『日本弁護士写真帖』 今井賀照編 文献社 1903
隈部三郎(1865-1926)は、鹿児島の判事、弁護士。杉村の報告書を読み、政治家の佐々友房と植民地建設を計画し、一家あげてブラジルに渡航。しかし、出発前に杉村、到着前に佐々が相ついで急逝したため、渡航後は、たばこ巻などで生計をつないだ。リオデジャネイロ州政府と水野龍との間で契約したサント・アントニオ植民地建設に参加するが失敗。その後、生計を支えるため、様々な職に携わる。隈部の次女と三女は、師範学校を卒業し、正教員となるため、日本人で最初にブラジルに帰化した。隈部自身は1926年(大正15)8月自ら命をたった。