土井権大 「伯剌爾移民は如何なる準備を要するか」 『商工世界太平洋』 7(7) 明治41年3月15日
伯剌西爾移民は如何なる準備を要するか
皇国殖民会社 土井権大
準備すべきものを二つに分類することが出来る、一は精神上の準備、二は物質上の準備。
△精神上の準備
之れは日本移民に取て、最も重視すべきことである。精神上の準備の内にも之れを平つたく云つて見ると、品行に於ても衛生に於ても、日本人として、外国移民の間に介在して、一点耻ぢる処無いと云ふ覚悟が無ければならぬ。又忍耐と勤勉との養成も無ければならぬ。其他にも種種あらうが、茲に最も注意して置き度いのは、伯国人と同じ生活、同じ習慣に従ふと云ふ考を持つ事である。何の役にも立たぬ習慣や、風俗に執着して、愛国者と云はれるにはどうしたらよいかと、故国の風俗習慣を固守して、力み返つて居るのが日本人の弱点である。日本魂は飽く迄も発揮し、発達さする事はよいが、皮相なる習慣風俗は是れを捨て、以て異境の習慣風俗に同化すると云ふのが得策であると思ふ。
日本人が海外至る処に於て排斥の口実となりつつあるとは同化し難いと云ふ点にあるので、北米でも、カナダでも、皆此の点が日本人排斥の唯一の材料になつて居るのである。故に伯国の如く全く日本人を知らず、又何等悪感情を有して居らぬ国に行かうと云ふ人は、先づ最初に『自己は同化されるやうにせねばならぬ』と云ふ考が必要である。茲に余は痛快なる一言を以て申せば『外国に移民せんとする者は、二本の箸を捨て、フォークと、サジとを以て食事するやうに』心掛くるが必要であらうと思ふ。日本移民の未だ行き渡らざる智利の如き、アルゼンチンの如きさへ、日本人排斥の声を聞く今日、日本移民がよく此の点の消息を会得して、渡航するのが準備中の最大要点である。
△物質上の準備
を分ちて、第一服装、第二家具、第三農具、第四雑品と分類して説明しやう。
(A) 服装に関するもの
洋服 労働服の形は、背広にして地は木綿の縞物、紺、飛白何れにてもよろし、要は丈夫向にして地織ならば尤も
風呂敷 男子はネクタイ代用として首に巻き、女子は頭に被るので、模様の華美な赤地更紗の類がよい。
中折帽子 如何なる安物にてもよろし、止む無くんば麦藁帽子を用意した方がよい、但し女子には不必要である。
靴及靴足袋 男女共に兵士用の如き丈夫一方の物がよい。
手拭 品柄色合はどうでも成るべく多く持参した方がよい。
寝衣 外国風のもの二枚木綿物にて作る、止むなくば日本の単衣物、
草履 三四足は持参せねばらならぬ。
毛布 赤、青を選ばず、白は汚れ安き故成るべくならば赤色を選ぶやうにしたがよい。
敷布団 航海中にも便利であるし、移民の寄宿舎内に於ても必要であるから、云ふ迄も無く是非携帯しなければならぬ。
敷布団の袋 これは即ち藁蒲団の包となるもので、伯州の如きは藁の代りに唐黍のからを入れるので必ず準備して行かねばならぬ。
大巾の白木綿 寝床を包むに用ゆるので、大巾の白木綿七尺位のものを二枚縫ひ合せて持参した方がよい。
枕 くくり枕の
油合羽 人力車夫が雨天に着する筒袖形のものならば好都合である。
洋傘 丈夫なるもの一本。
布片及針 其他白黒の糸が必要である。
(B) 家具に関するもの
西洋皿 金物に瀬戸を掛けたるものを人数によりて用意し、船中は勿論移民収容所などに入りても別に食器は与へ無いのであるから是非携帯せなけらばならぬ。
ナイフ、フオークの類 同上
鍋類 移民家屋の囲炉裡の構造が違つて居るから、成可く小形のものを用意するやうにせよ。
湯沸 日本の鉄瓶薬缶にて結好。
湯呑 鉄に瀬戸を掛けたるものがよい。
料理庖丁 数丁
弁当箱 耕作地方は昼食を耕地にてなすの習慣であるから、ブリキにて手を掛ける様蔓をつけたるものがよい。
水樽 耕地へ飲用水を持ち行くので大さは一升二升が適当である。
バケツ 中形のもの一個持参の事
洗面盥 トタン、ブリキ、等にて作りたるもの。
カンテラ ブリキ製のもの。
ドンブリ及茶碗 大小数個
椅子 外国人は皆丈夫なる椅子を持参すれども、別段高価ならざるものにて丈夫なるもの二三脚必要である。
(C) 農具
は只だ鉈、唐鋤、鋸、木伐り、鎌、鉞《まさかり》の類を携帯して米作に従はんとする人は稲をこぎ落す道具を持参すれば好都合である。
(D) 雑品
剪刀と鋏 外国にては理髪の料が非常に高価であるから髯位ゐは自分にて剃るやうにせねばならぬ
手荷物入 柳行李か竹行李を選び、箱ならば成るべく奇麗に造り、棚を造りて物を入れ或は着物入れ両様に利用するやう作製した方がよい。
薬品 持病のある者は勿論何人と雖も、多く持参した方がよい。其種類の概要を示せば。
1、下剤、2発汗剤、3、傷薬及消毒剤、4 眼薬、宝丹、清心丹などである。
農作物の種子 何にても試験せんと気付きたるもの或は稲、大豆、等の種子を必ず持参するやうに心掛けよ。
此の外書簡用筆紙墨等日常必要なるものは成可く考へて手落ち無く持参するやうにしなければならぬ。『こんなものが』と思つたものが非常に役に立つ場合が多い事は、常に海外に有る者の経験する処である。