル語だけ教へその読み書きに少し慣れてから、邦語を始める方が寧ろいいと思ふが、この方法は単に実行しようと計画してゐただけで、遂に実行まで行かぬうちに、私が教職を退いたので今その結果如何をここに発表することが出来ぬのを遺憾とする。
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図画、唱歌について
図画や唱歌は一般教育論からいへば大いに論じられる問題である。しかし私は正直に白状するが、図画、唱歌か小供の情操教育といふ方面に於て価値のあるものである、といふことは万々承知はして居ても、私には実際それを教へるだけの力がなかつた為め、極めていい加減な時間潰しのごまかししか出来なかつたことを今更恥かしく思ふ、これについては賢明なる諸君の御意見を是非承り度いと思ふ。
最後に私の教育方針を概括すると、ブラジル生れの日本児童に将来善良なるブラジル国民となつてくれるやうにとの願ひのもとに総てを行つたに過ぎぬ。
元来私は日本人のブラジル移住を以て、日本民族の発展のためなどと考へたくない。『日本民族の発展』などと移民を解釈することは、政治家や外交官などによつてよく口にされる言葉だが、何もそんな風に考へなくてもいいではないか、私は、彼等小さいブラジル生れの日本人が、そうし又その子孫がやがてこの天恵豊かなる国土に於て次の又その次のセネレーシヨンを作るとき、彼等はも早日本人でなくていいと思ふ、寧ろ立派にブラジル人に成り切つてくれることを心から望むものである[。]蓋し、そのブラジル人たるや、日本を最もよく理解し常に日本に対し同情と親愛とを失はぬ親日的なブラジル人であるであらうから。
第二世教育に就きて
ア・マツシヤード 安達生
『伯剌西爾時報』昭和9年8月4日、11日
中
(冒頭部 省略)
私共は教壇に立つて第二世に曰く私共日本人は世界の一等国民であります、日本は英米国と共に三大強国であり、万世一系の天皇陛下を戴き世界に類なき帝国であります、神武天皇以来外敵をして一度も国土に足を入れさせた事がないと、又斯く云つて教へ得ると私自身も信じます故に、時折時間の都合を計つては我々日本人が今後に処す可き道、バロメータに対して国語に修身に地理に歴史にと各学年毎に必ず解するやう四十名余の児童に対して細に入り微に入つて解き来まして、その作文に「今後に処する」の課題にて書かするに生徒中に於てカローセイロ[注 荷車運送人]に成つて金を貯金して日本に送金し又商人になり或はフアゼンデイロ[注 大農場主]になるとか云ふ者四名、自動車運転手になると云ふもの三名、上級学校に行き度くも金はなし町の商店に傭われて夜学にでも行こうと云ふ者一名、年寄の父母故自分の希望はあるが農業に従事して安心させようと云ふ者一人、他七八名は文意不明であり、今日の移民制限案等幾回となく教へて我々日本人として又第二世として今後どうするかと云ふ題での結果が上記の様であり、母国のそれと異り小学校卒業近くの五年早くは四年生頃より何に成ると云ふ希望の元に勉強してゐるといふ状態であります
精神教育に対しては又その点甚しく、乃木大将、東郷元帥とか、また、楠父子、四十七士等につき問ふに更に反響なく、日本人より大和魂を取り去つたなら日本人ではないと説明しても判らず、全児童の字体を検するにポルトゲースは如何にも上手であるが日本語に於ては一字として満足に書けず、皆魂のぬけからにして、度々黒板に新聞紙をはり付けて太筆で大書小書して説明するも理解に苦るしむのであつて、尚総体に於て落付がなく、教室に在つて復式教授の為四組の時は二時間成しても三十分迄に至らずしてあきると云ふ状態であつて学校に於て充分に(現在制度に於てベスト)成しても家庭に於て復習や予習の時間を与へて頂かずば今後の二世に対して教師として悲しく泣き叫ばずには居られない次第であります
当地小学校の如きは一二年より学校を休ませて手伝いをさせ子守をさせてママイは畑に出る、三年生の十歳位の子供は皆夕食の仕度より風呂一切なして、家族の者は暗く成つてより帰り来つてつかれのままに夕食後即時床にもぐり込むと云ふのが大半にして如何に子共の為とは申しながらに財を得て得てともがくのも宜しいが、今少し教師に教育はまかせたとて捨て置かず、家庭と学校と児童と異身同体になつてこそ今後の第二世の教育がより良き結果に成り、引いては日本人の真意が伯国に於ても発揮せられるのではないでせうか
母国のそれとの相異甚しく、小生等小学校時代、明治末の事とて二十年余経過せる時を想ひ出しても尚非常の大差あり、ましてや今日の日本とは天地の相違あるやと思惟されて
下
之等小生書き来る事に対して全部が必ずそうだとは云へません、二ヶ月毎の父兄会開催時にこの事を解き下ろするに初めの内は己の可愛き子供を引いては親迄もこきおろしとかなんとかの反対論者多かりしが小生に於て他意あらず教唆にあるので在つて教育に在る身[、]教へ児を頭より侮蔑するに非ず、可愛ゆくばこそ旅をさせろの仮への如くととき来つて植民者の了解を得一日毎に異身同体に成りつつあるの喜と共に、尚大方の諸賢の御批判を願ふ次第なるは前書の如くであります
越年の苦心により目的の財産は出来たとしても第二世の家長時たるや一世に於て得たる富源を活用しトラツタ[注 トラクター]が完全に運行出来るやに疑念を生ずるのであつて今後益々社会の進転につきて如何に労働者たりとはいへ頭脳労働共に伴わざれば社会の水平線より遅れは致さないでせうか、僅な範囲のテストにはあるが小生の感ずる所にあつては現在の第二世諸君は二十ポルセント[注 パーセント]以上低下して居りは致さないでせうか
私は此処に於て声のあらん限り父兄方に呼掛け度い、皆様は子供の為々と云ふて却つてお子様方を犠牲に致してゐませんか!
若しお気付でありましたら朝晩の百姓の手伝を、又学校を休ませて迄手伝をさせないで下さい
皆様は目先の一釬に目がくらんで後の百釬をペルデする[注 失う]、勉強中の子供に労働までさせず、手不足の処はカマラーダ[注 日雇い]を傭つてなし子供は遊ばせて下さい、自由にさせて下さい、何時かも一父兄より急撃な質問を受けし事あり先生は子供にボーブラ[注 かぼちゃ]頭とかカイピーラ[注 いなか者]と云ふ事を好く云ふそうだが其はどう云ふ訳の事かと問はれた時に、云はざるを得ない事情を話したるに、家の子供をボーブラやカイピーラと云はれる理由を解して帰り一年経《たた》ない間にその子供はぐんぐん上成績に成り、その方は先頃の父兄会にも出席され親の欲目が出来て来たと喜んで居られ、尚他にも初回の成績発表時今度の教師に成つて家の子供は馬鹿に成つたと云はれし父兄三四名あり、役員を通じて其の非を語り置きしに次回は好成績に成り、学校に来るを希望せざる子供が一日も休まなく成り、落第せし子供が急に好成績に成り、学校に於て教師の言に従はざる子供何時も遅れるとか中食を持参せぬ子供等々について父兄会にて両者よりの注文や希望等を隔意なく交換致し来つた過去一ヶ年の業績を省みて、数々の喜苦に対して感慨無量の至りにて、最後に一言父兄方にお願致し度きは家庭に在つて児童同席の折余りなお話をせられん事や、又家の大半の方は一日労働に従事致す故夜分子供の勉強の面倒は到低見られないと申されませうが只一言「今日は学校で何をやつたか、算術は書取りは何点か」と聞いて頂き、良い点の場合の賞点式にして児童に競争心を持たせて頂きたい、教師に於ても必ず何時も不出来だからとて乙や丙丁のみ与へず、時には最下位を甲上にして、其より甲上ノ一とか上上ノ一二とかして努力さす可く致し、月末に至つて各種目に亘つて甲幾つに対してと云ふ様に賞品を与へ、一等を一釬位のカデルノ[注 ノート]にして最下位百レースのカデルノにし、そうすれば月に四五十人の児童にては五六釬にて三分の二位に与へられ、以下の者には色紙の四ツ一位を与へて向上を計り、御家庭にあつては参考書『全料全書』を買ひ与へられんことを希望し好結果を得やうと云ふ考へで御参考迄に一言記して御批判と御指導をお願する次第であります