「サンパウロ州各耕地ニ於ケル移民ノ近況并ニ護謨林ヘ出稼セントスル者ニ対シ諭告書ヲ発セン件」 在伯臨時代理公使 藤田敏郎 外務大臣小村寿太郎宛 明治44年7月31日 外務省文書(ブラジル国移民関係雑件 3.8.2.80) <MT R.731>
サンパウロ州各耕地に於ける移民の近況并に護謨林へ出稼せんとする者に対し諭告書を発せん件
明治四十四年九月
公第七十四号
明治四十四年七月三十一日
在伯
臨時代理公使 藤田敏郎
外務大臣侯爵小村寿太郎殿
サンパウロ州各耕地に於ける移民の近況并に護謨林へ出稼せんとする者に対し論告書を発せん件
サンパウロ州所在我移民の近況は頗ふる良好。目下各耕地とも
右申進候。 敬具
〇最近サンパウロ州日本移民概况
一、サンタカンヂーダ耕地(一名ガビアオン、ペインヨオート)
本耕地はサンパウロ市を去る北西方大約二百哩汽車にて約十数時間にて到達することを得。本耕地はドクトル、ヒルミアーノ、ピント氏の所有に属す。耕地附近は近年開拓せられたりと雖、地味肥沃にして農産物の収穫甚だ良好なり。一例を挙んに本邦移民某一家族にて間作の豆五十余俵、玉蜀黍四十三俵、米二俵を得其内米は自家用に当て其他の総売上代千五百五十ミル(約八百円)を所得し、其他の家族に於ても六七百ミルの収入を得しもの尠なからず。
本年
耕地に於ける各自の消耗品は随意に停車場附近なる雑貨店に就て購ひ得ることとて不当なる売付手段なし。日常労働の監督概して寛大にして移民一同満足して精励しつつあり、曽て第二回移民始めて本耕地に到着(四十三年七月)せしもの十二家族四十八名中一年后の今日迠に退耕したるは僅に二人にして、彼等の素行を見るに農業の経験に乏しく誘惑者に誑かされ逃亡せしものなり。本耕地は大規模ならずして外国移民五十家族中伊西人三十余家族本邦移民は十数家族なるを以て他の移民に比較して数字上大差なく、移民監督者の如きも伊西人なるも全体の移民少きを以て独り日本移民に対し継子扱ひをなすことを不得。又耕主は最も公平なる人にして移民に対する待遇甚だ親切を極め、移民各自の情態に審かなり。且本耕地の賃銀高率にして支払ひ確実、殊に移民に対し農産物を栽培するに充分の土地を貸与し、然も土地豊饒にして収穫多きが故に、一同喜悦感謝して誠実に勉強し居れり。
二、セルラ耕地
耕主は前記サンタカンヂーダ耕地仝一なり。本耕地はサンパウロ市より北方汽車にて四五時間を要する所に在り。前述の如く耕主寛大親切なると移民の純農者にして既に一家族にて
三、グワタパラ耕地
本耕地は規模大なること、本邦移民を採用する十数耕地中サンマルチーニヨ耕地を除き第一位に在り。面積六千三百アルケーレス(凡我一万六千町内外)
本耕地の如きは本邦移民を使役するものの中、稀に見る模範的耕地の一にして全家族五十七家族中一千ミル(約七百円)以上の収入を得たるもの二十五家族あり。其内経費を差引き純益金は大約六七百ミルなるを普通とせり(自作物及雞豚飼養の益金は此外なり)。然るに少数の移民は怠惰にして僅に三四百ミルの収入を得たるのみにして、支出に六百余ミルを要し、差引二三百ミルの不足金を生ぜしものもあり。故に如何なる良耕地と雖、移民にして怠慢惰弱しかも浪費者にありては到底当初の企図を果すこと難し。
今期に於ける本邦移民の
四 サンマルチーニヨ耕地
サンマルチーニヨ耕地は前記グワタパラ耕地より北に進むこと僅に数里、資金約二百万円の株式組織にして支配人は元サンパウロ州農務部の役員たりし人なり。性質頑固にして屡々移民との間に葛藤を生じたりしも、近頃一人の退耕又は逃亡者を出さず、支配人と移民との間の意思疎通せんが如く見受けらる。当耕地に於て昨年七月より本年五月迠の成績を見るに、他の耕地よりは遥かに劣るも、或移民の如きは一千百三十余ミル(我八百円内外)の収入支出四百八十余ミル、差引純益額六百五十余ミルを得。最少収入者は五百七十余ミル、支出二百六十ミル、差引二百六十余ミルの残額なりき(自作物及雞豚の収入は此外なり)。
五、ボワビスタ耕地
本耕地は小規模にして移民の総数四五十家族内日本移民十家族三十八名(熊本県)を収容したるものにして、移民相互の折合最も良く一同誠実且勤勉なり。昨年七月到着より本年五月迠に収得せし金額は一千ミル以上の家族に、其他は七百ミル以上八百ミルなりし、本耕地はサンパウロ市より汽車にて三四時間北行する所に位し附近の二三小都会に囲繞せられ、農産物を栽培し之が販路を求むること容易なり。昨年は到着後時日無く事情に通ぜざりし点より副作物に注意すること少なかりしが為め、僅に各家族共米三俵乃至五俵、玉蜀黍一車半乃至三車、豆二俵乃至四俵許を得しのみなりき、当耕地附近に於ては相場の変動は多少あれども大約米一俵二十ミル、玉蜀黍一車五十ミル、豆一俵二十三ミル内外なりとす。
本年度の
六、ソブラード耕地
本耕地はサンパウロ市よりソロカバーナ鉄道線にて西行約二百余哩八九時間にして到達す。昨年七月乃至本年五月に至る十一ヶ月間に第二回移民某は九百五十ミルの収入を得、支出五百二十余ミル、差引純利益四百三十余ミルなりし(副作物は此以外なり)。
第一回移民の一年平均収入は一千二百ミル内外(約八百四十円)にして支出約五百ミル本邦への送金平均五六百ミルなりと云ふ。
本年の
本耕地に於ては曩に本邦移民殆んど一同亜爾然丁に転航せんと企図したることあり。且教唆者の甘言に惑はされ退耕を計画せしものありしを以て、支配人と移民との間に軋轢を生じ、本年三月小官仝州地方巡回の砌、移民一同に対して亜国転航の不心得の説諭し、且雇被雇間に蟠る誤解を疎通溶和し置きしに、幸にも其後平穏にして双方共満足なる意思を表し居れり。殊に昨今本邦移民中子弟の呼寄証明し出願し来るもの多く、支配人自ら之が後援者となり移民の素志を達せんことに尽力し、渡航者は悉皆雇入るべしとて本館に書面を送れり。
七、パライソ耕地
当耕地には第二回本邦移民僅々三家族労働し居れり、孰れも頗る勤勉なり。昨年七月入耕后僅かに一年未満なるに不拘、既に二千ミル近くの収入を得たる一家族(五人)あり。本年の
八、ヘケラート耕地
本耕地に在る我移民(第一回移民九名在住)中に昨年十二月に三百ミル、本年三月に五百ミル、仝七月に一千二百ミル都合二千ミルを送金したる者あり之れ副農作物及豚、羊、家禽の売上代其多を占むるに由るものにして副産業のみにても優に一ヶ年一千ミル以上の収益を得たるなりと云ふ。
本邦移民自営耕作
一、イツー耕地
本邦移民某一家族三人にてイツー地方に於て自営耕作に従事するものあり。目今、拾町歩許りの山林を借入し、年百五十ミルの小作料を支払ふと云ふ。最初自営の志を抱きし時は僅に三百ミルを懐中せし由にて、本年の収穫期迠に耕主より更に百ミルを借用し僅かに現金七十三ミル計を所有し居りしも、現今は既に棉の収穫(二町歩)のみにて二百アロバ(一アロバ四ミル五百)米約五十俵許りの収穫(作付一町半許)を得たり。其他馬鈴薯、葱、豆等の収穫多き見込にて本年の作物のみにて二千ミル(千四百円内外)以上の収益を得んと意気込、依て是等の収益金を基礎として本年は豊沃なる土地を此附近に借入し、更に手一杯に事業を拡張する計画をなし少なくとも四五千ミル(二千八百円乃至三千五百円)の年収を得んと希望に満ち喜悦し居たり。
二、ピメンタ耕地 及サンマルチーニヨ耕地
ピメンタ耕地に於ける移民某三人家族、耕主との契約は収穫の折半制にて、本年度収穫物は玉葱約二万五千斤(二町五反歩、十斤の代価二ミル)、豆二作にて六十俵、米三四十俵、第一収穫馬鈴薯八拾俵等にて少なくも四千ミルの収入ある見込なりと云ふ。然るに前項地主死去し相続者未だ定らず、来年度の自営耕作を許可するや否や不明なりとて大に落胆せしが、近日上塚移民代理人各耕地出張の際サンマルチーニヨ耕地支配人に事の次第を計りしに、幸にも適当なる土地百アルケール許を有したれば、同支配人と協議し右移民に代り左の如き仮契約を結び、尚他の有志を勧誘中なりと云ふ。
一、土地は日本人来耕者に対し必要なる丈を貸与す。
二、左の機械を貸与す
馬耕用鋤犁 一個
仝 耕鍬 二個
仝 種蒔器 一個
三、牛 六頭
馬 二頭
四、右機械使用料として全収穫物の一割、土地使用賃として二割五分を納付す、但全収穫と云ふは次年度の食料として収穫全部より其五分を差引たるものなり。
五、若し余暇ある場合は日雇役を命じ、月末に計算し払渡す、且つ其間の食料は通常移民と仝じく貸与することを得。
六、前項貸与器具及動物を移民自ら購求する場合は其使用料徴収を廃止す。
耕地中移民に土地を貸与し一ヶ年の後回収する奸策を旋らす者あり。移民は第一回の収穫は得れ共、開拓費を失ふの損あり。地主は一銭の開拓費を支出せずして、良畑を得ることとなる故に、小官は数年間借入し若中途地主が回収するときは相当開拓費を移民に仕払ふ規定を設くべしと注告したり。
地主より土地と農具、種子又は食料を借入し、自営耕作をなすも如上の利益あれ共、若移民が二三千ミルを貯へ、然る後政府の植民地に入る利益の多きに若かざるなり。植民地に入る方法及利益は既に提出の巡回報告書に詳述したり。
総 説
本年三月小官巡回後、以上数耕地に於ける我移民の成績を観察するに近頃稍満足すべき有様を呈するものと云ふべく、退耕者又は逃亡を企つる者なく、却て嘗て出奔せし輩の耕地へ復帰せんことを希望するもの多きを見る。之れ本邦移民が最初渡来当時、当国の習慣異様に幻影し、言語不通の為め百事を曲解し、殊に渡航前一獲万金を夢想せしも、着伯して見れば事毎に予期に反し、移民会社の甘言に誑かされしものと信じ、且耕地の生活は無聊を極むるより、不平満々反抗心を起し、同盟罷工を企て、或は自暴自棄となり又は逃亡せんとし、支配人、人夫長又は監督の如き曽て奴隷を使役せし方法を以て彼等を厳重に待遇せんとし、到所紛擾葛藤頻繁を極めたりしが、今や両造間意思疎通し、移民が労働の性質、副作物の利益等了解し、風俗慣習言語にも馴れ、耕主も日本移民の長所短所を審にし、其正直にして愛すべき性質を発見したれば、漸時好遇するの傾向を生じ、於茲耕主及移民相互的に接近し、今日の如き情態に立至りしものの如し。
故に将来移民の渡航許可せらるる場合には、小官巡回報告書に陳述せし耕主及サンパウロ州政府に要求すべき条件の外に、移民会社をして伯国耕地に於ける実際の有様を移民に説明し、一獲千金の空想に駆らるる者なからしめ、凡て本邦出発の際予期する処と実際と一致せしむる事に注意すること緊要なりと思考す。斯くすれば従来の誤解、暴動、不平、自暴自棄其他の弊害を除去することを得べし。
且又曽て本邦人の赴かざりし新耕地へ移民を入れんとするときは、経験ある第一、二回移民中より適当なるものを撰抜して通訳なる名義の下に本邦移民の監督又は人夫長たらしめ雇被雇者の中間に立て周旋の労を取り、且通訳をなさしむることを緊要なりとす。
本邦移民の欠点の一は衛生上の注意を怠ることなり。一二の例を挙げんにグワタパラ耕地に於て本年一二月の頃二十余名の死亡者を出せり。何れもマラリア熱にして其原因は耕地内を流るる河川に赴き釣魚をなし、日暮沼瘴地に生ずるマラリア蚊に刺れ、仝病に感染したるものなりと云ふ。本邦人の監督等の制止注告に肯ぜず、注意を怠り、多数移民日曜日釣魚を廃せず、如斯不幸に際会し遂に平野通訳の厳重なる漁猟禁止令に依て始めて実効を見、移民の大部分は罹病を免かれたり。病人の多くは本病の死病にあらざるにも不拘、回復期に及んで未熟の蜜柑、其他の果物及水を多量に飲食し、胃膓病を併発して倒れしもの十数人ありと云ふ。又或家族三人にて一ヶ月砂糖十二三貫目を消費したるものあり。小官は巡回の際其理由を問ひしに答へて曰く、当地にては本邦より砂糖極めて安値なれば、小豆と混和し、或は団子に着け汁粉に用ひ、且醤油なければ塩と和し、日本料理を調製する等不知不識の間に斯く多量の消費をなしたりと。又ピンガと称する焼酎を用ゆる者多く、費用之が為めに層み、喧嘩口論従て生ずるなる。グワタパラ耕地の二千百余ミルを得て千四百余ミルを費やせし者は此類の移民なり。
耕地労働及自営農業は前述の如き好况に赴きつつあるに不拘、近頃純農者ならざる浮浪の徒(第一回移民にして業に破約し諸所を流寓するもの)アマゾナス、パラ、マツトグロツソ等護謨採取業者の手先となり、一日十三四ミル(九円乃至十円)の給料を得べしとの甘言を以て耕地常住の移民及自営農業者を誘出せんとし、移民等は健康其他の如何は措て顧みず、単に一二ミルにても多きを望み、永遠の志望を忘れ其等地方に赴かんとするもの多しと云ふ。因て公使館及総領事館連名にて別紙の如き諭告書を発したり。
移民は独逸移民の如き堅忍勤勉当初の志望を達せざれば止まざる的の素質修養あることを要す。
(諭告 省略 第4章 国の保護奨励策の下での移民 アマゾン開拓 に掲載)