『海外興業株式会社経営伯剌西爾国イグアッペ植民地創立廿週年紀念写真帖』 安中末次郎撮影 〔海外興業〕 〔1934〕
青柳郁太郎(1867-1944)は、米国遊学、1893年(明治26)ペルーを探査し、翌年『秘魯事情』を刊行、その後、移民取扱人小見正孝の支配人となる、大浦兼武らと東京シンヂケートを設立し、ブラジルに派遣され、土地の選定、サンパウロ州政府との交渉にあたり、イグアペ植民地建設に尽力した。1913年(大正2)伯剌西爾拓殖株式会社設立と同時に取締役となる。伯剌西爾拓殖の海外興業への合併には反対するが、意見はいれられず、海外興業取締役となる。1944年(昭和19)2月東京の自宅で死去。関連文献として、間宮直香「青柳郁太郎懐旧談」1~10(『海外移住』11(7) 1938.7~12(5) 1939.5 <雑22-80>)がある。